第一章 エピローグ 上
第一章エピローグ 上
ノリス国王を討ち取ってから、約2週間。
自分達は遂に、国境近くまでやってきていた。
「……本当に、襲われなかったな」
いったん休憩を挟もうと、簡易的な野営地を組み昼食をとった後。クリス殿下がぼそりと呟いた。
「ええ。正直、自分も驚いています」
彼女の言葉に同意し、ケネスへと顔を向けた。
自分達の視線に対し、彼は頷いた後もう1度説明をしてくれる。
「平民が落ち武者狩りをするのは、『落ち武者に対してだけ』ですからな」
この中で唯一、今回以外の戦場を知っている老騎士は続ける。
「大半の平民に学はありませんが、生きる術は知っております。自分より強いものには、噛み付かない」
彼が提示した、『安全な帰り方』。それは、堂々とストラトス家の旗を掲げて街道を進む事であった。
「見るからに弱っている兵士や騎士、貴族に対しては徒党を組んで不意打ちすれば勝てると考えますが、武装した者達が整然と歩いていれば向こうの方が隠れるものです」
「まあ、元気な兵隊を襲うより、死にかけの兵隊を襲う方が楽で安全ですからね。今回、撤退中の帝国軍から落伍者が大量に出たでしょうし」
「普通はそちらを狙いますな。ま、ついでに若様が行き際に村々で治療をしていたので、『襲わない事で恩を返す』と考えた者もいるでしょう。強者に挑まない為の言い訳を、用意できた事は大きい。賊にだってプライドはある。むしろ、貴族への反骨心を強めている者もいますからな」
「行きの時は、撤退中の事ではなく、戦後に野盗化した時の事を想定して恩を売っていたんですけどね」
「いやはや。人生、何が起きるかわからんものですな」
カラカラと笑い、ケネスは己の髪を撫でる。
「しかし、助かりました。戦いの連続でもしも若様が討たれたらと、心配で10歳は老けた気がいたします。これ以上は故郷へ着く前にぽっくり逝ってしまいそうです」
「縁起でもない事を……」
笑えない冗談にため息をつく。ケネスはまだ還暦すら迎えていないが、この世界だと十分高齢な部類だ。平民だったら、50を超えた段階で長生き扱いされる。
騎士の平均的な寿命は70前後。ただし、これは戦争で亡くなった者を抜いた場合だ。
この1カ月と少しの間に、随分と人の死を見てしまっている。冷たくなったケネスの死体を想像し、思わず口を『へ』の字にした。
「はっはっは。ま、これでようやく家に帰れます。ストラトス家の行軍食は美味いですが、それでも飽きはきますからな」
「そりゃあ、そうで───」
「いいえ。飽きません」
突然割り込んできた人物に、ケネスと揃って肩をびくりと跳ねさせる。
食器を片付けてきたシルベスタ卿が、無表情ながらどんよりと瞳を曇らせていた。
「もうストラトス家のスープパスタ……ラーメンが食べられなくなるかと思うと、耐えられません。帝都に店を出す予定は本当にないのですか?クロノ殿」
「い、いえ。まだそこまでの事は……」
「店を出す時は、是非ご一報ください。土地を探す時に協力しますし、なんなら知り合いの貴族子女達に宣伝もしますので」
「は、はあ……」
相変わらず表情があまり動かない人なのだが、鋼色の瞳はいつになく燃え上がっていた。
熱意がやばい。何がこの人をここまでさせるのか。
「はは。リゼ。君達はストラトス家に再就職するのだから、その心配は不要だろう」
クリス殿下が、彼女の様子に苦笑を浮かべた。
「クロノ殿から、お父上様であるカール殿へ紹介してもらえる。リゼ達の器量と実力なら、必ず雇ってもらえるはずだ」
「……殿下」
一瞬だけシルベスタ卿が目を伏せた後、他の近衛達へ視線を送った。それに対し、全員が頷きを返す。
そして、彼女らはクリス殿下の前に集まり片膝をついた。
「リゼ?それに皆もどうしたのだ?」
「クリス殿下。此度の戦争で、多くの者が亡くなりました」
「……ああ。だからこそ、ボクは責任を」
「殿下の死を偽装する事は、可能です」
シルベスタ卿が、クリス殿下の言葉を遮る。
近衛騎士達は全員が真っすぐに殿下へと視線を向け、シルベスタ卿の言葉が総意である事を示していた。
