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09 馬車

 まさかのユリシスの登場に静まり返る空気の中――。


「おおっ、さすが大貴族のお屋敷っすね! でっけ〜〜!」


 背後から、場違いなほど明るい声が響いた。

 ユリシスの後ろから、赤髪の青年がひょこっと顔を出す。

 陽の光を受けて、その髪が燃えるように輝いた。


(どなたかしら?)


 黒色の軍服を身にまとっていることから、ユリシスの関係者であることは間違いない。なんというか、とても気さくそうな人だ。


「カイル、静かにしないか」


 ユリシスが低く名を呼ぶと、青年はピタリと背筋を伸ばした。

 まるで軍人が上官に注意されたときのように。


「すみません! 本当に立派なお屋敷で、興奮したっす!」


 カイルは緊張など皆無の様子で悪びれず笑い、元気いっぱいに胸を張る。

 ユリシスは小さくため息をついて、アメリアに視線を戻した。


「アメリア嬢。この者は私の部下で、名をカイル・バートンと言う。……騒がしいが、悪い人間ではない」


 紹介を受けたカイルが、ぱっと笑顔を向けて頭を下げる。


「カイル・バートンっす。リュストア領でユリシス様の補佐をしてるっす! 奥さま、以後お見知りおきを!」


 勢いよく名乗るその姿に、アメリアは思わず目を瞬かせた。

 ロザリーは眉をひそめ、やや後ろに一歩引く。


(奥さま、ですって。悪くない響きだわ)


 なんだか面白い人だ。アメリアは彼の賑やかさに圧倒されつつも悪い気はしなかった。

 悪意というものが一切感じられないその様は、逆に清々しくもある。


「お荷物はこちらっすね!? 俺が運ぶっす!」

「い、いえ、けっこうです!」


 急に詰め寄られて、ロザリーの声が裏返った。

 それでもカイルは明るく笑いながら、手際よく荷を抱え上げてしまう。


「いやいや、女の子にこんなの運ばせられない……うわ〜軽い! 奥さま、荷物少ないっすね!」


 カイルが肩に箱を軽やかに担ぎながら、にかっと笑う。


「ええ。あまり持っていくものがなくて。でも貴重な品もあるから、ロザリーの指示を聞いて、積み込みは丁重にお願いね?」


 アメリアは穏やかに微笑みながらも、その声には柔らかな芯があった。

 その笑顔は怒っているわけでも、責めているわけでもない。けれど、どこか背筋が伸びるような圧がある。


「は、はいっ! 了解っす!」


 カイルは慌てて姿勢を正し、がしっと箱を抱え直す。ロザリーはそんな彼をじとっと睨みつつも、「その調子でお願いします」と言い添えた。


 玄関前に二台の馬車が並んでいる。

 ひとつは黒塗りの主馬車、もうひとつは荷物と従者を乗せる従者用の馬車だろう。

 朝の光を受け、車体の花の紋章が淡く光っている。


「カイル様! それは後からお積みください」

「え! あっごめんなさーい!」


 ロザリーはカイルの積み込みの様子を見守るために、焦った様子で後方の馬車へと向かう。


 場の空気が少し緩み、アメリアは思わず口元をほころばせる。そんな彼女の横で、ユリシスが小さく首を振る。


「……すまない、にぎやかな男で」

「ふふ、大丈夫ですわ。賑やかな方が、道中も退屈しなさそうですもの」


 アメリアの穏やかな返答に、ユリシスは一瞬だけ目を細めた。金の瞳に、わずかな安堵の光が宿る。

 その様子を見ながら、アメリアは内心で小さく思考を巡らせた。


(彼のあの口調からすると、貴族出身ではなさそうね。赤髪……南方出身かしら)


 南の沿岸地帯は陽光が強く、赤毛や小麦色の肌を持つ人々が多いと聞く。快活な気質も、まさにその土地柄を思わせた。

 そんな考えを胸に、アメリアはそっと視線を戻す。


「お嬢様、ご準備が整いました」


 荷物を積み終わったロザリーが声をかけてくる。


 ユリシスが歩み出るのに合わせ、アメリアも一歩進む。けれど、扉の前で彼が立ち止まったまま動かない。


(……あら?)


