第四十九話 皇帝の剣
第四十九話 皇帝の剣
リゼさ……シルベスタ卿に帝都を案内してもらった、翌日。
戴冠式まであと少しとなった今日、パレードの打ち合わせに帝城へとやってきていた。
前に使った物よりも更に大きな会議室。20人程の貴族が、秘書等をつれて入城している。自分もまた、グリンダを斜め後ろに控えさせていた。
全体の流れ。人員の配置。必要な物資。その他諸々、滞りなく会議は進んでいく。
「今回は前皇帝陛下の葬儀前での戴冠式という事で、あまり派手にはせず質素な──」
司会役の法衣貴族はそう言うが、配られた資料やここまでの話からして、とても質素なものとは思えない。とんでもない人数と、金貨が動く内容だ。
しかし、殿下もグランドフリート侯爵も出席しているが、両方とも何も言わない辺り特におかしな所はないのだろう。
本当に、帝都の金銭感覚には驚かされるばかりだ。
まあ、そもそもパレードの内容や予算は既に元老院で決まった事である。今更自分がとやかく言う事ではない。
それは他の参加者も同じらしく、誰からも否定の声は上がらなかった。時折質問が幾つか出ただけで、会議は終了する。
弛緩した空気が流れた後、それぞれの派閥が集まり、代表の者が殿下に挨拶してから退出していった。
最終的に残ったのは、自分、グリンダ、殿下、シルベスタ卿、そしてグランドフリート侯爵のみである。
「お疲れ様です。クリス殿下、グランドフリート侯爵」
「うん。クロノ殿もご苦労様」
殿下が小さく手を振り、侯爵が深く頷く。
「そう言えば、クロノ殿はこういう場は初めてでしたな。良い機会だと、糧になさると良いでしょう」
「……その、グランドフリート侯爵。この前から言おうと思っていたのですが、自分の様な若造には、もっと普通に喋って頂けると……」
「ぬ?かえって負担をかけてしまったか。私なりに、孫の恩人への礼儀を払っているつもりだったが」
「いえ。この身が未熟故です。貴方に非などありません」
「そう言ってくれるな。これでも、孫の嫁ぎ先が決まっていなければ、貴殿に預けたかったぐらいには買っているのだよ」
「ああ、クロノ殿は良い男だからな!」
「恐縮です」
こうも手放しに褒められると、少し照れてしまう。
予想外な事だらけではあったが、まさか自分が皇太子殿下と侯爵からここまで認められる様になるとは。
人生、何が起きるかわからないものである。
「しかし、今から気疲れしている様ではもたないぞ、クロノ殿」
グランドフリート侯爵が、少し心配そうに眉をよせる。
「貴殿はクリス殿下の次に、パレードに集まった者達から注目は浴びるだろう。なにせ、竜を討ち取り帝都を救った英雄だ」
「……あの戦果は、自分1人のものではございません」
「謙遜は美徳だが、くれぐれも『裏切り者達』の武功をパレードやパーティーで語るなよ、クロノ殿」
侯爵の視線が、僅かに鋭くなる。
「武人として、彼らに敬意を払う気持ちはわかる。しかし、貴殿の立場で公式に称賛してはならない。奴らの家族に対して、恩赦によりこれまで通りの暮らしを許す殿下の決定に異を唱えるつもりはないが……それ以上は、よせ」
「……はっ」
「ギルバート侯爵……」
「クリス殿下もです。今は有事故、これ以上近衛騎士団に混乱が起きぬように甘い対応を決定した事は、間違っておりません。しかし、最良とは言い難い判断であった」
殿下にもその鋭い視線を向けた後、彼は小さくため息をつく。
「……お2人が、気持ちの良い若者である事を嬉しく思います。しかし、上に立つ者として、相応しい振る舞いというものがある事をどうかお忘れなきよう」
「……肝に銘じておきます」
「うん。ボクも……」
グランドフリート侯爵の言う事は正しい。
どの様な功績をたてようと、フリッツ皇子についた近衛騎士は裏切り者の誹りを免れない。
もしも立場有る人間が、彼らを称賛すれば全体の士気に関わる。
彼らの遺族も、それがわかっていたのだ。それ故に、自分があの時の騎士達を褒め称えても、決して喜ぶ事はせず粛々と頷くだけであったし、その事を口外する事はなかった。
前世で二十数年。今生で15年生きてきて、まだまだ自分は未熟者である。
しかし……それでも、心の中だけでも、彼らへの敬意は忘れたくない。
口に出す事は控えるが、あの時ともに戦った7人と、竜の頭を1つ道連れにした1人。計8人の勇者達を、この胸に刻みつける。
「……まったく。老人になると、説教する事が増えて困ります」
こちらの内心を知ってか知らずか、侯爵は苦笑を浮かべた。
「クリス殿下、私はこの辺りで失礼いたします」
「うん。ありがとう、ギルバート侯爵」
「勿体なきお言葉。それと、クロノ殿」
「はい」
「気楽にいきなさい。コーネリアス陛下の事を考えればあまり喜べる戴冠式ではないかもしれないが、武功を上げた者が不景気な顔をしていてはいけない。楽しむぐらいの気持ちで、挑むといい」
