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10 空にかかる虹

 王都から離れた馬車はゆるやかな丘を越え、夕刻前には街道沿いに広がる宿場町へとたどり着いた。

 石造りの建物が並び、広場には水桶を積んだ荷馬車や旅人たちの声が行き交っている。


 その一角に、黒い軍馬を連れた男たちの姿が見えた。

 鎧の紋章はリュストア公爵家――ユリシスの配下である騎士団のものだ。


「ユリシス様!」

「お待ちしておりました!」


 十人ほどの騎士たちが、次々と声を上げる。

 その顔には緊張よりも、久しぶりに仲間に会ったような明るい笑みが浮かんでいた。


 アメリアは思わず目を瞬かせた。


(公爵家の騎士たち……ということなのかしら)


 王都では悪意に満ちた噂があったユリシスだが、今こうして出迎える彼の部下たちは、誰一人として怯えた様子など見せていない。

 それは、カイルにも感じたことだった。


 ユリシスは手綱を引き、ゆっくりと馬から降りると、短く言葉を発した。


「皆の者。こちらがアメリア嬢だ。以後、彼女を守ることを最優先とする。道中に何もないよう、気を引き締めろ」


「はっ!」


 鋭い声が宿場の空気を引き締めたあと、一瞬の静寂。

 そののち、アメリアがふわりと裾をつまみ、たおやかに微笑んで挨拶をする。


「はじめまして。アメリア・グランディールと申します。リュストアの皆さま、どうぞよろしくお願いいたしますわ」


 その声音はやわらかく、それでいて芯が通っていた。

 旅塵をまといながらも凛とした立ち姿に、騎士たちが一斉に息を呑む。


「……め、めちゃくちゃ美人……!」

「すげぇ、上品な香りがする……!」

「お前ら奥さまに無礼っす!」


 カイルが慌ててその騎士たちに注意をしていて、アメリアはくすっと笑みを漏らした。どうやら、彼らの中ではカイルは上の立場にあるらしい。


「皆さま、ありがとうございます。頼もしい方々ばかりで安心いたしましたわ」


 そのひとことで場の空気がやわらぎ、緊張がすっかりほどけた。

 ユリシスも静かに息をつき、騎士たちを見渡す。


「では、予定通りに明日の夜明けと共に出発する。準備を整えておくように」

「了解!」


 返事が宿場に響き渡る。

 明るい笑顔と穏やかな風――辺境へ向かう旅の空気は、思っていたよりずっと温かい。


 ユリシスが騎士たちに指示を出すため少し離れたところへ向かうと、アメリアの背後から気安い声が飛んできた。


「奥さま〜! すみません、ちょっとだけ時間いいっすか?」


 赤髪をかき上げながら、カイルがひょこっと現れる。

 その軽やかな足取りに、ロザリーが一瞬だけ眉をひそめたが、アメリアは微笑で制した。


「どうかなさいました?」

「いや〜、その……馬車の乗り心地、どうだったす……どうでしたか?」


 カイルは頬を掻きながら、ちらりと馬車の方を振り返る。

 彼が口調を改めた瞬間に隣のロザリーが頷いたため、きっと彼らもここまでの道中で何かあったのだろうと思う。


(きっと、ロザリーが口調のことを指摘したのね)


 カイルにとっては大変な移動だったことだろう。そうアメリアが思っていると、カイルはなおも続ける。


「クッションとか、揺れとか、長旅だと疲れちゃうんで。もし何かあれば改良するっす……します!」

「まあ」


 アメリアは小さく目を瞬かせ、やがて穏やかに首を横に振った。


「いいえ、まったく問題ありませんわ。とても快適でした」

「そ、そうっすか! よかった〜!」


 カイルは胸をなで下ろして満面の笑みを浮かべる。

 その反応があまりに素直で、アメリアは思わず小さく笑ってしまった。


 そういえば――と、アメリアは馬車の中を思い返す。

 座席には厚手のクッションが幾重にも敷き詰められ、まるで高級なソファのような柔らかさだった。

 長い道のりを進むあいだも、身体がほとんど揺れないほどの安定感。

 それに、窓辺には陽を和らげる薄布が張られ、光も風も心地よく調整されていた。


(これほど乗り心地のいい馬車、王都でも滅多にお目にかかれませんわ)


 快適さの裏に込められた誰かの配慮を思うと、胸の奥がほんのり温かくなった。


「ユリシス殿下が、いろいろと気を配ってくださったのね?」

「へ? あ、え〜と……ま、まあ、そんな感じっす!」


 明らかに何かを隠しているような声色に、アメリアは目を細める。

 しかし追及せず、ふっと視線を馬車へ戻した。


「とても居心地のよい旅ですわ。おかげで、不安が少し薄れました」


 その言葉に、カイルは照れくさそうに頭を掻きながら笑う。


「へへっ、それはなによりっす! 奥さまが安心してくれたなら、ユリシス様も報われるっすね」

「あら」


 アメリアは小さく微笑み、唇の端をゆるめた。


(やっぱり、本当は思慮深い方ですのね)


