第一話 2歳から5歳。今生の家族
※幼少期というか、15歳まではわりと巻きでいきます。
第一話 2歳から5歳。今生の家族
異世界転生。
前世好きだったジャンルと似た様な状況になったと自覚したのは、2歳の事である。
父上……今生の父親曰く、自分は良く泣く赤ん坊だったそうだ。
それも当たり前と言えば当たり前と言える。前世での20年以上の記憶を、生まれたばかりの赤ん坊の脳が処理できるわけがない。
なんなら、今でも偶に頭が熱ぼったくなる。それに、異様に涙もろくなった。
前世でもそれほど我慢強い方ではなかったが、我慢のきかない人間だったわけでもない。本当に、普通の男だったのである。
恐らく、前頭葉……というか、脳全体が年齢分前世よりも小さくなっているのだ。幼くなっている、と言った方が正しいかもしれない。
そんな事をつらつらと考えていたら、また頭が熱くなってくる。目頭にも涙がたまってきた。
「うう……」
「大丈夫?弟」
「はい……」
「そう」
サラサラとした金髪の美少女が、仏頂面で問いかけてくる。今生の姉、『フラウ・フォン・ストラトス』。自分より10歳年上らしく、現在12歳。
ぶっきらぼうだし、言葉も淡々としている。だが、その左手はこちらの手を柔らかく包んでいる辺り、いい子ではあるのだろう。
彼女に連れられ、屋敷の中を散歩している最中だ。体が2歳児な分、何もかもが大きく見える。
「ここが書斎よ。難しい本がたくさんあるわ」
「はい」
「ここが執務室よ。普段お父様が仕事している部屋。今は外出中ね」
「はい」
「ここが浴室。普段から入っているから知っているわね」
「はい」
と。非常に簡潔過ぎる説明と共に屋敷の中を歩いていた。
このお屋敷。基本的に木造で部分的にレンガ。そして釘等は金属が使われている。窓はガラスではなく、時代劇で視る様な木製の板を開閉するだけの簡素な物だ。
どうも、前世過ごしていた21世紀とは随分と時代がかけ離れている様に思える。
そんな感想を抱きながら、手を引かれるままに歩いた。だがまだ2歳の体。12歳のペースについていくのは流石に厳しい。
「すみません、あねうえ。あしが……」
我ながら、舌足らずな声である。前世でそろそろ『おじさん』と呼ばれる年齢に近かった身としては、今の状態はかなり恥ずかしいものだった。
というか、小学生ぐらいの子供を『姉』と呼び手を繋いでいる段階でかなりきつい。主に心が。
己を客観視すればするほどメンタルにダメージがくるが、ここで自分が転生者と打ち明けて『悪魔の子』とか『頭のおかしい子』とか。そういう扱いを受け処刑されるのは避けたい。
ここがよくあるネット小説みたいに中世に近い世界だとすれば、下手すると火あぶりである。
せっかく2度目の生を得たのだ。絶対に早死にしたくない。恥を忍んで、子供として振舞おう。
……問題は、2歳児がどういうものかさっぱりわからない事だが。
前世では生涯童貞。彼女の1人もいないし、当然子供がいた事もない。2歳の子供が普通はどうなのかという、知識がまったくないのである。
「そう。おんぶする?」
「いえ……」
「わかったわ」
姉上が淡々とそう告げた後、こちらの手を引いて元来た道を歩き始めた。
すると、前の方からダンディな執事さんがやってくる。これは後から知ったのだが、この人は執事長の『アレックス』さん。代々ストラトス家に仕えてくれている家の人らしい。
「おお、これはフラウ様。クロノ様。お散歩ですか?」
「ええ。この子に屋敷を案内していたわ」
「なるほど。仲が良い事は本当に良い事です」
皺というより、経験を刻んだという顔をほころばせ、アレックスさんが優雅に一礼する。
「クロノ様はお疲れのご様子。よろしければ、私がお運びいたしますが」
「わかったわ。お願い」
「かしこまりました」
こちらの言葉を聞く前に、アレックスさんが優しくこの身を抱え上げる。
子供を抱きなれているのか、とても安定していた。それでも自分としては、突然視点が高くなってかなり怖い。
咄嗟に、彼の黒いリボンネクタイを掴む。
「驚かせてしまいましたかな?申し訳ございません、クロノ様」
「いえ……」
小さく首を横に振る自分に、アレックスさんの茶色の瞳がじっと向けられた。
「……ふむ」
……この人の目が、少し苦手だ。
まるでこちらを探る様な、値踏みする様な。何とも言えない瞳。
だというのに、不思議と悪意を感じない。いや、自分程度の人生経験で、他人の心の内など察しきれるものではないが。
「どうしたの」
姉上の問いかけに、彼は首を横に振った。
「いえ。ただ、クロノ様は相変わらず利発なお方だと感心しておりました。普通の2歳児ですと、もう少し驚かれるか、泣いてしまうので」
え、そうなの?
