第三十八話 鉄血のギルバート
第三十八話 鉄血のギルバート
帝国各地の貴族達が、続々と帝都に集まってくる。
反乱や敵国との戦い、そして内輪もめで手が離せない者達を除けば全員と言って良い勢いだ。無論、当主やその代理だけで、家族総出というのはごく一部だけだが。
帝都までの道のりは決して楽なものではないだろうに、誰も彼もが我先にとクリス殿下の戴冠式に間に合えと急いできたのである。
特に日和見を気取っていた大貴族達は、互いの足を引っ張り合うのも忘れて全速力で来た様だ。
フリッツ皇子とクリス殿下の後継者争いが、異例の速度で終わったからである。彼らはクリス殿下に協力するでも、貴族同士の内輪もめを仲裁するでもなく静観していた事を、どう言い訳するのだろうか。
……たぶん、政治経験のない者には粗を探す事すら出来ない様なのを出してくるんだろうな。間違いなく。
まだまだ、政治は苦手だ。この世に生まれて15年。学ぶ事は多い。
閑話休題。そうして集まった貴族の中には、最初から陣営をハッキリとさせていた者もいる。
「ご無事でなによりです、クリス殿下!」
グランドフリート侯爵も、その1人だ。
くすんだ金髪をキッチリとオールバックにし、口髭も整えている。既に50歳を超えているはずだが体格はガッシリとしており、服の上からでもその逆三角形っぷりがわかる程だ。
意識を集中すれば、練り上げられた魔力が見て取れる。そんな肉食獣の様な肉体をもった彼は、しかし理知的な輝きを瞳に宿し柔らかい笑みを浮かべていた。
「そちらこそ、ご無事な様子で安心したよ。ギルバート殿」
「私は、オールダーとの戦では物資の輸送拠点の防衛が任務でしたからな……肝心な時に救援へ向かえず、申し訳ありません」
「いいや。貴殿がいてくれるからこそ、未来への不安など抱く事なく行動できたんだ。これからもよろしく頼む」
「勿体なきお言葉」
帝城の謁見の間にて、和やかに談笑する殿下と侯爵。
ギルバート侯爵の顔が、こちらを向く。
「それはそうと、もしや彼が噂の『竜殺し』で?」
「そうだ!クロノ・フォン・ストラトス殿!オールダー王国との戦ではボクを助けてくれて、殿まで務めてくれたのだ!ノリス国王を討ったのも彼だぞ!そして、帝都奪還の功労者でもある!」
「ほほう。この若さでそれほどの武功を……」
キラリとギルバート侯爵が瞳を輝かせ、謁見の間で置物の様に立っている自分に殿下と一緒に近づいてくる。
「発言を許す。クロノ殿、こちらがギルバート侯爵だ」
「はっ!クロステルマン帝国の誇る名将、『鉄血のギルバート』殿とお会いできて、光栄であります!」
『鉄血のギルバート』
あるいは、『無敵のギルバート』。
スネイル公国との戦で、彼のいる砦が約6倍の敵部隊に包囲された事があった。
その戦いにおいて、ギルバート侯爵は3カ月もの間砦を守り通したのである。その砦が突破されていれば、帝国軍主力が挟み撃ちにされる所だった。
こと防戦において、右に出る者はいない。そう言われている名将である。
……なお、6倍の敵部隊が『侯爵』という地位の人がいる砦まで来られたのは、味方の裏切りが原因だとか。
「君の様な若者にそう呼ばれるのは、少々照れくさいな。こちらこそ会えて光栄だよ。オールダーからは『血濡れの銀竜』と呼ばれ、帝国内では『竜殺し』と称えられる若き英雄よ」
そう言って、彼は右手を差し出してくる。
握手だと理解して、すぐに彼の手をとった直後。
────ズンッ……!
「っ!」
「……ほう」
重い。
決して、手には不必要な力などかけられていない。『固い握手』と言える範疇のものである。
骨の髄にまで魔力が浸透しきっているのだ。いいや、これは神経の1つ1つにまで……老いにより魔力の生成量自体低下しているはずだが、常軌を逸した鍛錬により全盛期を維持できているとでも言うのか。
見ただけで強いとはわかっていたが、これ程とは……!
