三話 異界
・・・小汚い小動物が、少年になった。
突如表れた少年に嬉々として押し倒され頬擦りされている状況に、あまりにも陳腐な言葉が思い浮かんでしまうほど、私は相当混乱しているらしい。だが驚き混乱するのも当たり前だと思う。シウメントと名づけた生物の瞳が発光したかと思った次の瞬間、淡い光は全身を包みこみ、小動物は十歳くらいの少年に変化したのだ。
「主人っシウメントは何処までも着いていきます」
やっと顔を上げたかと思えばシウメントはきらきらと瞳を輝かせて高らかに宣言した。確かに私の【誓い】になってくれとは言ったが、よもやこのような少年に誓いを立てさせてしまうなどとは・・・。
しかし動くとは言えどもまだまだ本調子でない身体にのしかかられているのはあまりいい気分ではない。―――それが全裸ならなおさら。
とりあえずどかそうとしてみるものも、いやいやと身をよじって擦り寄ってくる少年は存外に力が強く無理に離せばこちらが痛い目をみることになるのだろう。
「・・・とりあえず、現状を説明してくれないか?」
もう好きにさせておこう、と思ったのは状況を把握しておきたかったらだ。・・・決してめまぐるしく変わる状況に疲れたからではない。
「はい!シウメントは魔狼種最大階級【オルファス】であります。主人の血を媒介に魔力を頂き名を授かりましたことにより、魔種と人間の契約を行いました。血と名の盟約によりこれよりこの魔狼種はシウメントとなり貴方様に仕えさせていただく所存にあります」
「オルファス?聞いた事が無いな。それに契約とはなんだ」
「主人は異界の民ですね。歪に飲み込まれてこちらの世界へやってきたのだと思われます。この世界の人間は異世界というものを認識しておりませんが、シウメントのような高位の魔種の中では何体かそのような異界の民と契約を結んでいるようなものもおります。契約を結ぶ事により主従関係を結び、魔種の魔力を行使する事ができたり、このように主人の血を頂くことにより人型をとる事もできます。また 基本魔力の少ない人には上位魔種と契約することにより魔力だけでなく身体能力までもが飛躍的にあがるといわれております」
至極真面目に質問に答えるシウメント。しかもさっきまで小動物だったとは思えないほど的確でわかりやすい。これでぽおっと頬を染めて擦り寄ってこないのであれば完璧なのだが。
シウメントの言った言葉を整理してゆくと、とてつもなくいやな予感のする言葉が混ざっていたのに気がついた。
「異界と言ったな?ここにはレンティシア王国という国は存在しないのか!?」
・・・自分で言った国名にまったく思考が付いていかない。どこだそこは?
口から飛び出た言葉に勝手に戸惑う私に少し気をつかった少年はやっと頬擦りをやめて少し離れてくれた。しゅんと見えない尻尾が垂れるのが見えた気がしたのは先ほどまで小動物であったのを納得してしまったからだろう。
「はい・・・残念ながらそのような名の国はシウメントが生きたここ159年存在しておりません。主人の故郷でございますか?」
「・・・わからない。異界へ帰る方法は?」
「もう一度歪に入ればあるいは・・・。しかし、歪はいつどこで発生するか予測不能で、それにもし発見できたのだとしてもまた同じところへ戻れるかどうか・・・」
故郷も、現状も、自らの名すらわからぬこの私がどうやってあのお方の下へ帰り着けばいいのだ。・・・いや、それよりもまず記憶をあの少女から取り返せばいいのではないか。思い出しただけでも怖気が走る少女の笑みを瞳を閉じて振り払った。
「シウメント」
「っはい!!なんなりとご命令くださいませ!」
「・・・なぜそのように張り切る?」
「主人の為ならこの命ささげても惜しくはありませぬゆえ!」
実際は初めて主人に名を呼びかけて貰えたのが嬉しくて仕方がないのが大半を占めていたが、シウメントは本気でそう思っていた。その決意を示した瞳に己を重ねた彼は言おうと思っていた言葉を飲み込んだ。
私に使いなどいらない。一人で帰り着いてみせる、と。
魔物と言っていたが所詮は動物、それも今まで独りだった子供だ。温もりにつられて付いてきて野生の生活をなくさせて、やはり契約は間違いだったと後悔させたくは無い。そんな痛い思いをさせるくらいなら初めから突き放しておいたほうがいいのだと。
しかしシウメントは本気だった。ここで何を言っても決して契約は放棄しないだろう。
「シウメント、なぜ私についてくると決めたんだ?」
この問いだけでわかるだろうか?私の意図、その背景。
先ほどのやり取りからもわかっていたが、やはりシウメントは聡明らしい。魔物にしてはまだまだ短いが、159年生きたというこいつは長い年月に見合う知性も兼ね備えているのだろう。にっこりと天使のように微笑んで、シウメントは言葉をつづった。
「シウメントは主人のその人間らしい優しさについてゆこうと決めました。言葉の通じぬシウメントにも優しくお声をかけ、しかもシウメントの気持ちにも気がついていただいたではありませんか。優しく強く、そして美しい貴方様にこの命をささげたいと思ったのです」
ああ、この魔物に惹かれた理由が少しわかった。
かすかに残る残骸の記憶のなかで私もあのお方についてゆこうと決めたのだ。シウメントと同じ理由で!
