第百三十七話 ささやかな幸福と誓いを
第百三十七話 ささやかな幸福と誓いを
前世には、マリッジブルーという言葉が存在した。
生憎と未婚どころか彼女がいたこともない自分には無縁のものであったが、結婚前の人が大きな人生の転機に精神的重圧を感じる……というものだ。
そして。
「神よ……どうか私に勇気をお与えください……!」
別に結婚するわけでもないシスターが、ブルーになっていた。
主に顔色が。
「その、シスター。大丈夫ですか……?」
この教会の管理者である老女にそう問いかける。
「申し訳ございません、伯爵。しかし、まさか私のような者が……本来なら大司祭以上の方が行う立場を代行するなど、あまりの緊張で……」
本来、新郎新婦に祝福をする役割は男性の神官が行うものだ。身分によって神父であったり、司祭であったりする。
彼女の言う通り、伯爵……それも、自分で言うのも何だが帝国でも有数の大貴族になりそうなストラトス家の当主の結婚式となれば、大司祭級の神官でなければ不足であろう。
だが、それは正式な結婚式での話だ。
「シスター。この結婚式は、僕が出陣前に婚姻を終わらせたいが為に行う、我が儘です。そう、思いつめる必要などございません。正式なものは、生きて帰ってきたら領地で行いますので……」
この戦いが終わったら、きちんとした結婚式を挙げるつもりだ。
別に、この結婚式が適当なものというわけではない。貴族としての面子の問題である。
戦争を生き延びて、家に帰ったのなら。その時は、父上を始め多くの人を集めて盛大に行う予定だ。その際は、どうにかまともな大司祭を呼ぶつもりである。
それに、自分達や招待客の身分を考えれば彼女の緊張は尤もだ。この親切なシスターに、無理をさせたくない。
「……もしもご負担が大きいようでしたら、その……祈りはなくとも、僕達だけで誓いをたてますので」
「……いいえ!」
座り込んでいたシスターが、ガバリと立ち上がる。
結構な御歳のはずだが、中々俊敏な動きだった。
「戦に向かう若者が、その前に愛する者と契りを交わそうというのです!それを祝福せず、何が聖職者ですか!貴方が無事故郷へ帰り、幸せな家庭を築けるよう、我らが神に祈らせて頂きます!」
「シスター……感謝します」
「神に仕える者として、当然のことです」
背筋をピンと伸ばして、そう微笑むシスター。
うん。それは本当にありがたい。ありがたいのだけど。
「……では、シスター。来ていただいた方々に、教会の中へ入って頂いても大丈夫でしょうか?」
当日、しかも挙式直前に悩まないでほしかった……。
* * *
教会の裏手に建てさせてもらった、天幕。
それを控室の代わりとし、静かに自分が呼ばれるのを待つ。
本当は式の前にグリンダやアナスタシア殿の所へ行きたかったが、このタイミングで新婦の所に顔を出すのはマナー違反とケネスに止められてしまった。
先程までのシスターではないが、自分も緊張で鼓動が速くなる。
前世を含めても、初めての結婚。それは、戦とはまた別種の重圧があった。
幸せに、なれるだろうか。幸せに、できるだろうか。
良き夫に、良き父になれるだろうか。上手くやっていけるのかと、不安でしょうがない。
自分は、この世界における普通の父親というものを知らない。
前世における父さんは、普通で、そして良い父親だったと思う。先立ってしまったことを、心の底から申し訳なく思うぐらいには。
だが、この世界における普通とは異なる。世界が、文化が違うのだから。
今生における父上は、色んな意味で普通とはかけ離れた人だ。能力も、人格も、親バカ具合も。尊敬も愛情もあるけど、参考にはならない。
普通の貴族家の当主は、子育てを執事や妻に全て任せるものだとか。前世みたいに、休日は一緒に遊園地だとか、キャッチボールだとかはしない。
前世も今生も、参考になる父親像が浮かばないのもあって、より不安が増していく。
だというのに、何故だろうか。
ここから逃げ出したいとか、結婚式を中止したいとか。そういう考えは、全くわいてこなかった。
もうここまで準備を進めて、招待客も来てしまったから?それで引き返せないのか?
