第三十五話 激闘
第三十五話 激闘
雄叫びで大気が揺れる中を、駆け抜ける。
その巨体で壁や天井を抉り飛ばしながら迫る双竜の右前足と、こちらの大剣が衝突した。
甲高くも腹に響く金属音。骨が痺れる感触を覚えるが、今度は吹き飛ばされない。
衝撃の瞬間、こちらも全力で踏み込めばこのウェイト差でも打ち合える。
続けてほぼ真上から繰り出された噛み付き。バックステップで回避した直後、もう片方の頭が掬い上げる様に顎を開いて迫ってきた。
剥き出しの牙へと剣を叩き込んで横へ『ずれる』。相手を仰け反らせるのは、厳しい。打ち込んだ衝撃で滑る様に左へ回避。
間髪入れずに相手の懐へ跳びこんで、右前足へと斬りかかった。
白銀の刃が焦げ茶色の鱗を引き裂き、火花と共に鮮血を散らす。浅い。だが、斬れた。
『GGGAAAAA!』
そのまま別の足に斬りかかろうとした直後、背後から咆哮と共に膨大な熱量を感知。考えるより先に、斜め前にある通路横の部屋へと駆ける。
丸太の様に太い足の間を通り、体当たりで扉を破壊。室内に跳びこんだ直後、熱風が襲ってくる。
奴め、自身の足元にブレスを吐いたのか……!
通路に視線をやれば、深紅の炎が渦巻いていた。かと思えば、石壁を打ち砕いて左前脚が侵入してくる。
頑丈な壁が、発泡スチロールの様に飛散した。瓦礫が飛び散る中、迫る爪を大剣で受ける。
衝撃に逆らわず背後へ跳び、壁を突き抜けて広間へと出た。漆黒の太い柱が並び、床には赤い絨毯が道の様に敷かれている。謁見か会議にでも使っているのか。
そんな余分な思考は即座に打ち切り、視線と共に前方へ。広間の中央付近にまで弾き飛ばされた自分を追いかけ、城を破壊しながら竜が飛び出してくる。
ネコ科の様な身軽さで跳躍し、踏みつけにきた。大きく飛び退いて回避すれば、奴は強靭な四肢で石床を踏み砕き着地。双頭から唸り声をあげる。
その巨体に見合った戦場に喜んでいるのか、口角を吊り上げる双頭。口端から炎を溢れさせ、突撃してくる。
先ほどの焼き直しの様に、右前足の爪。それを今度は左手側に避け側面に回ろうとすれば、間髪容れずに左前脚による横薙ぎが追いかけてきた。
大剣を傾け、剣腹で受け流す。上にそれた爪と、床に食い込む己の左足。関節が発する痛みを無視し、前へ。
駆け抜け様に右後ろ脚を切りつければ、鞭の様にしなる尾が出迎える。
頭に合わせて1対のそれらは別の生き物の様に動き、こちらへ迫った。片や床を抉りながら、片や上から打ち下ろす様に。
その中間へと、跳躍。隙間を通り抜け、床に足先かつくなり突撃。再度右後ろ足へと斬りかかる。
だが、避けられた。双頭の竜はその巨体に見合わぬ身軽さで跳躍し、空中で上下反転。左前足を振りかぶる。
瞬間、その爪が真っ赤に染まった。膨大な魔力と共に、2つの口が奇妙な旋律を奏でる。
『GAGAGYGYGAGAGAA!!』
詠唱。そう理性が結論を出すより先に、本能で察知して全力で飛び退く。
叩きつけられた左前足が、深々と石の床へと突き刺さった。隕石でも落ちてきたのかという轟音と衝撃波が、体に打ち付けられる。黒と赤で彩られていた床は巨大な亀裂が幾本も入り、絨毯の一部は瞬く間に炭化した。
亀裂の隙間から、炎があふれ出す。噴火の様なそれらを、空中で身を捻って回避。
そして進行方向にある柱を蹴って方向転換し、竜の頭へと飛びかかる。
「■■■■■■ッ!」
1回転し遠心力をのせた斬撃を、右の頭へと叩き込む。強靭な鱗を砕き、その下の肉も骨も引き裂いて、右目を縦に両断した。
しかし、脳にまでは届いていない。鼓膜が破れるのではと思う程の絶叫が、衝撃波となって襲ってくる。
空中でバランスを崩しながら吹き飛ばされた自分に、左前脚が繰り出された。まるで羽虫でも叩き落すかの様な1撃に、どうにか大剣による防御を間に合わせる。
───ミシッ……!
