第八話 13歳から15歳。はじめての
第八話 13歳から15歳。はじめての
剣を手に硬直する自分の肩に、父上が手をのせる。
「落ち着け、クロノ。ケネス、まずはこの男が何をしたのか聞かせてやれ」
「はっ」
罪人を拘束する騎士達の横で、ケネスが頷く。
「この男は傭兵仲間達と共に盗賊行為を繰り返しておりました。この者達はストラトス家領内にて商人の荷馬車を襲撃。3件の被害が出ており、うち1つは商人とその家族が皆殺しにされています。3件目の事件中に巡回していたカール様が交戦。捕縛されました」
「こいつに殺された商人一家は、家族4人で各地を巡りながら商いをしていた。上の子はまだ4歳ぐらいで、下の子にいたっては赤子だった……。母親の尊厳が奪われた痕跡があり、そのうえ4人全員の死体が玩具にされていたよ」
ケネスに続き、父上が沈痛な面持ちでこちらに語り掛けてきた。
「クロノ。貴族として、領内でこの様な行いをした者を許してはおけない。生きたまま火あぶりにするか、さらし首にするかの2択だ」
「むー!むぅぅ!」
ずだ袋を頭に被せられた男が、自分の未来を語られたからか。声を出そうとしている。だが、猿ぐつわでもされているのか。うめき声としか聞こえない。
「いずれ、クロノにはストラトス家を継いでもらう日がくる。その時の準備として、こういった事にも慣れておかないといけない。わかるな?」
「……はい」
父上の言う事は、正しい。
この世界の法執行機関とは貴族やそれに任された騎士であり、帝国の法に照らしてみた場合こういった盗賊は先ほど言われた通りの刑が執行される。
強いていうのなら、貴族が手ずから処刑する事は珍しい。
だが。いつかはこういった罪人を、あるいは戦場で敵兵を、自分は殺めなければならないのだ。
この手で。その練習が必要なのは、わかる。
そう、理性ではわかっているのだ。しかし。
「ふぅー……!ふぅー……!」
1歩踏み出しただけで、呼吸が乱れる。あぶら汗が止まらない。寒くもないのに手が震える。
前世を含めて、人殺しなんてした事がない。今朝までは、今日誰かを殺すなんて考えていなかった。
漠然と『いつか戦場で』なんて考える事はあっても、実際にやる時の事なんて、まだ……!
「……やっぱり、別の日にしよう」
父上が、優しくこちらの腕に手を添え切っ先を下に向けさせた。
「今日は俺がやる。クロノにはまだ早い」
「お館様」
責める様な声音のケネスに、父上は小さく首を横に振った。
「この状態では、自分の足を切ってしまうか、下手をすると拘束している者を誤って殺してしまいかねない。何より、精神に傷を負ってしまう可能性がある。クロノがそうなってしまうのは、ストラトス家当主として見過ごせない」
「それは……」
「なぁに。戦場で直接相手を切り殺す状況なんて、魔法騎兵には滅多にないんだ。クロノには馬の扱いと魔法をしっかり覚えさせればいい。剣を使うのと、魔法を使うのでは手に残る感触も全然違うからな」
父上の言葉は、とても優しかった。
その甘い誘惑にのってしまえば、どれだけ楽だろう。
前世の知識で、投石や弩、そして銃により人が人を殺す罪悪感は軽減され、殺す為の訓練を受けていない者でも敵を殺せる様になったと聞いた事があった。
勿論、相手の顔が見えていれば銃を撃つにしても躊躇うだろう。わざと急所を外す兵士も多かったらしい。
馬を全速力で走らせれば、相手の顔を見ずに済むんじゃないか。そうしながら魔法を撃って、範囲内に敵兵が入っていれば良い。幸い、自分の魔力ならそんな戦い方でもなんとかなる。
だから───。
「父上」
───それでも。
「僕が、やります」
覚悟を、決めねばならない。
自分は、流され易い人間だ。今の甘い誘惑に、本来なら簡単にのってしまう程度には。
しかし、その流され易い心に、とっくの昔に『情』を抱いてしまっている。
ハッキリ言って毒親のそしりを受けても仕方がない父上だが、この人の事が自分は嫌いではない。
姉上も、無口で不愛想で選り好みする行き遅れだが、優しく理知的な人だ。
アレックスも、ケネスも、他の騎士達も。皆、欠点も良い所もある。それでも、好ましい人達だ。
そして、同郷であるグリンダ。彼女には、本当に何の気兼ねもなく喋る事ができる。前世の事まで話せる相手と、はたして今生でまた会えるのだろうか。
