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03 悪魔

「グランディール侯爵家が長女、アメリアでございます」


 翌日。王宮の謁見の間に姿を現したアメリアは、玉座に着く国王の前に進み出て、深々と礼を取った。


 威厳に満ちた王の隣には、控えるように立つ第二王子ユリシス殿下の姿がある。


 光を吸い込むように艶やかな黒髪、その下に輝く金の瞳は鋭く、冷徹そのもの。


 整いすぎた面差しは表情を欠き、まるで精巧な彫像のようだ。体格もよく、鍛え抜かれた筋肉の厚みは衣服越しにも窺える。その立ち姿はまさしく戦場に立つ覇者のようで、武神と呼ばれるだけはあると誰もが思わず息を呑む。


「よく参った、アメリア・グランディール」


 国王の低く重々しい声が響いた。久しぶりに見たが、相変わらずの狸っぷりだ。


「王命により、そなたを我が子ユリシスの婚約者と定める。今この場において、それを宣言する」

 

 その視線がアメリアを捉えた瞬間、広間に並ぶ貴族たちの間から小さなざわめきが起こる。


「……あの呪われた王子と」

「花嫁になるなんて、どれほど恐ろしいか」

「グランディール家の娘も哀れなものね」

「没落寸前とはいえ娘を差し出すとは」


 囁き声があちこちから漏れ聞こえる。

 没落の最中にある侯爵家の娘と、呪いの噂に彩られた第二王子――奇妙な組み合わせに、誰もが眉をひそめている。


 だがアメリアは背筋を伸ばし、平然と前に進んだ。


「謹んで、王命をお受けいたします」


 その声音は震えることなく、むしろ凛とした誇りを含んでいた。


 王の横に控えるユリシスは、わずかに瞼を伏せてアメリアを見やる。冷徹と噂される男の瞳に、ほんの一瞬、驚きの色が宿った気がする。


「そうか、受けてくれるか! 誠にめでたい。グランディール嬢は妃教育も受けておるからこれ以上の縁談はないだろう!」


 国王が婚約の成立を高らかに宣言すると、広間にいた貴族たちは一斉に頭を垂れ、形式的な祝福の言葉を述べた。

 けれどその目の奥にあるのは、好奇と軽蔑と、わずかな憐憫だ。


 第一王子に婚約破棄された令嬢。わざわざそのことを持ち出す王の無神経さにも呆れる。


 グランディール侯爵家の面々は一段下の列に控えており、母は口元に手を当て、弟のエドマンドは眉を寄せて心配そうに姉を見上げていた。


(まあまあ。エドマンドのあんな顔が見られるなんてそれだけでも来た甲斐があったわ……ふふ)


 案外かわいい弟に胸の奥でそっと笑みをこぼしていると、王は隣にいる宰相と何やらコソコソと話をしていた。


「ではユリシスよ、アメリア嬢と少し話でもしなさい。薔薇が見頃だ」

「……はい」


 王に頭を下げたユリシスがこちらを見て、スタスタと歩き出す。アメリアは慌ててその背中を追った。

 周囲からまたヒソヒソと話す声が聞こえたが、まあどうでも良いのでとにかく足を動かす。


 広間を出ると、そこにユリシスはいた。


「……」


 アメリアを確認すると、また踵を返して無言で歩き始める。ゆるやかな歩調でアメリアに合わせてくれつつ、一定の距離を保ったままだ。


 ようやく薔薇園らしきところに到着すると、ようやくユリシスは立ち止まった。それから徐ろに口を開く。


「アメリア・グランディール侯爵令嬢。君が私の婚約者となることは覆せない」


 冷たく突き放すような声色だ。

 アメリアは負けじと背筋を伸ばし、ことさら美しく微笑んだ。


「はい。よろしくお願いいたします」


「……君も承知のとおり、私には悪評がある。……恐れるなら、恐れてもいい。ただ、逃げ出すことだけは許されないだろう」


 ユリシスは一瞬だけ視線を逸らし、低く言葉を継ぐ。表面だけを捉えれば、冷徹な宣告だ。


(黒髪が悪魔の化身だとかなんとか、本当にくだらないわ)


 そもそも、この国には古くから「黒き髪は災いを呼ぶ悪魔の化身」という言い伝えがある。数百年前、疫病の流行と同じ時代に黒髪の王族がいたことから、無理やり結びつけられた迷信だと聞いている。以来、黒髪は縁起が悪い色とされ、人々の間で忌避されるようになった。


