第三十四話 接敵
第三十四話 接敵
石造りの城を、鎧を着たまま疾走する。
前世の自分が聞けば、ゲームかアニメの話だと思うだろう。だが、今はこれが現実だった。
鎧からガシャガシャと金属のぶつかる音が鳴り、足音が通路に反響する。兜を被った状態でお世辞にも五感をフルに使える状態とは言えないが、自身の感覚を限界まで研ぎ澄ました。
標的の容姿に関する情報は、ジェラルド卿の『シスター服の女』というもののみ。いや、彼は『色っぽい』とも『武器を隠し持っている』とも言っていたか。
何にせよ、そんなもの相手が着替えてしまえば判別のしようがない。城で働いている人間の顔も名前も知らない自分では、モルステッドの間諜がメイド服にでも着替えたら他の使用人達と見分けがつかないのだから。
帝城で働いているのは、誰も彼もが地方貴族や法衣貴族の子供である。継承権のない者の働き先として、有力貴族の家で使用人になるというのがメジャーであった。
そして貴族の出である以上は魔力が多少あってもおかしな事はなく、間諜が紛れ込む先としては打ってつけである。
これを見破るのは、この城に普段から出入りしている者でなければ不可能だ。
しかし、決して無策で探しに来たわけではない。
微かな人の声を聞きつけ、近くの部屋を蹴破って侵入する。
「ひぃ!?」
「ま、待て!私達は非戦闘員だ!降伏する!」
中にいたのは使用人が5人。全員目立った武装はしておらず、せいぜい前に立っている男3人が椅子や燭台を持っている程度。
突然現れた全身鎧で返り血まみれの男……しかも今生の自分は父上譲りのがたいもあって、大柄である。
彼らの顔は真っ青であり、目には涙さえ浮かんでいた。
「落ち着いてください。自分はクリス殿下の使いのものです。フリッツ皇子派以外に敵意はありません」
剣の切っ先を下に向けながら、彼らに問いかける。
「現在、フリッツ皇子の傍にいたシスター服の女を捜索中です。目撃情報がございましたら、お教えください」
「え、えっと……」
こちらに敵意がないと信じてくれたのか、あるいは信じたいと思ったのか。彼らは互いに視線を向けた。
そして、1人のメイドがおずおずと前へ出てくる。
「あ、あの。あの人なら、下の階に走っていくのを見ました……」
「なるほど。ついでに、髪の色や瞳の色はわかりますか?」
「え、栗色の髪で、エメラルド色の瞳を……」
「なるほど。ありがとうございます。あなた方はこのまま、騒ぎが治まるまでジッとしていてください。あと、フリッツ皇子は亡くなりました」
「はい。……え?」
「では」
突然の訃報に目を丸くした使用人達を放置し、再び通路を疾走する。
念のため別の部屋でも聞き取りをし、目撃情報こそなかったが茶髪に緑の瞳というのは一致する事を確認。下の階へと向かう。
時速100キロは出る足だ。モルステッドの間諜が、自分達が城に突入した段階で脱出を開始したとしても、追い付く自信がある。
使用人達に尋ねながらでも、間に合うはずだ。
何より、彼らは自分にとても協力的である。最初はこの姿に恐れを抱くが、そこは軍事国家クロステルマンの帝城で働く者達。血生臭い格好の人間には、慣れている。
そして、フリッツ皇子は……いいや。モルステッド王国の者達は、使用人達からとても嫌われていた。
当たり前である。敵国の兵士達な上に、城を占領地の様に扱っていたのだ。街から娼婦達を呼んで、『何らかの工作』をやり易くしたかったのかもしれないが、その為に使用人達への無礼な振る舞いをし過ぎたのである。
彼らは貴族の出。そこらの平民出の敵国兵士から下人扱いされて、内心穏やかなはずがない。
まあ、つまり。
「失礼」
「は、はい!なんでしょう!?」
こうして、メイド服を着た栗色の髪にエメラルド色の瞳をした美女の進路を塞ぐ様に、自分が立ち塞がったのは必然であった。
場所は1階の、中央付近。想定よりもギリギリの追跡だった様だ。