「そうなの。私は?」
「もちろん、フラウ様も大変聡明なお方です。将来は素晴らしいレディになるでしょう」
「もうレディよ」
「ははは。失礼いたしました」
和やかに笑い、アレックスさんが自分を抱えて寝室へと歩いていく。
その揺れがどうにも眠気を誘い、瞼が重くなってきた。元々、この体は眠りに落ちやすい。
恐らく、本来あり得ない量の記憶が脳にかなりの負荷をかけている。ただでさえたくさん眠る必要のある子供の体に、それだ。1日のほとんどを自分は眠ってしまっている。
「クロノ様……どうか……」
ぼそり、と。アレックスさんの小さな声が聞こえる。
「ストラトス家を、背負えるお方になってください」
願いなのか、呪いなのか。その区別もつかない言葉を耳にしながら。自分の瞼は限界を迎えた。
* * *
今生の自分は、よく夢を見る。
脳が記憶を整理しようと必死なのか、あるいは別の理由があるのか。それはわからないが……今日もまた、自分は夢を見ているらしい。
アスファルトで舗装された道路。畑の傍に建つ電柱。用水路を流れる水の音。
自分が前世で住んでいた所は、田舎と呼べる場所だった。と言っても、緑よりはコンクリートの方が多い。田舎の住宅地、と表現するのが適切だろう。
就職後も実家暮らしだった。車で家に帰り、母さんに『ただいま』と言った。
きっと、『おかえり』と言ってくれたのだと思う。
少し遅れて、父さんが帰って来た。自分はそれに、『おかえり』と言った。
たぶん、『ただいま』と言ってくれたのだと思う。
───声が、思い出せない。
顔は、まだ覚えている。思い出も、少し曖昧だが残っている。愛してくれていた事も、わかっている。
なのに、いつの間にか声を忘れていた。少し前までは、覚えていたのに。
場面が切り替わる。
今生の父親と、姉が目の前にいた。母親は、この身が産まれてすぐに流行り病で亡くなったらしい。
柔らかそうな金髪に、垂れ眼気味の瞳。ほんわかとした顔立ちに反して、2メートルはあろうガッシリとした体格の人物。父上、『カール・フォン・ストラトス』。
その手が、小さなこの身を持ち上げる。たかいたかいをして、その優しそうな顔に満面の笑みを浮かべていた。
かと思えば、左手に自分を抱いて右手で姉上を抱き上げる。2人の子供を胸に抱き、彼はとても幸せそうだった。妻の忘れ形見を、大切に守っている。
───はたして、自分は彼の子供なのだろうか。
本来生まれるはずだった小さな命を、上書きしてしまったのではと。時折悩む。確かめようのない事だ。そもそも、自分の魂しか最初からなかったのかもしれない。クロノ少年の魂は最初からなく、自分をベースにこの赤子は産まれた可能性もある。
それでも、偶に脳をちらつくのだ。その、おぞましい可能性が。
