第三十七話 間違いではない
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第三十七話 間違いではない
帝城内に敵がまだいないかの確認、負傷者への応急処置、街にいる帝都守備隊への連絡、軟禁されていた元老院議員や大臣達の解放。
その他諸々の作業に関して指示出しと手伝いを済ませた後。自分、クリス殿下、シルベスタ卿の3人は城内部にある会議室に集まっていた。ケネスとアリシアさんは現場指揮に行っている。
「それで、この女性がモルステッド王国の?」
「はい。間諜です」
「自分も顔を確認しました。間違いありません」
帝城の会議室だけあって、この部屋は広い。なんせ会議で実際に話し合う人員以外にも、使用人や秘書達も入るので。
そんな部屋の端に、女性の遺体が横たえられている。下にマントが敷いてあるのは、クリス殿下の優しさだ。
メイド服の女……城の者達からは、『シスター服の女』と呼ばれていた間諜。本名どころか偽名すら誰も知らないこの人物は、間違いなくあの時自分が取り逃した人物である。
「殿下達から離れ、単独での追跡を行い、発見。クロノ殿がつけた傷もあり、城の外にも出られていない様でした」
チラリ、と、シルベスタ卿が彼女の右足に視線を向ける。
切断されたその個所は、殿下のハンカチで傷口が隠されていた。
「生け捕りを狙ったのですが、視線があった瞬間毒薬を飲まれました。すぐに駆け寄って腹を殴りましたが、即効性の高い物だったらしく、飲んでからすぐに……」
シルベスタ卿は淡々と報告するが、バツが悪いのか眉間に少しだけ皺を寄せている。
「一応、印璽は無事に回収できました。シュヴァルツ卿にも見てもらいましたが、型をとった形跡もありません。念のため、専門の職人にも確認する予定です。また、元々帝都はフリッツ皇子の命令で封鎖されていたので、現在はそれを継続しつつ外部へ出ようとする不審な者がいないか監視する様に城壁の兵士達には伝えてあります」
「よくやってくれた、リゼ。おかげで、最悪の事態は避けられた」
「いえ。それともう1つ」
シルベスタ卿が懐から1枚の手紙を取り出す。
封蝋がされていたのだろうが、半分ほどが燃えてしまっており、印も融けてわからなくなっていた。
「この間諜は死ぬ前に、燭台でこの手紙を燃やそうとしました。理由はわかりませんが、一瞬だけ迷う様な動きがあったので、どうにか半分だけ回収できましたが……」
この様子では、中身を読み解くのは難しいだろう。
しかし、難しいだけであり不可能ではないはずだ。内容が公文書の類であれば、様式もわかっている。それがどういう内容だったかは、ある程度予測がたてられるはずだ。
はず、なのだが。
「……そうか。その手紙は、ボクが預かっておく。一応中身を検めるが、読み解く事は出来ないだろう」
クリス殿下は血の気の失せた顔で、その手紙を受け取り懐にしまってしまった。
「殿下?どこか体調が優れないのですか?今医療班を呼んで」
「いや、いい。違う。違うんだ……」
シルベスタ卿の言葉に、殿下が小さく首を横に振る。
……もしや。
フリッツ皇子は、妻子と孫がモルステッド王国に囚われていると言っていた。つまり、生殺与奪の権は彼の国にある。
皇族の血を引く者として、政治的な利用価値はまだあるだろうが、やはり彼本人が亡くなったというのは大きい。モルステッド王国内での扱いに、変化がある可能性もある。
場合によっては、クロステルマン帝国との交渉時に首が送られてくる可能性も出てきた。
だとすれば、あの手紙と印璽は……彼が、モルステッド王国への手土産……いいや。
家族への『仕送り』だった?あれらを間諜に渡す事で己の『貢献』とし、それによって家族への待遇を良くしようとしたのかもしれない。
有り得る。裏切り者やその一族の末路なんぞ、古今東西決まっているが……その貢献があまりに大きかった場合、厚遇しなければ今後の調略に関わる為非常に良い扱いをするとアレックスから習った事があった。
