第三章 エピローグ 下
第三章 エピローグ 下
サイド なし
戴冠式より、約2週間後。
ストラトス領居館、当主執務室。
「……アンジェロ枢機卿が、死んだ?」
息子からの報告書を読み、カール・フォン・ストラトスは眉間に深い皺を寄せていた。
「はい。私も読ませて頂きましたが、昨今の勇者教の枢機卿とは思えない、見事な最期だったようですね」
彼の傍に立つアレックスが、ゆっくりと噛み締める様に頷く。
「陛下……コーネリアス陛下と『特別な友情』を持っていた事が主な理由かもしれませんが、だからといって他人の盾となれる男はそうおりません。しかし、クリス陛下は何としても、オールダー王国から先帝のご遺体を取り返さなければならなくなりました」
そして、老執事は若干表情を厳しくする。
「オールダー王国からの要求がどの様なものになるかは不明ですが、是が非でもアンジェロ枢機卿の願いを叶えねば……貴族の方々が黙っておりません」
教会領という特殊な場所ながら、アンジェロ枢機卿は事実上の当主である。
その地位にいる人物が、自ら盾となって果てたのだ。最期の願いを無視するようでは、皇帝の求心力は地に落ちる。誰もが、『当主が命を懸けても報われない』と判断し、命令を無視する口実を得るのだ。
なんなら、大真面目に皇帝へ忠誠心を持っている者こそ、この願いが通らなかった場合より強い失望を抱くだろう。
そうなれば、ただでさえ崩壊寸前の帝国に明日はない。
「オールダー王国との戦、計画を見直す必要が出てきましたな」
「……おかしい」
「お館様?」
アレックスが喋っている間も、カールは何度も報告書を読み返していた。
そして、やはり先程と同じ結論に達する。
「アンジェロ枢機卿が、自らクリス陛下の盾となって死んだ。そんな事は、ありえない」
きっぱりと、そう断言する。
「クロノかクリス陛下が、奴を無理矢理盾にしたという方がまだしっくりくるが、咄嗟にそういう事をする性格ではない。同じく現場にいたグランドフリート家の令嬢は知らんが、彼女がやったのなら暗号でその事を伝えてくるはずだ」
報告書を机に置き、カールはその長い足をゆっくりと組んだ。
「……アレックス。俺が当主になる前、遍歴の騎士を名乗り各地を旅していた頃の事を覚えているか?」
「勿論でございます。お館様が見識を深めるという名目で、巡礼の旅に出た時の事ですね」
アレックスが、当時を思い出したのかそっと胃を押さえる。
「そうだ。俺は各地の教会と聖地を回り、祈りを捧げてきた。そして、現地の聖職者を見ては……絶望したものだ」
ギシリ、と。カールの手から軋む音がする。
「酒池肉林の日々を繰り返し、貧民を虐げ富する者にこびへつらい、まるで村人達に自分こそが神だとでも言うように振舞う豚ども。何度その首を刎ねてやろうかと思ったか」
「お館様の手紙が届く度に、いつやらかすかと心配でした……」
「そうして今の勇者教に絶望しながらも、教会領についた時……俺は、アンジェロ枢機卿と出会った。いや、当時は大司教だったが」
1度、彼は大きくため息をつく。
「最初は、なんと敬虔な人だろうと憧れた。まだ地上に正しい信仰を抱く方がいるのだと。それも、次期教会領のトップとなる方がそうなのだと。喜びに心が満たされた。だが……1時間も話せば、それが失望に変わったのをよく覚えている」
今にも舌打ちしそうな顔で、カールは続ける。
「アレは、たしかに勇者アーサーを崇拝している。だが、それは『現世利益』故に、だ。そもそも我らが父である創造神に対しては、アンジェロ枢機卿は大して興味を抱いていない」
「現世利益、ですか?」
「そうだ。奴は、勇者アーサーの偉業を、そして神の国の事が書かれた聖典を、ただ己の利益の為に読みふけっていた。アレを1度でも敬虔な宗教家などと思った自分が腹立たしい」
吐き捨てる様に、彼はそう言った。
「そんな男が、友情……いいや、先帝への愛情で、命を投げ出す?有り得ない。断じて有り得ない。奴にとって、現世こそが至上の地なのだ」
カールが、机の引き出しから過去の報告書を取り出す。
