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第二十七話 クリス・フォン・クロステルマンは皇太子である

第二十七話 クリス・フォン・クロステルマンは皇太子である




 途中、姉上の心に深い傷を刻みながらも、殿下達と領内を回っていく。


 アレは何か、コレはどういう物だと、彼女はまるで遊園地に来た子供の様に楽しんでいた。その無邪気な姿に、思わずこちらまで笑みが浮かぶ。


 そうして、空が茜色に染まり出す頃。自分達は領都のはずれにある小さな丘へとやってきた。


「ここはどういう事をする場所なんだ?あそこにある、大きな籠が関係しているのか?」


 興味津々といった様子で、クリス殿下が視線を向ける先。


 そこには、数人が乗れるサイズの籠と、それに繋がった巨大な布の袋がある。


「はい。すぐに準備は済みますので、少々お待ちください」


 馬車から降り、籠の近くに立つ騎士へと話しかける。


「準備は?」


「出来ております。後は火を入れるだけです」


「ありがとうございます。では、僕が搭乗しますので貴方は地上で補佐を」


「はっ」


 籠と繋がる袋へと近づき、一部を捲り上げて内部へと右手を突っ込んだ。


 詠唱を行い掌に火の玉を出現させると、次いで勢いよく熱風を放出する。


 どんどん膨らみ、上を向く玉ねぎをひっくり返した様な形の袋。それを見て、殿下が感嘆の声をあげた。


「おお!?これはなんだ、クロノ殿!いや、待て!貴殿の手から出ているその炎……そうか!温かい空気は、上に向かう!それを利用しているのか!?ではまさか、これは!」


 本当に、聡いお方だ。


「ええ。お察しの通り、これは『空を飛ぶ乗り物』です。気球と、我が領では呼んでいます」


「す、素晴らしい!これを考えついた者は、間違いなく天才だ!」


 両手を広げて驚きと感激を表現するクリス殿下と、その隣で口をあんぐりと開けながら固まるアリシアさん。


 対照的なリアクションをする2人に、つい噴き出しそうになる。


「では、殿下。どうぞお乗りください」


「良いのか!?では早速」


「ままままままま、おま、おまちくだ、お待ちくださいっす殿下ぁ!?」


 ぶんぶんと首を横に振りながら、アリシアさんが殿下の肩をガッチリ掴む。


「人はぁ!人は空を飛ぶ生き物ではないっす!やめましょう!死んじゃうっす!というかアレなんで!?なに!?」


「落ち着けアリシア!気球とは恐らく、温かい空気が上に向かう現象を利用しているのだ。ほら、水を沸かすと蒸気が上に行くだろう?アレの……待てよ?もしかして、トラックやバスは……こうしてはいられない!乗ろう!早速!」