「噂は本当の様で安心したよ。君の歳でそれ程の強者は初めてだ。まだ全盛期を迎える前だろうに……」
「……貴方程の名将にそこまで言って頂けるとは。感動です」
正面からの戦いなら、恐らく勝てる。
だが、相手はこの歳まで『生き残った』戦士だ。軍事国家クロステルマン帝国にて、幾多の戦場を渡り歩いた古強者。
あえて言うのなら、ガルデン将軍の肉体と経験をもったノリス国王……と称すべきだろう。
「2人とも?どうしたのだ?」
きょとん、とした顔でクリス殿下が不思議そうにしている。
グランドフリート侯爵は笑顔を崩す事なく、自然な様子で手を離した。
「いえ。ただ、彼の実力を実感していただけでございます」
「おお。強者同士ともなれば、握手しただけでわかるのか!」
「あくまで、大雑把にですが。クロノ殿……でしたか。彼の様な若者が御身の傍にいてくれた事を、我らが神に感謝いたします。勿論、彼自身にも」
「恐縮です」
「そうだろう、そうだろう!クロノ殿は凄いんだ!」
友人が褒められて嬉しいのか、クリス殿下が満開の華の様に笑う。
「ええ。これで、『シャルロット』も安心して帝都に来る事が出来ますな!」
だが、次の瞬間にはその笑顔が凍り付く。
シャルロット・フォン・グランドフリート。グランドフリート家の御令嬢であり、クリス殿下の婚約者だ。
そして、彼女曰く──シャルロット嬢は、殿下の秘密を知らない。こちらの侯爵も。
「シャルロットはオールダーとの『引き分け』を聞いてから、まともに食事が喉を通らず……教会にこもり、愛する婚約者の無事を祈っておりました」
「そ、そうか。し、心配かけたな」
「御身が無事に帝国へ帰還したと聞いた時は、安堵のあまり倒れてしまった程です。数日程安静にして元気を取り戻した頃、帝都の奪還を聞いて喜びのあまり天井を突き破っていましたよ」
いやそれは元気すぎだろう。
「あ、相変わらずだな……」
相変わらずなのか。侯爵令嬢。
「あの子もすぐに殿下の元へ馳せ参じたいと思っておりましたが、まだくまの残る顔では『殿下の婚約者』として相応しくないと、少しだけ私より遅れて出る事にしたようです」
「そ、そんな事気にしなくて良いんだけどなー」
「ふふ。それが乙女心というものですぞ。殿下!」
「ソウカー。勉強ニ、ナルナー!」
いかん!この殿下、びっくりする程腹芸が下手だ!
だが、冷や汗を滝の様に長し棒読みで返事をするクリス殿下に気づいた様子もなく、グランドフリート侯爵はハンカチで自身の目元を拭っている。
「ううっ……!なんと健気な孫か……!目に入れても痛くない!本当は、本当は嫁になど出したくないのですが!!」
「そうだな。きっと、ボクよりも相応しい相手がシャルロットには」
「しかぁし!クリス殿下になら!貴方様になら、お任せできると私は信じております!」
ばしぃ、と。ギルバート侯爵がクリス殿下の肩を叩く。
「殿下を『男と見込みました』!我が孫娘を、よろしくお願いいたします……!」
「……ハイ」
漢泣きするグランドフリート侯爵。そして顔面蒼白のクリス殿下。
……どうすんの、これ。
「落ち着いてください、グランドフリート様。その話はもう今年で3回目です」
するり、と。自然な動きで2人を引きはがすシルベスタ卿。
いや3回もやっているのか、このやり取り。
「しかしなぁ、シルベスタ卿!貴殿も孫をもつ身になればわかる……年に10回同じ事を言っても、足らんぐらいだ!」
「去年は21回似た様な事をおっしゃっていたと記憶していますが」
「年50回同じ事を言っても足らんのだ!」
月1超えてんな。
しかし、クリス殿下が今にも吐きそうになっている理由もわかる。
