第四十七話 アンジェロ枢機卿の告白
第四十七話 アンジェロ枢機卿の告白
ウィリアムズ女伯に案内され、アダム様の部屋に向かう。
館4階の角部屋。そこに、彼はいるらしい。
「アダム。クリス殿下達がいらっしゃったわ。開けてもいい?」
『どうぞ』
女伯の問いかけに、扉越しでくぐもった……そして、少しかすれた声が返ってくる。
メイドさんが扉を開け、女伯を先頭に中へ。
室内はあまり物が置かれていないが、床には落ち着いた色合いのカーペットが敷かれ、壁には数枚の風景画が飾られている。
そして、窓際には大きなベッドが置かれ、そこに1人の青年がいた。
彼はベッドの上で上体を起こした状態で、クリス殿下に頭を下げる。
「お久しぶりです、殿下……この様な格好で、申し訳ありません」
白いシャツ姿の彼こそ、アダム・フォン・ウィリアムズなのだろう。
プラチナブロンドの髪は少し長めで、殿下と同じ海を連想させる碧眼が片方隠れていた。肌は病的に白く頬が少しこけ、唇も血色が良いとはお世辞にも言えない状態である。
シャツからのぞく手首は随分と細く、指先など枯れ枝の様だ。腰の後ろにクッションを挟んで支えているが、それでも上体を起こしている姿勢さえ大変そうである。
「いや、気にしないでください。アダム殿。こちらこそ、急な訪問を謝罪させてほしい。申し訳ない……」
眉を八の字にする殿下に、アダム様が苦笑する。
「殿下……どうか、私にその様な畏まった態度はなさらないでください」
「しかし、家族で、年上で……」
「御身は皇太子殿下……私は、伯爵家を継ぐ事もままならない身……それに、家族と言っても殿下は叔父にあたります。甥に敬語で話すなど、その方がおかしいではありませんか……」
喉を震わせる姿すら、痛々しい。まるで、今にも溶け崩れてしまいそうな雪の像だ。
これは……魔力の流れがおかしい、ような……?
失礼かもしれないが、目を凝らし観察する。アダム様の体内には、貴族に相応しいだけの魔力が循環していた。いいや、むしろ量だけなら並の貴族を軽く超えている。
しかし、それがきちんと肉体に染み込んでいっていない……のか?よくわからない。
こんな症状、初めて見た。魔力の流れが乱れてしまう事は、普通に生きていても起きるし、大抵は安静にしていればすぐに治まる。
だが、彼の魔力は……。
「そちらの方は……?」
アダム様の言葉に、意識を目以外にも向ける。
「彼はクロノ・フォン・ストラトス殿。ストラトス子爵家の長男です……長男、だ」
敬語からため口に言い直し、クリス殿下が続ける。
「非常に優れた魔法使いで、彼ならアダム殿の症状について何か解決策が浮かぶかと思ったのだが……アンジェロ枢機卿から、今の治療計画の妨げになるかもしれないと、止められてしまった」
「そうでしたか……クロノ殿。せっかく来て頂いたのに、申し訳ありません」
「いえ、その様な事は……」
ゆっくりと頭を下げるアダム様に、慌ててこちらも首を垂れる。
「……もしよろしければ、所感だけでもお聞かせ願えませんか?」
「アダム。それはアンジェロ枢機卿から……」
「お願いします。ただ、思った事だけでも……」
ウィリアムズ女伯が制止するが、アダム様は静かな微笑みと共にこちらを見てくる。
殿下に視線を向ければ、少しの間を置いて頷きが返ってきた。ただの所感ならと、1度唇を湿らせた後に口を開く。
「僭越ながら……アダム様のお体に流れる魔力に、違和感を覚えました」
「見ただけで……わかるのですか?」
驚いた様子で、アダム様が目を見開く。ウィリアムズ女伯とメイドさんも、こちらを凝視していた。
「御身に流れる魔力は、並の貴族を超えています。しかし、肉や骨に上手く浸透していない様に思えました」
この世界では、生物であれば必ず魔力を持っている。ただそれに、強弱があるだけだ。
