第十六話 未知の魔物を
第十六話 未知の魔物を
夜の森の中を、僅かな明かりを頼りに進む。
がんどう提灯。あるいは強盗提灯とも呼ばれる、一方向のみを照らす金属製のバケツめいたランタンを足元に向け、慎重に、しかし迅速に敵陣地へと進んでいった。
やがて、自分達のものとは違う人工の光を発見する。
「全員止まれ。伏せろ」
ケネスの言葉に兵達が従い、自分も同じく膝を曲げる。
視線の先では、夜間とは思えないほどの光量が溢れていた。かなりの数の松明が掲げられ、ネズミ一匹見逃さないとばかりに王国軍兵士達が見張りをしている。
がんどう提灯を地面に伏せ、光源は相手陣地のものと夜空に輝く星々のみとなった。
「……随分と警戒されていますね」
「そりゃあ、朝から昼まで若様があれだけ暴れましたからな」
「……まあ、むしろ『目撃者』が多いのは好都合という事で」
小さく咳払いしようとして、一応隠密行動中なのでやめておく。この距離なら聞こえないと思うが、気分の問題だ。
敵の野営地の防備は、予想以上に固い。木と土の壁がぐるりと囲い、血走った目の兵士達が巡回している。そのうえ、火矢対策か壁には泥まで塗ってあった。
装いからして、見張りには騎士達も混ざっている。下手な事をすれば、魔法で応戦されそうだ。
だが、それだけ厳重な警備も100メートルも離れたここまでは届いていない。
前世であれば有り得ない事であるが、夜の森の中で、この距離で有効な攻撃を敵陣地に加えるのは難しい。魔法の通常射程は長く見積もっても50メートル前後。自分でも70メートルが限界だ。
炎乱は別だが、あんなものを森で使えば自分まで酸素不足で死ぬ。
それゆえ、王国軍に落ち度はないのだ。
ただ単に、運が悪かったとしか言えない。
「総員、構え」
右手を軽くあげれば、うちの兵士達が手に持っていたライフルを構える。
「撃鉄を上げてください。狙いをつける必要はありません。ただ、明かりの方に弾が飛べばいい」
我がストラトス家のライフルは、有効射程およそ150メートル。火薬やライフリングの精度の問題で、この辺りが限界だ。
それでも。
「放て」
騎士の鎧だろうと、貫通できる。
───タタタタタァァァァン……!
連続して響く、黒色火薬特有の間延びする銃声。銃口からは白煙と火花、そして鉛玉が飛び出していく。
轟音が夜を裂いたのとほぼ同時。敵野営地の壁が幾つか弾け、そして3人の兵士が……いや。運が良い事に、1人は騎士が倒れたらしい。
「なんだ!?」
「敵襲!?魔法なのか!?」
動揺が走る王国軍。見張りの内何人かが、先の白煙を見てかこちらに顔を向ける。
だが、まだ余裕はありそうだ。
「半装填、よし」
視界の端。ケネスが斜めに地面へと突き立てる全長60センチほどの鉄の筒に、フラットが弾を半分だけ入れた状態で保持している。
この世界の、ストラトス家以外の者が見ればその弾を見て『奇妙な矢』だと思うかもしれない。
鉄の矢羽根に鉄のシャフト。そして先端が尖った水筒の様な、これまた鉄に覆われた物体。
ようは───軽迫撃砲と、その榴弾である。
「放て」
フラットが榴弾から手を離し、すぐさま顔を背けてしゃがみ込む。直後、炸裂音と共に弾が射出された。
夜空に放物線を描き飛んでいったそれが、敵野営地の内側へと落ちていく。数秒後、爆音が轟いた。
敵兵達に、更なる動揺が走る。
「今度は内側で!?」
「何かが飛んでいったぞ!」
「まさか敵が既に忍び込んで!?」
こちらへ来るか、内側へ向かうか混乱する王国軍。いや、多国籍軍。
彼らの指揮系統は、はたしてどうなっているのか。だが十中八九、統一はされていない。
上下関係から命令を聞く事はあっても、自軍の指揮権を丸ごとよその国の貴族に渡す領主などいるものか。
だが、全くこっちに来てくれないのも困る。ホルスターからソードオフショットガンを引き抜き、敵野営地に向けて発砲した。
当然というか、切り詰めた銃身もあってこの距離では有効打など与えられない。
だが、銃声と白煙が発せられれば十分。
「各員、がんどうランタンを奴らに向けてから転進。キルゾーンに向かいます。フラット、案内を」
「はいっ!」
茶髪にふくよかな体型の青年、森番の『フラット』が力強く頷く。
領地に帰ったら、レオだけでなく彼にも特別ボーナスを出さねば……。
フラットの後ろにつき、提灯の明かりを頼りに森を進む。背後からは怒声や足音が聞こえており、無事食いついてくれた様だ。
「ケネス。敵兵の数は」
「少々お待ちを。松明の数がひの、ふの……25から30と言った所ですな。詳しい人数は、暗くてわかりませぬ」
「十分です。急ぎましょう」
「はっ」
彼我の距離は、音からしてどんどん近づいている。
こちらはフラット以外森の環境に慣れていないのに比べ、相手は恐らく地元民を中心に追いかけてきたのだ。無理もない。
だが、それでも。追い付かれる前に目的地に到着する。
目的としていた開けた場所へ出るなり、左右へ散開。がんどう提灯に手をかざして2回点滅させ、合図を出した後、藪や木の裏へ跳びこんだ。十数秒後、松明を掲げた敵部隊が姿を現す。
それの瞬間。
───ポォッポォオオッ!!