一見すれば、他のメイド達と見分けがつかない。魔力も多少あるが、騎士として戦場に出られる程ではないだろう。
だが、指。指だけは、誤魔化しがきかない。その戦う者の指は、随分と見慣れたものだった。
剣ダコの類は見えないが、指の形そのものが変わっている。恐らく、柔術の類。護身術の域を超えた鍛え方をしなければ、そうはならない。
問題は、『趣味で鍛えている』という場合もありえる事か。クロステルマン帝国の貴族子女なら、有り得ない話ではない。
「貴女は何故、城から出ようとしているのですか?」
「そ、それは、突然戦闘が起きて、怖くって……」
「なるほど。現在、モルステッド王国の間諜を捜索中です。ご協力願いたい。具体的には、所持品を検めさせて頂きたいのです。女性の近衛騎士がいますので、そちらまでご同行を」
じりじりと近づきながら、そう声をかける。
「し、信用できません!どうせ人気のない部屋で、乱暴する気でしょう!?わた、私は侯爵の娘ですよ!実家に帰るんです!そこを通してください!」
これが演技だとしたら、たいしたものだ。思わず信じそうになる。
自分の眼力では、指と目撃情報の一致以外で彼女が黒である要素が見つからない。
なので。
「わかりました」
「で、では───」
「これで、尋ねます」
「は?」
剣を振りかぶり、突進する。
無論、加減はした。寸止めするつもりで振るう斬撃など、達人であれば『はったり』と見抜けるかもしれない。
だが、騎士に届かぬ動体視力では見切れない速度で行ったのなら。
「っ!!」
こうして、望んだリアクションを引き出す事ができる。
剣を中途半端な位置で止めた自分と、大きく飛び退きながら、防御のためかナイフを顔の前で構えた彼女。
はたして……趣味で体術を鍛える貴族子女が、隠しナイフまで持ち歩くか。
「抜きましたね?」
「こっっの……野蛮人が!」
今度は止まらない。足を片方切り落とし、殿下の所へ連れて行く。
一息に踏み込み、刃を振り上げた。こちらの動きを予測し、ナイフを投擲するシスター服の女……改め、メイド服の女。
迫るナイフに構わず、間合いを詰めようとする。瞬間、彼女の右足が動いた。
ナイフを兜で弾いた自分に、勢いよく振り上げられた足。だが、明らかに蹴りの間合いではない。
その疑問は、一瞬で氷解する。
ぶわり、と。黒いストッキングかと思っていたものが、解けた。ムチの様にしなり、蹴りの延長としてこちらに迫る。
「!?」
未知の武器に対し、咄嗟に振るおうとしていた剣を引き戻し迎撃した。甲高い音と共に、黒い帯状の何かを打ち砕く。
これは……ウルミの、改造品?黒く炭で塗り、刃か否かもわかりづらくしている。
だが、あまりに脆い。恐らく本来のウルミとは比べ物にならない程に、薄くし過ぎたが故だろう。何にせよ、使い勝手の悪さもあって奇襲用というより『奇をてらう為だけの物』だ。武器と呼ぶのも迷う程である。
そして───そういう意味でなら、間違いなくこれは効果を発揮した。
ウルミ擬きを打ち砕き、返す刀で相手の右足を切断する。その動作の中で、はたしてどのタイミングで彼女は『笛』を咥えていたのか。自分には気づけなかった。
音色は聞こえないが、振動は察知する。恐らく、人が聞き取れない範囲の音域。
ぞわりと、悪寒が走る。背中に氷でも入れられた様な感覚が襲い、同時に全力で後ろに飛び退いた。
転生し、前世とはかけ離れた超人的な動体視力が、一瞬だけ石畳の床が盛り上がるのを目撃する。
刹那、それが弾け飛んだ。人の頭程もある石くれが飛び散り、どうにか迎撃する。大剣で飛来物を切り払い、土煙の上がる先へと構えた。
「ごほっ……!ぺっ!……お見事です、名も知らぬ御仁」
土煙の向こうから、例の女の声がする。
「これを、一個人に差し向ける事になるとは思いませんでした。そして」
パキン、と。何かが砕ける音。
そして。
「笛は壊しました。もう私にも制御はできません」
『GGGYYYAAAAAAAAA───ッッ!!』
怪物の咆哮が、帝城に轟いた。