「たしか、戴冠式の前にクロノはアンジェロ枢機卿と面識を得ていたな。ウィリアムズ伯爵領だったか?」
当時の報告を引っ張り出し、カールは視線を落とす。
「その時の報告にも、アンジェロ枢機卿とコーネリアス前皇帝の間には深い『友愛』があったと書いてあった。まあ、『真実の愛』なのだろうが……」
彼は、コツコツと指で机を叩きだす。
「……なあ、アレックス。お前が嘘をつく時、どんな工夫をする?」
突然の問いかけに、しかし彼は動じない。すぐに言葉を返す。
「私なら、『真実の中に嘘を隠します』な」
「そうだな。では……『あえて、別の秘密を相手に気づかせる』事は?」
「やります」
老執事が、神妙な顔で頷く。
「俺もだ。そして、相手に気づかせる秘密は、馬鹿馬鹿しいものであればある程に良い。酒場で酔っ払いどもが笑い話にする様な下世話な内容ほど、人は『呆れ』と『納得』をする」
「そういう下世話な秘密程、理解しやすいですからな」
「クロノはきっと、俺の話と直感で奴の胡散臭さを察知したはずだ。そして、その警戒心にアンジェロ枢機卿も気づいた。だからこそ、『ありそうな理由』と共に秘密を公開した。それも、とびっきりの演技を添えて」
「思い出しました。当時のお館様の手紙には、『奴は役者になるべきだった』と……書いてありましたね」
「そうだったかもしれないな……俺が会った時よりも、さぞや嘘泣きが上手くなっていた事だろう。何なら、先帝とそういう関係だったのも事実かもしれん。その上で、何か別の……自分の命すら投げ出しても構わない『理由』があった」
指で机を叩くのをやめ、彼は立ち上がる。
「俺の代わりに、クロノへ警告と……奴と遭遇した前後で何を見聞きしたのか。それを、より深く質問する手紙を書いて出しておいてくれ」
カールは本棚に近づき、地図を取り出す。
それは、ここ数日で気球により得たオールダー王国方面の地図だった。
「ハーフトラックは……今帝都には出せんな。制圧した領地の牽制と開拓に使っている。それを疎かにすれば、反乱が起きかねん」
「早馬を用意させます」
「そうしてくれ。アイオン伯爵の領地は避けて通れよ。恨まれているからな。軽い妨害をされるはずだ。俺はこれより、オールダー王国に仕掛ける」
「……よろしいので?」
アレックスが、僅かに眉を跳ねさせる。
「それしかない。報告書に、どうしてもすぐにホーロスへと攻めなければいけない理由が書いてあった。暗号でな。先帝の遺体の事もある。オールダー王国には、ストラトス家が単独で、今仕掛けなければならない」
「念のため、相手から攻め込まれ易い箇所には跳躍地雷を設置しました」
「よろしい。撤退時、敵がしつこく追ってきたらそこに誘導する。……オールダーの村には近寄らず、敵の拠点のみを集中攻撃。ヒットアンドアウェイでいった方が良いな」
自身の細い顎を撫でながら、カールは呟く。
「今、アナスタシア女王にとって最もやってほしくない事はオールダー王国への攻撃。スネイル公国に集中したいのに、自分の地盤を崩されては面倒だろう。となれば、国境近くの砦には優れた将を配置しているはずだ」
「しかし、ガルデン将軍は彼女と共にスネイル公国に渡ったと報告が来ています。それ以外の将は……」
「あの国はノリス国王とガルデン将軍だけでもっていたが、今は違うはずだ。大きな戦争が起きるとな、『ごろり』と出てくるんだよ。英雄と呼ばれる者達が、眠っていた獅子が、その時代に名を残す者達の手元へと転がってくる」
当たり前の事を言うかのように、カールは告げる。
「ノリス国王とアナスタシア女王は、10代の頃に放蕩息子やおてんば娘のふりをして、国内を回り不穏分子の調査と使える人材の発掘を行っていた疑惑がある。元々目をつけていた奴が、先帝が死んだあの戦で頭角を現したかもしれない」
「ならば、その者が国境付近の砦に?」
「だろうな。俺ならそうする」
地図帳を閉じ、本棚にしまったカールがアレックスへと振り返った。
その顔を見て、老執事の背に悪寒が走る。
「戦争の時間だ。殺せるだけ殺しておこう」
無表情に、淡々と。しかし、その瞳にどろりとした炎を揺らしながら、彼はそう言った。