汽笛の音が夜の闇に響き渡る。同時に、立ち上る炎を背にハーフトラックが姿を現した。
黒い煙突に取りつけられた、張りぼての不気味な頭。前面装甲にくっつけた不格好な前足。その後ろに隠れた近衛騎士達が、魔法で炎を上に放出している。
もしも昼間に見たら、何だこれはと、ただただ疑問符を浮かべるだけかもしれない。だが、今は夜で場所は森の中。
しかも、相手は陣地に奇襲を受けたばかりの出来事である。
「な、なんだあああ!?」
「魔物!?魔物なのか!?」
「狼狽えるな!よく見ろ。こいつは人が───」
他の兵士達とは違い、金属製の鎧に反りのないサーベルを持った男。横合いから彼に忍び寄り、至近距離でショットガンを発砲する。
銃声が響き、血と肉が飛び散った。
「き、騎士様!?」
更には隠れていた近衛騎士達が風弾を放ち、何人かを討ち取る。
それらを横目に、ケネスが火をつけた爆竹を地面に放った。
───タタタタァァァァン……!
「まさか、魔物が魔法を!?」
「嘘だ、そんな事!」
「逃げろ!逃げて報告しなくては!」
フラットが敵兵に紛れ、逃げる様に促す。同時に自分が端の方にいる王国兵の首を切り落とし、少し申し訳ないがその頭を別の兵士の足元へ投げつけた。
指揮官を失い、未知の脅威を前にして敵兵達が逃げていく。それを追いかける事はせず、再び響いた汽笛の音が彼らを見送った。
「……行ったようですね」
悲鳴が聞こえなくなった辺りで、小さく息を吐く。
「では、撤収しましょう。近衛騎士の皆さん、お願いします」
「ええ。お任せを」
後退を始めたハーフトラックの履帯の跡。それが、土魔法により消されていく。
そして代わりに獣の足跡そっくりなものが刻まれ、敵兵の死体はうちの兵士が離れた場所へ隠しに行った。
これで、一見すると未知の魔物が殺した兵士を食った様に見えるはず。猟師が見たとしても、魔物の捕食について詳しくなければ偽装と断言はできまい。
ケネスががんどう提灯で照らしてくれたのでショットガンに新しい弾を装填した後、クリス殿下とシルベスタ卿のもとへ向かった。
「上手くいったようだな、クロノ殿」
「ええ。後は、逃げ戻った者達が上手く話を広めてくれれば良いのですが」
「王国軍、敵は我らだけではなく魔物もいると思ってくれれば、それだけ行軍も遅くなるからな。兵士への警戒と、魔物への警戒では違う」
「そのうえ、未知の攻撃手段を持っていると判断してくれたのなら尚の事。今後は、汽笛の音と銃声だけで警戒してくれる様になります」
「そう、その銃声?とやらだ」
クリス殿下がずいっと顔を近づけてきて、その瞳をキラキラとさせる。
彼女の視線は、自分の腰にあるホルスターへと向けられていた。
「その銃とやらは凄いな!まさか、鎧を着た騎士を1撃で倒してしまうなんて!しかも魔力を感じなかった。他の兵士達も似た形の物を持っているあたり、クロスボウと同じく誰でも使えるという事か!?」
「ええ。ストラトス家秘伝の品ですので、詳しくはお教えできませんが」
「凄まじいな、ストラトス家!むしろ貴殿の領地には何がないのだ?」
「足りない物は数えきれないほどございます。あと、銃については出来るだけ内密に……」
「うむ。それの作り方次第では、戦争の形が変わってしまう物だからな。『可能な範囲で』ボクも黙っていよう!」
可能な範囲、か。まあ、それは当たり前である。彼女は皇族。帝国全体の為なら、ストラトス家が技術を独占し続ける事を許さないはずだ。
それを不義理とは思わない。多少、露見するのが遅れてくれれば十分。元より、独占し続けられると考えるほど、能天気ではないつもりである。
最近羽振りの良いストラトス家に、周囲の貴族から散々間者が送られているのだ。鉄砲の作り方なんぞ、恐らく既に漏れている。
だが、『量産』できるかは別だ。
スタートダッシュの差を活かし、このまま突き放し続ける。帝国で『銃器といえばストラトス家』となるのだ。国中からの発注で儲けた後、それをもとでに布や工芸品の工場を建て、農場も広げる。
下手をすると敵を作り過ぎるかもしれないが……今回の撤退支援で、他の貴族に貸しを作れたと思いたい。
帝国に帰ったら、殿下には敗戦の責任をとる前に我が家の活躍を広めてもらわねば。
元々は単にストラトス家が軍隊の通り道にされない事が目的であったが、それを果たすのに鉄砲も使わねばならない以上、その先まで考えねばならない。
……まあ。主に頑張るのは当主である父上だけど。
「しかし、あれだな」
クリス殿下が、不思議そうに首を傾げる。