そして平民であっても、その微々たる魔力が肉や骨に染み込んでいる。生命力と言い換えても良い。
「魔力の方はきちんと沁み込もうとしているのですが……骨や肉が、まるでそれを拒絶している様です。それが何故かまでは、わかりませんが……」
「まさか、一目見ただけでそこまでわかるなんて……」
こちらの言葉に、アダム様が感動した様に笑みを浮かべる。
「アンジェロ枢機卿も、同じ事をおっしゃっていました。治療には、骨と肉に魔力が浸透する様に調整するしかないと……」
「自分も同意見です。肉や内臓にきちんと魔力が沁み込めば、十中八九治るかと」
他にも色んな病気を併発させているかもしれないが、貴族の肉体は頑丈だ。大抵の病気なら、安静にしているだけで治る。
それでも、絶対ではないが。母上やお爺様達も、病で亡くなったわけだし。
何事もケースバイケースである。毒にも薬にもならない考えだが、結局はそれだ。
「失礼ながら、普段はどの様な治療を……?」
「私もよくわからないのですが……教会に伝わる秘薬で、骨と肉を正常な状態に近づけているそうです。一気にやっては心臓へ大きな負担をかけてしまうので、少しずつ……」
「なるほど」
秘薬、か。魔法がある世界なので、本当に何か特殊な力を持った薬かもしれない。
しかし、心臓に負担がかかるか……魔力の源ともされている場所なので、慎重を期すのは当然だろう。
正直、『治癒の魔法で無理矢理肉や骨を正常な状態にしてしまうか』とも考えたが、アンジェロ枢機卿の言う通り急激な変化は危うい。
彼の心臓が他人の魔力を受けたら、ショックで壊れる可能性がある。最悪、心臓が内側から魔力で破裂するかもしれない。
貴族は魔力のおかげで死にづらいが、こういう所は面倒だ。内側の魔力が多い分、それが暴れると肉体へのダメージが大きい。
……いや、だが。
───グリンダと2人がかりなら、いけるか?
自分が心臓の方を魔力で守っている間に、彼女が全身に治癒をかけていけば、あるいは……。
ダメだ。失敗のリスクがある。枢機卿の治療計画を押しのけて実行しながら、『失敗して殺しちゃいました』は、全方位から攻撃されても文句を言えない。
成功率は、甘く見積もって6割程度。他人の健康の為に、ストラトス家の命運を賭けるなどごめんだ。
「そういった治療計画が行われているのでしたら、やはり自分から言える事はありません」
そう告げて、再び頭を下げる。
「……そう、ですか。クロノ殿、どうか顔を上げてください」
こちらに対し、アダム様は気丈な笑みを浮かべてみせた。
「大丈夫です。私はアンジェロ枢機卿を信じています。少しだけ彼の薬が苦くてわがままを言ってしまいましたが……良薬は口に苦しと、受け入れます」
そう言って彼は笑うが、肉と骨を通常の代謝以外で作り変える様な治療が『薬が苦い』だけなわけがない。
自分に対し、不要な罪悪感を抱かせまいとしてくれているのだ。
その姿に、保身ばかり考えていた事で逆に罪悪感を覚える。いや、でもなぁ……流石に、4割の確率で家の信用が全て消し飛びかねない様な事は……。
「クロノ殿……」
背中に嫌な汗を流していると、ウィリアムズ女伯が、話しかけてくる。
しかし、彼女はそのエメラルド色の瞳を泳がせ、口をもごもごとさせるばかりで次の言葉は出てこなかった。
「えっと……?」
何か伝えたい事があるのだろうか。アンジェロ枢機卿の治療法に、不満があるとかかもしれない。
本当に、彼のやり方で息子が治るのか。治すにしても、もっと負担の少ない手段はないのか。その様な事を、尋ねたいのかもしれない。
だがあんまりストレートに言ってしまうと、勇者教への批判に繋がりかねないので、言葉を選んでいるのだろう。
「姉上、どうしたんだ?やっぱりクロノ殿に治してもらうか?」
いや、殿下?ちょっと待って?
