第五十三話 盾となる者
第五十三話 盾となる者
陛下にナビしてもらいながら、下の階を目指す事約15分。3階ほど下ると、自分がいたのとはまた別のホールに突き当たった。
いったい幾つホールがあるのだ、この城。村単位でダンスパーティーでもするのか?……しそうだな、帝都だと。
などと考えていると、進行方向から足音が聞こえてくる。
「陛下、止まってください。誰か来ます」
「っ……!」
剣を構え、音のする方向を睨みつける。
足音は1……いや、2人分。片方が先行し、もう1人が少し遅れている。
どちらもかなりの魔力量だ。高位貴族の血統としか思えない……ん?
「……まぁ……!」
「この声」
「まさか」
「……様ぁ!クぅぅぅリぃぃぃぃスぅぅぅ……様ぁあああああ!」
通路を木霊する声と、『ドドドドドド』という足音。間違いない。
ホールの扉をタックルでぶち壊し、赤いドリルヘアーを揺らしてドレス姿の令嬢が入ってきた。
「クリス様ぁ!お助けにまいりましての事ですのよぉおおおおおお!!」
人語が若干怪しくなっている、シャルロット嬢であった。
肩で息をし、ドリルヘアーと爆乳を揺らす彼女の瞳がクリス様を捉える。
「ご無事なようですわね、クリス様!このシャルロット・フォン・グランドフリートが来たからには、もう安心でしてよ!おーっほっほっほげほっ、ごほっ!唾が気管に……!」
高笑いをしたかと思えばむせ出した彼女に、肩の力が抜ける。
それはクリス様も同じ様で、その顔に笑みが戻っていた。
「ありがとう、シャルロット殿。心配してくれて嬉しい」
「げほ、ヴェ……おっほん!当然の事でしてよ、殿下。じゃなかった、陛下。御身の為ならばたとえ火の中水の中!」
「でも、君にはあんまり危険な事をしてほしくないから、次からは信じて待っていてほしいな」
「まあ!そんな、幾ら私がどう見ても儚げで可憐な容姿だからって……心配し過ぎですわ、クリス様!」
いやんいやんと恥ずかしがるシャルロット嬢。
まあ……ポジティブな事は良い事である。
「ぜえ……はあ……ご、ご無事ですか?クリス様……!」
「アンジェロ枢機卿!?」
シャルロット嬢に続いて、息を乱したアンジェロ枢機卿が現れる。
彼は膝に手をついて、汗だくになりながら視線をこちらに向けた。
「よか……った……クリス様はご無事、ですね……!流石ですぞ、クロノ殿……!」
「は、はぁ……何故貴方がここに?」
「それは勿論、私も帝国に住む者……!御身を心配する事に、理由など不要でしょう……!ふぅ」
息が整ったのか、アンジェロ枢機卿が姿勢を正す。
そして、聖職者らしい穏やかな笑みを浮かべてみせた。
「さあ、速く脱出しましょう。じきに帝都守備隊や親衛隊もやってくるはず。そうでなくともパーティー会場にまでつけば、多数の騎士が集まっています。そこまで行けば、安全ですよ」
「そうですね、アンジェロ枢機卿。急ぎましょう」
クリス様は頷いた後、こちらに視線を向けた。それを受け、先頭に立ち移動を再開しようとする。
だが、ぞわり、と。まるで首筋を蛇が這った様な、不気味な感覚が襲う。
「下がって!」
「え、きゃ!?」
クリス様を突き飛ばしつつ、剣を上に構える。
直後、シャンデリア横の天井が粉砕された。
勢いよく降り注ぐ石くれから刀身で目を守り、そのまま2歩分横へずれる。ほぼ同時に、自分がいた場所に何かが落ちてきた。
「あらぁ?」
間延びした野太い声。それに反し、速く鋭い貫手が首に迫る。
上体を仰け反らせて避けながら、相手の顎を蹴り上げようと足を動かした。それに対し、謎の襲撃者は首を傾けて紙一重で回避。
自らの蹴りの勢いで浮き上がった状態で、横回転。空中にて回し蹴りを繰り出すも、猿の様な身のこなしで相手は後ろに跳んで避けてみせた。
バラバラと石材が床に散らばる中、剣を構え直し襲撃者と相対する。
「おっかしぃわねぇ。今度はきちんと見えない位置から打ち込んだのに」
2メートルを軽く超える巨体。戦士として恵まれた骨格と、それに胡坐をかかぬ鍛錬によって育てたのだろう筋肉の鎧。
スキンヘッドに入れ墨で不思議な模様を描き、日焼けした褐色の肉体を簡素な黒いシャツとズボンで包んでいる。靴は履いていないようで、素足のまま床を踏みしめていた。
打撃も関節技も散々受けてきたのだろう。鼻や耳の形が、格闘家特有のそれになっていた。
そんな武人然とした容姿ながら、頬には薄っすらとチークを、唇には真っ赤な口紅を塗っていた。よく見ればアイシャドウも施してある。
……トランスジェンダーとか、そういう人だろうか?
