第七十八話 悪い魔女は、この世におらず
第七十八話 悪い魔女は、この世におらず
駆け出した自分に、サーシャ王妃も壁を蹴り跳びかかってくる。大剣と爪が火花と轟音を散らしてすれ違い、即座に反転。
振り向きざまに振るわれた彼女の裏拳を、咄嗟に柄頭で受ける。
衝撃に逆らわず、後ろへ、背後の大聖堂へと跳んだ。身に纏う鎧で荘厳な扉を打ち砕き、中に。
真っ直ぐに追撃してくる王妃の突撃を、横へ転がることで回避。直後、彼女は建物の中心でぐるりとその巨体を横回転させた。
───ギィィ……!
軋むような音と共に、赤いヒダが瞬く。
刹那、数十の流星が放たれた。大聖堂内部を蹂躙する赤い閃光が、それぞれ別の軌道を描きこちらへと迫る。
ずらりと並んだ長椅子を蹴散らしながら駆け、回避。猛追してくる赤い光に、椅子の背もたれを蹴りつけて跳躍。
レンガで作られた壁を踏みしめ、落下するより先に再度走り出した。外れた流星が建物内部を抉り飛ばし、豪奢な内装を破壊していく。
炎を纏った瓦礫が飛び散る中、赤いヒダを纏った灰色の巨体がこちらへと跳びかかってきた。
不安定な姿勢で受けるのはまずいと、壁を蹴り回避する。レンガの壁が容易く砕かれるのを視界に納めながら、未だ迫りくる赤い光を捉えた。
大聖堂中央の、シャンデリア。そこに上下逆転した状態で足をつけた自分を追いかける、流星の群れ。回避は不可能。逃げ場などない。
だが───この位置ならば、全てが見える。
「しぃ……!」
ギチリ、と体を捻りながら床に向かって跳ぶ。この身を食い破らんとする光弾全てを回転する斬撃で打ち払い、クレーターを作りながら着地。
そこへ、舞い上がる土煙を突き破り、こちらの隙を窺っていた王妃が爪を振りかぶる。
だが───。
「オオッ!」
『っ!?』
その速度には、もう慣れた。
振り降ろされる腕が最高速度に達する前に、手首目掛けて刺突を放つ。彼女は咄嗟に僅かな手首のスナップで赤いヒダを間に挟ませ、肉が抉り飛ばされるのは避けた。
だが、意識が上方向に向いた瞬間に足首を蹴り砕かんと足払いをしかける。
重い音と共に王妃の体が床と水平になり、無防備となった無貌の横っ面へと左の鉄拳を叩き込んだ。
打ち上げられた王妃がシャンデリアに衝突し、金具が壊れたのか諸共に床へと落ちてくる。
金と銀で煌びやかに装飾が施された、数百キロはあるだろうシャンデリアに押されるような体勢の王妃。
あれでは両腕が使えまい。その体を両断せんと、跳躍して剣を振りかぶる。だが、間合いに入る前に彼女が先に動いた。
『アハァッ!』
「ちぃっ!」
無理な体勢から放ったとは思えない、強烈な蹴り。直撃を受ければたたでは済まないと、斬撃を中断して灰色の脛へと足裏を合わせた。
蹴りにきた足を蹴りつけて、跳ぶ。勇者教のシンボルである、巨大な聖剣の模型に叩きつけられそうになるも、寸前で体を縦回転させて足裏から衝突した。
衝撃に台座の固定が軋み、鋼と黄金で作られた刀身が大きく反る。
バネのように利用して跳んだ自分に、サーシャ王妃もまた爪を引き絞り跳んでいた。
空中で互いの攻撃が衝突し、膂力と質量の分押し負ける。背中で聖剣の模型もステンドグラスも破壊しながら、大聖堂の外へと押し出された。
地面を両足で抉りつつ着地し、即座に顔を上げれば崩壊する大聖堂を後ろに王妃がこちらへと迫っている。
正面から繰り出された右の爪を弾き、左の爪を叩き落して、間髪入れずに至近距離から放たれた赤い流星群を後ろに跳んで回避。猟犬のように軌道を変えて追跡してくるそれらに、燃え盛る家屋の中へと跳びこんだ。
壁に当たれば壁を穿ち、屋根に当たれば屋根を貫く赤い光。だが、この世に存在する以上障害物とぶつかれば減速もするし軌道も単調になる。
誰かが使っていたのだろう机も椅子も蹴散らしながら、剣を振るう。赤い光を弾き、その衝撃で押しやられながらも全弾迎撃してみせた。
直後、魔力反応と直感により回避を選択。自分がいた場所目掛けて、壁を撃ち抜き熱線が通り過ぎる。
