02 姉弟と王命
――半年後。
夜会で第一王子に婚約破棄されてから、グランディール侯爵家の名は坂を転がり落ちる石のように失墜していた。
今や屋敷の使用人も半分以下になっている。
世間では「見捨てられた令嬢」「哀れな侯爵家」と囁かれているのを、アメリアは知っている。
夜も更け、グランディール侯爵家の広いはずの居間には、暖炉の火が小さく揺れていた。
アメリアと弟のエドマンドは向かい合い、簡素な紅茶を前にしていた。
「エドマンド、例の商会の方はどうなの?」
「まあ、なんとか。細々とだけど、商人たちも今は面白がって乗ってくれてる。けど正直、侯爵家の赤字を全部補えるわけじゃないからな〜」
アメリアとお揃いの銀髪を爽やかに揺らしながら、弟のエドマンドは苦笑している。その瞳の奥には、珍しく疲労の影が見えた。
侯爵家が体裁をギリギリ保っていられるのも、エドマンドのおかげだ。だがそれも、長くは続けられない。
アメリアは頬杖をつき、紅茶の表面に映る自分の顔を覗き込んだ。
「あなたにだけ苦労をさせてしまって、ごめんなさいね」
「はは、姉さんが謝ることじゃないよ。父さんさえ大人しくしていてくれたらいいんだけど」
その声音には冗談めかした軽さがあったが、エドマンドの瞳は剣呑な光を帯びていた。
彼の奮闘むなしく侯爵家の財政が立て直せていないのは、ひとえに父が再び詐欺まがいの投資話に引っかかったせいだ。
せっかく商会の利益を少しずつ積み上げても、父の一手で水泡に帰してしまう。
(よいカモにされているようですわね)
どちらかといえば善人である父は、良さそうな話を持ちかけられると直ぐに乗ってしまう。そもそもの失敗も友人の借金を肩代わりしたことから始まり……いやそうなるともう善人というか考え無しである。
「どこかに縛り付けておけないかしら」
「僕も考えたんだよね。母さんにも相談して、どこかに監禁しておきたいくらいだよ」
「困ったものね」
アメリアは小さく息を吐き、紅の瞳におっとりとした光を宿しながらも、胸の奥には冷ややかな思いを抱く。
そして、それとは別に弟に聞きたいことがあった。
「エドマンド。あなた、わたくしに隠していることがあるでしょう?」
声色は柔らかく、まるで世間話の延長のよう。だが、向けられた視線は鋭く、弟の胸中を射抜くようだった。
エドマンドの肩がわずかに跳ねる。普段は軽口ばかり叩く彼が、このときばかりは言葉を探すように口を閉ざした。だが、笑顔は保ったままだ。
「何の話?」
小さい時から見てきた弟のポーカーフェイスを見破る自信はある。たとえ周囲の人を欺けても、アメリアには通じない。
「わたくしに縁談が来ているでしょう? あなたが握りつぶしているの? それともお父様?」
「……なんのことだか」
「条件の悪い縁談ばかりなのでしょう」
アメリアが問うと、エドマンドは観念したのか笑顔をやめて肩を竦めた。
「やっぱり姉さんは誤魔化せないな。話は来ているけど、姉さんには相応しくないから見せてないだけ」
没落間近で婚約破棄をされた侯爵家の令嬢。通常の縁談が来ないことは承知の上だ。
高齢な貴族の後妻や、裕福な商人あたりからの打診が来ていることは想像にかたくない。おそらくは、侯爵家への融資も持ちかけられていることだろう。
その手段を取らずに済むよう、エドマンドは駆け回ってくれているのだ。
「姉さんにあんなクソジジイは絶対に似合わないよ」
「まあ。似合う似合わないなんて言っている場合かしら?」
「僕だって義兄になる人はちゃんと選びたいんだよ。父さんより歳上の人を『義兄さん♡』なんて呼びたくない」
「あらあら。エドマンドは口うるさい舅になりそうね」
「任せて」
軽口を言い合って、二人は笑った。
けれどその笑いもすぐにしぼみ、静かな間が落ちる。
(家のためになるのであれば、どこへでも嫁ぎますわ。どんな縁談であっても構わない)
グランディール家の長女として生まれ、貴族の一員として育って来た。元より政略結婚の駒になることは覚悟している。
暖炉の火がぱちぱちと音を立てる。
アメリアは視線を落とし、カップを両手で包み込むように持ちながら、穏やかに笑った。
「大丈夫よ、エドマンド。どんな縁談がきてもなんとかなるわ」
紅の瞳は柔らかに細められ、けれどその奥にだけは揺るぎない光があった。