……違う。
誰よりも自分が、この結婚式を望んでいるから。それだけは、間違いない。
そう思うと、乱れていた鼓動が落ち着きを取り戻す。息がつまりそうになっていたのが嘘のように、自然と呼吸ができていた。
「若様……いえ、お館様。どうぞこちらに」
「はい」
レオに呼ばれ、教会の前に移動する。
そして、開かれた扉を潜り中へ。
万雷とはいかずとも、しかし温かな拍手が出迎えてくれる。
小さな教会に集まった、友人達。
お忍びでやってきた皇帝陛下こと、クリス様。同じくお忍びでやってきた皇妃殿下こと、シャルロット嬢。
彼女らの護衛である、シルベスタ卿とアリシアさんに、オリビア卿とレジーナ卿。
最近傭兵としてうちに入ったジェラルド卿。先程自分を呼びにきてくれたレオと、ケネス、そして周囲の警備をしている者達以外の、ストラトス家の騎士と兵士達。
急な話だったのに、ハーフトラックに乗って駆け付けてくれたイーサン殿までいる。
本当は父上や姉上にも参加してほしかったが、片や重要な作戦中で、片やストラトス領のことを任せているのだ。
領地に帰った後に行う結婚式で、2人には祝ってもらおう。
左右から拍手を浴びながら、主祭壇の方へと歩いて行った。
勇者教のシンボルである聖剣と、シスターに出迎えられ、新婦の入場を待つ。
自分が入った後に閉じられていた扉が再び開かれ、新婦『達』が入ってくる。
────その美しさに、一瞬自分は夢を見ているのかと思った。
純白のウェディングドレスを身に纏った、アナスタシア殿。新婦をエスコートする父親役は、異例のことながら乳姉妹のドロテアさんが勤めている。
その後ろを、義父であるケネスにエスコートされたグリンダが続いた。妊娠中である為、アナスタシア殿が着ているものよりもゆったりとしたデザインのドレスである。
だが、どちらも。甲乙などつけられない程に。
ただひたすら、綺麗だった。
ゆっくりと自分の前にやってきた、2人の花嫁。薄いベール越しに、彼女らがこちらへ苦笑しているのがわかる。どうやら、見惚れてしまっていたのがばれたらしい。
だが、仕方のないことだと胸を張る。彼女らを前にして、自分と同じようにならない男がいるものか。
シスターが声をかけ、皆で勇者教の讃美歌を歌う。
何故か自分達以上に緊張した顔のクリス様が音程を外しまくるなどのアクシデントもあったが、無事に歌い終えた後。
シスターが、厳かな顔をしてこちらを向く。
「それでは、誓いの言葉を。新郎、クロノ。貴方はここにいるアナスタシアと、グリンダを、病める時も健やかなる時も。富める時も貧しき時も。夫として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「────誓います」
声が、自分でも驚く程にすんなりと出てきた。
それに対し、シスターは満足気に頷く。次に、彼女はアナスタシア殿に顔を向けた。
「新婦、アナスタシア。貴女はここにいるクロノを、病める時も健やかなる時も。富める時も貧しき時も。妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「ええ」
意思の強い彼女らしく、アナスタシア殿が力強く頷いた。
そう答えてくれるとわかっていても、彼女の言葉に胸の内に嬉しさが込み上げてくる。
最後に、シスターがグリンダへと顔を向けた。
「新婦、グリンダ。貴女はここにいるクロノを、病める時も健やかなる時も。富める時も貧しき時も。妻として愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
「はい……」
はにかみながら、グリンダが頷いた。
薄いベールで顔を隠していても、その愛らしい表情が自分にはよくわかる。
正妻と側室……いいや。身分的には側室ですらない人物と、同時に行われる結婚式。