 そう思いながら、彼女は遠くで指示を出すユリシスの背を静かに見つめる。


 城で会った時よりも、少し顔色がいいように思える。急なリュストア行きとはいえ、あの息苦しい王都から出られたことは、彼にとって僥倖だったのだ。


「奥さま奥さま。ユリシス様本人は絶対言わないと思うんで……今の話、内緒っすよ?」

「ええ、もちろん」


 アメリアが微笑を返すと、カイルはいたずらっぽく片目をつぶった。


「カイル様。先程から口調が戻っています」


 背後からロザリーの冷ややかな声が飛ぶ。


「わっ! 厳しいっす!」

「ほらまた!」


 ロザリーがぴしゃりと言うと、カイルは「す、すみませんっ!」と慌てて姿勢を正した。

 そのやり取りに、アメリアは堪えきれずくすりと笑う。


「じゃ、俺、馬の世話してくるっす!」


 逃げるように軽い足取りで去っていくカイルを見送りながら、アメリアは静かに呟いた。


「ユリシス殿下は優しい御方ですわね」

「お嬢様のことを第一に考えておられる点は、とても素晴らしいです」

「まあ、ロザリーったら」


 なぜかロザリーが得意げだ。

 アメリアは思わず微笑んで、視線をそっとユリシスへ向けた。


 馬車の中でも少しだけ話をして気が付いたのだが、どうやらユリシスは、思っていたよりずっと誠実な人のようだった。

 最初の時も、悪評だらけで辺境に嫁ぐことになったアメリアを、真っ先に心配してくれていたらしい。


(その優しさに、誰かが付け込んだのではないかしら)


 『誰か』の見当は付きすぎるほどだ。

 呪われた王子のそばに居て、それでも、アメリアの身には何の異変も起きていない。


 王宮で起きた出来事の数々も、どれもが人の悪意によるもの。呪いなどという曖昧なものではなかった。


(王妃様と距離を置けば、きっと何も起きないわ)


 そう確信できるほど、今のアメリアは冷静だった。


***


 それから数日。

 馬車の旅はゆっくりと北西へ進んだ。

 朝霧に包まれた平原を抜け、昼には緩やかな丘を越え、夜は宿場町の小さな宿で休む。


 車輪のきしむ音と、時おり聞こえる鳥の声。

 道の両脇には、季節の花が風に揺れている。


 ユリシスは寡黙で、旅の間も地図を見たり、騎士たちと進行の確認をしていた。

 けれど、その沈黙が不思議と居心地悪くなかった。


 アメリアにとって、静かな旅路はむしろ穏やかで、心を落ち着かせてくれる時間だった。


「そうだわ。ユリシス殿下、リュストア湖はもうご覧になりましたか?」

「……いや、まだだ」


 アメリアの問いに、ユリシスは首を横に振った。

 ユリシスが先にリュストア領に発ったのはふた月ほど前のこと。だからすでに領地を見て回っていると思ったのだけれど。


 その気持ちが顔に出ていたのか、アメリアが首を傾げるとユリシスはどこか言いづらそうに言葉を紡ぐ。


「……君が、見たいと行っていたから。その時に共に行こうと」

「まあ!」

「地図で位置は確認しているから問題はない」

「まあまあまあまあ!」

「……そんな顔で見ないでくれ」

「あら、わたくしどんな顔をしているのでしょう」


 アメリアと共にリュストア湖に行くことが彼の中で当然のように語られることが嬉しくなったのは確かだ。けれど、どんな顔をしているのか見当もつかない。


 その時だった。

 ぐらり、と馬車が大きく傾き、馬たちが嘶く。


「きゃあ!」

「っ――!」


 体が浮いたかと思った瞬間、アメリアは強い腕に抱き止められていた。


 硬く鍛え抜かれた胸板に押し寄せられ、思わず息を呑む。ユリシスの腕がアメリアの肩と腰をしっかりと支えていた。

 金の瞳が間近にあり、その鋭さの奥にかすかな焦りがのぞいている。


「……アメリア嬢、怪我はないか」

「え、ええ。大丈夫ですわ」


 ユリシスの腕からそっと解放されると、アメリアは揺れる馬車の中でパタパタと身なりを整えた。

 御者が慌ただしく声を上げる。


「殿下! 車輪がぬかるみに取られてしまいました!」


 見ると、片輪が深く泥に沈み込んでしまっている。

 御者や騎士たちが泥に足を取られながら必死に立て直そうとしているが、容易には抜けそうにない。


「……またか」


 ユリシスは低く呟き、金の瞳に影を落とした。

 その表情は苛立ちではなく、思い詰めるような苦渋に満ちている。まるで、これも自らの呪いの証だと信じているかのように。


 アメリアはそんな横顔を見上げ、ふわりと笑みを浮かべた。


「まあまあ、殿下。時間もかかりそうですし、ちょっと外に出てみましょう?」

「外に?」

「ええ。ここはどのあたりかしら。リュストアにはもう入っていますか?」

「そうだな、端のほうだ」

「あら。それは一層良いですわね」


 怪訝そうに眉を寄せるユリシスをよそに、アメリアは軽やかに裾を摘み上げ、馬車から降りてしまう。


 外に出ると、そこにはのどかな風景が広がっていた。

 緩やかな丘がいくつも連なり草は青々として、所々に野花が咲いている。遠くには小さな農村の煙が細く立ちのぼり、鳥の声が空へと溶けていく。


(痩せた土地と言われていたけれど、そうでもないように見えるわ)