シャルロット嬢は、田舎であるストラトス家にも伝わってくるぐらい殿下にお熱だ。婚約者を思って書いた詩を、自派閥のパーティーで配るぐらいである。
これ程孫娘を溺愛している人物が、『実はクリス殿下は女でした!』なんて知ったら……。
下手をすると、侯爵が敵に寝返りかねない。いや、独立する可能性もある。
彼の領地は帝国でも5指に入る広さであり、軍事は勿論経済面でも帝国には欠かせない存在だ。
そうでもなければ、孫娘が皇太子殿下の婚約者……次期皇妃になど、選ばれない。
絶対に帝国としては裏切ってほしくない相手。それがグランドフリート家なのである。
「殿下の戴冠式が終われば、我が孫娘との結婚式ですな!いやはや、今からあの子のウェディングドレスを見るのが楽しみです!」
いつの間にか涙も引っ込んで、満面の笑みを浮かべるグランドフリート侯爵。
彼に対し、アリシアさんが沈痛な面持ちで首を横に振った。
「お言葉ながら、未だ帝国はかつてない窮地にいます。それは、コーネリアス皇帝陛下の葬儀が出来ていない程。その状態で結婚式までしては、帝国内部で特に陛下への忠誠が厚い方々から反発されるかと」
「ぬぅ……たしかに、貴殿の言う通りだ。シュヴァルツ卿。かくいう私も、コーネリアス皇帝陛下とは幾度も共に戦場を駆け抜けた身。あの方の死を、未だに受け入れられてはいない」
深く頷くグランドフリート侯爵に、クリス殿下が分かり易く胸をなでおろす。
いや撫で下ろすな。シャンとしなさい、シャンと。
「そうそう。陛下の死と言えば……」
孫バカな顔から一転、グランドフリート侯爵が将の顔に戻る。
彼が一通の手紙を取り出し、クリス殿下に手渡した。
「こちらをご確認ください」
「これは……?」
「オールダー王国、アナスタシア女王なる人物がフリッツ皇子に送った手紙です」
「っ!?」
アナスタシア女王……父上の手紙にあった、ノリス国王の妹にして後継者か……!
彼女が、フリッツ皇子に書状を出していたとは、驚きである。
「そんな……」
「怪しげな者達が帝都に向かっているのを発見し、捕縛しました。その者は帝都守備隊に預けてあります。手紙の内容は……幾らかの密約を条件に、『陛下のご遺体』を返却しても良いというものでした」
「……父上の」
遺体の返却とは、また大きく踏み込んできたものである。
ただ故人を悼み、残された者達の心を癒すため……だけではなく、国家のメンツとして、取り返さなければならないものだ。
「これは推測ですが、アナスタシア女王はフリッツ皇子の矛先がオールダー王国に向かない様にしつつ、帝国内の混乱を長引かせたかったのかと」
「……なるほど。兄上が失った大義を、父上の遺体を取り戻したという功績で払拭しようとしたのか」
フリッツ皇子は帝都に敵国の軍隊を招き入れたとして、『裏切り者』として帝国内に名が広まった。
しかし、皇帝陛下の遺体を取り戻したとなれば話は変わってくる。
『オールダー王国から敗走したクリス殿下』と、『オールダー王国から陛下のご遺体を勝ち取ったフリッツ皇子』という状況に持って行けるのだ。
個人的には受け入れがたいが、ノリス国王を討った事よりも帝国内では評価される功績である。
「帝国の内乱が続く程、オールダー王国にとっては得ですからな。あと数日クリス殿下達が帝都を奪還するのが遅ければ……」
「恐ろしい事をしてくるな、アナスタシア女王とやらは……」
これにはクリス殿下も真剣な顔をし、先程とは別種の冷や汗を流す。
ノリス国王の妹君は、やはり優秀な方だった様だ。ハーフトラックの移動能力がなければ、全てが手遅れだったかもしれない。
そう思うと、自分まで背筋が冷たくなる。