「貴殿の作戦に賛成しておいてなんだが……クロノ殿が夜闇に紛れて敵陣地を奇襲し続けた方が、銃を使うより手っ取り早くないか?無論、もっと大規模な戦闘では『銃を沢山もっている方が勝つ』場合もあるだろうが。他にも、『もっと大きな銃』を使うという手も考えられるし」
「クリス殿下。それは自分を買い被り過ぎです」
彼女の言葉に、首を横に振る。
「平原での戦いで私は多くの首級をあげましたが、オールダー王国にも猛者はいます」
「その通りです、殿下。かの国には、クロノ殿でも油断できない強者が『2人』もいるのです」
「そうなのか……?勇者アーサーみたいなクロノ殿なら、楽勝な気がしていたのだが……」
いや。聖書に載っている勇者アーサーの活躍も、たぶんかなり盛っているかと……。
そう言いかけるも、全力で堪えた。宗教の否定は、本当にやばい。信心深い人の前で勇者や聖書の内容をどうこう言うのは、リスクが高すぎる。
「私は、勇者アーサー程の武勇は持ち合わせておりませんので」
「そうか……だが、クロノ殿が凄い事には変わりないぞ!」
「恐縮です。それで、警戒すべき2人ですが……これは、移動しながらにいたしましょう」
「そうだな。もう少ししたら、戻ってきた兵士達の報告を受けて敵軍が隊を再編してやってくるだろうし」
ハーフトラックと痕跡消しの隊に挟まれ、殿下との会話を続ける。
「まず1人目。『魔猪』の名で呼ばれる猛将。『ロクスレイ・フォン・ガルデン』。彼は引き知らずとも言われるほど苛烈な攻めをする将軍ですが、敵軍への突撃で自らも馬に乗り向かって行く事で有名です」
その暴れっぷりは、国境沿いでの小競り合いで遠目に見たらしい父上が『アレと正面からやり合うと、絶対に無事ではすまない』と真顔で言うほどだ。
「特に槍と馬の扱いに長け、魔法での撃ち合いより接近戦を好む変わった貴族です。彼の突撃を被害少なく受け止めるのは、ほぼ不可能と聞いています」
自分の説明を、シルベスタ卿が捕捉してくれる。
「……皇帝陛下の陣地を襲撃した部隊の先頭にも、ガルデン将軍がいたはずです」
「……そうか」
一瞬だけ目を伏せた後、クリス殿下がこちらに顔を向ける。
「それで、もう1人とは?」
「『ノリス・フォン・オールダー』国王です」
敵国とは言え、王様を呼び捨てにするわけにもいかず『国王』とつける。
殿下にとっては父親の仇とも言える人物だが、彼女は特に表情を変える事なく視線で続きを促してきた。
「彼は、17歳で国王の座を継ぐと混乱する王国を僅か1年でまとめ上げました。その際、自ら馬を駆って陣頭指揮をし続けたそうです」
「これは未確認情報ですが、ノリス陛下の腹違いの兄君を旗印に軍を起こしたガルデン将軍を一騎討にて打倒。それにより配下へと加えたという噂もございます」
「そうなのか……前にパーティーでお会いした事はあるが、確かに凄まじい覇気の持ち主だった」
どうやら面識があるらしく、クリス殿下が深く頷く。
「この2人が出てきた場合、状況次第では私も死ぬかもしれません。ですので、単独で突撃するのは『ここぞ』という時のみにしようと考えています」
あの時。平原で戦っていた時、ずっと視線を感じていた。
敵兵のど真ん中にいたのだから当然だが、その中でも2つ。特に濃密な死の気配を帯びた目があった。
恐らく、あれがオールダー国王とガルデン将軍の視線。彼らは、自国の兵士達や他国の援軍がすり潰されるのを許容してまで、自分の動きを観察していたのである。
ハッキリ言って、滅茶苦茶怖い。もしもあの2人が目の前に向こうからやって来た時は、この身を仕留める算段がついたという事だ。
「よくわかった。クロノ殿とストラトス家は、絶対に失う事の出来ない帝国の宝だ。無茶な頼みはしないようにする」
「ありがとうございます、殿下」
「今後も、王国軍に嫌がらせを続けよう。そして、隙を見て」
「彼らの食料を燃やすか奪うか、あるいは一服盛ってやりましょう。いかに多国籍軍が復讐心を燃え上がらせていたとしても」
「士気は絶対に挫ける。場合によっては、他国からきた軍はオールダー王国で略奪をした上で撤退するかもしれない」
願望も若干混ざっているが、十分にあり得る範囲だ。
夜の森を奥へ奥へと進みながら、皇太子殿下と悪巧みを続ける。
まだ、彼らの悪夢は始まったばかりなのだから。
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。励みになっております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。