この世界では珍しいと感想を抱くも、今はそんな事どうでもいい。
「陛下。離れていてください。シャルロット様とアンジェロ枢機卿は、陛下と一緒に避難を」
「しかし……!」
「陛下!ここにいてはクロノ殿の邪魔になりますわ!」
「そうですぞ!とにかく避難を!」
迷っているクリス様の背を押すシャルロット嬢と、彼女らを先導するアンジェロ枢機卿。
それを視界の端に入れながら、目の前の人物を睨みつける。
「……一応、お名前をお聞きしても?」
問いかけながら、すり足で立ち位置を陛下達と襲撃者の間に移動する。
「あら。人に名前を聞く時は、先に名乗るのが礼儀ってやつじゃないかしら?」
意外な事に、相手は会話にのってきた。
余裕か?それとも別の策が……。
「失礼しました。自分はクロノ・フォン・ストラトスと申します」
「ああ、あの噂の!ごめんなさいねぇ、アタシ、パレードは見そびれちゃったからぁ」
頬に片手を当て、細く整えた眉を八の字にする襲撃者。
クリス様達がホールの出入口に向かっているのに、追う素振りすらない。となれば。
「陛下!他にも敵がいます!警戒を!」
「んまっ」
分厚い唇をひし形にして、襲撃者は小さく声を上げ。
「警告、ちょっと遅くない?」
再び、ぞわりと嫌な予感が襲う。
足音は、しなかった。だが直感が告げる。まずい、これはまずい!
敵に背を向けるのも厭わず、クリス様達の方へと駆け出す。シャルロット嬢が壊した扉から、通路に出ようとしていた彼女ら。
こちらの声に振り返った、金髪の皇帝と赤髪の令嬢。彼女らの向こう側。日の光も届かず、燭台の火もいつの間にか消えていた暗がりに、何かが蠢く。
それは、刃が黒く塗られた短剣であった。1本や2本ではない。10を超える細長い短剣が、陛下達目掛けて放たれている。
暗殺者の武器、毒!?いや、毒でなくともあの速度と数は──!
「あなた」
「っ!」
走り出した自分の速度に追いつき、いや、『先に動き出し』て足払いを繰り出す長身の襲撃者。
足首を砕く勢いで放たれたそれを、左手を床につきながら前転する様に回避する。
だが、
「護衛の経験、ないでしょ?」
一手、遅れた。
「クリス様!」
間に合わない。それでもクリス様達の所へ向かうが、肝心の彼女らが邪魔で直線コースが塞がれている。
押し倒して覆い被さるにも、角度が悪い。
彼女の死を確信しながらも、手を伸ばす。
だが、その時───信じられないものを見た。
「ぬぅぅぅ!」
アンジェロ枢機卿がクリス様とシャルロット嬢の盾となる様に、両手を広げて通路に立ったのだ。
彼の体に10を超える黒い刃が突き刺さり、防具もつけていない老人の体を穿つ。
衝撃で四肢を暴れさせた後、枢機卿は両膝をついた。
間髪入れずに、跪いた彼の頭上を越えて飛んでくる次の短剣。それにはどうにか間に合い、剣で切り払う。
硬質な音と共に十数本の短剣が宙を舞う中、即座に斜め後ろへと刃を振るった。音もなく陛下の頭蓋に迫っていた無骨な拳。その軌道上に斬撃を合わせる。
指を切断するつもりだったが、相手は直前で腕を引き剣の間合いから離れた。
「ホールの端に!早く!」
「わ、わかった!」
「枢機卿はワタクシが!」
シャルロット嬢が枢機卿の両脇に手を入れ、素早く引きずって行く。追撃の短剣を打ち払い、踏み込んできた襲撃者の前に立ちふさがった。
「んもー、初めてなのに良い動きするじゃないの!」
「黙れ!」
首目掛けて剣を振るうも、巨体に見合わぬ俊敏さで膝を折り曲げ刀身の下を潜られる。
密着する距離にまで踏み込み、相手は勢いそのままボディブローを打ち込んできた。
───ズン……!
