第二章 エピローグ 上
第二章 エピローグ 上
あの戦いから、1週間。一仕事終えた後も休む事はできず、各地の領主への手紙の運搬やら帝城の修理や双頭の竜の事やらで、皆大忙しであった。
自分もそれらを手伝いながら、ある重大な仕事に頭を悩ませたものである。
あの時、共に竜と戦った近衛騎士達の家族への説明と、戦死したストラトス領の兵士達の遺族に出す手紙だ。
近衛騎士達の事に関して、シルベスタ卿からは自分が何かをする必要はないと言われたが、それでも、一時とは言え共に強敵と戦った仲である。何もなしというわけにはいかない。
互いに事情があったにせよ、罵声を浴びる覚悟で行ったのだが……近衛騎士達の家族は、粛々と自宅謹慎と家族の最期を受け入れていた。
勇敢な最期だったとしても、裏切り者達を悼む事は許されない。それが近衛の家族というものなのだと、シルベスタ卿は言っていた。
正直、自分には受け入れがたい価値観である。しかし、『貴族』として生まれたからには、それを天晴と言える様にならなければいけない。
そして、タッカーとマイケル。殿下に言われるまで、名前すら思い出せなかった彼ら。自分が、死地へと連れて行った者達。
彼らの遺族は、十中八九字が読めない。その為、この手紙を領地に残った騎士の誰かが目の前で読む事になる。
自分の口から伝えるわけではないからこそ、きちんとした手紙でなければいけない。
ケネスからは、『一々そんな事せんでもいいのですよ?』と言われた。実際、これからくる多くの戦の事を考えれば、もう兵士が2人死んだぐらいでは手紙など書く事もないだろう。
だが……自分の部下で死んだのは、彼らが初めてなのだ。
帝都の状況に関する父上への報告書と共に、2通の手紙もストラトスの領地へと送る。
勇者達の遺髪と、ともに。
* * *
辛気臭い顔をいつまでもしていられない。帝都奪還からちょうど1週間の今日、帝城では祝勝パーティーが開かれるのだから。
既に、ざわざわと帝城のホールに集められた貴族や大商人達が会話をしている。
『逆賊』フリッツ皇子により、先のオールダー王国との戦では『引き分け』となった。しかし、正統なる帝位の後継者であるクリス皇太子殿下のご活躍により、裏切り者は討たれ帝都は解放された……というのが、帝国における公式発表だ。
これを表立って否定する勢力は、現在帝都周辺にはいない。その為、帝都中の有力者達はクリス殿下派だと表明する為か、そうでなくとも敵対の意思はないと示す為に大慌てで支度をしてこのパーティーに参加したのである。
結果、ドラゴンが壊したのとは別のホールを使った会場には、多くの人が押しかけていた。彼らの衣類や装飾品、そして会場の飾りや料理などは、まさに豪華絢爛と言える。
……これでも、帝都基準ではコーネリアス皇帝の葬儀もまだという事で、控えめなのだから驚きだ。
価値観の違いに眩暈がしそうである。ストラトス家も子爵家とは思えないぐらい栄えているが、圧倒的な人口と重ねてきた文化の差を痛感した。
「いやはや。フリッツ皇子が討たれた事で、ようやく安心して外を歩けるようになりましたな」
「然り。彼のせいで商人の出入りも制限され、帝都の機能は完全に停止していたと言って良い」
「まったく、それによりどれだけの経済的な被害が出たか。いや、彼はモルステッド王国に裏切った身。むしろそれが狙いだったのやもしれませんな」
などと、参加者達はフリッツ皇子に対する愚痴を肴にしている。
裏切り者とは言えまだ皇族から正式な除名をされていない為、あまり口汚く言う事はできない。かと言って擁護する様な発言をすれば、彼の派閥と思われる。
自分にはよくわからないが、既に様々な駆け引きがされているに違いない。
もっとも。
「しかし、この格好は……」
「なぜ皇太子殿下はこの様な催しを……」
