第十五話 夕暮れと共に
第十五話 夕暮れと共に
「別に、兵士達の若様に対する忠誠心が揺らいでいるわけではないのです」
あの後。
平原から距離をとり、森の中で比較的開けた場所に野営地を建設中。
魔法で壁と堀を作る自分に、ケネスが小声で報告する。
「むしろ、あの戦場での活躍を見た事でより一層若様についていくと決めた者もいれば、決して逆らってはならないと心に誓っていた者もいます。兵達が御身の命令に逆らう事はございません。ただ……」
「ええ。僕も何となく、何故こうなったかわかりました」
ちらり、と。殿下の方に視線を向ける。
「ほう……フラットだったか?随分と手先が器用なのだな」
「凄いな!これは君が作ったのか?やるな、バートン!」
「それはどうやっているんだ?……なるほど。詳しいのだな、トムは」
手の空いている兵達が、今夜使う予定の小道具を作っている。それを見物し、殿下は屈託のない笑みで彼らを褒めていた。
ただ褒めるだけ、などと言えない。純粋に他者から認められるのは誰だって嬉しいが、今回は相手が相手だ。
一部を除きこの世界の平民に学なんてないが、それでも『皇族が凄く偉い人』という認識は持っている。
そんな皇族の中でも上の方にいる雲の上の人物が、自分の名前を憶えて、そのうえで嫌味なしに褒めてくれるのだ。
あれはもう、麻薬の類と言って良い。
「人徳というやつですね。皇太子という立場で、よくあれだけ真っ直ぐに育ったものです」
「ですな。本来、皇太子殿下から名を呼んでもらうなど貴族でも滅多にない栄誉です。それをああも気軽に、しかも裏などない様子でされては誰だって絆されてしまいます」
「僕にはできない事ですね。身分もそうですが、それ以前に打算なくというのが難しい」
「いや、若様も大概ですが……」
「そうですか?」
「はい……家臣としては、正直気が気ではありません」
真顔でそう告げるケネスから、ふいっと目を逸らす。
今以上に領民と距離を取ると、それはそれで日頃の業務や作戦行動に支障が出そうだ。聞かなかった事にしよう。
簡易的な防壁と見張り台も作り終わったので、殿下の方へと足を向けた。
「なあ、レオ!ボクにも運転席を見せてくれないか?操縦させてくれとは言わない。中をよく見せてほしいんだ!頼む!」
「い、いや。その、ですね。えっと……」
まるで近所の子供みたいなノリで手を合わせてくる皇太子殿下に、うちの騎士が今にも死にそうな顔をしていた。
断れば不敬罪。頷けばストラトス家への裏切り。凄いな。レオの顔が白を通り越して青になっている。
「クリス殿下。そろそろ昼食にしましょう。戦場ゆえ、大した物はお出しできませんが」
「おお、クロノ殿!いや。貴殿らの食料を分けてもらうのだ。感謝こそすれ、文句など言っては罰が当たる。気にしないでくれ」
「寛大なお心に感謝いたします、殿下。それと、あまりうちの騎士を困らせないであげてください。車両の中なら、後でお見せしますので」
「本当か!?ありがとう、クロノ殿!貴殿は心の友だ!」
こちらの手を取り、笑顔でぶんぶんと振ってくる。
……この距離、首を獲ろうと思えば一瞬でねじ切れるな。
思わずそんな事が頭をよぎる程の無警戒っぷりに、毒気が抜かれてしまう。
「よろしいのですか?」
「ええ。元々、移動や眠る時にハーフトラックへ殿下には搭乗してもらう予定だったので」
「そうでしたか……」
こちらの言葉を聞いて今にも魂が口から抜けてしまいそうなレオに、帰ったら何かボーナスを出してやろうと誓う。
たぶん操縦中も殿下から『なあ!なあ!これはどうやっているんだ!?』と質問攻めにされるだろうが、どうか耐えてくれ。
「殿下。あまりクロノ殿やストラトス家の方々に迷惑をかけてはいけません」
「むぅ……すまない。やはり聖書に出てくる『自動車』にそっくりなコレが、気になってしかたなかったんだ」
魔法で水を出してくれていたシルベスタ卿が、無表情で殿下を嗜める。
流石は近衛騎士。こういった苦言も慣れている様だ。それはそれとして、護衛なのだからもう少しクリス殿下の傍にいてほしい。
この野営地全域が彼女の『間合い』なのだろうが、この色んな意味で危険物と言える御仁をしっかり確保していてもらわないと困る。
……あるいは、この状況がそもそもの狙いか。
皇太子殿下の人たらしっぷりで、ストラトス家の兵達を篭絡。万が一自分が裏切った時に、数秒でも躊躇いが出来たら僥倖とでも考えているのかもしれない。
護衛対象でそんな事をしたのなら、とんでもない胆力である。
何はともあれ、昼食の時間だ。殿下も言っていたが、腹が減っては戦はできぬ。
幸い、ケネスと父上が荷台に載せられるだけ食料を載せてくれたのと、道中で燻製にしたクマ肉がある。人数が倍になった状態でも、ストラトス領に戻るまでは持ちそうだ。
「これは……スープパスタ……なのか?」
「殿下。クロノ殿を信じぬわけではありませんが、私が毒味を」
「いや、リゼ。流石にそれは失礼すぎだろう」
「殿下。お言葉ながら、シルベスタ卿の警戒はもっともです。我々の知らぬ所で、敵兵が食料に毒を盛っている可能性は0だと言いきれませんので」
「……そう言いながら、自分は毒味なしで食べるのだな。クロノ殿」
「……まあ。たぶん大丈夫だろうとは、思っているので」
手を合わせて祈りを捧げてから、フォークで麺を絡めとる。
本当は箸ですすって食べたいのだが、ケネスやレオからアレックスに報告がいってどんなお説教をされるかわからない。
この世界、そういう所まで前世のヨーロッパに似ているのか。『すする』文化が無いのである。
結果。自分がこの世界で麺をすすって食べられるのは、グリンダと2人でいる時だけだ。
「……これはっ!!」
「リゼ!?」
なんて事を考えていたら、シルベスタ卿が目を見開いて硬直した。
え、まさか本当に毒が!?