「っ!?」
「んん?」
重い……だけではない。内臓を直接殴られたかの様な衝撃に、胃の中身が喉までせり上がる。
それを気合で耐えながら、相手の脳天に剣の柄を振り下ろした。だが、襲撃者はその場でターンして回避しながら、後ろ回し蹴りをこちらの脇腹に打ち込んでくる。
衝撃でふらつくも、それを利用して踏み出し陛下達へ向かう短剣を叩き落した。
「……はぁん。なるほど」
距離をとって、半身となり拳を構える襲撃者。
その周囲に集まる、黒づくめの集団。数は20人。全員が素肌を炭か何かで黒く塗り、真っ黒な衣服を身に纏っている。覆面の代わりか顔に布を巻いており、わかり易い程暗殺者らしい格好だった。
自分や陛下達を半円状に包囲する黒づくめども。その中央に立つ長身の襲撃者が、不敵に笑う。
「『血濡れの銀竜』ね。過ぎた名前だし、銀色要素どこよって思ったけど……確かにドラゴンみたいな頑丈さだわ」
「……恐縮です」
右手で剣を構えながら、左手で拳を受けた位置を軽く撫でる。
骨に異常はない。なんなら、肉や血管もそこまでの損傷はなさそうだ。だというのに、凄まじい衝撃が内臓を襲ったのは何故か。
「……妙な技を使いますね。衝撃を直接内側に叩き込む拳法ですか?」
「ご名答。一発でバレちゃった。もしかして前にもアタシみたいなのと戦った事があるの?」
「いいえ、初見です。ただ似た様な技の知識だけはありました」
「そ。素直なのは美徳よぉ、少年。ご褒美にキスしてあげるから、剣なんて捨てて近くに来てくれないかしら?そしたら見逃してあげる」
「謹んでお断りします」
「あら、残念」
互いに、構えを解く事はない。
会話で少しでも時間を稼ごうと思ったが……はたして、援軍が来てくれるのはいつになるか。
ここは帝都のど真ん中。味方は腐る程いるはずだが、もしかしたら腐った味方が邪魔をしている可能性もある。
冷や汗が頬を伝うのを感じながら、両手で剣を握り直した。
「アンジェロ枢機卿!そんな……!」
背後から、クリス様の悲痛な声が聞こえてくる。
構えを維持しながら、顔を少しだけ後ろに向けた。片目は無論、長身の襲撃者を捉えている。他の五感も、9割がた他の黒づくめどもへの警戒に使う。
視界の端、アンジェロ枢機卿の白い肌が墨汁の様な色に変わっていた。
呼吸が浅い。短剣が刺さった箇所から、異様な程血が広がっている。刃が引き抜かれていないのにあの出血量はおかしい。刀身に毒以外にも何か細工がされているのか。
今すぐ魔法で治療しなければ助からない。だが、この場でそれが出来るのは自分と、彼本人だけだ。
「くり……ま……」
詠唱も出来ないのだろう掠れた声を発しながら、アンジェロ枢機卿がクリス様の肩を掴む。
「喋るな、アンジェロ枢機卿!くそ、血が止まらない……!」
「駄目ですわ陛下!刀身に触れてはなりません!持ち手もです!ああ、もう!でもどうすれば止血が……!」
「へい、かの……」
焦点の合わない目で、彼はうわ言の様に呟く。
だが、その手だけは異様な程力が籠められているのか、クリス様の肩からミシリという音が僅かに響いた。
「なんだ、何を……!」
「こーね、りぃ……かれ、を……きょう、かいりょ……」
「……わかった」
もう助かる事はないだろう老人の言葉に、彼女はハッキリと頷く。
「必ず、父上の遺体を取り戻す。そして、貴殿と共に教会領へ送る」
それが聞こえていたのか、アンジェロ枢機卿は僅かに口元を緩め。
彼女の肩を掴んでいた手から力が抜け、床へと落ちる。
彼の魔力反応は、完全に消え失せていた。
「あ、死んだのそのお爺ちゃん?言っておくけど、とんでもない外道だから、悲しむ必要ないわよ?」
つまらなそうに呟く長身の襲撃者に、両目を向ける。
「でしょうね。ですが、借りは借りですので」
「まぁ、為政者って罪は罪、功は功で分けなきゃだもんねぇ。大変だわー」
「しっ!」
リーダー格と思しき人物がまだ喋っている最中だというのに、周囲の暗殺者達が一斉に短剣を放ってくる。
それに対し、腰を大きく捻りながら剣を横薙ぎに振るって迎撃。
大雑把に短剣の群れを蹴散らし、返す刀で取りこぼしを弾く。
「まだ名乗り返してなかったわねぇ」
静かに切っ先を向けてくる自分に、長身の襲撃者は笑みを浮かべる。
「アタシは『カーラ』。勿論偽名よぉ。この『黒蛆』の頭領をしているわ。あ、組織名も今考えた偽の名前ね?」
「そうですか」
短くそう返事をし、すり足で少しずつ前進。
陛下達を攻撃から庇いつつ、安全な場所まで移動させなければならない。それに適した位置を、探る。
「墓石には、取りあえず今聞いた名前を刻みます」
「んまー!」
分厚い唇を、再びひし形にする長身の襲撃者改め、カーラ。
「ンン~生意気!でも好みだわぁ、そういうの!……どうしましょう」
その貌が引き締められ。
「殺し合いたくなっちゃった♡───罪な男よ、あんた」
獣と武人が混ざった眼光が、こちらを見据えていた。
読んでいただきありがとうございます。
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