第三章 プロローグ
第三章 プロローグ
あの男女逆転パーティーから一夜明け、クリス殿下は元の男装へと戻った。
一時的にとは言え、年頃の少女らしく振舞う事が出来たあのパーティーは、彼女の覚悟に傷をつけてしまったかもしれない。
だが、フリッツ皇子が亡くなった直後の様な不景気な顔はしなくなった。それだけでも、十分な成果であると思おう。
きっと、間違いではなかった。
まあ、不景気な顔はしなくなったが。
「つ、疲れた……」
死にそうな顔にはなっているけど。
昼下がりの、帝城のとある一室。豪奢ながらも落ち着いた雰囲気の調度品がセンス良く並んだ、お茶会用の部屋である。
この一部屋だけでそうとうな金額がかけられていると思うと、椅子に座っているだけで緊張してしまいそうだ。前世なら固まって動けなくなっている。
そんな部屋を今利用しているのは、自分とクリス殿下、そしてシルベスタ卿のみ。なんとも贅沢な話である。
いや、皇太子殿下と近衛騎士である男爵殿が使っているのだから、丁度良いのか?
「お疲れ様です、殿下」
「うん……まさか、元老院で何か言うのがあれほど大変だったなんて……」
眉を八の字にし、盛大にため息をつくクリス殿下。
どうやら、妖怪どもに虐められたらしい。自分は午前中ハーフトラックの整備を手伝っていたが、彼女は元老院に出席していた。
「法律には詳しいつもりだったけど、その応用とか、判例の解釈とか、皆よく考えているんだなぁって」
「お言葉ながら。アレは屁理屈と粗さがしが上手いだけに思えましたが」
護衛として元老院に同席していたのだろうシルベスタ卿が、冷めた声で言う。
元々無表情な人だが、いつも以上にその瞳は冷たい気がした。
「クリス殿下と我ら、そしてストラトス家の方々が帝都を取り戻したというのに、ただ軟禁されていただけの元老院達の態度は目に余ります。その上、この非常時に会議の先延ばしなど」
「リゼ。それは言い過ぎだ。元老院の議員達は戦士ではない。政治家だ。貴族として最低限の戦闘訓練は積んでいるだろうけど、本職相手に率先して戦いを挑むのは彼らの役目じゃない。それに、会議の先延ばしだって各地から参加権利のある諸侯が集まっていないのが理由だろう」
「しかし……」
「怒ってくれるのは嬉しいよ、リゼ。焦るのもわかる。それでも、国の今後を左右する会議である以上、彼らの言う通り慎重にならないといけないのは事実なんだ」
「……しかし、もしかしたら慎重でいられる時間はないかもしれません」
プライベートな時間という事もあり、2人の会話に許可を得ずに加わる。
「昼頃、父上から連絡がきました。オールダー王国が動いた、と」
「なにっ!?」
こちらの言葉に、クリス殿下が目を見開く。
「アナスタシア女王と思しき人物が、300人の手勢をつれ帝国領に侵入。そのまま突っ切っていき、スネイル公国を目指しているそうです。恐らく、今頃は既に到着しているかと」
「そんな報告、ボクの所には……いや。ハーフトラックによる手紙の運搬速度か」
「それもございますが、あの辺りの顔役であるアイオン伯爵は子飼いである4家とストラトス家の戦いの現状すら把握出来ていない程混乱しているそうです。恐らく、アナスタシア女王が領内に入った事すら、まだ知らないかと」
「……そうか」
「もっとも、知っていたとしても『自分の失点』としてあえて報告しない可能性はありますが」
「リゼ」
「申し訳ありません。口が滑りました」
額を押さえるクリス殿下と、しれっとした顔で小さく頭を下げるシルベスタ卿。
どうやら、帝国の腐敗について色々と思う所があるらしい。
「殿下。やはりあの話、早めた方がよろしいかと」
「……そうだな」
「あの話?」
「ここまでの、ストラトス家の貢献に対する報い……その1つだ」
クリス殿下の碧眼が、こちらを向く。
「ストラトス子爵家を、伯爵家に陞爵したいと思っている」
「それは……」
咄嗟に、言葉に迷う。
この国において、子爵と伯爵の差は大きい。伯爵になれば、元老院への参加資格を得る事になる。
議会に出席する事で年金も出るが、それ以上に議題を出す権利が手に入るのだ。帝国全体の政治に、口を出せるという事である。
「領土に関しては、吸収した4家分をカウントするのならギリギリ足りるはずだ。功績も十分すぎる。新たな伯爵家としても、良いはずだ」
「しかし、殿下の権限ではまだ陞爵は出来ないはず……」
「うん。だから実際に陞爵させるのは戴冠式の後だけど、今から準備を進めたいと思っている。カール殿に、クロノ殿からも言っておいてくれ」
「……そこまで評価して頂いているとは、光栄でございます」
座ったまま一礼し、内心で冷や汗を掻く。
ゆくゆくは、と考えていたが、想像以上の速さだ。はたして、うちに伯爵家として活動できるだけの余裕はあるか……?