それで弟が、侯爵家が救われるなら迷いはない。
その潔さに、エドマンドは言葉を失う。
「……姉さん」
苦笑を浮かべかけた唇が、最後には何も言えずに閉じられる。頼りなげに燃える炎が、二人の沈黙を照らしていた。
***
それから三日後の朝のこと。
「アメリア、お前に話がある」
父が渋い顔で切り出したとき、アメリアはついに侯爵家が解散宣言をするのだと思った。
「あら。やっぱり先日のお話も詐欺だったのですね。だからあれほど申しましたのに」
差し込む朝の光がアメリアの長い銀髪をやわらかに照らし出す。彼女は穏やかな表情で父をおっとりと咎めた。
「そ、それはそうだが、今は違う!」
この書斎には母と弟も呼ばれていて、二人とも神妙な顔をしている。きっと、アメリアと同じことを考えているに違いない。
「お父様、それは良いお話ですの? それとも悪いお話?」
「どちらかというとめでたい話、なのかな……?」
父はぽつりと零す。おめでたい話など転がっているはずがない。
ここ数ヶ月、父が駆け回っていたようだが、どこからも色良い返事はもらえていなかったようだった。そんな時にめでたい話。非常に怪しい。
また騙されているのではないかと疑いを深めたアメリアに、次に告げられたのはもっと信じがたい言葉だった。
「この度の王命により、お前は第二王子ユリシス殿下の婚約者に選ばれた」
「えっ」
「まあ」
「まじか」
一瞬空気が止まり、三者三様の反応をした。
母と弟は顔を見合わせていて、アメリアもパチパチと目を瞬かせる。
第二王子のユリシス殿下は、口さがない人たちから「呪われた王子」と言われている。
彼の周囲では病や不幸が絶えないと噂され、誰も近寄ろうとしない。
人を遠ざけるような冷徹な態度も拍車をかけていた。だからこれまで、婚約者もいなかった。
(よりによってわたくしを選ぶというのも、また不思議だわ)
グランディール家がこんな状況であることは、知れ渡っている。夜会で広まる醜聞にももう行くことはないので興味はなかったが、その上でそうした婚約をすることに疑問が残る。
他にも適齢期の令嬢はいるから、わざわざ第二王子の妻にアメリアを選ぶ必要など無かったはずだ。
――そんな令嬢を、王命で嫁がせる。
グランディール侯爵家も血筋だけは確かだが、今は彼にとって後ろ盾となる力はもはやなく、何の権力も持たない没落五秒前の家だ。
第二王子が余計な力を持たないように宛てがうには、実に丁度いいのだろう。その事情を理解するのに時間はかからなかった。
アメリアは小さく息を吐き、肩の力を抜く。
「わかりましたわ、お父様。ユリシス殿下の婚約者として精進いたします」
「いいのか、アメリア」
父が驚いたように目を瞬いた。もしかしたら、嫌がると思ったのだろう。
「ええ。わたくしにはお断りする理由もございませんし。むしろありがたいくらいですわ」
「確かに、姉さんだもんね」
「どういう意味かしらね、エドマンド?」
「ううん、なんでもないよ。ただ、呪いとか姉さんには効かなそうだなって」
アメリアは目を細めた後、ほうとため息をついた。髪色と同じ色のまつ毛が縁取る意思のつよい瞳は、人によっては冷たい印象を持たれる事もある。重々承知の上だ。
「王命だなんて、仰々しいこと」
「ねー。わざわざそんなことしなくても、姉さんに良いもらい手はないのに……いたっ」
また余計な事を言う弟のつま先を、アメリアはヒールの踵で踏んでやった。
それからしっかりと笑顔を作る。
「それでお父様。それと引き換えに借金を減らすことでも提案されましたの?」
「なっ、なぜそれを」
アメリアの冷たい笑顔に、父は顔を引き攣らせている。なんともわかりやすい人だ。侯爵家の解散はギリギリ免れたようだ。
「書面はちゃんとしっかり確認なさいました? 我が家に不利な条件がこっそり書いてありませんでしたか?」
「こ、今度は大丈夫だ」
「僕にも見せてね、父さん」
エドマンドも冷たい笑顔で父親に迫る。
どう考えても事業に向いていない父親の返事を聞きながら、アメリアは心の中でため息をついた。早くエドマンドにその地位を譲り渡した方がいいのでは、と喉の所まで出かかったけど言わなかった。
ちょっぴり短編要素も混ざってきました!