「な、なにか深いお考えでもあるのだろうか……」
全員不格好な女装姿なので、ギャグにしか見えないのだが。
この祝勝パーティーでは、服装を男女逆転するようにお達しが出ている。そういう余興である、と。
結果、見るからにあくどい事をしていそうな大貴族も、狸面の老獪な法衣貴族も、悪徳商人っぽい顔の大商人も。揃って似合わない女装をしているわけである。
準備期間なんてろくになかったので、全員既製品のドレスを調整して着てきたわけだ。メイクの仕方だって全然わからないし、そもそもどこまで本格的にやるのが正解かもわからないので、中々に酷い絵面である。
『真実の愛』とやらが流行っている帝都でも、流石に受け入れがたい光景な様だ。同性同士のアレコレと、女装は決してイコールではないので。
逆に、男装をしているご婦人達は楽しそうである。
「普段夫が着ているのを見て、羨ましかったのよね~」
「ええ、本当に。コルセットから解放されるのが、こんなにも気分が良いなんて」
「普段着ない格好というのは、新鮮で良いですね」
と。タキシード姿のご婦人方がそこら中で談笑している。
髪型も普段から美容に気合を入れているだけあって、きちっとしていた。中には宝塚から来たのかと問いかけたくなるほど、様になっている人もいる。
そんな非常にトンチキな空間へと、自分も足を踏み入れた。
「む?おい、アレは……」
「なんだ。あの令嬢、普通にドレス姿だぞ?」
「美人ではあるが、見覚えのない顔を……いや、待て。あの体格」
───生憎と、こちらは全力だ。
準備期間など無いに等しいのは同じ事。されど、自分には21世紀の日本の知識がある。
卑怯、反則と言われるかもしれないが……格の違いというものをお見せしよう。
長い髪のカツラを被り、一部を後頭部で纏めながら顔の横側を隠す様にセット。首の太さと喉仏を隠す為、幅のあるネックレスを首輪の様に巻いている。
前面はしっかりと隠しつつ、うなじから背中の中央部分のみ露出。肩幅は肩回りがふわりと広がるタイプの黒いドレスを着用しつつ、胸に詰め物をたっぷり容れる事で誤魔化した。ついでに、紫色のケープも着用している。
無論、肘や膝、足首や手首といった骨格の問題で男らしさの出る箇所は絶対に露出をさせない。また、指先も隠す為に黒い女性用手袋をしている。
足首まで隠れる丈のドレスだからと油断はせず、厚手のタイツ越しにヒールのついた靴を履き、顔には目元を強調する様にメイクをしておいた。まあ、化粧を頑張ったのは城のメイドさんだけど。
ごついコルセットをつけたせいでかなり息苦しいが、そこは気合で耐える。これにより、遠目に見れば完璧な貴族令嬢の出来上がりだ。まあ、近くで見たらがたいの良さですぐにばれるだろうけど。
「ば、バカな……!この私が、性別を見誤った……!」
「ほう。体つきに注視すれば、たしかに男ですな。素晴らしい、今度儂の小姓にも……」
「……なるほど、これが『真実の愛』というものか」
「まあ!誰かと思ったら、もしかして彼女……いいえ、彼が噂の?」
「一瞬本当に女性かと思ったわ!いいえ、じっくり見ても、自信は持てないぐらい……!」
「なんて事……あれは新しいスタイルの『着こなし』だわ!帝都の流行が、今作られようとしている……!」
これが知識チート。漫画やラノベでの知識しかない自分でも、ここまでやれるのだ。
まあ、顔立ちが母上似だというのも大きいだろうけれど。それでも、首から下はゴリゴリに父上似なので、とんとんだろう。
なんせ今生の肉体は15歳にして身長185センチ、体重97キロ。体脂肪率はわからないが、腹筋は6つに割れているし、手足もガッシリと筋肉がついているマッチョメンだ。
流石に2メートル越えな父上程ではないが、女性とは普段なら見間違得られない体つきである。
それでもここまで誤魔化せる……そう、知識チートならね!