これだ。これに焼かれて、古い家臣達はカールに忠誠を誓ったのだ。
紛れもない、人殺しの目。悦楽と、憤怒と、義務感と、全能感とを併せ持つ、人でなしの瞳。
カールに見据えられた老執事が、深々と首を垂れる。
「すぐに手配いたします」
「ああ。頼んだぞ」
───この時、カールは重大なミスを犯した。
彼のオールダー王国へ攻撃を仕掛けるという判断も、その際の戦術も、後世の歴史家は称賛する事だろう。
アンジェロ枢機卿に対する人物評価も、決して間違っていなかった。
であれば、彼が犯したミスとはなにか。
それは、『真の愚か者』というものを、失念していた事である。
この時彼の傍には、才人がいた。凡人がいた。そして、愚か者もいた。しかし、愚かと呼べる者は平民の中にしかいなかった。貴族である彼の目に見える範囲では、敵にも味方にもいなかったのだ。
故に、この時だけ見落としてしまう。普段ならば、きちんと念頭に置いていた事を。
ここが踏ん張りどころだと、魔人ノリスの後継者、アナスタシア女王との戦いに集中していたせいで。
大貴族と呼ばれる地位にいながら───愚者である存在を、失念していた。
* * *
「くそ、くそ、くそっ!」
周辺一帯の顔役とすら呼ばれる、アイオン伯爵家。その居館の、当主執務室。
そこで、革張りの椅子に座っている男が頭を抱えていた。
青白い肌と、痩せこけた体つき。神経質そうな目つきに、白と黄色で彩られた絹の服。
アレハンドロ・フォン・アイオン伯爵。彼は、目を血走らせて幾度も悪態をつく。
「どうして、どうしてカールが、あの田舎者が伯爵に陞爵される!元老院に提出した陞爵の反対案が、どうして棄却される!」
怒りのまま彼は椅子が倒れる程の勢いで立ち上がり、部屋の中をうろうろと歩き始めた。
「流れがおかしい……全てがおかしいぃ……!」
彼の豪奢な指輪が嵌められた指が、綺麗に整えられた爪が、ガリガリと頭を掻く。
「どいつもこいつも使えない……!特にアウル男爵!奴め、ストラトスの若造1人に殺されたとは何事か!」
アイオン伯爵は、戴冠式には出席していなかった。代理すらも送っていない。
というのも、まだ皇太子だった頃のクリスから『貴殿の反対案は棄却された。ストラトス家の陞爵は決定事項である』と手紙が来たからだった。
ついでに、事実上の彼の子分であった4家の貴族家も、皇太子がいる事を知っていながら攻撃をしかけたとして反逆罪により取り潰し。その領地と領民は、ストラトス家の財産となる事も手紙には記してあったのである。
これを不服としたアイオン伯爵は、適当な理由で戴冠式を欠席する事で抗議の意を示していた。
「私は間違っていない……私は間違えない!全て他の奴らの怠慢が原因だ!でなければ、このような事はありえない!」
帝国は、300年近く続いている。
そして、各家の継承は基本的に長男へと行われてきた。何らかの理由で継承できない状態でもなければ、能力の有無に関わらず。
結果、結構な数の家が腐り落ちた。このアイオン家も、帝国建国時の当主は優れた智謀で補給路の確保や、制圧地の統治などで貢献。縁の下の力持ちとして働いたと記録されている。
しかし、今の当主は武力も知略も持ち合わせていない。ただ血統だけの男が、選ばれてしまったのである。
こういった事例は、帝国では珍しくもなかった。
「そうだ……おい!おい、爺!」
使用人を呼ぶためのベルを乱雑に鳴らしながら、アイオン伯爵が怒鳴り声を上げる。
それに、大慌てで執事長がやってきた。
「はっ!どうなさいました、お館様」
「ストラトス家に出入りする馬を、全て殺せ」
「……は?」
何を言っているのか理解できないと、執事長は困惑する。
それに対し、伯爵は小馬鹿にする様に笑みを浮かべた。
「お前頭悪いなぁ。奴と帝都の間で、情報も物も断ってやるんだ。そうすれば、ストラトス家は干上がる。領地で反乱が起き、やはり伯爵には相応しくなかったのだと証明できるんだ!ついでに、その間に私は再び元老院へと奴の陞爵の反対を言いにいく!」
「お、お待ちください!あの家には、今多くの商人達が集まっております。彼らを敵に回す事になるかと……」