「……殿下」
「ど、どうしたのだリゼ。まさか、敵兵がなにか……」
オロオロとする殿下。何事だと殺気立つ近衛騎士達。それに触発され、武器を手に取る兵士達。
自分も慌てて皿を地面に置き、シルベスタ卿の治療をと立ち上がる。
そんな中、当の本人は非常に真剣な顔をクリス殿下へと向けた。毒で倒れる様子はない。
「宮廷料理人を今すぐストラトス家に弟子入りさせましょう。これは、芸術です……!」
「はっ倒すぞ駄騎士」
あ、いけない。思わず本音が。
「失礼しました、シルベスタ卿」
「いえ。気にしないでくださいクロノ殿。私もお騒がせして申し訳ない。しかし、それだけ美味なパスタです。これはいったい誰が作ったのですか?シェフの名をお聞きしても?」
真顔で迫ってくるシルベスタ卿に、数歩たじろぐ。なんだこの近衛騎士。
前世でラーメンが外国でバカ受けしたのは聞いた事があるが、うちの領のがここまでクリティカルするとは思っていなかった。
ちらり、と他の近衛騎士達に視線を向けるも、半分は見張り、半分は呆れた様子で食事に戻っている。
基本的に大きく表情を動かす者はいないが、1人だけ眉をひそめて我慢する様に食べる近衛がいた。恐らく、彼女には味が濃かったのだと思う。行軍を想定した保存食なので、塩と油が多めなのだ。ストラトス家のインスタント麵は。
全員の舌を満足させたわけではないらしい。いや、それが当たり前なのだけど。
思考を巡らせる自分に対し、答えを渋っていると感じたのだろう。シルベスタ卿が悔しそうに拳を握った。
「やはり、ストラトス家の最重要極秘事項でしたか……!くっ、貴殿とは戦友だと思っていたのに、教えてはくれないのですね……!」
いつの間に戦友になった。
色々と面倒になってきたので、ため息を飲み込み口を開く。
「えっと……うちの、グリンダというメイドが作りました」
嘘は言っていない。自分と彼女の共同開発であるが、厨房の事はメイドの領分なのでほぼほぼグリンダが作ったと言える。
頭の中で栗色の髪をした爆乳メイドが『私を売った!?』と驚愕していたが、まあ悪い様にはされないだろうから。ガンバ。
「なるほど、グリンダ……その名前、心に刻みつけました。感謝します、クロノ殿。否、心の友よ」
「……そうですか」
キリっとした顔で何言ってんだ、この女騎士。
「すまない、クロノ殿。リゼは普段もっと出来る子なんだ。今はちょっとダメな子になっているだけなんだ」
「殿下。殿下もこのスープパスタを食べればわかります。飛びますよ」
「なにがだ……?」
護衛対象を無駄に警戒させるな、このダメ騎士。
まあ、そのおかげか近衛騎士達とうちの兵達が『お互い大変ですねー』って顔で和やかな雰囲気になっているけども。
はっ!?まさか、これすら計算のうちだと……!?