「これで、兄上が『盗まれた』印璽と手紙は、無事に戻ってきたわけだ。最良と言って良いだろう」
血の気の失せた顔のまま、クリス殿下はそう言った。
……あの手紙の内容が、自分の予想通りだった場合。クロステルマン帝国が勝利した後、フリッツ皇子の家族は大変悲惨な事になる。
赤子だろうと関係なく、生きたまま火炙りか……あるいは手足を縛った状態で腰に縄をかけ馬で息絶えるまで牽きまわすか。
どちらにせよ、見ているだけで吐き気を催す様な事になるだろう。それを娯楽とする臣民もいるのだから、おっかない世の中だが。
「殿下がそうおっしゃるのであれば」
「……御意」
アッサリと頷くシルベスタ卿の横で、少しためらったものの頷く。
まあ、あの手紙が予想通りだったとして、こちらのメリットは何もない。ただフリッツ皇子の家族が悲惨な事になるだけだ。彼の正統性を崩すという点に関しては、帝都にモルステッド王国の軍を招き入れた事を元老院や帝都守備隊が証言するので十分過ぎる。
というより、下手をするとデメリットしかない可能性もある。
フリッツ皇子の派閥を虐めすぎるわけにはいかない。ある程度の制裁は必要だし、ストラトス家と兵士達の為にも毟れるだけ毟りたい所だ。
だが、追い詰め過ぎれば何をするかわからない。『無敵の人』というのは、いつの時代でも生まれえるものなのだ。
あの手紙は、それほどの爆弾である。
「兎に角、今は帝国が盤石であると国内外に示さねばならない。各地の大貴族達は、風見鶏になっているはずだ。彼らに対し、兄上の死亡とボクが玉座につく旨を一刻も早く伝えねばならない」
「はっ。そこは予定通り、ストラトス家の部隊がお手伝いします」
「頼んだ」
もはや、ハーフトラックを始めとした各種技術を隠しておくのも限界だ。必要な事だったとは言え、目撃者が多すぎる。
何より、既に『乱世』と呼ぶべき時代に突入した。今後、隠しておく余裕などない。
であれば、クリス殿下という『後ろ盾』との繋がりと一緒に喧伝すべきだ。
ストラトス家は現在、田舎の子爵家に過ぎない。存分に殿下の御威光をお借りするとしよう。
……失礼ながら、今その威光がどれ程の力を持っているか知らないが。
まあ、足りなかったら武力で補うだけである。それがこの大陸のルールだ。
「やる事は山ほどある。ボクの戴冠式の準備に、元老院との話し合い。各地の反乱への対処と、攻め込んできている周辺国への対策。それと、ストラトス家の陞しゃ───」
「殿下」
頭を抱え、思考の海に潜ろうとするクリス殿下に、シルベスタ卿が声をかける。
「お言葉ながら、御身の安全を守る立場の者としてお尋ねしたい事がございます」
「なんだ、リゼ。言ってくれ」
「今回フリッツ皇子についた、近衛騎士達の縁者についてです」
「っ……」
その問いかけに、クリス殿下が喉を引きつらせた。
「判例に則って考えた場合、即時に全員を拘束。そして見せしめを行うべき事態です。殿下からの許可を頂ければ、コープランド卿達クリス殿下派閥の帝都守備隊を出動させられます。如何なさいますか?」
「それ、は……」
クリス殿下の瞳が、揺れる。
白い肌を汗が伝い、口からは意味をなさないか細い声だけが漏れ出ていた。
この方は、優しい人である。乱世においては足枷になりかねない程に。
どれだけ覚悟を決めようと、人には迷い立ち止まってしまう時がある。その時、動く事が出来るかどうかを決めるのは強さではない。どれだけ自分本位になれるかだ。
彼女の様子を見て、小さく手を上げる。
「発言の許可を頂きたいのですが、よろしいでしょうか」
「あ、ああ。どうしたんだ、クロノ殿」
「僭越ながら、フリッツ皇子派の帝都守備隊の家族については、『恩赦』を検討して頂きたく思います」
「おんしゃ……そうか、恩赦か」
クリス殿下の瞳が、定まる。