「殿下ぁ!?」


 こちらをキラキラとした目で見つめ、アリシアさんを引きずりながら籠に乗り込んでくるクリス殿下。


 純粋なフィジカルは、殿下の方が上らしい。組み伏せようと思えばアリシアさんの技量なら出来るだろうが、護衛対象を投げ飛ばして良いのか迷ってしまった様だ。


 これが敵襲でも受けているのなら迷わず馬車の中へ放り込むのだろうが、推定味方が出した未知の物体を前に、彼女は冷静な判断力を失っているらしい。


「では、高度を上げていきます」


「よろしく頼む!」


「あ、あわ、わわわ……!」


 掌からの熱風の出力を上げ、籠の傍に控えていた騎士が重しを外す。


 すると、気球はふわりと空へ浮き上がった。


 どんどん高度を上げていき、約30メートルの高さに到達。底の部分から伸びるロープで地面と繋がっているので、これ以上は上がらない。


「……本当に、ストラトス領には驚かされっぱなしだ」


 クリス殿下が、気絶したアリシアさんをよそに周囲を見回す。



「なんて……綺麗なんだ」



 西へと沈んでいく太陽。赤と青で分かれた空。左を見れば山々が並ぶ雄大な景色が、右を見れば人々が忙しなく暮らす領都が一望できる。


 屋敷よりも高い場所だが、それでも噂に聞く帝城と比べればまだ低い。


 それでも、彼女の瞳はこれまで以上に輝いていた。


「……なあ、クロノ殿」


「何でしょうか、殿下」


「……貴殿は、ボクの事が嫌いではないのか?」


 予想外の質問に、思わず眉を寄せる。


「いえ。むしろ素晴らしいお方だと思っていますが……」


「ボクはよく、質問をするだろう?昔から、わからない事があったら周囲の人間に何でも聞いた。城のメイドや執事、近衛騎士や父上が呼んだ教師達」


 彼女は、ストラトスの領都を見つめながら呟く様に続ける。


「それで、怖がられるか、怒られた。『無駄な質問をして、周囲を困らせるな』って。家庭教師達にはたくさん叱られた」


「……家庭教師達はともかく、メイド達からしたらそりゃあ怖がられるし、苦情もくるかと」


 皇太子殿下からの質問に答えられないとか、下手したら打ち首である。


 かといって気安く何でもかんでも喋ったら、それはそれで処分されるかもしれない。


 自分の言葉に、殿下はクスリと笑った。


「そうだな。今思うと、悪い事をした。叱られるだけの理由があった。しかし……クロノ殿は、答えてくれる。困った顔はしても、嫌な顔1つせずに」


「……買いかぶり過ぎです。僕にだって答えられない事は沢山ありますし、聞かれたくない事もある。何より、御身とこの身では頭の出来が違い過ぎますから。きっと、あっという間に僕が殿下に教えられる事などなくなってしまいます」


「だとしても」


 景色を見ていたクリス殿下が、こちらを向いた。


「嬉しかった。凄く。そして、色んな事を知る事が出来た。ストラトス領における奴隷の扱いと買戻し。保険や、銀行。そして工場や就業時間の規定。病院と、学校。色んな、色んな凄い事が、ここには沢山ある」


 夕焼けに照らされた彼女の顔は、眼下に広がる景色よりも。



「貴殿は……君は、ボクにこれを帝国全土に広げたいと、そう思わせたかったのだろう?」



 ずっと、綺麗だった。


「……お気づき、でしたか」


「ボクは駆け引きとか、読み合いとかは苦手だけれど。それでも、これぐらいはわかる。ストラトス家の現状も、何となくは察しがついているからな」


「……申し訳ありません。殿下を案内すると言いながら、実際は───」


「謝らないでくれ。ボクはむしろ、嬉しかったんだ」


 クリス殿下が、こちらに近づいてくる。


「君に、求められている事がある。ボクに出来ない事が沢山出来る君に、出来ない事が、ボクには出来る。それが、たまらなく嬉しかったんだ」


 彼女の背は普通の女性と変わらないのもあって、金色の頭は自分の顎辺りにある。


「勿論、これだけが理由じゃない。この国を残すには、民や家臣を守るには、こうするしかないって思うから。ただ、勇気が持てないでいた。けれど」


 故に、宝石の様に美しい瞳は、上目遣いにこちらを見つめてきて。


「この浅ましい感情に、背中を押してもらえた。だから、ありがとう」


 見惚れてしまったのは、きっと無理からぬ事だった。


 澄んだ海の様に碧い瞳に見つめられて、言葉が出てこない。口の中を空気が行き来するだけが、数秒続いて。ようやく、喋る事が出来た。


「……よろしいのですか?その手を、血に染める事になりますよ?」


「とっくに汚れているさ。あの撤退戦で、君達に戦えと言ったのはボクだ」


「腹違いとは言え、兄君や姉君を討つ事になるかもしれません」


「よく……は、ないけれど。それでも、やらなきゃって、思うから。殺さずに済むのなら、それが1番だけれど」


「……きっと、死んだら地獄行きですよ。この道は」


「それも、ちょっと嫌かな。でも、大丈夫」


 気球を維持する為に掲げている右手ではない方。左手を、彼女が握ってくる。


 それは、柔らかい少女の華奢な手だった。


「だって、その時は君も一緒に堕ちてくれるのだろう?()()()


「───……そうですね。そうかも、しれません」


 喉元まで出かかった言葉を、飲み込んだ。


 この方は、とんでもない『たらし』である。元々そう思っていたが、今改めて確信した。


 クリス殿下がもしも女性ではなく男性に生まれていたら、ご婦人方の涙で海が出来ていたに違いない。


「ともに、天下を獲ろう。帝国の乱を治め、他国の侵略を防ぐにはそれしかない。これまで散々、よその国に刃を向けてきた帝国ではあるけれど……」


「その辺りは、ご安心を。他国に剣を振り下ろしてきたのは、どこの国も同じですから」


「安心できる事じゃ、ないんだけどなー」


 クリス殿下と苦笑しあって、同時に視線を夕日へと向けた。



「覚悟は、出来ていますか?」


「ああ。君のおかげで、今日出来た」



 きっと、この会話は後世に残らないだろう。学校の教科書には、自分達が今後勝つにしろ負けるにしろ、載る事はない。たとえ、この大陸の歴史に大きく関わる決断だったとしても。


 そんな重要な事が、たった2人の記憶にしか残らない。それが妙に、むず痒かった。


「でんかー……とべませぇぇん……」


 ……アリシアさんが足元で気絶しているので、正確には3人だけど。まあ聞こえていないだろうし、2人とカウントして良いだろう。


 白目を剥いている親衛隊副隊長に、再び殿下と苦笑した後。


 彼女の目を閉じさせてから、ゆっくりと高度を落とすのであった。



*    *     *



「しぃ……!」


 ───シャッ!シャッ!


