第二十一話 分岐点
第二十一話 分岐点
「はぁああああ!」
「くっ……!」
正面から突っ込んでくるノリス国王を避けようとして、左足がガクリと折れる。
力が上手く入らない。回避は間に合わないと、槍の穂先を刀身の腹で受け止めた。
衝撃自体はガルデン将軍ほどではないが、踏ん張りが利かない。右足でバランスをとりながら、後ろへ飛び退く。
「放てぇ!」
「陛下を援護しろ!」
自分目掛けて一斉に放たれる、魔法と矢の猛攻。それらが届く前に、右膝をたわめ、全力で跳んだ。
向かう先は、背後の歩兵部隊。ガルデン将軍を仕留める寸前までいったのを見て、慌てて距離を詰めてきたのだろう。いつの間にか、随分と近い位置にいた。
驚愕し目を見開きながら、近くにいた騎士が吠える。
「槍を掲げよ!」
上に向かって展開された槍衾。だが、即席で完璧に出来るほど、徴兵された平民部隊の練度は高くない。
空中で身を捻り、横回転しながら落下。槍の隙間に体をねじ込み、勢いそのままに剣を振るう。
一瞬で視界が敵兵の血肉で染まり、右足で着地した衝撃でそこに泥の色が加わった。
同時に、魔力を張り巡らせ左足を止血。千切れた筋繊維を、魔力の糸で代用。激痛で脳が焦げる様な感覚がするも、今は無視する。
「■■■■■■───ッ!」
「こいつ……!」
雄叫びを上げ、槍を手放して剣を抜こうとした騎士を横一文字に両断する。
その死体を蹴散らす様に踏み込んで、返す刀で周囲の敵を切り払った。
止まれば死ぬ。ほとんど腕の力だけで大剣を振るいながら、奥へ奥へと突き進んだ。いかに敵軍の士気が高くとも、完全武装の騎士すら蹴散らす人間と相対したがる者はいない。
左右へ逃れる兵は無視。背後から槍で突いてくる兵は置いていく。
ただ眼前の敵兵のみ薙ぎ払って、その先へ。森へと向かった。
「■■■■■■───ッッ!!」
喉が痛む。だが、叫ばなければ痛みと疲労で足が止まってしまいそうだった。
遂に人の壁を突破し、森へと跳びこむ。直後に幾つもの魔法が飛んできたが、それらは木に阻まれて自分に届く事はなかった。
しかし、その魔法攻撃の中で───馬の足音が鳴り響く。
「逃がすと」
友軍の攻撃に巻き込まれる事を恐れぬ、魔人が1騎。漆黒の馬を走らせ追いかけてきた。
「思うなぁ!」
「ちぃ!」
直感に従い左へ跳躍すれば、先ほどまで頭があった位置を槍が通り過ぎる。
すぐさま空中で身を捻り、木に衝突する前に裏拳を幹に叩き込んで軌道修正。衝撃で加速しながら地面に足をつけ、ほとんど減速する事なく疾走する。
森の中を、ノリス国王が自分と並走してきた。木々の隙間を縫う様な刺突がこちらの頭部目掛けて伸びてくるのを、剣で防ぐ。
「やはり強いな!俺の部下にならないか!」
「はぁ!?」
突然の勧誘に混乱するが、攻撃は続いている。
振り下ろされた槍を打ち払い、足元目掛けて突き出された槍を跳んで回避。反撃の刃は間にある木で減速され、幹を両断した頃には狙った位置に相手はいない。
「なにを!」
「俺は本気だ!お前に伯爵位をやるぞ!功績次第では昇陞もさせる!」
「勧誘するのなら、攻撃をやめていただけませんか!」
「断る!やめたらお前、俺を殺すだろう!」
「はい!」
「はっはっは!素直な奴だ!ますます気に入った!」
高笑いしながら、馬を走らせ槍を繰り出してくるノリス国王。その技量に舌を巻く。
平原であっても高等な技術だろうに、ここは雨が降る森の中。凹凸の激しい大地に、木々が所狭しに生えているのだ。
その環境をむしろ利用し、こちらの刃がギリギリで届かない間合いを維持している。
しなりながら振り下ろされた槍の穂先と魔剣が衝突し、激しい火花と共に雨粒が散らされた。泥を跳ね上げ、互いに鎧を汚しながら、言葉と鋼が交わされる
「帝国は侵略者だ!大義などない!王国につけ!」
「この戦争、王国が国ぐるみで麻薬を密輸してきた事が発端ですが!」
「……おう!否定はせん!」
走りながら戦っていれば、前方に苔の生えた大岩が見えてきた。