顔も名前も何もかも思い出せぬあのお方だが、その決意だけは覚えていた。覚えておりましたぞ・・・。
「―――ともにゆこうか、シウ。私は主としてお前を守ってゆこう」
お前を救う事で私も救われるのだろうか。少しでも決意を汲むことができるだろうか。
「っ!はい!共に生きましょう、わが主!!シウメントが必ず貴方様をお守りいたしましょう!」
シウメントは花の結ぶようにほころんだ。
◇
とりあえず集落のあるところへ移動しようかと提案してみたところ、シウは北西の方向に大きな町があるという。そこへ向かう途中にもレイガ村という小さいが医療魔術の発達したところがあるらしい。
「シウメントも何度か村人が倒れた魔物を治療しているのを見かけた事がございます」
「なぜ魔物を?」
シウによると害のある魔物は倦厭されていると聞いた私にはその言葉がおかしく感じられた。いくら害のない死に掛けの魔物でも、治療してもあまり利益などないだろう。それもシウのように高位の魔物ではなく下位の魔物だというのだから殊更おかしい。
そういうとシウは顔を少し曇らせた。
「理由は存じあげません。情けをかけて治療しているわけではなさそうでした。不穏な気を感じたので遭遇するたびに逃げておりましたので、その魔物がその後どうなったかも・・・」
申し訳ありません、と頭を下げるシウに気にするなと声をかけながら、頭はこの後どうするべきかと考えていた。
大きな町という位だから情報も当然集まるのだろう。すぐに辞められるような仕事を見つけて働きながら異界渡りの情報を探ろう。しかしそこに行き着くまでに食料と旅費が無ければ意味が無い・・・それにシウメントの服も買わなければ。ちらりと横目で少年を見るとシウは“何か?”とでも言うように首を傾げた。今の今まで獣の姿だったのだ。普通は服など着ないし今の格好に違和感も無いのだろう。
「シウ、まずはそのレイガ村に立ち寄る。日雇いの仕事を探し旅費が溜まればすぐにでも町に移動する。お前は獣型に戻っていてくれ」
「わかりました、わが主。シウメントは獣型を取りましょう。ああ、それと一つお願いしたい事がございますのですが」
了承を得るようにそこで言葉をきるシウメントに先を促すように小さく頷いた。ぱあっと瞳が輝く姿をみて、何がそんなに嬉しいのだろうかと少し思った。
「シウメントはシウメントでございますが、契約した主以外にその名を呼ばれるとその者が主人より魔力が強いと支配力が伝染してしまう場合がございます。主人の魔力より強い魔力などそうございませんが、いないとも限りませんゆえ。これより先は真名を口になされませぬよう伏せて下れば幸いでございます」
「そうか。ではお前も自分のことはシウと呼べ」
「はい、主人」
名のことでやりとりしていると、やはり自分の名が無い事が気にかかる。シウに名づけてもらおうかと思ったがとんでもないと顔面蒼白にして断られてしまった。名づけの儀式というものは魔種にとっては神聖なものであり主従関係を結ぶ以外に使用されることはほとんどないので、主にそんな無礼をできるはずもございません・・・とのことだ。
やはり自分で考えるほか無いのだろう。
だがいざ考えてみるとどれもこれも自分には似合わぬ気がする。名など個人を識別する記号のようなもの、と割り切ってしまえばいいのだろうがどうにもできない。
そうしているうちに集落が見えてきた。まだ数時間も歩いていないと言うのに、と少し驚くがそういえば身体能力も上がるといっていたと納得した。
「・・・集落が見えてきたな。では頼むぞシウ」
こくりとひとつ頷いてシウは先ほどと同じ小汚い獣に戻った。高い泣き声を上げてこちらを見上げる様子は姿かたちは違っても何一つ変わっていないと思えて少し笑えた。