 帰ってきたら、庭にラーメン屋があった。


 むわりと広がる豚骨の香り。黒いシャツを着て頭に白いタオルを巻いたグリンダ。そして、勢いよく湯切りされる麺。


 ……わー。湯切りに合わせてオッパイがバルンバルンだー。


「クロノ殿!目が遠いぞ、クロノ殿!気をしっかりもつんだ!」


「くっっさ……!なんなんすか、この臭い!何かの、骨!?」


「しっ。どうかお静かに」


 わざわざ持ってきたのか。木製の机と椅子が設置されており、そこにシルベスタ卿がいた。


 銀色の長い髪を後ろで結った彼女は、真剣な面持ちでこちらに視線を向ける。


「これは、儀式です」


「儀式?」


「はい。ラーメンをより美味しくする為の、神聖な儀式です……!」


「なにいってんだこいつ」


「クロノ殿!口調!口調!」


「へいお待ち!!」


 いつの間にか湯切りが終わった様で、どんぶりに麺とスープが容れられ、上にはワカメとチャーシューがトッピングされていた。


 それを前にして、シルベスタ卿が『箸』を手に祈りを捧げた後。


 ───ずるるるるっ!


「ほぁあああああ!?殿下!隊長が、隊長が人前でものをすすって!?」


「何をやっているんだリゼ!そこまで頭がダメになっちゃったのか!?」


 おい。この殿下さらっと自分の親衛隊隊長の頭をダメ呼ばわりしたぞ。


 気持ちはわかるけども。


「落ち着いてください。これが、本来ラーメンを食べる時の作法なのです」


 キリっとした顔をするシルベスタ卿。視線をグリンダに向けると、逆に睨み返された。


『君の差し金だよね、クロノ』


『ちょっと何の事かわかんないですね」


 視線でそうやり取りし、目を逸らす。思わずグリンダがラーメンの開発者だとシルベスタ卿に言ってしまった気がするが、証拠はないので無罪を主張したい。


 ほら、疑わしきは罰せずって言うから。


「これもクロノ殿が、グリンダ嬢の事を教えてくれたからです。感謝してもしきれません」


 ……無罪を主張したい!!


 ちょっと爆乳同郷メイドから人を殺しそうな目で見られているが、気のせいだ。前世オッサンな彼女も、美人な巨乳女騎士とお話出来て嬉しかった……はず!


「だとしても!すするのはダメだろう、すするのは!」


「それがですね、殿下。フォークで巻くのと、この箸という物ですするのでは、麺に絡みつくスープに違いが」


「隊長が、隊長が壊れちゃったっす……封印すべきじゃないっすかね。この謎の食べ物。あんま美味しくないですし」


「今なんと言った?アリシア・フォン・シュヴァルツ卿。貴様今、ラーメンを封印すべきと言ったか?味については好みの問題だが……それだけは聞き捨てならん」


「……何度でも、言ってやるっす!親衛隊副隊長として、隊長のこれ以上の醜態は看過できないっす!ラーメンは、この世から消え去るべきなんす!」


「貴様ぁああああ!!」


「うおおおおおお!!」


「やめないか、2人とも!ラーメンは人を傷つけるものじゃない!食べ物だ!というかよそ様のお宅で暴れるんじゃありませんッ!!」


 大変だな、皇太子って。


 この後、シルベスタ卿とアリシアさんが他の親衛隊に取り押さえられ、殿下からお説教されたのは言うまでもない。


 ……まあ、うん。


 こんな時代に、こんな風に過ごせるのは───きっと後、僅かだろうから。


 笑い合える間は、きっとこの方が良い。


 様子を見に来たアレックス達に説明やら何やらしながら、気づけば自分も笑っていた。






読んでいただきありがとうございます。

感想、評価、ブックマーク。励みになっております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。


『コミュ障高校生、ダンジョンに行く』の『外伝5』も投稿しましたので、見て頂ければ幸いです。


Q.さらっと流されたけど、ストラトス領って銀行まであるの?

A.名目上はそうですが、利子も投資もないので『ストラトス家が守っている貯金箱』みたいなものです。

 その設立理由は、そのうち本編で出す……かも?



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― 新着の感想 ―
あかいあかいそらのまにまに このたからものをわかちあえるなら ともにじごくへゆくるとも ビジュアル良すぎんか。。。 タラシー とんこつー() へいおまちー() 大好きな光景(描写) はーしあわせ
気球で空飛ぶとこまでいってるのかーちなみに空飛ぶ魔物って結構多いのかな?魔法もあるし気球で世界一周したいなー
醤油と味噌は年月かかるけどソースなら割とイケそうなので、焼きそばとか焼きうどんはどうですかね? 鉄板の前でグリンダさんがちゃっちゃかちゃっちゃか焼くんですよ。豚骨ラーメンより忌避感なさそう!
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