この領地にも、その領民にも、自分は死んでほしくない。だったら、
「……大丈夫なのか?」
「はい」
『殺せる貴族』でなければならない。
手の震えが止まり、罪人の傍へと立つ。刑の執行が近づき、男はいっそう暴れだした。
当然騎士達の拘束はびくともせず、首を切り易い様に腰を曲げられる。
「むー!むぅぅぅうううう!」
「……やります」
刃は、するりと肉も骨も切り裂いた。
切断された首が、下の木桶へごとりと落ちる。切った瞬間は勢いよく飛んだ血は、今は断面からだらだらと桶の中へ流れていた。
強烈な鉄の臭い。遅れて、自分の頬に返り血が飛んでいる事に気づく。
「おめでとうございます、若様」
ぱちぱちと、ケネスが満面の笑みで拍手をしてくる。
「大丈夫かクロノ!?立派だったぞ!」
父上がこちらに駆け寄り、剣をするりと奪いながら肩を抱いてきた。
「御立派です、若様」
「素晴らしい一太刀でした!」
「なんと流麗な太刀筋か……ストラトス家は安泰ですな!」
他の騎士達も、自分を称賛してくる。
きっと、余計な自責の念を抱かせない為だ。大袈裟なまでに褒め称えてくる。
それが───申し訳ないけれど。自分には、気持ち悪くてしょうがなかった。
* * *
『はぁぁぁ……』
いつもの部屋で、グリンダと2人きりになり。机に突っ伏して盛大にため息をついた。
『お疲れ様。事情は聞いているよ。アーリーさんが嬉しそうに教えてくれたから』
『……やっぱり、この世界ではめでたい事なんですね』
『そりゃあそうだよ。次の代でもきちんと領地が運営される証明の1つだからね』
肩をすくめる彼女を、思わず睨みつける。
『貴女も、そう思うのですね』
『……我ながら擦れているとは思うよ。色々と見てきたし』
そう言って、グリンダは苦笑を浮かべた。
『私がいた教会は奴隷商とグルでね。ある程度育った子を、奴隷商に養子として出していた。それを知った子供が逃げようとして殺されるのを見た事があるし、教会でまともに食事が貰えないから盗みを働いて、街の人に私刑されて死ぬ子供も見た事がある』
なんでもない事の様に、彼女は続ける。
『だからかな。慣れてしまったんだ。人が死ぬ事について。少なくとも、自分で直接手をかけない範囲なら……顔も知らない誰かが死んだ、殺した、ぐらいじゃ。どうとも思わなくなってしまったよ』
『それは……』
『だから、君もきっと慣れる。これから貴族として、特権階級として暮らしていく中で。今日の様に剣を振るう時が何度もあるはずだ。なんせ、この大陸お世辞にも平和とは言えないし』
彼女の言う通りである。
自分の住むこの帝国は、大小はあれどほぼ戦争しっぱなしだ。
北にある『モルステッド王国』とはずっと睨み合いと小競り合い。東の『ホーロス王国』とは、第一皇女が嫁ぐまで長年争いを続けていた。
西の『スネイル公国』とは特に不仲である。20年ほど前に帝国が征服した国の公爵家が、隣国を吸収し抗戦。今も戦争中だとか。
そして、南の『オールダー王国』。
半島の様に海へ突き出た国で、ストラトス家はこの国の国境近くにある。
彼の国は他3つと比べ小国であるが、下手に仕掛ければ隙を晒すとして見逃されてきた。
そんなオールダー王国から、最近『ご禁制品』の密輸が活発になっていると聞く。うちに流れてくる賊堕ち傭兵も、あの国から追いたてられてやってきた者が多いとケネスが言っていた。
非常に剣呑な空気が流れており、あるいは2年後か3年後に……。
と。我らがクロステルマン帝国は敵が多い。オールダー王国との国境線も近い我が領地は、いつ戦火に巻き込まれてもおかしくないのだ。
『そう、ですね……いつかは、慣れる』
上体を起こして椅子に座り直し、己の右手を見る。
血などついていないはずなのに、不思議と赤く見える掌。鼻の奥には、未だにあの時の臭いが残っている。
首を落とした死体は騎士達が断面を焼いて塞いだ後、荷物の様に持って行った。首から下はこのまま共同墓地に。首から上は、他の盗賊と共に領民達への見世物にした後同じく墓地へ埋めるのだとか。
最後まで、自分が殺した男の顔は、わからなかった。
『……この行いは、正しいのでしょうか』
『それは、この世界ではなく前世の価値基準で、という事?』
『……はい』
自分でも、発言してから言葉の内容を考え、頷いた。