「そこのお前!止まれっ」
数分歩いて着いた門とも言うのもおこがましいほど小さな門の前で、突然刃が目の前で交差された。刃こぼれしていてとても切れるような代物ではない剣だが突き立てられるとやはりいい気分ではない。このように小さな村に入るのになぜとめられたのだと少し思ったが、異世界なのだから勝手が違うのだろうと納得した。
「キィウゥゥ!!」
足元でシウが威嚇するように鳴き声を上げているが二人の門番は気にする様子も無くこちらに不審の目を向けてくる。右側の男性に視線をよこすとやけにくぐもった低い声で“何のようだ?”と問いかけて、ぐっと剣を握る腕に力を込めた。
「・・・町へ行きたいのだが生憎食料が足りなくてな。少し滞在させていただきたいのだが」
「そのように怪しげななりをしておきながら町へ行くだと?もう少しマシな言い訳は無かったのか!」
言うなり交差していた剣を私に向かって振り下ろしてきた。切れ味はないに等しいだろうが当たれば骨の一本ぐらいは折られるだろう。・・・無論、当たればの話だが。
見栄えのために作られたのだろうやたらとゴツイ剣だ。刀身に沿うように手を這わせて少し軌道を変えてやるだけで簡単に地面に突き刺さってしまった。ふむ、やはりというべきか見掛け倒しの重いだけの剣のようだ。
「いきなり斬りかかるなど・・・危ないではないか」
「―――貴様ぁッ」
よほど自分の腕に自身があったのだろう門番の男性は顔を真っ赤にして再び剣を振り下ろす。
「っキィ!!」
足元にいたシウの近くに剣は刺さった。ぞわりと毛を逆立てるシウは小さな体躯を盛んに動かして私の背中をよじ登ってしがみついた。なんと器用なやつだ。
外れたとわかった男は懲りもせずにまた振りかぶった。確かに本人に力はあるようだがそれだけだ。軌道もぶれているし、なにより剣に身体が振り回されているではないか。激昂した青年に釣られてもう一人の青年も剣を振りかぶる。が、こっちは話にもならない。
ひょい、と身体を横にずらしただけで二人の剣は地面でかち合った。
「ふむ、どうあっても中には入れてもらえぬか?」
「魔種をつれているうえに怪しいなりの男を迎えろというのか!我らの秘密を暴いて王都に密告するつもりなのだろう!」
語るに落ちるとはまさにこのこと。私はなにも知らないし食料や路銀さえ手に入れたらさっさと去るつもりで、貴様らの悪事など興味が無いというのに。
どうしたものか。ここで事を荒げてもいいことはひとつもない。
「あらあらお困りのようですね」
女性としては少し低く、男性としては少し高い妙な声が耳元で聞こえた。風に運ばれてきたかのような奇妙な感覚の声に目の前の門番二人を無視してばっと後を振り返った。背中のシウも小さく威嚇の声を上げた。
「こんにちは来訪者様」
数メートル後方にいたのは、白磁の肌に深緑の髪をした男性だった。身体のラインの隠れるマントを巻きつけてはいたものも、その顔つきは中性的ながらもれっきとした男性だった。
「お前―――」
「しっ!自己紹介は後にさせてください。まずはここを通りましょう」
耳元で聞こえるこの声はどうやら門番ふたりには聞こえていないようだ。彼らは突然振り向いた私と現れた男にどうしたらいいのかわからず、ただただ慌てふためいて剣を構えるのみ。
彼はそんな彼らに小さく微笑みさえ見せて優雅にも感じる足取りで近づき、その手に光る小さな水晶を見せた。とたんに顔色を変えて剣を下げて逃げるように元の位置に戻ってしまう二人をいぶかしげに見つめていると、彼はこちらを振り向いてにっこりと笑った。
「さあ中へ。異界の来訪者様、ボクは貴方を探しておりました」
私の腕を取ってかしずく男を見下ろしながら、今日は変なやつにばかり寄られるなと頭の片隅で呟いた。