「はっ。努力します」
「まだまだ硬いな……」
こちらの肩を軽く叩いた後、グランドフリート侯爵も部屋を出て行った。
残ったのは、たった4人。秘書や使用人も足せば40人以上が集まっていた会議室が、今はとても広く感じる。
「クロノ殿」
だからか、クリス殿下の声がいやに響く。
「少しだけ、付き合ってくれないか?」
* * *
殿下に連れられてやってきたのは、玉座の間であった。
奥に向かって伸びる、長く広い空間。左右の壁沿いには、赤と金で豪華絢爛な装飾が施された柱が並んでいる。
扉から真っすぐ伸びる、鮮やかな朱色の絨毯。その先に、3段の段差と豪奢な椅子があった。
まるで全てを見下ろしているかの様な、その椅子。赤い布と黄金で彩られた、覇者の為の物。
クロステルマン帝国皇帝のみが座る事を許されし、玉座。
そこに向かって、クリス殿下が歩いていく。彼女の後ろを、自分達も無言で続いた。
3段の段差を上り、玉座の前へと立つクリス殿下。彼女がこちらへと振り返り、その桜色の唇を動かす。
「クロノ殿。ここに」
「は?いえ、それは……」
「別に、玉座の前に立つぐらいで、怒られはしないさ」
いや、自分の立場だと下手したら極刑ものだと思うが。
しかし、ここで首を横に振り続けても話が進みそうにない。慎重に段差を上っていき、クリス殿下の隣に立つ。
何というか、妙に息苦しい。
彼女のせいではない。だが、ただの豪華な椅子であるはずの玉座が……不思議な圧迫感を放っている。
魔力は感じられない。見事な彫刻を施した職人の腕か、それとも政治的に重要な存在だからか。
……あるいは、これを『畏怖』と呼ぶのかもしれない。
ただの椅子などと、とても呼べない。まさか、無機物にここまで圧倒される日がこようとは。
「クロノ殿。玉座の後ろにある剣を、見てほしい」
彼女の言葉に、いつの間にか玉座に固定されていた視線を上に向ける。
石造りの壁にはクロステルマンの国旗が張り付けられていた。その、少し下。国旗と玉座で挟む様な位置に、1振りの剣が飾られている。
鞘はなく、抜身の状態。黄金と深紅で形作られた、装飾剣。
天を向く柄頭に輝く、親指大の赤い宝石。黄金で作られた、金色の柄。鍔はまるで翼を広げた様なデザインで、中央に柄頭と同じ色の宝石がはめ込まれている。
これだけで金満とも、煌びやかとも言える芸術品だ。しかし、特徴的な刀身にこそ目が引き付けられる。
中央を伸びる、形状自体は普通の刀身。血の様に紅いそれに、2つの刃が左右から絡みついていた。
緩やかな弧を描き、螺旋を形作る2つの刃によって、もしも相手を切りつけるとなればフランベルジュの様に波打った傷口となるだろう。
しかし、この剣が実際に振るわれる姿が想像できない。
装飾過多で、刀身も3つの刃が融合した様な奇妙な形状をしている。柄頭から切っ先まで2メートルを優に超えている事もあって、これは美術品の類だ。
単純な大きさだけなら、自分が扱うそれと大差ないが……だとしても、戦場で振るうには煌びやか過ぎる。
だというのに、何故だろうか。
この剣は───竜をも殺せる。
そう思えて、ならなかった。
「初代皇帝が作らせた、魔剣。これに、名前はない」
クリス殿下が、剣を見上げながら呟く様に続ける。
「300年前、初代皇帝はこの剣を手に戦場へ出て敵対する王達の首を刎ねていったらしい。そして、以降は玉座に座った者だけが扱う事を許される、皇権の象徴とされた」
これが実戦で使われたのかと、内心で驚く。
だが、すぐに納得した。この剣は、柄に見えている所も魔剣なのである。
いかなる技術を使ったのか、一定以上の体積がなければ魔力を浸透させるのは難しいだろうに。柄頭から切っ先まで、濃密な魔力を内包している。
やはり、実際に振るわれる姿が想像できないが……それでも、この刀身が血に濡れている光景だけは、不思議とすぐに浮かんできた。
「父上も、若い頃はこの剣を手に戦場へ出ていたそうだ。城の城門を一刀にて切り捨てたと、聞いた事がある」
「それはまた……」
「きっと、誇張ではないと思う。それほど、父上は凄まじい戦士だった」
殿下の横顔からは、感情が読み取れない。
淡々と、言葉を紡いでいく。
「……ボクは、弱い」
その細く白い指が、音をたてて握られる。
「剣を振るう鍛錬は許されず、それでもこっそりと親衛隊の皆に稽古をつけてもらったけど、才能がまるでなかった。魔法も、基礎から先を教えてもらった事がない」
彼女の言葉に、どういう事だと眉をよせる。
早い内から、コーネリアス皇帝はクリス殿下を後継者に指名していた。軍事国家クロステルマンで、皇太子殿下がそういった教育がされないのは奇妙である。
本当に、あの皇帝は何を考えていたのだ……?