突き出された槍を肩鎧で受け流し、甲高い音と共に距離をとって左に向かう。かなり大きな岩だ。相手は反対側を走っているはず。この岩を通り過ぎた後に、再び……。
いいや。彼は必ず、こちらの予想外の事をしてくる。そう確信めいたものを感じた、直後。硬い物同士が連続してぶつかる音が、近くから響いた。
「ならば、だ!老いた帝国では確実に内乱が起きる!その前に!」
次の瞬間、ほぼ真上から声が聞こえてくる。
「王国に寝返れ!」
見上げれば、そこには雨で濡れた大岩の上を馬で駆けるノリス国王がいた。
彼は馬を傾け壁走りならぬ岩走りをしていたかと思えば、こちらに飛びかかってくる。馬の体重も合わさった突きに、慌てて落下地点から飛び退いた。
盛大に吹き飛ぶ泥の中へ斬り込めば、こちらの頭がくる位置に槍の穂先が『置いて』ある。
「っ!」
即座に頭を傾け、目の横で火花を散らせながらも槍を避ける。すぐさま剣を閃かせ、逆袈裟に振るうもすれ違う様にノリス国王は駆けていった。
「さあ、どうする!お前ほどの男を、俺は飼い殺しになどしないぞ!歴史に名を刻もう!俺と、俺達と一緒に!」
木々の隙間を走り、距離をとるオールダーの国王。
その言葉に一々答えてやる義理はないのだが、それでもつい返事をしてしまう。
不思議な感覚だった。魔法ではない、もっと純粋な力……『カリスマ』、とでも言えば良いのか。
なるほど。この声に従って戦うのは、さぞや気分が良いだろう。自信に満ち溢れ、勝利を疑う事もなく、それでいて夢を見させてくれる言葉。多国籍軍を手足の様に操れたのも納得してしまう。
直接声を耳にせねば、きっとこの感覚は伝わらない。これはある種の麻薬だ。
されど。
───クロノ殿!
「生憎と、簡単に旗色を変える者がどうなるかは知っています。それに」
雨が、どんどん勢いを増していく。
鎧の隙間から入り込み、体温が奪われるのを感じながら。濡れた柄を握り直す。
「あの方を、裏切りたくない。そう思ってしまった」
一瞬でも、脳裏に殿下の顔が浮かんでしまった。それでは彼の誘いに頷く事など、出来るはずもない。
人生というのは、何が起きるかわからないものだ。きっと、自分は今、時代の分岐点に立っている。もしかしたら、この選択で後の世が変わるかもしれない。なにせ、歴史に名を刻みそうな人物とこうも立て続けに出会ったのだから。
兜の下で、苦笑する。転生して、我ながら価値観が随分と変わったらしい。今でも己の命が最優先だし、その為なら忠義だの、義務感などは放り出せてしまいそうだ。
それでも。
「───なら、ここで死ぬか?」
「いいえ」
木々の向こう。僅かに地面が盛り上がった場所で馬を止め、ノリス国王がこちらを見下ろしている。
先ほどまでの不敵な笑みは消え、代わりに氷の様に冷たい瞳を向けてきていた。
「勝って、そして生きて帰ります」
勝利さえすれば、優先順位など関係ない。
足の傷は、今、治った。
千切れた筋繊維は繋ぎ終わり、損なわれた箇所は埋められ、皮膚はまだ薄いが覆っている。
左足を含め体のあちこちがまだ痛むが、耐えられない程ではない。
貴族の、生まれながらにして魔力が内側から全身へと染み込んでいく肉体というのは、呆れる程に頑丈だ。多少の傷なら、放っておいても勝手に塞がる。
感覚を確かめる様に左足で地面を踏みしめた自分に対し、ノリス国王は一瞬だけ目を見開いた後。
「惜しいな。泣きたくなるぐらいに惜しい。お前さえいれば、俺が天下を取るのは確実と言えるのだが」
軽く手綱を引き、槍を構え直して。
「ここで殺す。人中の竜よ。人の心をもつ竜よ。お前はここで、泥の中で息絶えろ」
「それは貴方だ、英雄。きっと、この時代の中心に立っていた人」
雷鳴が森を揺らし、稲光が互いを照らす。
「最期に名を聞いておきたいが……」
「不要です。貴方はここで死ぬ」
「……そうか」
双方の刃が、ぬらり、と煌めいて。
「ならば、名もなき怪物として死ね」
「いいえ。絶対に、生きて帰ります」
ほぼ同時に、駈け出した。
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