逃がさんと横薙ぎに振るわれる熱線を背に、木造の壁を体当たりでぶち抜いて外へ。大通りに出るなり、地面へ倒れ込むように体を傾けた。
スライディングと転倒の中間のような姿勢で、追いかけてきた熱線を潜り抜ける。直後、地面についた左手と両足を全力で動かし王妃へと走った。
「■■■■■■■■───ッ!」
『アハハハハハハハハハハッ!』
猛烈な爪と剣の応酬。互いの攻撃の衝撃で一ヵ所に留まることができず、戦場を移動しながら斬り合い続ける。
通り道にあった家屋を瓦礫に変え、石くれや木材を吹き飛ばし、土の地面も石畳の舗装も区別なく踏み砕き、斬撃の衝撃で巻き上げながら打ち合った。
火花も、都の残骸も置き去りに、斬り合う音だけを連れて王都を駆け巡る。
膂力、体格ともに相手が勝る。であれば、それが活かされる前に力を潰せば良い。
彼女の速度に慣れた目を頼りに、その長く強靭な腕がトップスピードに至るより先に刀身を叩き込む。
その反動を利用して灰色の肉体を切り裂こうとするも、それは赤いヒダによって阻まれた。まるで踊るような動きに、絹のような質感をしたそれらが舞い、剣の間に挟まり斬撃を受け止める。
終わりの見えない攻防。だが、互いに時間的猶予はない。
砲撃だけでは決して説明できない程に、王都が燃え上がっている。煙が充満し、こちらの呼吸を阻害し始めた。
対して、あちらもいつこちらの味方が合流するかわからない。王都民全てが狂い敵となったとしても、帝国軍の方が優勢のはずだ。
決着をつけなければならない。その焦りからか、互いの攻撃の激しさが増していく。
深く引き絞られた右の爪による刺突。それに合わせ、こちらの大剣をぶつけにいった。
しかし、突き出される最中に彼女の右腕が急停止。ほぼ同時に、下から掬い上げるように左の爪が剣腹を襲った。
柄に引っ張られるように腕が上げられ、無防備となったこちらの脇腹。そこへ今度こそ王妃の右爪が繰り出されるも、腰の捻りで鋭角な胴鎧の傾斜を使い受け流す。
立ち位置が入れ替わり、王妃の背中目掛けて逆袈裟の斬撃。だが、彼女もまたその身を捻り赤いヒダで受け止めた。
『ねえ、騎士様!』
衝撃で吹き飛んだ彼女を追いかけ、燃え盛る街を疾走する。
『私、強くなったでしょう!?貴方を殺せるぐらいに!』
突撃する自分に、赤い流星群が放たれる。それを前に、ひたすらに前進を選択。
切っ先を石畳に突き立て、走りながら力づくで前方に剣を振るった。土砂と石くれが赤い光と衝突し、幾らかを打ち消す。
それでも迫る光に、剣腹を盾にしながら突進を続行。衝撃に骨が軋み、防御を掻い潜った光が腿や肩を抉った。
「っぅ……!」
『それでも何故戦うの!?何の為に!?ただの義務感だなんて言わせないわぁ!』
喜悦を含んだ声でそう叫びながら、間合いを詰めた自分に彼女が左の爪を振り下ろす。
それを右側に避け、側面からすれ違いざまに剣を振るった。しかし、右腕のヒダで受けられる。
『義務感ならば、貴族の役目を優先する!敵陣に単身飛び込み、総大将と一騎討なんて愚は犯さない!』
「このっ……!」
彼女のミドルキックを柄頭で受け、こちらから踏み込み切っ先で喉を狙う。
王妃は首を僅かに傾けて回避し、赤いヒダを輝かせた。
流星は放たせない。その顎を殴りつけ、強引に発射を阻止する。
『ぐっ……ねえ、クリスの為なんでしょう!?貴方がこうして命を懸けるのは、あの子を愛しているからね!』
よろめきながらも、即座に爪を繰り出す王妃。側頭部狙いのそれを、刀身を傾けて受け流す。
姿勢を低くして難を逃れた自分の顔面へ、今度は膝蹴りが繰り出された。
寸前で左腕を間に差し込み、ガードする。しかし、膂力差で押し込まれ腕ごと顔を蹴り飛ばされた。
「がっ……!?」
ゴロゴロと凄まじい勢いで地面を転がり、回転する視界の中どうにか意識を保つ。
跳びかかってくる王妃の巨体を視認し、どうにか大地を蹴りつけて回避した。
戦いの中でごちゃごちゃと……!心理戦のつもりか!?