地震でも起きた様に揺れる城。吹き飛ばされた土煙の先から、焦げ茶色の足が出てくる。
それは、鱗に覆われた丸太の様に太い足だった。更に、それに見合った巨大な肩が現れる。
同色の鱗に覆われた胴体は、それだけで馬車ほどの大きさがあった。強靭な四肢の先端には刃の様に鋭い爪が生え、巨体の向こう側には2本の長い尾が揺れている。
そして、こちらを見下ろす2対の瞳。2つの頭が、鉄臭い息を吐いていた。
この、前世の普通車なら通れてしまいそうな広い通路でなお息苦しい狭さの巨体。怪物以外で眼前の存在を表せる言葉は、1つだけだった。
ドラゴン。双頭の竜が、立ち塞がっている。
その全容を視界に捉えた直後、右前足がブレた。視覚では追いきれない。1度死んで身についた、第六感とでも呼ぶべきもので剣を間に合わせる。
刀身とドラゴンの爪が衝突し、激しい火花と衝撃波が通路を埋め尽くした。
まるで大型トラックにでも轢かれたかの様な重さに、踏ん張りが効かない。柄から異音を感じながら、衝撃に逆らわず後ろへ跳ぶ。
通路の先、丁字路にまで吹き飛ばされ背中から壁に衝突した。石材が飛び散るが、気にしている余裕はない。
前足を振るった直後に突進してきたドラゴンを、横に避ける。信じられない速度で突っ込んできた巨体に、石造りの壁は容易く粉砕された。
何枚の壁を打ち砕いたのか、わからない。数瞬視界から奴の姿が消えた内に、剣を構え直しながら顔だけ例の女がいた位置に向ける。
いない。片足を切り落とされ、まだ動くか。しかし、血の痕が通路には残っている。
追跡は、できない。突如背後の壁が砕け散り、土煙を引き裂いて人の胴よりも太い尾が振るわれたのだから。
瞬時に体の向きを変え、大剣を斜めにして受ける。上方向に軌道を逸らしたが、それでなお規格外の衝撃。再び背後へと吹き飛ばされ、どうにか両足で床を踏みつけ転倒は免れた。
「ふぅぅぅ……!」
嫌な違和感を覚える大剣を握り直し、ドラゴンと睨み合う。
シスター服の女……いや、メイド服の女は、シルベスタ卿達に任せるしかない。上の階を捜索していた彼女らだが、すぐに調べ終えて下に向かったはずだ。
そして、道中の使用人達から自分が下へ向かった事を聞いただろう。虱潰しに聞いて回ったので、どのルートを通っても証言が得られるに違いない。
であれば、片足を失ったメイドなどという目立つ存在、彼女らが見逃すはずがない。治療にと近づけば、シルベスタ卿かアリシアさんが指の違和感に気づく。殿下も一緒にいれば、顔を見ただけでわかるはずだ。
故に、自分がすべきはこの化け物の被害を食い止める事である。
───地下から現れた竜と、一騎討ち。
前世の自分に言えば、城の中を鎧姿で走る以上に創作の話かと思うに違いない。
だが、壁に叩きつけられて背中から発せられる痛みも。猛烈な血の臭いも。双頭のドラゴンから発せられる魔力の奔流も。その全てが、これが現実だと訴えている。
正直、転生してなお竜という存在がおとぎ話の存在ではないかと疑っていた。今生においても、直に見たのはこれが初である。
出来れば、別の出会い方をしたかったがな。
ドラゴンの2つの口が、同時に開く。ずらりと並んだ牙は突撃槍を彷彿とさせ、頭は天井に擦れていた。
血走った瞳が、自分を真っすぐに捉える。まるで、己の巣に踏み入った敵対者でも見る様な目であった。
たった1人に対して、随分と警戒心を抱くものである。意外と小心者のドラゴンらしい。
なんにせよ好都合。こいつを街に逃がすわけにはいかない。
ドラゴンの巨体が息を吸い込み、同時に自分も空気を大量に取り込んで。
『GGGYYYYAAAAAA───ッッ!!』
『■■■■■■■■■■■■■■■───ッッ!!』
互いに雄叫びを上げ、『外敵』へと襲い掛かった。
読んでいただきありがとうございます。
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