「それは、殿下の戴冠式の、ですか?」
「はい。シルベスタ卿。近衛騎士団の方々は、主に皇帝陛下の領地や周辺地域の貴族家から選出されると聞きます。つまり、彼らは親戚関係の者が多いのではないでしょうか?」
「そうですね。城門で死んでいたのは、私の大叔父ですし」
……あの自ら首を掻っ切った人、この人の親戚だったのか。
ちょっとだけ面食らうも、出来るだけ事務的に言葉を続ける。
「この様に、近衛騎士同士で親戚関係は多い。親衛隊や帝都守備隊を始めとした近衛騎士団との間に『しこり』を残さない為にも、ここは寛容な対応が必要かと」
「別に私は気にしませんが……しかし、確かに家族思いな隊員はうちにも何人かいますね」
シルベスタ卿が、淡々と頷く。
この人、マジで気にしていなさそうだな……。
「そうか。そうだな!ここは恩赦とするべきだろう。彼らに関しては、それぞれ自宅から出る事を一旦禁ずる。ボクの戴冠式が終了後、彼らには恩赦を与えるとしよう」
「それがよろしいかと」
「殿下がそうおっしゃるのであれば」
クリス殿下に、今折れてもらっては困る。
それに、先ほど言ったのも嘘ではない。家族の情というのは人それぞれだが、貴族だからと言って全くないケースの方が少ない。むしろ、身内贔屓する者の方が多いぐらいである。無論、単純な損得の場合もあるが。
なんにせよ、彼ら彼女らに今後もきちんと働いてもらう為にも、その親族には『帝都にいてもらった方が良い』。これもある種の人質と言える。
ついでに、フリッツ皇子の手紙同様あまり彼の派閥だった者を虐めては後が怖い。追い詰められた人間は、あっさりと敵になる。
まあ、この布告を無視して火事などの特別な事情もなしに家の外へ出たら処すが。
貴族にとって舐められるのが1番ダメだと、父上とアレックスから耳にタコが出来る程聞いたものである。
「各地で反乱している平民達にも、同じように恩赦を告げなければならないな」
「はっ。その旨も、書状にしたためて頂ければストラトス家がお運びします」
そちらに関しては、父上との話し合いの通りだ。
今一揆を起こしている者達は、帝国の民である。心情的なアレコレ以前に、貴重な『資産』なのだ。
税をとるにしても、公共事業に従事させるにしても、人口というのは重要である。
首謀者と、降伏勧告を無視する者は晒し首にするとしても、大多数の参加者は見逃さねばならない。それが通例だ。
まあ、最近の帝国貴族ってわりと『そんなの関係ねぇ!平民ごときが俺様に逆らって生きていられると思うな!』っと。皆殺しにする人多いらしいけど。
その結果、余計に反乱が長引いたりして大変な地域も多いと、アレックスが言っていた気がする。彼、数年に1度帝都へ社会勉強しに行くから地味にこういった事に詳しいのだ。
「リゼ、コープランド卿やジェラルド卿達に先ほどの自宅謹慎と恩赦の事を伝えてきてくれ。その後、恩赦に関する書類を持ってくるよう法務大臣かその秘書にも頼んでおいてくれるか?」
「はい。それと、元老院の方々が殿下と面会をしたがっているはずです。その事をどうか、お忘れなきよう」
「わかっている。なるべく早く、会いに行くよ。……彼らの腹の内がどうなっているか、考えるだけで怖いけど」
元老院。恐らく、帝都に現在いるのは法衣貴族の議員や大臣達だろう。
彼らがクリス殿下側か、フリッツ皇子側か。はたまた、サーシャ王妃含めまた別の派閥に属しているのか。それは表向きの態度や経歴ではわからない。
たとえ腐っていても、海千山千の化け物ども。これまで政治にはろくに関わらせてもらえなかったクリス殿下にとって、とんでもない強敵だろう。
まあ、自分にはどうする事も出来ないので、そこは彼女に頑張ってもらう他ないが。
殴り合いが必要になったら、ケースバイケースで協力はするけども。
シルベスタ卿が出て行き、部屋にはクリス殿下と2人きりになる。
「……それでは、自分もケネス達の所へ」
「クロノ」