「だからどうした。所詮は平民だろう」
「それに、もしもストラトス家が干上がり、そこをオールダー王国にでも攻め滅ぼされたら次は我らが最前線になります。そうなれば、お館様の領地も……」
「ええい黙れ!ストラトス家が潰れそうになれば、カールも私に『助けてください』と媚びへつらいに来るはずだ。無様に靴を舐めにな!」
アイオン伯爵が、怒声を上げて机の上の小物を執事長に投げつける。
それは外れ、壁に衝突。だが、ろくに鍛えていない彼でも血統は本物だ。轟音を上げ、壁に物が突き刺さる。
「ひっ」
「いいから、お前達は私の言う通りにすれば良いのだ!どうせ頭に胡桃しか入っていないマヌケなんだから、無駄に考えるな!」
「も、申し訳ございません……!し、しかしその……それを実行しようにも、手駒が足りないかと……」
怯えながらも、執事長はそう返す。
「ふざけるな!そんなもの、騎士を使えば良いだろう!」
「お言葉ながら、領内の反乱への対処で大半が出払っており……やはり、年貢を少し下げた方が……」
「ああ、もう!使えない奴しかいない!平民の反乱を鎮圧するだけなのに、いつまでかかっているんだ!相手は魔法も使えない劣等種だぞ!」
そこから、考えつく限りの暴言を騎士達に叫びだすアイオン伯爵。
彼の様子に、とりあえず怒りの矛先がよそに移ったと執事長は安堵する。それにより後々大変な事になるのは間違いないが、問題を先送りにできたと。
だが、その願いはあっけなく崩れ去る。
───コンコン。
「なんだ!」
ノックの音に、アイオン伯爵が怒声を上げる。
「お、お館様!魔法使いの傭兵達が、雇ってほしいと……」
「はあ?なんだそれは……いや、詳しく聞かせろ」
アイオン伯爵の口角がつり上がり、執事長の顔が真っ青になる。
失礼しますと、震える声で入ってくる若い執事。彼が、恐る恐る口を動かした。
「それが、帝都の方からやってきたようで……魔法使い2人と、その部下が50人程。無視できない戦力だったので巡回中の部隊が止めたのですが、紹介状を持っておりまして……」
「紹介状?見せてみろ」
若い執事からひったくる様に手紙を受け取り、アイオン伯爵はそれに目を通した後。
「はっ、ははは……!」
にたりと、笑った。
「やはり!やはり私は間違っていなかった!私の考えを理解できる者はいたのだ!」
伯爵は若い執事へと顔を向け、唾を飛ばす勢いで声を張り上げる。
「すぐにその者達をここへ通せ!奴らにストラトス家と帝都間での道を襲わせる。我が領地の外もだ!完全に帝都への道を塞げ!」
「は、はい!」
「お待ちくださいお館様!その様な傭兵ども、信用など」
「黙れ爺!これは当主である私の決定だ!」
そう怒鳴った後、アイオン伯爵は再び傭兵達が持ってきた紹介状を……『偽物の紹介状』と一緒に書いてある、彼への称賛と同情が書かれた文書を眺める。
「くくく……そうだ。陞爵されるべきは、この私だ。わかっているじゃぁないか……!」
どれだけ調べようが真犯人には届かぬ紹介状と、真実を隠す為ならば自害も辞さない傭兵を騙る騎士達。
それが、とある妖怪からアイオン伯爵へともたらされた。
電話も、メールも、電車も飛行機もない時代。カールに帝都で蠢くこの怪物の存在を知れというのは、あまりにも無茶な話であった。
平時であれば、何かに気づけたかもしれない。だが、突然領地が倍以上に増え、国は崩壊寸前であり、あげく近くに新たなる英雄が現れ矛を交えなければならない時に、そこまで手を回せという方が無茶な話だ。
それでも、後世の歴史家達は彼のミスだと言うだろう。
カールは間違いなく、この時代において大きな意味をもつ存在であった。だからこそ、彼ならばどうにか出来たはずだとその功績を知る者達は考える。
だが、彼も結局のところ、英雄であっても人間でしかない。
遠い地で人形を操る魑魅魍魎の類に、その槍が届く事はなかった。
読んでいただきありがとうございます。
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