14 神官
お待たせしました!投稿再開します。
食事を終えたアメリアたちは、神官を待たせている応接室へと向かうことにした。
廊下に出ると冷えた空気が肌を刺す。石造りの回廊には薄く陽が差しているが、それでも王都の春とはまるで違う鋭さがある。
ロザリーの話によれば、神官は不服そうな顔をしながらも用意された食事は全て平らげたらしい。
並んで歩きながら、アメリアはちらりとユリシスを見上げた。表情はいつも通り動かないが、歩調がほんのわずかだけゆっくりだ。
アメリアの歩幅に合わせているのだろう。本人はおそらく無自覚に違いない。
並んで廊下を歩きながら、アメリアはふと口を開いた。
「さきほどの霜芋のスープ、とても美味しかったですわ。あれは夕食にも出るのかしら」
「厨房に言えば出してもらえるはずだ」
「では、あとでお願いしてみますわね」
ユリシスがわずかに間を置いてから、静かに付け加えた。
「君の好みについても伝えておくといい」
「ありがとうございます。ユリシス様はどんなものがお好きですか?」
「……俺か? 俺は……考えたことはなかった、かもしれない」
何の気なしに問いかけた言葉に、ユリシスはぱちりと瞬きをする。
食事の好みを聞かれたことがないと、言外に語っている。
「では、これからたくさん探せますわね。色々なものを出してもらいましょう。甘いものはお好きですか?」
「嫌いではない……と思う」
「では辛いものは?」
「……あまり得意ではない」
なんとなく、ユリシスの眉が下がった気がする。
その横顔を見ながら、アメリアはもう一度、小さく笑った。
食べ物についていくつか会話をしているうちに、二人は応接室の扉の前に着いた。
「失礼する。待たせたな」
ユリシスが扉を開けると、白い法衣を身につけた初老の神官が長椅子に腰かけているのがアメリアにも見えた。
「神官様、お待たせいたしました」
にこりと笑って丁寧に挨拶をする。
しかし神官は立ち上がりもせず、書状に目を落としたままちらりと視線だけをこちらへ向けた。
「……忌み子め」
その視線がユリシスへ移った瞬間、神官の目が翳ったのをアメリアは見逃さなかった。嫌悪とも軽蔑ともとれる色だ。何か唇も小さく動いた気がする。
「ではさっさと始めましょう。時間を取らせないでほしいのですがね」
神官は未だ立ち上がりもせず、どこか居丈高な態度で書状を広げた。
ユリシスは何も言わなかった。こうした扱いには慣れているのだろう。金の瞳はどこか遠くを見るように、静かに前を向いている。
(……この方には、当たり前だったのですわね)
それがアメリアには、かえって胸に刺さった。
こんな扱いを、ずっと受けてきたのだ。王都でも、どこへ行っても。だから彼は何も言わない。怒ることも、傷つくことも、とっくに手放してしまったかのように。
だからといって、アメリアまで我慢する必要はないだろう。
そう思ったアメリアは、ゆっくりと息を吸った。
「神官様。少々よろしいでしょうか」
柔らかな声色だったが神官はぴたりと動きを止めた。その声音の奥にある、静かな圧を感じ取ったのかもしれない。
「……なんでしょうか」
「こちらはリュストア公爵ユリシス様でございます。ご公明な神官様でしたら、すでにご存じでしょう」
アメリアは微笑んだまま、一歩前に出た。
「王家よりご領地を賜った公爵閣下と、その婚約者に対して、着席のまま書状を広げることが王国の神官としての正式な作法でしたでしょうか。わたくしの妃教育では、そのようには習いませんでしたが」
アメリアの言葉に、神官の頬がわずかに引きつる。
「そ……それは、長旅で疲れておりまして……」
「それはお労しいことですわね。先ほどのお食事はきれいに召し上がっていらしたようですし、そこまで急がずとも、少しお休みになってからお越しくださればよろしかったのに」
アメリアはにっこりと笑った。反論を許さない、完璧な笑顔だ。
「王都からわざわざお越しいただいた大切なお役目です。作法に則って滞りなく進めていただけると、わたくしどもも安心できますわ」
しん、と静まり返った応接室で、神官は慌てて立ち上がった。
「っ、大変、失礼いたしました」
絞り出すような声だった。
隣に立つユリシスが、ほんの少し息をのむ気配がした。アメリアはそちらを見なかった。見てしまえば、この笑顔が崩れそうな気がしたから。
そうやって仕切り直した式典は、静かに始まった。
神官が改めて王印の書状を読み上げる声は、先ほどよりも幾分か真剣みを帯びていた。
王命により定められた婚姻であること。リュストア公爵ユリシスと、グランディール侯爵家長女アメリアがその当事者であること。両者が誓いの言葉を述べることで、この婚姻は正式に王国の記録に刻まれること。
儀礼的な文言が続く中、アメリアはまっすぐ前を向いていた。
これが王都の礼拝堂であれば、もっと多くの人間が並び、華やかな装飾が施され、祝福の言葉が飛び交うのだろう。けれど今この部屋にいるのは、自分たち以外は後ろに控えるロザリーとカイルだけだ。
「では、誓いの言葉を」
促され、ユリシスが口を開く。
「私は……アメリア・グランディールを、生涯の伴侶として迎えることを誓う」
低く静かな声が、石の部屋に落ちた。飾り気もなく、儀礼的な美辞麗句もなく、ただ真っ直ぐな言葉だった。
アメリアはゆっくりと息を吸い、口を開く。
「わたくしも、ユリシス・リュストアを生涯の伴侶とすることを、誓います」
神官が厳かに頷き、書状に署名を求める。ユリシスが先に羽根ペンを取り、躊躇なく名を記した。次にアメリアが受け取り、丁寧に署名をする。
(ロザリーったら)
ちらりと見えたロザリーが、口を引き結んだ顔をしてハンカチを握りしめている。その頬には明らかに涙が伝っていた。
隣にいるカイルがそのことに気がついたのか、どうしたらいいのか狼狽えているのが分かる。
神官は書状を手早く巻き直すと、慌ただしく一礼した。
「……確かに婚姻を見届けました。これにて務めは果たしましたので、失礼いたします」
そう言い残すと、どこか逃げるように応接室を後にする。
ロザリーが慌てて目元を押さえた。
「も、申し訳ありません……私も少し席を外します」
「え、あ、じゃあオレも……その、あのオッサンを見送ってくるっす!」
そう言って、二人もそそくさと部屋を出ていった。ぽつんと残されたアメリアとユリシスの間に、静かな空気が満ちた。
これでアメリアは正式に公爵夫人となった。随分あっさりとしたものだ。
「終わりましたわね」
「ああ」
アメリアが微笑むと、ユリシスは静かに頷いた。それからおもむろに視線を窓の外へと目を向ける。リュストアの空は高く、雲ひとつなく晴れていた。
(それにしても、あの神官、もう少し詰めておくべきだったかしら)
アメリアは唇を結ぶ。ここまでの徹底した待遇を是とする王都の人間には、静かな怒りが湧く。
けれど、こんな境遇を当然のものとして受け入れてしまっている夫となる人のことは、どうしてだか放っておけなかった。
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