 想像よりもずっとのどかで優しい風景が広がっている。

 頬をかすめた風は少し冷たく、王都の柔らかさとは違う鋭さを含んでいた。


「まあ……清々しい空気ですわね。心が洗われるようですわ」


 確かに通り雨でも降ったのか、地面はまだしっとりと湿っている。だが、すでに雨雲は去り、澄みきった青空が広がっていた。


「アメリア嬢。あまり一人で出歩かれては――」

「まあ殿下! 見てくださいませ、虹ですわ!」


 追いついてきたユリシスの袖を咄嗟に掴み、アメリアは弾むように声を上げた。

 指差す先、丘の向こうに淡い七色の光が弧を描いている。


 銀の髪を揺らしながら、彼女は子どものように目を輝かせていた。

 喜びに頬を染め、虹を仰ぐその横顔は、あらゆる冷たい噂を吹き飛ばすほど眩しい。


 虹を見上げていたアメリアは、ふわりと微笑んで振り返った。


「幸運でしたわ。馬車から降りなければ気づかなかったでしょう」


 その言葉に、ユリシスは信じがたいものを見るように彼女を凝視する。

 アメリアは優雅に首を傾げ、さらりと続けた。


「ぬかるみに車輪を取られるなんて、雨上がりには良くあることですわ」

「……しかし、アメリア嬢に大変な思いを」


 ああ、やっぱり。

 この人はアメリアに降りかかることを全て自分の責任だと思っている。かつてそうやって押し付けられた不幸を、受け入れてしまったように。


(呪いを掛けられているのはユリシス殿下の方だわ)


 無性に腹が立ってきたアメリアは腰に手を当て、自分よりも背丈の大きなその人をキッと睨みあげた。


「ユリシス殿下、不良債権を娶ることになったご自覚はおありですか?」

「不良債権……?」

「ええそうです。婚約破棄されて、さらに実家は没落寸前の令嬢を押し付けられていますのよ。大変なのは殿下の方ですわ。わたくしや侯爵家にとっては幸運な申し出でございます」


 あのままであれば、没落貴族となり、もしかしたらとても大変な目に遭っていたかもしれない。

 この王命で救われたのはアメリアの方。アメリアにとっては、幸運でしかない。


「……不良債権、か」


 ユリシスの口元がわずかに揺らいだ。けれど笑ったわけではない。深く沈む金の瞳が、まっすぐアメリアを捉えている。


「アメリア嬢」

「はい、殿下」

「……私はもう王族ではない。だから、ユリシスと……そう呼んでくれないか」


 その声音は、意外なほどに静かで柔らかかった。

 アメリアは瞬きをひとつしてから、にっこりと微笑む。


「はい。では、ユリシス様と」


 名前を口にした瞬間、金の瞳がはっきりと揺れた。

 次の瞬間、アメリアの手首がぐっと引かれる。ユリシスの美しい瞳が近い。


「アメリア、と呼んでもいいだろうか」

「もちろんですわ」


 銀の髪が風に揺れ、紅の瞳がまっすぐに彼を見返す。

 その瞬間、ユリシスの表情が初めて強く崩れた。


「君を不幸にしない。そう誓う」


 深く低い声。

 まるで己自身に誓うように吐き出された言葉は、アメリアの胸をわずかに震わせた。


 まだ未来は不確かだ。呪いの噂も、辺境の過酷さも消えはしない。

 けれどその眼差しの熱に、アメリアは確かに気付いてしまった。


「はい。一緒にがんばりましょう」


 そう答えると、ユリシスは安堵したように柔らかく微笑んだのだった。

お読みいただきありがとうございます。

やっと!短編の虹に到着しました!

ここからはリュストアでの生活を頑張って書きますね!毎日は無理そうなので、ちょこちょこ間が空くかもしれませんが頑張ります(ง •̀_•́)ง

※感想欄ふたたび解放しました

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― 新着の感想 ―
>「まあ殿下! 見てくださいませ、虹ですわ!」  見ようとしなければ、見逃されるものの一つ。見ようとすることで変わる予感(フラグ)…?  >(呪いを掛けられているのはユリシス殿下の方だわ)   アメリ…
アメリアの性格?考え方?価値観でしょうか? それがとても好きです!
何か小さい不幸のような日常ハプニングがある度に「不幸にしないって誓ったのに…。」「まぁ!幸運ですわ!」「…不幸じゃない、不幸じゃない、」って暗示から溶けていくのかなと想像したら勝手にほっこり。君に逢え…
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