だいたい、『クリス様の為』だと?ふざけているのか……!
『教えて、騎士様!貴方は、あの子の───』
「わかるわけないでしょう、この恋愛脳がっ!」
『っ!』
土煙と黒煙の中を突き破って爪を振りかぶる彼女に、こちらが先に斬撃を届かせる。
ようやく、まともに刃が入った。王妃の右胸から脇にかけて、赤い線が走る。
「誰か1人の為と、絞って考えられる程僕は頭が良くありません!」
すれ違った姿勢から、互いに相手へと振り返る。
突き出された爪を、跳躍して回避。鎧の背当を黒い爪にかすめさせながら、地面と水平になり横回転。
頭蓋を叩き割らんとした斬撃を、彼女は右腕のヒダで防ぎながら後ろへ跳んで受け流す。
逃がさない。ここで仕留めきる……!
「クリス様の為!グリンダの為!家族の為!領地の為!何よりも、自分の為に!全てです!全ての為に、ここにいます!」
『……はっ』
どこか、嘲笑うような声。
それが誰に対して向けられたのか、自分にはわからない。だが不思議と、こちらに対してではない。そう思えた。
距離をとり、再び赤い流星群を放つ王妃。だが、もはや狙いをつける体力が残っていないのか。赤い光は自分ではなく地面や家屋を打ち砕く。
あるいは、それで十分と考えたか。弾き飛ばされた衝撃を利用し、彼女はこちらと距離を取ろうとしている。後ろ向きに跳ね、残りの魔力を腹部へとかき集め始めていた。
『そう……そうなのね……』
いつの間にここまで移動していたのか。彼女の背に、煤で汚れた王城が見える。
後ろへと、大きく跳躍したサーシャ王妃。その腹部にある大口が、強く発光した。
撃たせない。ほぼ同時に、走りながらこちらも近くの瓦礫から柱を引き抜いている。
発射の寸前に、燃え盛る木の柱を投擲。走ってきた勢いも乗った一投が、開かれた腹部の口へと吸い込まれる。
咄嗟に避けようとしたのか、身を捻った王妃。しかし、柱はその口端を抉り飛ばしてくれた。
集束された魔力が暴走し、灰色の肉体が各所から炎が噴き出る。暴発の衝撃で、その巨体が更に城へと近づいた。
空中でバランスを崩した彼女へ、加速する。両足が悲鳴を上げるも、無視。
「■■■■■■■■───ッ!」
限界を越えろ。リミッター全解除。骨が割れる感覚を味わいながら、疾走した。
火事の影響か、砲撃の影響か、半分程の高さとなり瓦礫の坂を作っている城壁。そこを駆け上がり、勢いのまま跳躍する。
迎撃に放たれる、王妃の左の爪。それらを切り払い、減速することなく接近。
「僕は、僕の人生の為に!」
間合いへと、跳びこんだ。
突き出された右手の爪。五指が揃えられ、城門さえ貫きかねない刺突。
それを、剣の腹で受けながら横へと流す。
刀身を滑らせながら彼女の腕の先を自分から外したところで、刀身を翻した。
ギシリと、柄の軋む音がする。技ではなく、力でもって、この最後の一撃を放つ。
「貴女を、討ちます!」
『───なんだ』
ほぼ互いの体が密着した状態から、全身を捻らせ刀身を王妃の首に叩き込んだ。
跳び上がった勢いと、斬撃の衝撃。灰色の肉に刃を食い込ませながら城の壁へと衝突し、それを打ち破って内部へ。
内部にて更にもう1枚の壁にぶち当たり、それと刃で挟み込むことで、全霊の力を王妃の首にかけた。
パキン、と。首の骨が割れた音がする。
『私……悪い魔女にすら、なれなかったんだ』
壁を打ちぬいた先は、何の因果か謁見の間であった。もっとも、出て行った場所より上の位置から戻ってきたが。
剣を振り抜いた姿勢で、床に着地。折れた足だけでは体が支えられず、左手もつきながら滑走する。
数メートル程進んだ所で停止し、剣を握りしめながらどうにか両足で立った。
構えをとろうとした自分の眼の前へ、ぼてり、と。灰色の頭が転がる。僅かに遅れて、首から下が床へと落下してきた。
一瞬気を抜きかけるも、その無貌から視線を感じ即座に剣を構え直す。
『そう……構える必要はないわぁ』