こちらの言葉を遮り、クリス殿下がこちらの袖をつまんできた。
その瞳には、薄っすらと涙が浮かんでいる。
「ごめん……覚悟を、決めたはずなのに……ボクはまだ、中途半端だ」
「……別に、それで良いと思いますが」
小さく首を横に振り、彼女にそう言った。
「『覚悟を決めた』、と。そう発言した途端何をやっても揺るがない人間など、そうはいません。もしもいたら、その様な人物を自分は恐怖します。とんでもない冷血漢もいたものだ、と」
「そう……なのか?でも父上は……」
「コーネリアス皇帝はコーネリアス皇帝。クリス殿下はクリス殿下です。親子だろうと別人なのですから、何もかも同じである必要はありません。違う花瓶に、同じ花を同じように活けるおつもりですか?」
「それ、は……」
片膝をつき、うつむく彼女の瞳を下から見上げる。
「貴女には貴女の良さがある。それを信じて、僕達は共に戦う事を決めました。どうか、胸を張ってください。殿下の決断が正しかったかどうか、それを決めるのは後世の者です。今を生きる我らには、少なくとも『間違いではなかった』と信じる他ないのです」
「……ごめん」
「謝らないでください。……そうですね、月並みの言葉では、あるのですが……」
今生でも、演劇や娯楽小説の中ではこういう時次の様に言うものだと、姉上から聞いている。
少し照れくさくなって、小さく笑いながら……頭に浮かんだ言葉を、そのまま伝えた。
「謝罪ではなく、感謝の言葉が欲しいです。貴女の口から、直接」
「……っ」
クリス殿下は小さく目を見開いた後、口元をほころばせた。
「そうだな……ありがとう、クロノ」
「いえいえ」
……それはそうと、なぜ呼び捨て?
いや、別に良いのだが。殿下の方が上の家柄だし。『殿』づけで呼ばれる場合と、名前のみで呼ばれる場合があるのだが、それはどういう基準で分けているのか……。
ただの気分とかかもしれない。特にこれと言って気にする必要もないだろう。
そんな事を考えていると、クリス殿下がニヤリと笑った。
「しかしクロノ。今のは少し、気障過ぎたぞ?普段から領地の少女達に、ああいう事を言っているのか?」
「勘弁してください。こちらも、殿下を元気づけようと必死だったのです。普段は使わない言葉を、姉から聞いた話を頼りにどうにか出したのですから」
「ふーん……なら、ああいう事を言われたのはボクが初めてなのか」
「そうなりますね。正直恥ずかしいので、他の方には内緒にしてほしいのですが……」
「ふむ。では、それがクロノへの褒美で良いのかな?」
「それは本当に勘弁してください……!」
「はっはっは。冗談だよ、冗談」
そう言って笑うクリス殿下の顔色は、先ほどよりは幾分かマシになっている。
しかし、それでもまだ元老院の狸どもの前に出せる顔にはなっていない。
……ふむ。
「では、少しお願いしたい事が」
「ん?なんだ。クロノの頼みであれば、何でもは無理だが出来るだけの事はするぞ!」
むん、と。両手に力を込めるクリス殿下。
それに苦笑し、今しがた浮かんだお願いを言ってみる。
「祝勝会をこれから開くと思うのですが、その時に───」
それは、あるいは彼女の覚悟を弱めてしまうかもしれない『お願い』だった。
だとしても、この時は必要だと思ったのである。
後世の人間が、このお願いを知って『あいつバカだな』と思うかもしれない。だが、未来視なんて出来ないこの身には、『間違いではない』と胸を張るしかないのだ。
だから、驚いた様子でアタフタする殿下に対し、自信満々な顔をしておく。
雲に覆われていた空に切れ目ができ、窓から少しだけ陽光が入ってくるのを横目に。
しばし、百面相をする皇太子殿下を眺めるのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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