吐き気がする。自分は誰だ。僕は誰だ。この身は誰だ。
* * *
目が、覚める。
「ん~~~……」
目の前にイケメンのキス顔があった。
吐き気がする。
「やめてください父上……!」
ベッドの上をゴロゴロと横に転がり、距離をとった。咄嗟に日本語で悪態が出かけるも、どうにか堪える。
そんな自分に、イケメン……今生の父にしてストラトス家当主。カールがデレデレと笑みを浮かべた。
「いやぁ、うなされている様だったからな。ここは愛する父の目覚めのキスをと思って」
「それをやろうとして、姉上に1週間口をきいてもらえなかった事をお忘れですか」
「はうっ」
豊かな大胸筋を押さえ、小さくうめく父上。うん、可愛くない。
現在、自分は『5歳』である。時が流れるのは、本当に早い。子供の体感時間はそんなものだと知識としてはあるが、こうして大人まで成長した記憶があると余計にそう感じる。
そして我ながら5歳児らしからぬ言動だとは自覚しているが、これでも貴族の身。英才教育を受けているのだからセーフと、言い訳をしたいところだ。
「ほ、ほっぺだから大丈夫かなって……!」
「いやぁ、流石にきついかと……」
「そんなぁ……昔は『パパ~!ちゅ~!』って言っていたのに……」
言っていたのか。あのほとんど常に無表情な姉上が。
そうこうしているうちに、扉がノックされる。
「坊ちゃま。朝でございます。扉を開けてもよろしいでしょうか」
「うむ。許す。入れ」
自分ではなく父上が答え、メイドさんが入って来た。
前世の秋葉原で見るのとは違う、クラシカルな格好の老婦人である。アレックスさんの奥さんで、『アーリー』さんだ。
彼女は失礼します、と言って扉を開けた後、呆れた顔で父上を見た。
「旦那様。またご子息の部屋に無断で……」
「愛し合う親子だからな!俺達の絆は!誰にも引き裂けない!」
「それでも限度がございます。子離れしてください」
「まだ5歳だぞ!?」
「そうですね。では、フラウ様の方は子離れしてください。あの方はもう15歳です」
「……ま、まだ15歳だし?」
「もう15歳です」
絶対零度の視線を向けるアーリーさんに、父上はそっと目を逸らした。
「まあまあ。その話はまた今度。ほら、クロノの朝の支度をせねば。よし、俺が着替えさせてやろう!」
「いや、1人で着替えるので」
「いえ、私が手伝いますから。まったく、この親子は……」
呆れた様子でため息を吐くアーリーさん。当主に対してこの言い様。流石、父上のおしめを替えていた方だ。
それはそうと、僕まで残念貴族扱いされるのはどういう事だと問いただしたい。
が、おしめを替えられたのは自分もなので、あまり逆らわない事にした。
あれ、貴族ってもっと偉いのでは……?