「金髪の、若い男の死体。その顔を潰し、帝都に持ち帰ります。遺言状を書いてくだされば、その内容次第でフリッツ皇子への継承権をお渡しする事も可能なはず。筆と紙はありますので、どうか……」
「……ありがとう。リゼ。それに皆」
彼女らの言葉に、クリス殿下は静かに微笑んだ後。
「だが、それは出来ない」
きっぱりと、断った。
一切の躊躇いはなく、既に決まった事だからと。
「殿下」
「ボクが生きて、どこかに隠れ住んだとしよう。はたして、誰にも露見せずに天寿を全うできるだろうか。万が一生きている事を知られてしまったら、必ず帝国を燃やす火種となる。ボクや君達の意思は関係ない。口を縫い合わせても、神輿には十分だ」
「その様な者達は、私達が排除します」
「その行動こそ、露見する原因になるだろう。それにな、リゼ。ボクは1度、帝都に戻らなければならない。元老院達の前で直接説明し、この戦争の顛末を伝える義務がある。ボクがそうした場合の政治的な意味は、わかるね?」
「ならば、その後に」
「無理だ。元老院達とて、その様な偽装が帝都で行われればすぐに気づく。将来の火種を許してはおかない」
「しかし……!」
「ボクが死ぬのが、1番丸くおさまる。皇帝陛下が率いた戦で負けたのではなく、無能な皇太子が率いたから帝国軍は負けたのだ。そうしなければ、各貴族は納得しない」
残念な事に、クリス殿下の言う通りであった。
帝国貴族達は、結局のところ『皇帝という名の貴族が1番強いから従っている』に過ぎない。
この戦で皇帝陛下の……皇族の威信が失われれば、各地でこれまで燻っていた火種が一斉に燃えあがるだろう。
そうなれば、待っているのは帝国の滅亡だ。野心を抱く貴族達が。領土の奪還を願う被侵略地域の者達が。単純に金や地位に目が眩んだ俗物達が。一斉に立ち上がる。
群雄割拠の時代が訪れるのだ。
それを防げるとしたら、殿下のおっしゃる通り『負けたのは皇太子殿下であり、皇帝が負けたわけではない』と示す事だけ。既に初陣を終え、軍事的にも政治的にも実績のある第四皇子に継承権を譲るのも、安牌と言える。
だからどうしたと、軍をおこす者もいるかもしれない。だが、その足並みが揃わなくなれば十分。
皇族間で責任の所在が明確化されれば、それだけでも帝都周辺は落ち着く。皇帝の領地がよほど力を失わない限り、混乱こそ起きるだろうが帝国は滅びない。
そして、敗戦の原因が殿下だとするのなら……ケジメを、つけねばならなくなる。誰の目にも、わかる形で。
「……どのみち、帝国はもう末期です。地方では平民達の反乱が絶えず、中央では汚職が蔓延しています。この戦に関わらず、近い内に内乱は起きていました」
「確かにそうかもしれない。だが、少なくとも皇族の意見を一致させておく必要がある。それだけで、内乱で死ぬ人数は大きく減るはずだ」
「だとしても……!」
「リゼ」
殿下が膝をつき、シルベスタ卿と目線を合わせた。
そして、微笑みを浮かべたまま彼女を抱きしめる。
「もういい。もういいんだ。君達は、十分働いてくれた。ボクはただ、皇族として生を受けた義務を果たす。上に立つ者は、常に責任と共にあらねばならない」
「でもっ……!」
シルベスタ卿が今どの様な表情をしているのか、自分の位置からではわからない。
だが、その声の震えが何を意味しているかは、明らかであった。
「ありがとう。君達は、ボクの誇りだ。どうか幸せになってくれ。……そうだ。最低でもあと60年は現世にいてほしいから、その間寂しくない様に、時々墓参りに来てくれると嬉しいな」
「……毎朝、行きます……!」
「いや、毎朝は流石にちょっと」
困った様な笑みで、冗談を言う様に告げるクリス殿下。
彼女と視線が合い、穏やかな笑顔を向けられる。彼女が亡き後、シルベスタ卿達の事を頼むという意味だろう。
ずるい人だ。そんな風に見られたら、父上に土下座でも何でもしなくてはならなくなる。
この方が帝都に行く理由の1つには、きっとストラトス家の功績を伝える事も含まれているのだ。
オールダー王国の報復が直ちに我が領地へ行われない為に、自分は1度も戦場で名乗りをあげていない。
ゆえに、帝国軍にストラトス家を道路にされない為の功績を正式な物にするには、殿下に証言してもらう必要がある。
それが帝国中に広まり、王国にも届いた頃には、帝国軍による陛下の敵討ちが済んでいるはずだ。
