第二十六話 お労しや
第二十六話 お労しや
「クロノ殿、アレはもしや、ハーフトラックの仲間か?」
馬車で走り出してすぐ、クリス殿下が少し離れた位置を進む車を指さした。
「アレはトラックではなく、バスですね。予定された時刻につくよう、病院前や港等の施設を回っています」
バスと言っても、21世紀の日本で使われていたものでは当然ない。
パッと見、小さな蒸気機関車が屋根付きの荷車を牽引している様な姿だ。我が領では、騎士の庶子や次男三男が運転手兼火夫をやっている。
ただ、魔法だけではきついので薪や水を各バス停で補給するが。特に水の方は、復水器有りでも騎士家の庶子では長時間の運行は無理である。
逆を言えば、整備した道でなおかつ補給所が用意できるのなら、少ない魔力でもこうして使えるという事だ。
「バス……10人以上の人間を、ああして運べるのか。歩くより速く、それに迷子の心配もないから、親子連れも……そう言えば、有料なのか?」
「はい。アレも騎士家の収入源ですので。ただ、人を複数乗せる分1人当たりの料金は比較的少なめですよ。まあ、それでも乗合馬車よりは高いですが」
「なるほど。だが、乗っている者達の服装から富裕層しか乗れないという風でもない。良心的な価格設定なのだろう。人の流れがああして出来るという事は、経済の流れも出来るという事だな。いや、あるいは行先を決める者の判断で経済の流れ自体も……?」
「あのー、あーしも質問いいっすか?」
「はい。なんでしょうか、アリシアさん」
ブツブツと呟きながら思考するクリス殿下を横目に、アリシアさんが首を傾げる。
「さっき病院って言ったすっけど、もしかして平民用っすか?教会でも薬師でもなく?」
彼女の疑問はもっともである。この世界、平民が怪我や病気をした際に掛かるのは今言った2つだ。
貴族の場合は専属の医者……治癒魔法の使い手を呼んだり、教会の魔法使いの所へ運び込む。一般的に『病院』と言ったら、治癒魔法使いの働く施設の事だ。
「はい。ただし、魔法使いが常駐しているわけではありません。各村にいる薬師や領内の神父さん達から様々な記録や薬草のレシピ、そして人員を出していただき、それぞれの地域に再配置しました」
「おぉう。そんなの、よく薬師達や教会が頷いたっすね」
「父上と自分が、誠心誠意『説得』しましたので」
笑顔と共に、銀貨の入った袋と剣を交互に見せれば皆快く頷いてくれたものである。
いやぁ、反対する人がいなくて良かった。貴重な知識持ちが『事故死』や『病死』だなんて、勿体ないので。
「あ、はい。説得っすね」
アリシアさんが渇いた笑みを浮かべる。
まあ、野蛮な事をした自覚はあるが、この世界の貴族基準だとだいぶ穏便な方なはずだ。父上曰く、普通の貴族はこういった事に関して命令するだけで報酬を出さないらしい。
まあ、これもストラトス家が儲けているからこそ、出せるのだが。
「待ってくれ、クロノ殿。再配置と言ったが、どの様な基準で場所を決めたのだ?」
バスの利点と欠点に関して考察していた殿下が、顔をあげる。
「最低でも3つの村から向かえる位置ですね。勿論領内におけるバスの巡回ルートに入っています。また、緊急時に備え病院にも馬車を用意してあります」
「なるほど。領内で馬の代わりにトラックやバスが使われる様になった分、そう言った場所で足にしているのか」
「はい。普通の領地なら馬を平民用の施設に配備する余裕はありませんが、うちなら可能です」
「いやいやいや!コストはどうなっているっすか!?馬の飼育代ってかなり高いっすよ!?」
アリシアさんが手をブンブンと振って、話に入ってくる。
「病院にいる薬師やその弟子達、及び施設の維持や馬の管理に関しては、治療の報酬とストラトス家に納められる税金の一部を使って賄っています」
「そ、それ、治療費高すぎて平民使えなくないっすか?」
「確かに治療費は比較的高額ですが、そこは『保険』がありますので」
「保険?それって、あの積み荷とかにかける?」
「はい」
この世界にも、保険会社は存在する。ただし、主に人ではなく物に対しての、だが。
ついでに奴隷達も物に含まれるので、奴隷商達も利用している。
「今いる領都の様な街では数軒の家々で纏めて。村では村単位でそれぞれ住民がお金を出し合い、積み立てているのです」
「ふむ。保険ではないが、川の氾濫や流行り病に備え、そういった貯金をしている村の話は聞いた事があるな。つまり、それを公に管理しようと?」