手元から響いた異音の正体を探る間もなく、石床が眼前へと迫っていた。
打ち落とされ、衝突。どうにか受け身をとるも、鎧の中でシェイクされる様だった。
明滅し、グルグルと回る視界。恐らく、バウンドして実際に自分は回転している。それを頭の一部で認識しながら、足が床についた瞬間左手も下へと振り下ろした。
石床を殴りつけ、拳を僅かにめり込ませる事で回転とバウンドを停止。即座に顔を上げれば、残る3つの目玉に怒りの炎を宿した双頭が迫っている。
左横へと転がって回避すれば、奴の顎が床の石材をごっそりと抉り取っていった。
体勢を立て直し、両手で剣を握る。その時、再び手元から違和感を覚えた。
だが、やはりそれを気にする余裕もない。横薙ぎの尾が既に振るわれており、正面から近づいてくるそれに対処しなければならなかった。
逆袈裟の斬撃で軌道をずらし、防御。時間差で迫るもう1本の尾を後ろに跳んで避け、その巨体を反転させて繰り出してきた左前足の打ち下ろしに斬撃を合わせる。
横方向からの刃で、衝撃によりこちらの体を横へ押し出した。足裏と石床で火花を散らしながら、滑る様に着地。
相手はそれで止まらず、即座に身を捻り2つの顎を開けこちらに噛み付きにくる。
1つ目を後ろに跳んで回避すれば、2つ目が間合いの外側まで追いかけてきた。
突撃槍の様な牙に大剣を打ち込んで防ぐ。瞬間、
───バギィ!
「なっ」
破砕音と共に、剣がすっぽ抜けた。インパクトにより後方へ飛んでいき、床に突き刺さる。
無手となった状態で『S』字に後退しながら一瞬だけ視線を大剣へと向けた。
刀身に大きな損傷はない。細かな傷や刃こぼれこそあるが、継戦可能な状態である。
問題は、柄。鋼で出来た柄が砕け、茎が剥き出しとなっていた。
「っ……!」
突然手の中から剣が失せた様な感覚は、アレが原因か。オールダー王国での戦いの損傷が、こんな時に……!
相手への有効な武器を失った自分に、双頭の竜は容赦しない。上体を持ち上げ、後ろ足で立ったかと思えば、大きく右前足を振りかぶる。
これは、先ほどと同じ……!
『GAGAGYGYGAGAGAA!!』
赤熱する爪。それが斜めから打ち下ろす様に繰り出され、咄嗟に柱の陰へと跳躍する。
爆音と共に砕け散る石の床。もはや滑らかな部分を探す方が難しい程に破壊され、瓦礫が四散する。
衝撃波は、そして巻き起こる炎は更に破壊を広げ、盾代わりにした柱までへし折った。
倒れてくるそれを、受け止める。長さは約10メートル。太さは大人が2人か3人でようやく手を回せる程度。
───丁度いい。
「■■■■ッ!」
両手の指を黒い石柱に食い込ませ、まだ床に残る部分の断面を蹴って跳躍。空中で体を回転させる。
重い。腕が千切れそうな感覚を味わいながら、それでも柱を振り回した。
こちらの姿に、驚いた様子で目を見開く双頭の竜。その左側の頭を、思いっきり殴りつける。
鱗が弾け、肉を抉り取った。血飛沫が舞い、竜がバランスを崩す。
まだ止まらない。衝突の勢いを利用し、上へ跳ね上がった石柱を今度は振り下ろした。軌道を修正。外しはしない。
───ズゥン……!