「若様。たぶん違います。アレも天然です」
「あ、やっぱり?」
ですよねー。
何か危ない薬でも入っているんじゃないか?という顔で、殿下がフォークで麺を巻き取る。
そして恐る恐る口に運び。
「あ、美味しい」
ぽろり、と。素直な感想を言ってくれた。
それを聞いてうちの兵士達が『でしょー?』という様子で嬉しそうにするのだから、もはやこの人は何をやっても人気を得る気がしてならない。
色んな意味で予想外であったが、平民中心のストラトス家の兵達と、貴族出身が揃う近衛騎士達は上手くやっていけそうだ。
「時にクロノ殿。これは塩で味付けしている様ですが、他の味付けもあるのですか?」
「……野戦糧食の一種ですので、保存優先で塩味しか作っていません」
「なんと。私が思うに、このスープパスタにはまだ様々な可能性があります。トマト……いいや。いっそもっと油を足すか?豚の油も合うかもしれない」
「本当にうちのリゼがすまない……。普段はとても頼りになる子なんだ」
それはそうと、殿下はこの駄騎士の手綱をもっと短めに握ってほしい。どうすんですか、この残念な生き物。
戦争中とは思えない気の抜けた雰囲気が、青空の下流れる。
だが、それは日が出ている間のみ。
交代で昼間に仮眠をとった後、血の様に赤い空を見上げる。
日が沈み、夜が訪れた。シルベスタ卿を始め、近衛騎士達は一様にその整った顔から感情を消している。
彼女らは、家柄と容姿で近衛に選ばれた。そもそも近衛騎士とはそういうものである。
だが、積んできた訓練は選抜理由と一切関係ない。無駄のない立ち姿から、練度の高さが窺えた。うちの兵達とは質が違う。
これを味方に引き入れる事が出来て、本当に良かった。
自分の手を一瞥し、具合を確かめる。ケネス曰く、4時間はぶっ続けで戦っていたらしいので、流石に少し寝たら全快とはいかないか。まだ少し体がだるい。
魔力の方も現在約6割。体力的にも魔力的にも万全となるのは、感覚的に明日の朝ぐらいか。
「若様。フラットから報告です。王国軍の野営地を見つけたと」
「わかりました」
普段は森番として働いているフラットが偵察から戻ってきて、地図に敵軍の位置を書き込んでくれる。
「奴ら、随分と急いで隊を再編したようですな。追撃に動くとは思っておりましたが、動きが早い」
「それだけ無理をしていると考えたいですが、それにしてもこの動き……」
「王国軍は最初からこの追撃を予定していた様だな。道に車輪の跡がたくさんあったとフラットも言っていたし、物資をため込んでいたのだろう」
皇太子殿下が、その細い顎に指をあて『ふむ』と数秒ほど考える。
「彼らは、道中の村や街で買い物はしないのか?確かに食料を買う時間がロスになるだろうが、必要な物資全てを運ぶのは大変だろうに」
一瞬彼女が何を言っているのかわからなかったが、なるほど。
先行部隊も、流石に皇太子殿下の視界にあの惨状を入れるのは気が引けたか。
「……殿下」
傍にいたシルベスタ卿が、耳打ちする。
この場の指揮官組だけに、聞こえる声量。
「国境から王都までの村や街は、全て帝国軍が焼き払っています。食料どころか、人も碌に残っていません。略奪の限りが行われた後です」
「……えっ」
ぽかん、と。殿下が目を見開いて固まる。
「いや。だって、そんな……」
「事実です。今は『そうなのだ』と、受け入れてください」
淡々と告げる近衛に、殿下はくしゃりと前髪を潰す。
「……わかった。今は、今だけは、その事実を受け入れ、何も言わない」
「御立派です、殿下」
「やめてくれ。ただ、その……クロノ殿は」
何故か、縋る様な目がこちらに向けられた。
いや。この方は自分と大差ないか、少し潔癖なのだろう。正直、グリンダ以外にも価値観を共有できそうな人がいて安心した。
国境近くに領地を構える貴族としては、良くない価値観だとは自覚しているけど。
「我が隊は例のトラックに載せられるだけ食料を載せてから領地を出たので、略奪には参加していません。殿下も荷台はごらんになったはず」
「……!そうだな。すまない。忘れてくれ」
「はっ」
あちらも、自身と同じ『甘ちゃん』がいて安心したらしい。へにゃっとした笑みを浮かべている。
やばいな。自分までこの人の事が好きになってしまいそうだ。
「おほん……話を戻そう。では敵軍にとって、最優先で守らないといけないのは食料だな」
「はい。後続から物資の輸送はあるかもしれませんが、先頭の部隊もある程度の『弁当』は持ち歩かないといけないでしょうから」
「ならば、優先的にそこを潰せばいいわけか」
「ええ。行きましょう」
地図をしまい、腰の剣をゆっくりと抜く。
戦場でケネスが拾ってきてくれた、ごく普通の片手剣。その刀身は、炭で黒く塗っておいた。
鎧を着ているのは近衛騎士達のみ。小さく深呼吸をして、殿下に目配せする。
頷きを受け、外套のフードを被った。
「ストラトスの兵達よ、僕に続け。作戦を開始する」
「はっ」
「リゼ。皆。所定の位置に」
「承知しました」
領内の賊退治で、相手の拠点に夜襲をしかけた時を思い出す。あの時は『実験』だったが、今回は本番だ。
この世界ではまだ名も知られていない武器を手にした兵士達を連れ、夜の森を進んでいく。
王国軍には、いいや。多国籍軍には悪夢を見てもらわねばならない。
ストラトス家の為に。
読んでいただきありがとうございます。
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