正統な報酬なので、借りではないけれど。優秀な魔法使いが欲しいのも事実なので、シルベスタ卿達の今後には自分も全力を出さねばならない。
小さくため息をついて頷けば、クリス殿下は本当に嬉しそうな顔で笑った。
春に咲く、一輪の花の様に。
* * *
こうして。殿下が覚悟を決め、近衛達は今後どうするべきかを相談しながら、自分達は国境を越え帝国領に帰還を果たした。
そして、彼女らの涙は無意味だった事を知る事になる。
帝国という国家にとって、最悪な形で。
「殿下ぁああああああ!!」
「この声は……」
国境を越えて、1日目。まずはストラトス領に向かい、殿下達の足を用意せねばと考えていた時だった。
5人の女性達が、馬に乗ってこちらに向かってきている。全員が鎧を纏い、替え馬まで引き連れている事から身分の高さが伺えた。
一応警戒したが、クリス殿下が驚いた表情ながら手を振り返したので、剣の柄から指を離す。
「アリシア!どうしたんだ。君達は帝都にいたはずじゃ……」
馬に乗った女性達は自分達の所へとたどり着くと、地面に降り立ち殿下の前で片膝をつく。
酷く焦った様子で、アリシアと呼ばれた黒髪の女性は頭を下げた。
そして。
「宰相補佐フリッツ皇子!及び、ホーロス王国王妃サーシャ様が、帝国領内に他国の軍を招き入れました!」
「……は?」
とんでもない報告を、告げたのだ。
フリッツ第四皇子と……たしか、サーシャ様とはホーロス王国に嫁いだ皇女のはず。その2人が、帝国領内に軍を?しかも他所の国の?
彼女の報告に、全員が絶句する。
「……いや、いやいや。待て。サーシャ姉様も意味がわからないが、それ以上になんでフリッツ兄上が……」
「私どもも詳細はわかりませんが、皇帝陛下が討ち死になされた報を聞いた直後、お2人は『自分こそ次の皇帝に相応しい』と宣言して、軍を……フリッツ皇子が、現在帝都を占領しています。それも、モルステッドの軍を使って」
「モルステッド王国の……たしか、兄上の妻は北側の貴族であったが、まさか……」
顔を真っ青にしたクリス殿下が、額を押さえてよろめく。それを慌ててシルベスタ卿が支え、視線をアリシアさんに向けた。
「その報は本当だな、アリシア。神に誓って真実だと言えるか」
「当たり前っすよ!こんな事、冗談でも言えるわけないじゃないっすか!全員で秘密の抜け道を使って逃げてきたんす!危うくモルステッドとホーロスの戦いに巻き込まれる所でした!あいつら、街中で魔法の撃ち合いまでしたんすよ!?」
シルベスタ卿の鋭い瞳に、アリシアさんが涙目で叫ぶ。口調も崩れ、どう見ても冷静ではない。
その必死さもあって、彼女が嘘をついているとは思えなかった。
「モルステッド王国と……ホーロス王国が、戦った……?帝都で?既に?」
呆然とする殿下の斜め後ろで、自分も口を大きく開けて硬直する。
オールダー王国。彼の国との戦いで、帝国を囲う他の国々の軍隊もいた。だが、それにしても動きが早すぎる。無線なんてまだないというのに。
前々から、宰相補佐とホーロス王国王妃は準備していたのだ。そうとしかこのスピードは考えられない。
であれば、王国の攻撃を警戒していたはずの陛下達の陣が、攻撃を受けたのは……。
「クリス殿下!御身が生きている事を信じ、近衛一同手足となりに来ました!ご指示を!」
「そんな……どうして……どうしてだ、兄上……姉上……」
己の死すら、穏やかな顔で受け入れていたクリス殿下が。両手で顔を覆い力なく座り込んでしまう。
シルベスタ卿達も混乱した様子で互いに顔を見合わせる中、ケネスがこちらの肩をつついてきた。
「若様。その……これは、どうなるのでしょうか?」
「いや、どうなるって……」
冷や汗を浮かべたケネスに、言葉を絞り出す。
「群雄割拠の時代がきます。帝国中の火種が、一斉に燃えあがりました」
後の世に『乱世』と評される時代が、この大陸に訪れたのだ。
読んでいただきありがとうございます。
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申し訳ございませんが、リアルの都合で明日の投稿は休ませていただきます。