『GA……!?』
左の頭が、柱と床でサンドされる。奴によって破壊されていた事もあって、頭部が隠れるほど床へめり込んだ。
石柱の方も先端が砕け散るも、まだ8メートルはある。着地する寸前でもう1回転。横薙ぎに振り回せば、それは右側の頭に止められた。
大きく開かれた顎が柱に噛み付き、挟んでいる。牙に力が籠められれば、あっさりと砕かれた。
半分ほどの重量になったそれを、右手で保持し肩に担いだ状態で着地。左手も床について体を支え、敵の左側面へと回り込もうとする。
だが、石床を弾け飛ばしながら左の頭が顔を上げた。頭頂部の鱗を全損し、顎も砕けている。両方から大量の血を流しながら、しかしその瞳に戦意は消えていなかった。
『GGYYYYYAAAAA───ッ!!』
「この……常識知らずが……!」
これだけ殴りつけて、まだ動く。物理法則をなんだと思っているのか。
左の頭が頭突きでもする様に振り下ろされ、大きく跳んで回避。もう1つの頭が追撃を───して、こない。
「しまっ」
『GUUOOOOO……ッ!』
炉の温度を引き上げていく様なチャージ音。口腔に膨大な魔力が集められ、それが全て熱へと変換される。
深紅に染まる視界。放たれた熱線に、持っていた石柱を盾代わりに構えた。
衝撃と爆音が轟き、意識が飛ぶ。次に目覚めた時には、灰色の雲が見えていた。
周囲には、チロチロと赤い炎が躍る瓦礫の山。手には拳大になってしまった石柱のなれの果てがある。
それを投げ捨てながらすぐさま飛び起き、戦闘態勢に。眼前には未だ健在の帝城が建っており、そこに出来上がった大穴からのそりのそりと双頭の竜が出てくる所だった。
どうやら、気を失っていたのは数秒ほどらしい。罅とへこみのない箇所が見つからない鎧が、軋みをあげる。
ライフル弾でも貫通しないほど分厚いこれが、随分と隙間風のある有り様になったものだ。兜の下で苦笑するが、状況は最悪である。
腰のショットガンは、恐らく衝撃で壊れた。無事だとしても奴に効くとは思えない。一応短剣あるが、これもまた同じ。
魔剣は行方不明。恐らく瓦礫のどこかに埋まっている。それを探す時間を、はたして眼前の怪物がくれるだろうか。
相手も満身創痍であり、右の後ろ足を僅かに引きずっている。そして、左の頭は筋繊維が剥き出しとなっていた。
ぎょろりと、目玉が動きこちらを見据える。何とも不気味な姿だが、この怪物は時間と食事さえあればこの重傷も回復してしまうのだろう。それが、魔力の流れでわかった。
こちらも魔力を回し肉体の各所を治しているが、やはり万全ではない。
残っているのは、これだけかと。拳を構える。徒手空拳はあまり得意ではないのだが。
苦し紛れではあるが、諦めるわけにはいかない。帝都が焼ければ、内乱の炎は帝国中に広がるだろう。
そうなれば、ストラトス家とて無事では済まない。最悪、滅びる。
転生して、もう15年。第二の故郷となったあの地を、焼かせるわけにはいかない。
「こいよ、化け物」
兜がまだ機能を保つ状態で良かった。この今にも泣きだしそうな顔を、誰にも見られずに済む。
もっとも、正門前の広場でありながら他には誰も───。
次の瞬間、ドラゴンの左の頭。その首に太い鎖が巻き付いた。
「は?」
『GA!?』
互いに相手の事しか見ていなかった自分と竜が、一瞬だけ呆気にとられる。
そして、その隙を見逃す『彼ら』ではない。
「しぃぃぁあああ!」
巻き付いた鎖を足場に疾走する、鎧姿の騎士。その手に持った剣を振りかぶり、剥き出しの眼球へと突き立てる。
切っ先が角膜を突き破り、眼球を抉った。柄頭を掌で押し込んで、切っ先を更に奥へ。
『GGYYAAAAAAA───ッ!!??』
「どぉぉりゃあああああ!」
絶叫し暴れる竜だが、鎖がピンと張って逃がさない。
鎧騎士は剣を体ごと捻って脳まで抉り、剥き出しの筋繊維を蹴りつけて引き抜く。
怪物の目玉を、その先の脳みそまで破壊した勇者は、激昂した双頭の竜が振るった前足で吹き飛ばされた。
木の葉の様に飛んでいった彼は、城壁にぶつかり物言わぬ肉塊へと変わる。手足は歪な方向を向き、鎧の隙間から血が滴り落ちた。
だが、仲間のその最期を見ても。なおも歩み出る武装した者達。
「貴方達は……」
『近衛騎士団・帝都守備隊』
クリス殿下の言葉によって、味方は全員街へと移動したはず。そして、背後の城門は硬く閉ざされたままだ。
ならば、ここにいるのは。
「我らの、フリッツ皇子への『義理』は既に果たされたものと判断します」