「どうか、油断なされぬよう。これまで政治にも軍事にも興味を示さず、婚約者すらいない『うつけ姫』として有名だったアナスタシア様ですが……どうやら、爪を隠していたようですな」
「そう言えば、ノリス国王も自身の地盤が安定するまでは放蕩息子を演じていたとか……血筋だな」
有能な敵というのは、シンプルに厄介である。こちらが内心で小さくため息を吐いていれば、グランドフリート侯爵は元の笑顔に戻っていた。
「まあ、その企みは殿下とクロノ殿によって防がれましたがな!ひとまずは、心配しなくて良いでしょう。クロノ殿の功績がまた1つ増えました。彼の男爵就任と、ストラトス家の陞爵。我がグランドフリート家も元老院にて賛成票を入れさせて頂きます」
「感謝する、侯爵。貴殿には助けられてばかりだな」
「はっはっは!水臭い事をおっしゃられるな。我らは家族なのですからな!婿殿!」
「そ、そうだなー」
目が泳いでいます、殿下。落ち着いて。深呼吸。
瞳をバタフライさせているクリス殿下を隠そうと、シルベスタ卿とアリシアさんがさりげなく壁になる。
そのタイミングで、グランドフリート侯爵も動いた。
何故か、こっち側に。
「クロノ殿。これからも帝国の為、ともに頑張ろうぞ!」
「あ、はい。勿論です、グランドフリート侯爵」
再び差し出された手を握手で返せば、先程の様な重さは感じない。
代わりに、彼は顔を近づけて小声で話しかけてくる。
「男として、貴殿とその兵達を高く評価している。そこで、お節介かもしれんが手を回しておいたぞ」
「はい?」
「帝都1の娼館……会員の紹介でしか入れぬそこに、クロノ殿と帝都に連れてきている手勢が行ける様に、手配をしておいた……!」
……わっつ?
数秒脳がフリーズし、意味を理解して頬が赤くなるのを自覚する。
「なっ、なぁ……!?」
「女性ばかりの親衛隊には知られたくないだろう。君ぐらいの年齢は、皆そうだ。恥じる事はない。男になってこい……そして、兵士達を労ってやれ……!」
手と顔を離し、サムズアップしてくる侯爵。
え、これはどうすれば……。
混乱はまだ頭に残っているが、これは──大チャンス……ごほん!断れば、失礼になってしまうのでは?
これから共に戦う先達からの、ありがたい紹介である。それを無下にしては、侯爵の顔に泥を塗ってしまうかもしれない。
そう、これはしょうがないのである。付き合いの一種なのであす。
だからそう、帝国式の礼をし、全力で感謝の意を示すのはポーズ。あくまでポーズだから……!
「貴方と出会えて、良かった……!」
「羽ばたいてこい……少年……!」
これが名将。これが鉄血にして無敵の英雄。
その姿に感動すら抱いていると、突然勢いよく謁見の間の扉が開かれた。
現在、この部屋は半分公務半分私用として、親衛隊2名と殿下、侯爵、そして自分のみである。
そこに駆けこんできたのは、帝都守備隊の近衛であった。
「失礼します!緊急のご報告が!」
「どうした。貴族たるもの、その様に動揺するものではない。常に優雅であらねばならんぞ」
慌てた様子の彼に、落ち着いた様子でグランドフリート侯爵が返す
流石は歴戦の猛者といった所か。
そんな侯爵に、近衛騎士は帝国式の敬礼をした後。
「グランドフリート侯爵家の馬車が、襲撃を受けたと早馬により報告がきました!」
「ふむ。報告ご苦労。なるほど、我が孫娘の馬車が」
一度、グランドフリート侯爵は深く頷いた後。
「う~ん……」
「こ、侯爵ぅぅぅ!?」
受け身も取らず、後ろ向きにぶっ倒れた。
鉄血にして無敵の英雄が、白目を剥いて気絶してしまったのである。
……いや、これそうとうヤバい状況では?
読んでいただきありがとうございます。
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