「ボクに、この剣を握る資格があるのだろうか。戦場に出ても、クロノ殿やギルバート侯爵の様な活躍は出来ない。そんな、ボクに……」
「お言葉ながら」
クリス殿下の言葉を遮り、彼女の横顔を見つめる。
「貴女の戦場は、剣を振るう事も、魔法を放つ事もない場所かと」
僅かに揺れる碧眼が、こちらに向けられる。
「それは……」
「クリス殿下。貴女が立つべきはこの城であり、元老院であり、戦場であるのなら矢の1本も届かない場所です」
「でも、父上達は……」
「だからどうしたと言うのですか。僕は、前にも言ったはずです」
体ごと彼女に向き直り、真っ直ぐにその碧眼を見据える。
「貴女は貴女だ。他の誰でもない。何かを偽る事があったとしても、それだけは変わらない」
男を騙り、玉座につく少女に、これは酷な事かもしれない。
だとしても。
「クリス殿下。貴女は、己の武器で戦ってください。敵を斬らねばならないのなら、兵を差し向けなさい。魔法を使わねばならないのなら、近衛騎士を頼りなさい」
視界の端で、シルベスタ卿が静かに頷く。
「貴女には多くの味方がいます。自分もまた、その1人です」
「クロノ殿……」
「どうか、それをお忘れなきよう。孤高な皇帝など、貴女の肩書として相応しくありませんから」
この誰にでも話しかけて、平民にまで気安く笑いかけるお方が、孤高であるものか。
とんでもない誑しのくせに、他人を頼らないでどうする。相手の方が、早く頼れと泣きたくなってしまうだろうに。
クリス殿下には、そういう魅力がある。
「この玉座は冷たいでしょう。あの剣は重たいでしょう。ですが、誰かと共になら……絶対に、貴女は乗り越えられる」
そう言って、笑いかけた。
……なるほど。
確かに、自分は結構キザな事を言っている。冷静に己を見返すと、シルベスタ卿の言う通り口説いている様だ。
だがまあ、事実しか口にしていないつもりである。歯の浮くような言葉として聞こえてしまうのは、流石に恥ずかしいけれど。
しかし。
「そう……かな」
この人が笑ってくれるのなら、まあ……仕方がないと、受け入れよう。
自分もまた、クリス殿下に誑かされた1人なのかもしれない。
そう思うと、ついため息が出そうになるけど。
親衛隊隊長の『やっぱり』という視線と、メイド兼騎士な同郷から『うぅわ、マジかこいつ』という視線が痛い。
……戴冠式、休みたくなってきた。
ああ、いっそ。何かトラブルが起きて延期にでもなってくれたら良いのに。
───そんな事を考えたから、バチが当たったのだろうか。
「失礼します!」
大声を上げて、帝都守備隊の騎士……声からして、ジェラルド卿が玉座の間に跳びこんでくる。
「どうしたのですか、ジェラルド卿。何があったのですか?」
すぐさまシルベスタ卿が視線を鋭くし、問いかける。
それに対し、かなり急いで来たのだろう。肩で息をしながら、鎧姿の近衛騎士は叫ぶように報告した。
「ティキ・フォン・ホーロス国王、及びサーシャ王妃が……戴冠式に『家族として』出席したいと……帝都に向かってきています!」
「……は?」
間の抜けた声を出したのは、誰だっただろうか。あるいは、その報告を聞いた全員かもしれない。
視界の端、皇権の象徴である剣が……。
───紅い刃を、妖しく輝かせた気がした。
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