貴女、僕に枢機卿の顔面へ右ストレートを放てとおっしゃってます?政治的な意味で。
元々父上が教会領からストラトス領の教会に送られてくる神父を、不心得者と罵り『事故死』させているとは言え、流石に枢機卿の顔に泥を塗るとなったら笑い話で済まないのですが……。
クリス殿下も敬虔な勇者教の信者なはずだが、枢機卿に良い印象がないのかもしれない。
玄関で説教された事を根にもつような人ではないので、別の理由……コーネリアス皇帝の歳費についてか?
ここまで殿下がアンジェロ枢機卿を信用しないとは、よほど用途不明金の存在が響いたらしい。
「……奥様」
ずっと無言だったメイドさんが、ウィリアムズ女伯の背中をさする。
それを受けて落ち着いたのか、彼女は小さく首を横に振って。
「いいえ、なんでもありません。忘れてください。クロノ殿、クリス殿下」
そう言って、ウィリアムズ女伯は笑う。感情のこもっていない、貼り付けた様な笑みを。
クリス殿下が再び何か言おうとしたタイミングで、遠くから鐘の音が聞こえてくる。
「これは……」
「申し訳ありません。お薬の時間です」
ウィリアムズ女伯がそう言って、頭を下げてくる。
「あの薬を飲むと、強い眠気が襲うらしく……本日は、この辺りで」
「う、うん……わかりました。姉上」
まだ何か言いたそうだったが、クリス殿下も言葉を飲み込み、別れを告げた。
「アダム殿も、どうかお大事に」
「はい。殿下……御身も、お体にお気をつけて。それと、クロノ殿」
「はっ」
「今日はありがとうございました。貴方の様な方が殿下のお傍にいてくれるのなら、安心です。どうか……これからも、クリス殿下と帝国をお願いします」
「……御意」
今にも消えてしまいそうな、儚げな雰囲気の彼に見送られ、自分達は部屋を後にした。
何とも気まずい空気で廊下を進んでいれば、玄関ホールにアンジェロ枢機卿が待っていた。
「鐘の音が鳴ったので、もしやと思っていましたが。もうお帰りに?」
「アンジェロ枢機卿。そう言えば、帰る前に話しをしたいとか……」
「はい。ウィリアムズ伯爵、申し訳ございませんが、部屋を1つお借りしても?」
「ええ。勿論です」
ウィリアムズ女伯に導かれ、窓の内部屋に案内される。
書斎らしき部屋だが、あまり使われている雰囲気はない。掃除はしっかりされている様だが、それにしても机の上が綺麗すぎる。
「私はアダムの所にいますので、お帰りになる際は使用人を呼びに来させてください……」
そう言って、ウィリアムズ女伯がメイドさんと一緒に部屋を出ていく。
かと思えば、別のメイドさんが入れ替わりで入ってきた。お茶を持ってきてくれたらしい。
部屋の中央にある大き目の机を囲う様に座り、クリス殿下がアンジェロ枢機卿に問いかける。
「それで、話とはいったい……?」
「はっ。コーネリアス皇帝陛下の件でございます……」
深々と頭を下げてから、枢機卿は続ける。
「あのお方のご遺体は、今もオールダー王国にあると聞いております。それをどうか、帝国に返還して頂けないか交渉してほしいのです」
「それは勿論、戴冠式が終わり次第行うつもりです。父上には、城の霊廟にて眠って頂きたい」
「ありがとうございます。神官として、あのお方の弔いをして差し上げたいという思いもありますが、個人的にも仲良くして頂いていた相手をいつまでも棺に納められない事を心苦しく思っておりました」
「仲良く、ですか」
枢機卿の言葉に、クリス殿下がその形の良い眉をよせる。
「お言葉ながらアンジェロ枢機卿。父上と貴殿らの間で、アダム殿の治療費という名目で凄まじい額の金貨がやり取りされていたのですが。教会の秘薬とやらは、それ程までに高価なのですか?」
「……その疑問に対しても、お答えせねばと考えておりました」
アンジェロ枢機卿が、懐に手を入れる。
シルベスタ卿が一瞬動きかけるも、彼が取り出したのは紙の束だった。