そんな騒がしい朝の始まり。アーリーさんに手伝ってもらい着替えを終え、食堂に向かう。
ほぼ同時にやってきた姉上に、小さく頭をさげた。
「おはようございます、姉上」
「ええ。おはよう。弟」
フラウ姉上は、美しく成長していた。
サラリとした長い金髪に、氷の様な美貌。不自然でない程度にスラリと長い手足に、モデルさんの様にスリムな体型。
……胸に関しては、何も言うまい。
今生の姉のそういった部分を指摘するのは流石に許されないだろう。というか、姉でなくともこういった話題はアウトだ。
などと。我ながらアホな事を考えるも表には出さず、利口な貴族の子供に徹する。
転生して5年。あやふやだったテーブルマナーも、1から教えてもらった事もあって中々様になってきた。
5歳児がこれで良いのかという疑問はあるが、誰も不思議がらないしむしろ褒めてくれるので大丈夫だろう。
それに、姉上も昔から歳不相応に落ち着いた子供だったし。
……実は転生者では?と疑い、寝ぼけたふりをしながら日本語で話しかけてみたら、滅茶苦茶心配されたのは内緒である。
食卓について父上に続き祈りの言葉を呟いた後、食事が始まった。
父上はかなりの親バカであり、子供を構い倒す人ではあるが、食事中は基本的に無言である。
前世の中世におけるテーブルマナーは知らないが、この世界では食事しながら喋るのは褒められた事ではない。もっとも、平民同士どころか貴族同士でも親しい間柄なら食べながら喋る場合もあるらしいが。
その辺、この人はかなりキッチリしている。アレックスさん曰く、父上は文武両道の完璧な領主様なのだとか。
正直お世辞込みだと思うが、前にちらっと見た領内の報告を聞いて指示を出し、書類を眺めて何かを書いている姿は非常に凛としていた。
そんな内も外も格好いい人物なのだが。貴族として非常に困った欠点を抱えている。
食事が終わり、紅茶を飲みながら姉上がその切れ長の目を父上へと向けた。
「それで、父上。私の縁談の話なのですが」
瞬間、父上が顔ごと目を逸らした。
構わず、姉上が言葉を続ける。
「うちに仕えている騎士の家に、私は嫁ごうかと思います。もう別の領地に嫁入りする事は諦めました。話を進めてくれるとの事でしたが、どうなっていますか?」
ちなみに、この世界の人は15歳から20歳までに結婚をするのが普通だ。20を過ぎると、『かなり問題がある奴』と認識される。
特に貴族はそれが顕著で、15歳になっても婚約者がいないなんて事はありえないのだ。
そう、ありえないのだが。
「ま、まあまあ。良いじゃないか。気長に考えよう、気長に」
「父上。私はもう15歳です。結婚して普通の歳です。なのになぜ、婚約者の1人もいないのですか」
「……強いて言うなら、運命……かな?」
ばちこーん、と。父上が冷や汗を掻きながらもウインクをした。
それに対し、珍しく。本当に珍しく、姉上が小さく笑みを浮かべた後。
「今日こそその腐った脳みそを掻きだしてやる」
「いやー!?娘が反抗期にー!?」
「反抗期ではありません。反乱です」
「もっと怖い!?」
父上は───とんでもない、親バカなのである。
子供の結婚は断固阻止。持ち込まれる縁談話は笑顔で粉砕。娘と息子はずっと家にいて、自分と暮らしてほしいと豪語する。
その上で外部には『娘は病気がちで……』『息子は唯一の男児。慎重に考えねば』と適当にはぐらかして外面を保っているらしい。アレックスさんから聞いた。
「私は幸せな結婚生活を送りたいのです。素敵な旦那様とラブラブちゅっちゅっな生活をしたいのです。その為に死ね」
いや。貴族の結婚ってもっと冷えたイメージですけど。愛妻家だった事で有名な父上は別として。
「やめて!?お父さんそんなの許しませんよ!それとクロノの前だから!そういう発言は教育に悪いと思うな!」
父上。教育に悪いと言うのなら、娘の婚約や結婚を全力で邪魔する姿勢は貴族教育にすごく悪いと思います。
騒がしい2人をよそに、壁際に控えているアレックスさんがこちらをじって見てきていた。
「……ストラトス家を、背負える男になってください……!」
あの探るような目って、どちらかというと縋る様な目だったのかー。
知りたくなかった真実を知る、5歳の朝であった。
読んでいただきありがとうございます。
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Q.クロノ少年の魂を、転生者がのっとったの?
A.いいえ。そもそも現クロノの魂があり、精神があり、それが今生の母親の胎内に宿ってから体が作られたので。元クロノなんてそもそも存在しません。だから、彼の悩みはまったくの無意味です。可愛いですね。