普通の家なら、後々大問題になるのは確実だ。継承権争いや、妻の実家からの圧力などで明るい未来など待っていないだろう。世間からの目も、冷たいものになるはずだ。
だが、だからどうした。
普通の家など、関係ない。これは普通の結婚式でもない。
これが、ストラトス家である。
「指輪の交換を」
レオから指輪の入ったケースを受け取り、彼女らに向き直る。あちらも、ドロテアさんから受け取ったところであった。
そっと、アナスタシア殿の薬指に指輪をはめる。まるで彼女に枷をつけるようで、ほんの少しの申し訳なさと、それ以上の喜びがあった。
自分もまた、彼女から指輪をはめられる。本来ならば、この身の膂力的に羽のような軽さのそれが、不思議と重く感じられた。なんだかこそばゆい。そして、嬉しい。
グリンダの指にも、指輪をはめる。彼女からこちらへの指輪はない。代わりに、ペンダントが渡された。
かつて、この教会でグリンダに送った太陽を象ったペンダント。それと対になるかのように、銀色の月に青い宝石がはめ込まれている。
心なしか、ドヤ顔をしている気がするグリンダ。『定番だけど、定番だからこそ良いでしょ?』と言っている気がした。
それに、胸の内で同意する。だって、こんなにも嬉しいのだから。
自分達のやり取りを見守っていたシスターが、大きく頷いた。
「それでは、誓いの口づけを」
ゆっくりと、アナスタシア殿とグリンダのベールを上げる。
「……綺麗です」
はたして、何回目か。
同じ感想を抱いて、とうとう口に出てしまった。
それを聞いた2人が一瞬目を見合わせた後、くすりと笑う。
「そちらも、中々の男前だ……と、言っておこうか」
「けっこう格好いいですよ?若様」
「……そこは、もっと素直に褒めても良いのでは?」
楽しそうに笑う彼女達に、唇を尖らせる。
瞬間、アナスタシア殿の顔が近づいてきた。
「油断した貴様が悪い」
そう告げて、軽やかに唇が奪われる。
一瞬だけ感じた、柔らかい彼女の唇。颯爽とした口づけだが、やった本人は不敵な笑みを浮かべつつも真っ赤になっている。
本当に、この人らしい。
「おや、アナスタシア様はそれだけで良いのですか?」
「え?」
悪戯っぽく笑ったかと思えば、グリンダがこちらの左肩に手を添える。
それに合わせて、自分も少し腰を曲げて彼女に顔を近づけた。
『……まさか、男の人と結婚することになるとは。我ながら、ビックリだよ』
『それを言ったら、転生したこと自体驚きしかないでしょう』
『それもそうだ』
互いに、苦笑を浮かべた後。
ゆっくりと、唇を重ねる。かと思えば、向こうから舌を入れてきた。
結婚式だというのに、何をするのか。そう呆れるも、つい受け入れてしまう自分も後で叱られるべきなのだろう。
数秒程、じっくりと互いの熱を交換して。顔を離す。
「ん、なぁ……!?」
ちょっと大人なキスを至近距離で見たせいか、先程以上に顔を赤くしたアナスタシア殿。
その姿が可愛くって、彼女の細い腰を抱く。
もう片方の手でグリンダの肩を優しく抱き、皆の前に向き直った。
「祝福を。ここに集まった皆様。どうか彼らの結婚に、祝福を!」
最初の緊張した様子はどこへやら。年老いたシスターは、まるで女学生のようにきゃいきゃいと手を振りながらそう叫ぶ。
拍手が、教会の中を包み込んだ。
クリス様は、僅かに瞳を潤ませながら。しかし、笑顔で手を叩いてくれた。
シャルロット嬢は、顔から出るものを全部出しながら、スタンディングオベーションしている。
シルベスタ卿も、今日ばかりは他の親衛隊と同じく朗らかに笑ってくれた。
それ以外の人達も、皆、祝福してくれる。
この、まだ焦げた臭いのする帝都の一角で。知る者はほとんどいない結婚式。
けれど、自分にとっては……かけがえのない、大切な思い出となった。
────生きて帰ると、改めて誓う。
愛する人達の為にも、絶対に。
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