「お察しの通り、陛下が我らに送っていた治療費はアダム様の分だけではありません」
「……治療費ではあるのですか?」
「ええ」
アンジェロ枢機卿が、重々しく頷く。
「私どもは───コーネリアス陛下のお体も、診ておりました」
「父上の……!?」
枢機卿以外を除き、その場にいた全員が目を見開く。当然、その中には自分も入っていた。
皇帝陛下がご病気だった……?確かに彼は数々の戦場で多くの戦果を挙げる戦士でもあったのに、50を過ぎた辺りから戦場に出る事が少なくなったと聞く。
年齢を考えれば当たり前だが、ガルデン将軍やグランドフリート侯爵の様に年老いてなお最前線で無類の活躍を見せる猛者達もいるのだ。
そして、コーネリアス皇帝は『鉄血のギルバート』と肩を並べる武人であり、更にはガルデン将軍の息子を討ち取った事もある強者。ガルデン将軍さえも、『あの時』以外は陛下に突撃するも返り討ちにあったと聞いている。
前線を引いたのは、歳や立場だけが理由ではなかったという事か……。
「まさかご病気だったとは……ボクには、1度もそんな話を……」
「きっと、恥ずかしかったのでしょうな」
「恥ずかしがる事など、あるものか……!家族だと言うのに……!」
クリス殿下が、悔しそうに顔を歪める。
父親に対してあまり良い感情を持っていなかった殿下だが、それでも『家族が病に苦しんでいた事に気づいてあげられなかったなんて』と後悔しているのだ。
お優しい方である。しかし、自分も病気である事を恥と思うのは間違っていると思うが、彼女の御父上は皇帝なのだ。
立場を考えれば、おいそれと病気の事を明かす事は出来ない。
「いや、本当に恥ずかしかっただけかと」
「枢機卿!いくら貴方とて、いいや貴方だからこそ!病人をそのように……」
「あー……その。取りあえず、これを見て頂ければ」
何やら気まずそうな顔をして、アンジェロ枢機卿が机に置いた紙の束を差し出してくる。
それを殿下は悲しそうな顔で受け取り、読み進めて───。
「……ふん!」
数秒ほど硬直した後、机に叩きつけた。
……流れ変わったな?
「あの、殿下……?」
「クロノ殿」
「はい」
若干目が座っている殿下に、背筋を伸ばす。
「貴殿も、読んでみてくれ。それでボクの気持ちがわかる」
「は、はあ……?失礼します」
言われるがまま紙の束を受け取り、読み進めていく。
……うん。
色々と書いてあるのだが、要約すると。
『閨でハッスルし過ぎた。やっぱり蛇口に鉄のリングつけるのはやり過ぎだったかもしれない。寸止めのし過ぎで、もう蛇口が起きてくれなくなった』
との事。なお、今のは診察の際、皇帝のコメントをそのまま記録したものらしい。
「……ふん!」
ビターン!と、机に紙の束を叩きつける。
息子の治療にかこつけて、何をしに教会へ通っているのだ、あの色ボケ皇帝。しかもこの資料を見る限り、歳費どころか国の予算まで使っているぞ。
確かに世継ぎの問題は国家の大事だが、コーネリアス皇帝は帝国の歴史に残る子沢山である。治したいのはわかるが、せめて自分の財布からだけにしろ。治療費は……!
あとグリンダ。横から文章を読んで『わかるわー』って顔するんじゃありません。
「陛下とは、『夜通し』他の司祭達も呼んで『愛』とは何かを論じ、時には2人きりでも語り合った仲……もしも金銭で解決できるのでしたら、教会領からも……何なら私個人から出しましょう。ですからどうか、彼のご遺体を取り返してください……!」
何故夜通しを強調したこの爺。つうか、さては高すぎる治療費って諸々の口止めも含んでいたな?
はらはらと涙を流し、まるで夫を亡くした未亡人の様に泣くアンジェロ枢機卿。
それに対し、殿下の顔色が真っ白になっていたのは言うまでもなかった。
お労しや、クリス殿下……!
読んでいただきありがとうございます。
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