……我ながら、おかしなテンションだ。
だって恥ずかしいし。女装の趣味もなければ、性自認も男である。本音を言えば、出来ればこんな格好をしたくはなかった。
しかしとある理由の為、自分ぐらいは『性別を見間違えるクオリティ』を出さねばならない。
頬が赤くなるのを自覚しながら、詰め物の入った胸を張りヒールを鳴らして歩く。
「こんばんは、クロノ殿」
そんな自分に声をかけてきたのは、シルベスタ卿であった。隣にはアリシアさんもいる。
「こんばんは、シルベスタ卿。あり……シュヴァルツ卿」
「アリシアで良いっすよクロノっち。こんな『催し』をしているぐらいなんだし、挨拶の順番も呼び方も適当でいいっしょー!それにしても……ぷぷ……可愛いっすねー、ほんと……!」
口元を手で覆い隠し、必死に噴き出すのを堪えているらしいアリシアさん。
この陽キャギャル女騎士、1回模擬戦でもやってやろうか。木剣ではなく刃引きした鉄の剣で。
睨みつけそうになるのを耐え、全力で営業スマイルを浮かべる。
「ありがとうございます、アリシアさん。お2人もよくお似合いですよ。大変凛々しいです」
彼女らは今回警備側だが、メイドすら執事の格好をしているのだ。当然、タキシード姿である。
シルベスタ卿は髪型こそ普段通りだが、アリシアさんはポニーテールではなく、うなじの位置で1本に縛り肩から前へ髪を垂らしていた。
「そう言って頂けて安心しました。ズボンは履き慣れていますが、こういった格好自体は初めてですので」
「いやぁ、いい経験になったっす!男性の場合、服のどういう所に暗器を隠しやすいとかが学べるっすからねー」
細身の剣を帯剣しているのもあって、歌劇にでも出てきそうな装いだ。2人ともかなりの美人さんなので、非常に似合っている。
ただ、胸の大きな方々なのでシルエットまでは全然誤魔化せていないが。
「それと……」
するり、と。シルベスタ卿が顔を寄せてくる。
鋼色の瞳が柔らかく細められ、桜色の唇は僅かに弧を描いていた。ふわりと鼻腔をくすぐる華の香りに、心臓が跳ねるのを自覚する。
「感謝します、クロノ殿。1番の戦功を上げた貴方が提案してくれたから、こういった催しを開く事ができました」
────そう。彼女の言う通り、この男女逆転パーティーの発案者は自分である。
我ながら『ラノベに出てくる学園祭か』と言いたくなる余興だが、今は必要だと判断したのだ。
「いいえ。自分はただ、あの方のドレス姿を見たかっただけかもしれません」
「おや。あの方を寝所へお誘いになるのなら、親衛隊として止めなければなりませんね」
「勘弁してください。そこまでの度胸はありませんから」
「なんと。竜に挑むのと色事の誘いでは、必要な度胸は別でしたか」
クスクスと笑い、シルベスタ卿が顔を離す。
「我らは警備に戻ります。どうか、あの方をお願いします」
「あーしらは先に見ちゃいましたが、凄かったっすよー!眼福だから、しっかり目に焼き付けると良いっす!」
「ええ。そうします」
そうして、シルベスタ卿とアリシアさんは壁際へと向かっていった。
「ああ、シュヴァルツ卿。クロノ殿を笑った罰として、パーティーが終わったら私と模擬戦です」
「うぇ!?いやいや!あーし、色々と書類仕事が溜まっていたから、昨日は徹夜したんすけど……?」
「彼は今回1番の功労者ですし、我らの恩人です。それを笑いものにするなど、言語道断」
「あれはスキンシップ!コミュニケーションの一環っすから、どうかご容赦を……!」
どうやら、天誅は下ったらしい。鉄剣での模擬戦は勘弁してやろう。木剣の用意をしなければ。
そんな事を考えていると、ドレス姿のお爺さんが声を張り上げる。
「皇太子殿下の、おなーりー!」
その言葉に、参加者達が姿勢を正しホールの前方。緩やかな階段に体を向ける。
顔を僅かに伏せていれば、扉が開かれる音と、『ヒール』の足音が室内に響き渡った。
「皆、顔をあげてくれ」
クリス殿下の声に、参加者達が顔を上げる。
そして、誰もが息を飲んだ。
シャンデリアから降り注ぐ光で、まるで太陽の様に煌めく金髪。海の様に碧い瞳は、星空が映り込んだかの様に美しい。
僅かに朱を差した頬は柔らかそうで、それでいて顎にかけて綺麗なラインを描いている。
薄く、しかし不思議と視線の引き寄せられる唇は、まるで新鮮な果実を連想させた。
水色と白で構成されたドレスは少女の華奢なボディラインを彩り、それでいて豊かな胸元などの女性らしい部分も下品にならない程度に強調している。
クリス殿下の、『女装』。そのあまりの美しさに、参加者達は彼女の演説に対し揃ってマヌケ面を晒す事になった。