「そうなりますね。これによりどの村や街に、どれぐらい支援が必要かを把握する事ができます」
ちなみに、横領とかした奴の所には自分か父上、あるいは騎士数人が笑顔で訪問する。
「……素晴らしい仕組みだが、人手は足りているのか?騎士家だけじゃなく商人からも人を出させるとしても……」
「ええ。現在は辛うじて回せていますが、人口の増加もあって手が回らなくなるでしょう。その為の施設が、これから行く所です」
ニッコリと笑顔でそう答える。
元々行く予定ではあったが、姉上への義理も果たさねば。
……しかし、どうしたものか。
クリス殿下の性別については、ストラトス家どころか帝国全土の未来に関わるトップシークレット。いかに姉上とは言え、軽々に話す事はできない。
ちょっとだけ、胃がキリキリいった気がした。
* * *
「この建物は……?」
目をキラキラさせながら工場や商店街について質問してくる殿下に答えながら移動し、辿り着いた先。
そこには、元日本人からすると『レトロ』な。そしてこの世界の人間からすると未知の施設が建っていた。
3階建ての木造で、中央に尖塔がある。できればその尖塔は時計塔にしたかったのだが、諸々の事情で鐘が吊るしてあった。
ちょうど、正午を告げる鐘が鳴る。
途端に、建物全体から子供達の騒がしい声が聞こえる様になった。
「ここは、学校と言います。領内の子供達を集め、読み書き計算等の教育をしているのです」
「なるほど。普通は家庭教師か親から教わるのを、こうして一ヵ所で行う事で教育水準を揃えるのだな?家ごとに、教えられる事に差はあるからな……」
うんうんと頷く殿下だが、すぐに首を傾げた。
「しかし、これではそれほど人手の解消には繋がらなくないか?別に、騎士達の子供が増えたわけではないのだし……」
「それはですね」
「それについては、私からご説明しましょう」
馬車から降りた自分達を、姉上が出迎えてくれた。
フリルのついた白いシャツに、黒のロングスカート。長い金髪は夜会巻きにし、口元には珍しく微笑が浮かんでいる。
「ようこそいらっしゃいました、クリス殿下。シュヴァルツ準男爵」
「フラウ殿。どうして貴女がここに?」
「それは、父上よりここの管理者……校長を任せられたからです」
視力は問題ないはずなのに、何故か掛けている眼鏡を『くい』とさせる姉上。
彼女の言葉に、感心した様子でクリス殿下が頷く。
「その若さでこの規模の施設を任せられるとは。優秀な方なのだな」
「勿体なきお言葉……実を言うと、父上は学校の設立には反対していたのです」
「反対?何故?」
「それは、ここが『主に平民の子供を学ばせる場所』だからです」
「なん……だと……?」
「ちょぉおおお!?」
クリス殿下の斜め後ろに控えていたアリシアさんが、奇声をあげる。
「それ、ヤバくないっすか!?いや、具体的に何がどうヤバいのかわかんないっすけど、とにかくヤバくないっすか!?」
「どうしたんだ、アリシア。素晴らしい事じゃないか。平民でも読み書き計算が出来れば、将来の道が広がる。農家になるにせよ、商人になるにせよ、文字は読めた方が便利だぞ!」
「そ、そうなんすけど、何か、こう……なんっすかね?」
首を傾げながら、アリシアさんがこちらに視線を向けてくる。
「父上は、『魔法が解ける』と評していました」
「魔法が解ける?」
その表現に対し、クリス殿下も再び首を傾げた。
「どういう事だ?普通の魔法ではない……秘伝の魔法か?」
「いいえ、これは比喩です。父上は、『平民が読み書き計算できる様になれば、統治に問題が出始める』と言っていました」
文字とは、物理的に、あるいは時間的に、遠く離れた他者にも意思を伝える手段となる。
非情に便利なツールではあるが、それ故に貴族からしたら恐ろしい武器でもあるのだ。
「貴族のおかしたミスを理解出来てしまう様になりますし、平民同士で思想を共有し反乱を企てるかもしれない。何なら、反乱の際により思想が広がり燃え上がるかもしれない。歴史や他者の考えを知るのは、貴族の特権であるはずなのに、それが覆されてしまう」
「そう、それっす!やばくないっすか!?」
「……それは、そうかもしれないが……」
ビシリと指をこちらに向けてくるアリシアさんに、殿下は唇を尖らせる。
「それでも、きっと素晴らしい事だ。貴族と平民に、本来知能の差などない。あるのは環境の差だ。学べる場所。そして学んだ事を活かせる場所があれば、魔法以外で両者に差などない。国の繁栄に、大きく寄与するはずだ」