どこから声を出しているのか。口などない顔で、彼女は続ける。
『もうアリ1匹殺せない。だから安心しなさい……ねえ』
「……なんでしょうか」
『貴方の名前、なんだったかしら』
「クロノ・フォン・ストラトスだよ」
「っ!?」
自分の代わりに答えた声に、刀身を王妃へ向けながらそちらを確認した。
「ティキ国王……!」
中性的な、男とも女ともつかぬ美貌の王。30を超えているとは思えない容姿の彼が、少し疲れたような笑みでこちらに歩いてくる。
白いタキシードを煤で汚した彼が、両手を軽く上げながら近づいてきていた。
その左手に握る黒い筒に、警戒心を強める。
「落ち着いて。私に君と戦う力なんてない。これは、ホーロス王国の非を全面的に認め、クリス陛下をこの地の統治者として認める降伏の手紙が入っているんだ。それと、私の蝋印用のハンコもね」
「……?」
妙に素直というべきか、あっさりとした降伏宣言に兜の下で眉をよせる。
命乞いをしにきた……というには、彼の雰囲気は妙だった。
まるで、ここからが人生最大の大仕事だとでも言わんばかりに、その瞳が輝いていたのだ。
「これを、クリス陛下に渡してほしい。カーラのプレゼントも合わせれば、色々と楽になるよ。さあ、急いだ方が良い。この城、もうすぐ完全に焼け落ちるから」
「……それは、どういうことですか」
「どうもこうも、城中に油を撒いたからね。ああ、王都にあらかじめ油を撒いたのも、私だよ」
あっさりと、とんでもないことを告げる国王。
混乱を強める自分に、押し付けるように降伏の書状が入っているという筒を彼は差し出した。
「さあ、これを持って行って。代わりに、と言うわけじゃないけど」
一瞬、妖しい光を瞳に宿した後。
彼は、何かを振り払うように首を横に振った。そうすると、元の真摯な瞳に戻る。
「……彼女と、2人きりにしてほしい」
「…………」
理性で考えれば、彼の要求は無視するべきだ。
このまま目の前の細い首を切り落とし、持ち帰った方が功績となる。王妃の身柄は、寒気がするような技術を世に広めない為にもこのまま燃やした方が良いが、ティキ国王は別だ。
自分達は戦争をしている。懸命に働いてくれた家臣達の為に、そしてどこかで戦っている戦友達の為に、彼の死を決定づける最高の証を持ち帰るべきである。
しかし……。
「わかりました」
自分は、彼の言葉に頷いていた。
黒い筒を受け取り、一礼する。
後で誰に責められるとしても、そうするべきだと思った。
今の彼は、王として相応しい目をしている。ノリス国王とはまた別の、そして彼程の胆力がある瞳ではなかったけれど……それでも、一国の主であったのだ。
敬意を払わねばならない。彼の隣を通り過ぎ、謁見の間を後にしようとする。
『ねえ』
そこへ、サーシャ王妃が声をかけてきた。
体ごと振り返った自分に、ティキ国王によって胸に抱えられた首だけの彼女は言葉を続ける。
『クリスに伝えて。私は貴女に殺されたわけじゃない、って』
「……承知しました」
それは、ただの負け惜しみだったのか。あるいは……。
王妃の内心を、自分には察することができない。退室前にもう一度頭を下げ、外に出た。
いつの間に火の手がすぐ近くにまで迫っていたのか、階段の下では既に炎の影が揺らめいている。
普通に降りるのは無理かと、戦いの影響でできた穴から外へと跳び出した。
崩れた城壁の上へと降り、再度跳躍して燃え盛る王都に着地する。
振り返れば、あっという間に謁見の間がある場所にまで炎が這いあがっていた。
燃え盛る王城。崩壊した街並み。
天へと上った黒煙のせいか、空には今にも泣きだしそうな黒い雲が浮かび。
それに見送られるように、ホーロス王国はその長い歴史に終止符を打った。
読んでいただきありがとうございます。
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