かく言う自分も、その1人である。ギリギリ周囲の様子を見るだけの理性は残っていたが、女性として着飾った彼女の美しさに脳をやられてしまったらしい。
内容自体は、非常にシンプルなものだった……はず。戦争の事やコーネリアス皇帝などの事に触れ、最後は皆団結していこう、と言っていた……と、思う。たぶん。
グラスを掲げるクリス殿下に、参加者達は慌てて自分達も近くの使用人達から受け取ったグラスを掲げ乾杯した。
……あ、このグラスうちの卸したやつだ。どうやら、クリス殿下が気を利かせてくれたらしい。
そうして乾杯も終わり、殿下へと有力者達が挨拶を言いに行く。
アリシアさんはああ言ったが、やはり序列は重要だ。自分も有力貴族達相手に、営業スマイルで挨拶をしにいった。
殿下とも事務的な会話をして、一旦離れる。何故か裾を掴まれそうになったが、次の人を待たせては悪いと回避しておいた。
挨拶回りだけで、随分と時間がかかる。つくづく、これが帝都基準ではささやかなパーティーだというのが信じられない。
もしも大規模なパーティーに呼ばれたら、どうなってしまうのか。あるいは、目を回して倒れてしまうかもしれない。
そんな危惧を飲み込みどうにか挨拶回りを済ませれば、今度は自分が挨拶される側になった。
田舎の子爵家の長男に過ぎない自分だが、クリス殿下の腹心の様な立ち位置にいるのだ。帝都の者達から、顔を合わせておいて損はないと思われたのだろう。
お互いに営業スマイルで当たり障りのない言葉を二言三言交わす事もあれば、言葉の軽いジャブを打ち合う事も、熱心な営業を不快にさせない様に受け流すなんて事もあった。
……疲れる。マジで。
せっかく化粧をした頬に、気づけば汗が浮かんでいた。普段の様に手の甲で拭えないのが、非常に煩わしい。
「クロノ殿」
「これは、皇太子殿下……!」
だからか、背後から接近していた彼女に気づくのが少し遅れる。
普段と違いその女性らしい体つきを出し、メイクまでしている彼女の姿を直視して、自分の心臓が少しうるさくなる。
「楽にしてくれ。今夜は無礼講だ。何より、貴殿は此度の最大の功労者なのだからな」
「勿体なきお言葉……」
胸に手を当て、帝国式の礼をする。
顔をあげたタイミングで、これまた男女逆の服装をした楽団が演奏を始めた。
音楽について、今生でも最低限の知識しかない身としては一瞬対応に困る。とりあえず壁際に避難するかと、人の波に乗ろうとしたところ。
先手を打つかの様に、殿下が右手を差し出してきた。
「一曲、付き合ってくれないか?」
「……喜んで」
皇太子殿下の誘いを、有力者達の前で断ると言う選択肢はない。
頬が引きつりそうになるのを堪え、彼女の手をとる。
「しかし、この場合どちらが男性役をやれば……」
「君がやってくれ。ボクにこんな格好をさせたんだ。当然だろう?」
意地の悪い笑みを浮かべる彼女に、冷や汗を浮かべながら頷く。ダンスは得意ではないが、ぶっつけ本番でやり慣れない方を指定されないだけマシか。
曲に合わせてゆっくりと踊りながら、必死にアレックスやアーリーとの練習を思い出す。
しかし、殿下の手の柔らかさや香りに集中を乱され、段々と目が回ってきた。
というか、前々から思っていた事だが……この方、本当に顔が良い。そしてスタイルも抜群である。
前世だったら、アイドルかモデルとして大成していそうな美貌と体つきだ。
天は二物を与えずと言うが、アレは嘘だったらしい。あるいは、『ただし時と場合による』と注意書きがしてあるのか。
「クロノ」
「は、はい」
絶対に殿下の足を踏んではならない。
色香に狂う脳みそを理性で引っぱたき、どうにか動きに集中しようとする。
しかし、ダンスをする以上絶対に視線はクリス殿下の顔を向いてしまうのだ。少し視線を下げれば、豊かな胸部もある。
「君は、酷い奴だ」
自分達以外には聞こえない声量で、クリス殿下が続ける。
「カール殿には『一生男として生きていく』と宣言したのに、こんな格好をさせるだなんて」
気づけば、踊っているのは自分と数組の男女だけ。たしか、全員大貴族だ。
まるで自分達が主役であるかの様に、大きくスペースをとってダンスを続ける。演奏もあって、これならば誰かに会話の内容を聞かれる心配はない。
「ボクの覚悟を、そんなにも崩したかったのか?こんな……こんな事をしたら、ボクは未練を……」
「別に、父上もこれぐらいならとやかく言わないかと」
ダンスを続けながら会話もするというのは、地味に難しい。
ドラゴンと戦った時並みに神経を尖らせ、言葉をつむぐ。
「ずっと張り詰めていては、かえってボロが出ます。適度に息抜きをしなければ」
「……ボクにとって、これがそうだと?」