「その国が亡んじゃう切っ掛けになるかもじゃないっすかぁ!?」
「父上もこの施設のメリットデメリットを考え、慎重に運営していく為に、信頼している姉上に預けたのです」
現在、我が領に学校はこの1校のみだ。9歳から12歳までの初等部と、12歳から15歳までの高等部がある。生徒数は、初等部の方がかなり多い。
今はまだ学費をとっておらず、むしろ『丁稚』扱いである。この世界、9歳以上は普通に労働力としてカウントされるので。前世の日本で言ったら研修期間と言っても良いかもしれない。
そんなわけで、この学校はコストばかりかかっているのが現状だ。その辺も含めて、実験段階と言える。
学校を作るというのは、思った以上に大変な事だ。箱だけ置いてもどうにもならない。何なら、教師役を神父さん達に任せているぐらいである。
うちの領には真面目な神父さんしかいないからこそ出来る芸当だ。他の領だと、絶対に悪影響が出る。
もっとも、そんなわけで『危険物』扱いされていたこの建物だが……今度の戦以降は重要度が増すかもしれない。ストラトス家、マジで今人手が足りないから。
「ええ。その通りです、殿下。それに、私はここの管理をすると共に、教科書の作成にも携わっております。子供達が『正しい教育』を受けられる為に」
「教科書……教本か。とても大事な事だな!」
ちなみに。その教科書には、遠回しに『ストラトス家万歳!』な方向へ思想を誘導する様な内容が書かれていたりする。
洗脳?ちょっと何の事かわかんないですね。
「ふふふっ。そう言って頂けて光栄です。どうでしょうか。校長室にてもう少し語り合いませんか?」
「魅力的な提案だな。フラウ殿の教育論にボクも興味がある」
「でしたら───」
「そう言えば、貴女の子供もこの学校に通っているのか?」
「 」
あ、姉上ぇぇぇえええ!!
「で、殿下。その、フラウ殿は未婚だと屋敷の方から聞いておりまして……」
「あっ……」
アリシアさんに耳打ちされ、クリス殿下が何かを察した様な顔をする。
「す、すまない。無神経な事を言ってしまった」
そして、彼女は小さく拳を握って。
「ふ、フラウ殿は見たところ健康だし、理知的な女性だ!きっと良い出会いがある!ボクも応援してるぞ!」
遠回しに『自分はお断り』宣言……!
いや、クリス殿下の本来の性別を考えれば当然なのだが、初めて『有りかも』となっていた相手にこの対応は───ッ!
「お、おほほほほ。ありがとうございます、でんか。ゆうきがわいてきましたわー」
致命傷……!圧倒的、致命傷……!
はたして、姉上がここまで深手を負った事があっただろうか?目からはハイライトが消え、微笑みを維持できず無表情へと戻っている。
露骨なまでに棒読みなその声に、クリス殿下とアリシアさんが引いていた。
「え、えっと……」
「殿下。たぶん今は何を言っても逆効果っす…!お口に蓋するっす……!」
「……んん!」
小さく咳払いをし、営業スマイルを浮かべる。
「申し訳ありません、殿下。実はこの後、別の施設に御身をご案内する予定でして。学校の見学はまた次の機会に……」
「そ、そうか。了承した。それでは御機嫌よう、フラウ殿!」
「ええ。ごきげんうるわしゅうですわー。でんかー」
流石腐っても子爵家令嬢。死んだ魚の様な目のまま、姉上は綺麗なお辞儀で見送ってくれる。
本来、辺境の子爵家令嬢と皇太子殿下では釣り合えないが、この状況ならと夢を見たのかもしれない。
なんなら、身分違いの恋に心を焼かれながら、数々の苦難を乗り越えていくラブロマンスも妄想していた可能性がある。
だが、そうはならなかった……ならなかったんですよ、姉上……。
「……クロノ殿。貴殿の姉上は、その……私の性別について」
「伝えておりません。内容が内容ですので、知っている者は少ない方が良いと……」
「そうか……すまない」
「いえ」
馬車に戻り、クリス殿下と額を突き合わせ小声で話し合う。
「この埋め合わせに……そうだ。どうにか伝手を頼って、フラウ殿に良い縁談を用意してみせる!必ずとは、言えないが」
「ありがとうございます、殿下。ただ、それを父上の前では言わないでくださいね」
「え?なんでだ?」
「たぶん、血の雨が降ります」
「本当になんでだ!?」
「実は、父上の持病が……」
親バカって言う病気なんですけどね?それも重度の。
読んでいただきありがとうございます。
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