 けれど、国外には黒髪の民族も存在している。交易で訪れる商人の中にも、豊かな黒髪を誇りにしている人々がいたはずだ。

 色ひとつで人の価値を測ろうとすることほど、馬鹿げたことはない。


 だが、逃げ出すと思われたのは心外だ。

 アメリアは怯えるどころか、ことさら柔らかに微笑んだ。


「ユリシス様。わたくしは昔から運がいいのです。だから勝手に幸せになれますわ」

「は……」


 その言葉に、ユリシスの口元がわずかに揺らぐ。短い沈黙のあと、彼は言葉を落とした。


「近いうちに、私は臣籍に降りて王族という立場を離れることになる。王からは――リュストア領を授かる予定だ」


 ユリシスの声音は重く、庭園の静寂に深く落ちた。なるほど。第二王子という身分そのものを王籍からなくしてしまうつもりなのか。


 さらに賜る予定だと言っているリュストア領は国境に接しており、長らく戦火にさらされてきた痩せた土地だ。


 豊かな交易路もなく、寒風吹きすさぶ荒野と小さな町や村が点在するばかり。

 王都の貴族たちにとっては、栄誉ある領地というよりも、遠ざけたい厄介事にほかならない。


 王家の思惑は明らかだ。

 不穏な噂を背負うユリシスを臣籍降下させることで、第一王子フレデリックの立場を盤石にする。


 そしてその一方で、ユリシスに公爵の地位を与え、表向きは恩寵を施したかのように見せる。だが実態は隣国との国境警備に他ならない。


 王家にとって都合のよい整理であり、表舞台から彼を遠ざける最良の手段でもある。傍に置いておけば、必ず政争が起こると踏んでの判断だ。過去には国を割るような事態に陥った事もあると言うし、王位は非常にデリケートである。


 呪われた王子、と蔑み遠ざけながら、武神のごとき彼の力を必要としているのだろう。


(まあ。なんともわかりやすいこと)


 散々蔑んでおきながら、その力は利用したいという都合のいい話だ。

 その『呪い』の信憑性はいかほどのものか。


 アメリアが調べた所によると、彼に仕えていた侍女や騎士たちはなぜか原因不明の火傷や怪我を負い、母親である第二妃も病死してしまったのだという。それが全て彼の呪いだと。


(起こったことは事実だとは思うけれど、皆がそう口を揃えることに違和感がありますわ)


 アメリアは胸の奥で小さく嘆息した。

 しかしその表情に陰りはなく、むしろわずかに唇をほころばせる。


「まあ、リュストア領ですか。訪ねたことはございませんが、美しい湖があると聞き及んでおります。是非見てみたいですわ」


 アメリアが笑みを浮かべているのを見て、ユリシスは静かに眉を寄せる。


「それに、そこの湖魚が絶品だと以前新聞で見ましたの! 滋味深いのだとか。それほど素晴らしいのであれば、毎日の食卓に並べられますわね」

「……湖魚、だと?」

「ええ。それに、リュストアには古城が残っているのでしょう? そこに住まうことになるのかしら。絵画を拝見したことがあるのですけれど、とても美しくて……実際に訪れるのが楽しみですわ!」


 痩せた土地、国境に近い辺境。冷遇の代名詞であるリュストアを、アメリアはまるで宝石を見つけたかのように語った。


 ユリシスの金の瞳がわずかに揺れる。


「……本気でそう思っているのか」

「もちろんですわ。どのような土地であれ、必ず誇れるものがあるはずですもの。わたくしはそれを見つけるのが楽しみでなりませんの」


 あまりにあっけらかんとした答えに、ユリシスは返す言葉を見失った。

 戦場で武神とまで称えられた男が、目の前の令嬢一人に完全に調子を崩されている。


 ふと口元が緩みかけて、ユリシスは慌てて視線を逸らした。

 だがアメリアはそれを見逃さず、穏やかな声音で言葉を添える。


「まあ殿下。笑ったお顔も、とても素敵ですわね」


 その一言に、冷徹と噂される男の頬が、わずかに赤らんだ。

 不器用に視線を伏せる姿に、アメリアは胸の奥でひそやかに笑みを深める。


「ユリシス殿下、ご安心くださいませ。わたくしは女主人の仕事も母から学んでおります」

「兄とは違って、君を王子妃にすることはできない」

「まあ。わたくしは別にお妃様になりたくて承諾したわけではありません」

「しかし、君は兄のことを……」


 言い淀む彼の言葉を遮るように、アメリアは軽やかに言葉を紡いだ。


「あらあら。別にフレデリック殿下をお慕いしていたわけでもございませんわ。ユリシス殿下のご希望であれば、わたくしはお飾りの妻でも構いませんし、屋敷のことに口を出すなというのであれば、そういたします。政略結婚とはそういうものでしょう?」


 アメリアは明るくのびやかにそう述べた。第一王子にはこのズケズケというところが気に食わないと言われた気がするけれど、もう過ぎたことだ。


 アメリアの視線の先にいるユリシスは思わず息を呑み、金の瞳をまるく見開いていた。冷徹と噂される王子らしからぬその反応に、彼自身が最も戸惑っているようだった。


「私は、妻となる君に対して不義理なことをするつもりはない」

「まあ」


 そう真っ直ぐに言われ、アメリアは思わずときめいてしまった。フレデリックには既に愛妾候補が数人いたし、他の貴族も似たようなものだ。

 だから逆に、すごく新鮮だった。


「ではユリシス殿下。これからよろしくお願いいたします」

「……ああ」

「リュストア湖、ぜひ見てみましょうね!」


 すっかり気を良くしたアメリアは、ニコニコと満面の笑みでユリシスを見上げたのだった。

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