 少し距離を取ったまま、ユリシスは微妙に居心地悪そうに立っている。

 エスコートを待っていることに気づいていないのか、それとも――。


 沈黙が流れたその時、後ろから元気な声が響いた。


「ちょ、ユリシス様! こういう時は男子がバーンとエスコートするって聞いてるっすよ!」


 カイルが慌てて身振り手振りを交えて助言する。ロザリーが思わず「バーンって……」と小声で呟いたのを、アメリアは聞かなかったことにした。


「……」

「……」


 さあ、どうするのだろう。

 そう思っているとユリシスがゆっくりと振り返り、アメリアと視線が交わる。


「……私が触れても、いいのだろうか?」


 低く、ためらいを含んだ声。

 アメリアはふわりと微笑んで、軽く頷いた。


「もちろんですわ。わたくしたちは夫婦になるのですから」


 その言葉にユリシスはわずかに息を詰めた、意を決したように大きな手が差し出される。

 アメリアはその大きな手を取って、一歩ずつ慎重に馬車へと乗り込んだ。


「おお〜! ユリシス様もやればできるっすね」


 外では、カイルが大声を上げている。


「……カイル」


 小さくため息を吐くユリシスの横顔に、アメリアは思わず笑みを零した。


 馬車の中は、向かい合う形の座席。

 アメリアが腰を下ろすと、ユリシスも対面に静かに座る。

 車内にはわずかな香油の香りと、革張りの座席の匂いが混ざり合っている。


(お別れを言わなくては)


 アメリアが窓の外を見ると、玄関前に家族が並んでいた。

 父は目元を拭い、母は手を胸に当て、エドマンドはじっとこちらを見つめている。

 アメリアは小さく息を吸い、窓越しに微笑む。


「では、行ってきますわ。お父様、お母様――どうかお身体に気をつけて」


 そして、最後に弟へと視線を向ける。


「エドマンド。あなたは、やりたいようにやりなさいね」


 エドマンドがぐっと唇を噛み締め、それから笑顔で手を振る。アメリアも手を振り返すと、馬車は静かに揺れ、動き出した。


 車輪が石畳を叩く音が、家族との別れをゆっくりと遠ざけていく。


(さようなら。そして――また会う日まで)


***


 出発からしばらく経ち、アメリアは対面に座るユリシスと、静かに向き合っていた。


「お迎えありがとうございます。すぐリュストアに戻ると伺いましたが、よろしかったのですか?」


 思わずそう尋ねてしまう。

 リュストアは王都から遠い。街道をいくつも越え、山を抜けなければたどり着けない。

 その距離を、わざわざ往復してまで迎えに来てくれたことが信じられなかった。


 彼は、すでに領地に入って新しい生活を始めているはずなのに、それでもわざわざ自ら王都に足を運んだのだ。


 ユリシスはその問いに、少しだけ視線を下げる。陽の光が、黒髪の上でかすかに揺れた。


「花嫁を迎えに行くのは、夫となる者の務めだ」


 低く落ち着いた声。

 その言葉に飾り気はなかったが、妙に心に響いた。


(なんて、真面目な方なのでしょう)


 彼の金の瞳は真っすぐで、嘘も気取りも感じさせない。

 アメリアは胸の奥が少しだけ温かくなるのを覚えながら、小さく微笑んだ。


「でしたら、光栄ですわ。どうぞよろしくお願いいたします、ユリシス殿下」


 馬車の外では、舗装の荒い石畳を叩く音が続いている。

 その振動に合わせるように、アメリアの心も少しずつ、未知の旅路へ向けて高鳴っていった。


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