「ええ。何となくですが、そう思いました」
自分は女心に疎い。
グリンダは前世男だし、姉上は世間一般では変わり者に分類される。普段接する人間が参考にはならない。
しかし、動体視力には自信があるのだ。
「貴女が姉上のドレス姿や、私服姿で喋るアリシアさんを少しだけ羨ましそうにしているのを、見ましたから」
「……そんなに、分かり易かったかな」
「さて。少なくとも、自分の動体視力をもってすれば、一目瞭然でしたね」
「……判断に困るな、それは。クロノって、飛んできた矢も普通に見切るだろう?」
クリス殿下が、小さく苦笑する。
「しかし、ボクがドレスなんて着たら、性別が……」
「ご安心を。その為に、自分も城のメイドさん達に協力してもらいましたから」
クリス殿下が改めてこちらを観察し、再び苦笑する。
「たしかに。君の隣にいれば、『そういう男もいるか』と思ってくれそうだ」
「そうでしょう?堂々としていれば、意外とバレないものです」
「ああ……まったく。君は時々、突拍子もない事を考えるな」
「光栄です」
「ほーめーてーなーいー」
唇を尖らせるクリス殿下に、今度は自分が苦笑を返す。
苦笑いをしてばかりだな。せっかくのパーティーだと言うのに。
彼女の細い腰に回した手に、余計な力が入らない様に注意しながら踊り続ける。
「……はあ。怒るのもバカみたいだ」
「そうご自分を卑下しないでください、クリス殿下」
「君なぁ……まあいい。それと、今夜だけはクリス殿下と呼ばないでくれ」
「はい?」
彼女の言葉に、小さく首を傾げる。
「……〈クリスティナ〉」
ぼそり、と彼女が呟く。
「もしもボクが女として生きていたら、こういう名前をつけるはずだったと、昔母上から聞いた事がある」
「……そう、でしたか」
クリスティナ・フォン・クロステルマン。
それが、彼女の本当の名前だったのだろう。
「良いのですか?性別を疑われますよ?」
「どの口が言うのだ。どの口が」
「無論、この口が」
「こいつ……」
ジト目を向けてくる殿下に、踊りながら肩をすくめる。
ようやく、この方の顔に元気が戻ってきた。それにひっそりと安堵する。
景気の悪い顔をした新しい皇帝など見たら、元老院の爺どもが何を考えるかわからない。この方には、ビシッとしていてもらわないと困る。
「今更だろう、色々。あるいは、ボク達が『真実の愛』にふけっていると疑われる可能性はあるが」
「……そこは、はい。うちの騎士達が騒ぐかもしれませんが、どうにか宥めます」
「そうしてくれ。ああ、でもボクの性別は秘密だぞ?それ抜きで、どうにかするんだ」
仕返しとばかりに笑う彼女に、口を『へ』の字にする。
自分が子供を作らないと本気でストラトス家は断絶しそうなので、ケネス達からしたら一大事だ。
「……頑張ります」
「ふふっ。頑張れ、英雄」
楽しそうに笑う彼女に、こちらの口元も綻ぶ。
ずるい人だ。これでは恨むに恨めない。いや、自業自得と言われたらそれまでだけど。
「じゃあ、呼んでくれ。ボクの名前を」
「ええ……クリスティナ、殿下」
「──────」
一瞬、ほんの一瞬。
クリスティナ殿下の顔がくしゃりと歪み、そして静かな笑みへと戻る。
「ああ、クロノ。今夜だけは、ずっと一緒にいてくれるか?」
「ええ。貴女の秘密を、守る為に」
こう答えたものの……まさか、本当にパーティーの間ずっと隣にいさせられるとは予想外であった。てっきり、ある程度は距離を開けるものだと。
まあ、殿下のメンタルがこれで保てると言うのなら御の字である。自分が大貴族達に囲まれて神経をすり減らすのは、コラテラルダメージというやつだ。
消耗した分は、彼女が時々こちらへ向けてくる笑顔で補う事にする。
まったく、困った『戦友』だ。
……戦友という認識で、良いんだよな?いや、良いはずである。
女心はわからないが、この方は基本的に誰とでも距離が近い。絶対、『勘違い』をさせられた女性も男性も多いはずだ。
とんでもない誑しである。敵方の手の者以外に刺される日が来るんじゃないかと、心配なぐらいだ。
今度、シルベスタ卿にそれとなく忠告しておこう。自分も『勘違い』をしない様に、注意しなければ。
──なお、パーティーの後。
自分が今回の余興を提案した事。気合の入った女装をした事。そしてクリスティ……クリス殿下と踊った事を知った結果。
帝都にまで連れてきたケネスやレオといった我が家の騎士達が、全員ムンクの叫びみたいな顔してぶっ倒れた。
……うん。コラテラルコラテラル。
読んでいただきありがとうございます。
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