今生において、あの男の首を落としたのは正しい事である。外道と呼ぶべき存在で、彼に殺された者達にとっては打ち首すら生ぬるいと思うかもしれない。
だが、彼にも『人生』があったはずだ。
それは、どの様なものだったのだろうと、つい考えてしまう。
『そうだね……正しいとは断言できないが、間違ってはいない。それはハッキリと言える』
グリンダは、少し考えた後にそう言った。
『現地政府が以前から法律の内容を公表しており、周辺国から妥当だと言われている。そして正式な法の執行機関が、法律にそった判決を出し然るべき立場の者が刑を執行した。国際的に見て、文句の付け所はないだろう』
『……それでも、正しいとは言ってくれないんですね』
『まあね。前世の日本人の価値観からすると、まず10代の子供にやらせるなとか。相手に弁護人はついていたのかとか。現行犯だとしてもきちんとした証拠は裁判の際に提示されたのかとか。色々と考えてしまうよ。特に1つめ』
グリンダは苦笑を浮かべ、頬を軽く掻く。
『まあ、この考えだって。日本の弁護士や裁判官が聞いたらアレはコウで、コレはアレだからって言われるかもしれないけど。私は法律に詳しいわけではないし。でも、そうだね』
頬杖をつきながら、彼女は口角をハッキリとあげる。
『やっぱり、これは断言できる。君は、間違っていない』
『……ありがとう、ございます』
自身の手を握りしめながら、深く頭を下げた。
相手の人生は、なんて考えておいて。結局自分は『否定されたくなかった』だけらしい。己の浅ましさに、少し嫌悪する。
間違っていない。そう、前世で同じ国に産まれ、そして死んだ相手に言ってもらえた。
今生においても、前世においても。両方の価値観でもって、否定されないのだと。そう安心して胸を撫で下ろす。
思っていた以上に、自分は俗な人間らしい。
「さて……喉が渇きませんか?若様。何かお飲み物でもお持ちしますか?」
『……まだ時間はありますよね。もう少し、日本語で愚痴につきあってもらっても良いですか?』
『はいはい。しょうがないな』
立ち上がって綺麗な所作で一礼した彼女にそう言えば、再び苦笑を浮かべて椅子に座り直してくれる。
『しかしあれだね。愚痴をこぼすのも良いけど、仕事の話か趣味の話でもした方が気がまぎれるよ?あとは猥談』
『どんだけ猥談好きなんですか、貴女』
『好きというか……人生、かな?』
『終わってますね。人生』
『実際1回終わったからね。あ、そうだ。定番のセリフがあったっけ。たしか……大丈夫?オッパイ揉む?』
悪戯っぽく笑いながら、グリンダが自身の胸を両手で持ち上げる。
たゆん、と。大きな胸が強調された。既に手から零れ落ちそうなサイズで、もしかしたらそのバストは90センチを超えているかもしれない。肩も腰も細いのに、胸と尻だけ随分と育ったものだ。
そっと目を逸らし、眉間を押さえる。
『遠慮しておきます』
『ヘタレ。まあ、私も君が獣になって襲ってきたら困るから、別に良いけど』
『誰が獣か。……じゃあ、仕事の話をしましょう。最近、ようやく蒸気機関の試作品が───』
それから暫く、2人で日本語を使い語り合った。
気づいたら思っていたより時間が経っており、揃って午後の予定に遅れてしまったのは申し訳なかった。
こうして、自分が初めて人を殺した日は、過ぎ去っていったのである。
* * *
───そして、彼女の言う通り。人は慣れる生き物である。
あの日から2年。その間に、父上に連れられて何度も盗賊と戦い、殺してきた。
その全てが一方的な虐殺である。こちらの倍の数いようと、質の差で圧倒している戦いばかり。逃げようとする敵にはライフルで背中を撃ち抜き、あるいは自分と父上が追い付いて切り伏せる。
魔物とも戦ったが、かつて父上が倒した5メートル越えの魔物みたいな大物はいなかった。牛より少し小さい猪が、最大である。
それでも人間なんて簡単に殺せる存在だが、突進を避けて横っ腹を切り裂けば終わった。
もう、肉を裂く感触に一々戸惑う事もない。快感を覚えていないのが、せめてもの救いだ。
そうして、15歳となり。
自分の初陣が、決まったのである。
読んでいただきありがとうございます。
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