文官の不足に、新領地の支配。そして周辺への警戒と、やる事は多い。
権利があるという事は、義務もあるという事。それを軽視すれば、訪れるのは破滅だ。
「しかし……父上は、領地を離れるのが難しい状況かと」
オールダー王国の異様な速度もある。父上が今領地を離れれば、何が起きるかわからない。
家族に対してはクソのつく親バカだが、領主としては優秀な人である。その武威はあの辺りで知らぬ者はいない程であり、攻め込んできた家々も4対1という状況でなければ戦争など起こさなかったはずだ。
カール・フォン・ストラトスは、あの地方における重石となり得る人物である。
「その事だけど、子爵から伯爵への陞爵の前にクロノ殿を男爵に任命。土地なしではあるけど、カール殿の『代理』として元老院に出席。及び陞爵式への参加も可能だからね」
「えっ」
あっさりと爵位が渡されそうになり、思わず変な声が出た。
「やはり低かったかな?男爵だと。でも、子爵以上にすると流石に角が立つから……」
「いや、そうではなく。……自分に、爵位を、ですか?」
「何か、おかしな所があるかな?」
クリス殿下が不思議そうに首を傾げる。
「クロノ殿。貴殿はオールダー王国との戦で帝国軍が敗走する中、クリス殿下をお助けしそのまま殿として残って友軍の撤退を支援。更にはノリス国王を討ち取ったのです」
「いや……それは、まあ」
「更には殿下と共に帝都へと向かい、裏切り者のフリッツ皇子を討ち、そして帝都を燃やそうとしたドラゴンを撃破しています。これで爵位を与えなければ、むしろ帝国の威信に関わります」
「……たしかに」
冷静に考えると、よくもまあここまで働いたものである。
クリス殿下の生き死にがどうのと考えていた時は、『帝国全体から見たらノリス国王を討ち取った手柄も……』と思っていたが。
これだけでも、ただの貴族家長男に爵位が与えられるのに十分な戦果である。
そして、大貴族では家を継承する前の子供が親より低い爵位を持つというのは珍しい話ではない。いや、大抵は親が所有する領地の一部を与えて、一時的に男爵とかにするものだけど。
爵位があるのなら、政治に関わる権利を持つ。それが帝国での通例であった。
「どうだろうか?」
「……ありがたき幸せ」
断ると言う選択肢は、ない。父上に相談するという返事もダメだ。
クリス殿下なら自分がそうしても許してくれそうだが、かなりの不敬である。自分が爵位を得るのが遅れる程、『あいつあの話蹴りやがった』と噂が広まるはずだ。
そうなれば、殿下の名に傷がつくし自分やストラトス家も非常識と指を差される。
ありがたい話ではあるが、正直厄介な話でもあった。
「……その、もしかして、あんまり嬉しくない……か?」
クリス殿下が、不安そうに上目づかいでこちらを見てくる。
それに対し、慌てて首を横に振った。
「い、いえ。ただあまりに突然の事でしたので、驚いていただけです」
「そうか……?なら、良いのだが」
「私としても、ストラトス家が伯爵位を得るのは賛成です。というより、もろ手を挙げて喜びたい所です。元老院で殿下に1人でも多くの味方が出来るのは、ありがたい」
無表情で『やったー』と万歳するシルベスタ卿に、苦笑を返す。
こちらとしても、クリス殿下には帝国の政治をしっかりと握ってほしい。国が平和であればある程、我が領は栄える。
それに、面倒は増えるがやはりメリットも大きい。元老院に加われば、万が一にも一方的に国から『領地没収』だの『逆賊認定』だのされずに済むのだから。
「味方と言えば」
万歳をしていたシルベスタ卿が、ぽんと手を叩く。
「あのお方もそろそろ帝都に到着する頃ですね」
「うっ」
彼女の言葉に、クリス殿下がびくりと肩を震わせる。
「殿下?」
「いや……うん。そうだな。そうなんだよな……」
非情に困った様子で、彼女は額に手をあてて再びため息をついた。
「その、これから来る味方というのは?」
「……『ギルバート・フォン・グランドフリート』」
出てきたのは、自分でも知っている大貴族の名前。
「グランドフリート侯爵……ボクの、婚約者のお爺様だ」
冷や汗をびっしりと浮かべて、クリス殿下は何度目かのため息をついた。
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。励みになっております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。