フリッツ第四皇子派閥の、近衛騎士達。
「無論、これで減刑されるなど欠片も思っておりませんが」
「最期のご奉公を、させて頂きに来ました」
その数、たった7人。それぞれが剣や槍を手に、竜の前へ立ち塞がる。
「遠目にですが、貴方の戦いを見ていましたぞ。追いかけるのもやっとでしたがな」
兜越しに、しわがれた声が聞こえる。
自分の斜め前に立つ、大盾を持った騎士だ。
「武器をお持ちではないご様子。されど、我らの得物では不足でしょう」
「探してきてください。あの怪物を殺しきれる、武器を」
「それまでの間」
『GGGYYYAAAAAAA───ッ!!』
残された竜の頭が、片割れを失った怒りと悲しみで雄叫びを上げる。
天地を揺るがす様な咆哮は、まるで地獄から響いたものかと錯覚する程だった。
帝城が震え、恐らく帝都中に轟く声に。されど彼らはただ武器を構える。
「我らが、あの化け物を止めてご覧にいれましょう」
凛とした声が、その場を支配する。
圧倒的な強者を前に、兜の下で不敵な笑みを浮かべている事がその声音からもわかった。
帝都守備隊がいかに精鋭とはいえ、相手が満身創痍とは言え。それでも、たった7人で竜に勝てるわけがない。それが、精鋭であるからこそ彼らにもわかっているだろうに。
「……信じます。ご武運を」
彼らの言葉の真偽を、考えている余裕はない。だが少なくとも、あの竜が自分の片割れを殺した者と同じ装いの人間達を許しておくとは思えなかった。
それでも、右側の頭は残った1つの目玉をこちらに向けてくる。よほど警戒されているらしい。
『GRUU……!』
「何処を見ている、化け物!」
鎖が右の頭に伸び、それを竜は回避する。間髪入れずに騎士達が斬り込み、波状攻撃を仕掛けた。
鱗に刃が弾かれ、火花が散る様子を横目に。崩れた城の中へと駆ける。
甲高い金属音と、何かが潰れる音。それを耳にしながら、魔力を探る。
地面に不可視の指先をあて、ゆっくりと開いていく様に。掌がつき、全体が地面にべったりとついた感覚が返ってくる。
ここではない。もっと奥か。
更に数メートル進み、再び魔力を探る。そして、見つけた。
捕捉した位置に駆け寄り、瓦礫を乱暴にどかしていく。土煙が舞う中、どうにか目当ての物を探し出した。
柄が砕け散り、茎が剥き出しとなっている。しかし、瓦礫の下敷きになっていたというのに刀身は無事な様だ。
呆れた頑丈さである。父上はいったい、職人に幾ら積んだのか。
驚きと感謝を抱きながら茎を掴みあげる。そして、左手で剣帯を解いた。
もはや銃も、短剣もいらない。剣帯で右手の握り拳を巻き、歪んだ鍔にも引っ掛けて茎が滑るのを少しでも防ぐ様処置をする。
しかし、両手で握るだけの長さがない。空いた左手を一瞥した時、視界に『丁度いい物』が映った。
それに指先を食い込ませ、駆け出す。
ゴリゴリ、ガリガリと音をさせながら城の外へと向かえば。
予想した通りの光景が、広がっていた。
『GGGYYYAAAAAAA───ッ!』
広場には、怪物1体のみが立っていた。交戦していた帝都守備隊は、全員が倒れ伏している。否、そう表現する事も憚られる様な、凄惨な姿の者もいた。
元々潰れていた右目に槍が突き刺さった状態で、ドラゴンは勝利の雄叫びを上げる。
そして、ゆっくりとこちらを向いた。
瞬間、気づく。奴の足元に、まだ息のある近衛がいる事に。
左腕は、持っていた大盾ごと潰された様だ。兜が裂け頭から大量の血を流している。
「お待たせしました」
彼らが、何故フリッツ皇子に加担したのか。それを自分は知らない。敵だった者の事情など、知らない方が良いとさえ思っている。
しかし、借りは借りだ。この右手の大剣と、そして左手の石柱を持ってくるまでの時間。奴が城壁をよじ登って、帝都へと足を踏み入れるのを防いでくれたのだから。
それが彼らの職務だったとしても……命を懸けた戦士達に、なにも思わぬはずがない。
「後は、任せてください」
故に、その礼は。
「この化け物は、クロノ・フォン・ストラトスが殺します」
竜退治でもって、返すとしよう。
『GGRRRUUUU……!』
竜はこちらを睨みつけ、唸り声をあげる。
双方とも、大きく息を吸い込んで。
『GGGYYYYAAA───ッ!』
『■■■■■■■■■■───ッ!』
第2ラウンドのゴングを、帝都に轟かせた。
読んでいただきありがとうございます。
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