第百二十話 バケモノを、ケモノへと変える為に
第百二十一話 バケモノを、ケモノへと変える為に
ゲーマウス伯爵達を送り届けたハーフトラックが戻ってきて、随分と経つ。
彼らの奮闘が、どれだけの時間を稼いだのか。それを知る術が今の自分にはない。
雲の隙間から見えていた太陽は、既に西の地平線へと沈みかけている。頭上を覆っていた雪雲はすっかり散ってしまい、今は黒と赤の混ざりあった空が地上を見下ろしていた。
今夜は、月と星が綺麗に見えるだろう。そう予感させる景色に、こんな時だというのに自分の心臓は酷く落ち着いていた。
馬の足音が、雪の大地に響く。そちらを振り返れば、ばん馬じみた巨体の馬に跨った、2人の近衛騎士がいた。
アリシアさんと、ジェラルド卿。彼らは胴鎧のみを身に着け、それ以外は厚手の防寒具で全身を覆っていた。
ファーのついたフードをすっぽりと被り、鼻から下も隠れるようにボタンを閉じている。露出しているのは、目元だけだ。
あの怪物を相手に、鎧など意味をなさない。だったら少しでも身軽になった方が良いと考えたのだろう。胴鎧だけは、転落時の備えとして装着したようだが。
最後の部分以外は、自分も同意見である。
「ストラトス伯爵。ラケルタが予定通りこちらへ向かって来ています」
「わかりました」
「それと……目立った傷は見受けられません。敵は万全に近い状態です」
「……はい」
わかっていたことだ。わかっていたことだが、思う所がないわけではない。
硬く目を閉じた後、ゆっくりと開く。勇者達への黙祷を捧げるのは、今ではない。
雪に覆われた地面に突き立てていた剣を、引き抜く。
今回の戦いにおいて、鎧は不要。あの強靭な爪と牙を前にしては、竜の鱗や骨を使った鎧とて意味をなさない。
紺色のコートに、厚手の黒いズボン。ブーツに手袋と、冬の街を出歩くような恰好。視界が狭まるのが嫌だったので、フードも被っていない。
この肉体でも、少し寒かった。吐き出す息は白く、耳たぶや鼻先がひんやりとしている。
だがまあ、すぐに暑くなるだろう。矛盾脱衣というやつではなく、シンプルに体を動かすことによって。
剣を手放してしまわないよう、紐で手首と鍔を巻く。焼き切れる、千切れてしまうかもしれないが。ないよりは良いだろう。
「お二人とも。手はず通りにお願いします」
「はっ」
「うっす。クロノっちも、お気をつけて」
「はい。ご武運を」
アリシアさん達の馬が離れるのを視認し、大きく息を吸い込んだ。
氷のように冷たい空気が、肺を貫く。痛みすらあったが、それが視界をクリアにしてくれた気がした。
準備は、した。思いついたことは、できる範囲でやった。
本当はアレがしたかったとか、コレを用意したかったとか、考えだしたらキリがない。しかし、もう賽は投げられたのだ。
勇者達によって作られた時間を、無駄にしてはならない。何よりも、自分達の背後にあるものを『ただでかいだけのトカゲ』に踏み潰されてなどなるものか。
先祖代々継いできた領地。そこに住まう領民達。戦友が、妻達が、これから生まれてくる子供達がいる。
故に。
「ふぅぅ……」
ゆっくりと息を吐きだして、腰だめに剣を構えた。
視線の先。そこには、既に深紅の巨体が見えている。
赤い夕陽はもう消えて、今は満月が照らす白銀の地上。煌びやかなその舞台に立つに相応しい、荘厳とすら言える姿であった。
竜の王。思わず、そんな言葉が浮かぶ。
砕氷船を見た貴族達が、まるで城のようだと言っていた。自分には、奴の姿こそ動く城塞に見えて仕方がない。
深紅の鱗は黄金で縁取られ、一歩雪を踏みしめるだけで大地が僅かに揺れる。口端から吐き出される息は、大河を覆う氷さえも一瞬で溶かしてしまいそうだった。
ルベル・ラケルタ。恐らく自分達よりも前の時代に転生した、勇者アーサーすらも討伐することができなかった存在。
そんなバケモノが、こちらを睨みつけている。
打倒すべき外敵に対する視線なのか、ただ歩くのに邪魔な障害に対する視線なのか。それを判別する術はない。
確かなのは、その瞳に明確な『殺意』がのっているということのみ。
───GGGGGGGGOOOOOOOOOOッッッ!!!
開戦のゴングは、一方的に鳴り響いた。
ガチリ、と。ラケルタの鱗が軋む。未だ数百メートルは先にいるというのに、その音が妙に響いた。
鱗の隙間から黄金の光を放ち、強大な竜は口腔へと膨大な魔力の奔流を集めていく。
奴から発せられる高温が周囲の雪を融かしていき、5メートルは下にあった地面すらも露出させた。
そのせいで僅かに巨体がずれたというのに、照準に狂いはないらしい。ピッタリと、自分に向けて怪物は大口を向けている。
随分とまあ、警戒されたものだ。勇者アーサーと、自分が似ているとでも言うのだろうか。
腰だめの構えを解き、駆け出す。雪煙を上げて横方向に走る自分へと、竜の首が追随した。
そして、極光が放たれる。
集束された魔力が熱線となり、炎の大剣となる。一直線に伸びたそれが、大量の水蒸気を作り出し、そして穿った。
ジェットエンジンに似た音が響き渡り、膨大な熱がこちらへと迫る。同時に、加速。
膝を大きく曲げ、雪の地面を踏みしめた。爆発じみた衝撃波を背後に、疾走する。
瞬く間に足元の雪が消える中、構うものかと走り抜けた。足裏に魔力を張り巡らせ、不安定な足場で強引に姿勢を安定させる。
この世界に転生して15年。その間に受けた父上からの訓練は、酷く厳しいものだった。これも子供の為と言って、泣きながら槍を振るう姿は狂気ですらあったと思う。
だが、そのおかげか。この状況でも体は思った通りに動いてくれる。
熱線が背後を貫いて、水蒸気が辺りを包み込んだ。常人ならそれだけで大火傷をする程であるが、この肉体には何の痛痒もない。むしろ、冷えていたので丁度良いぐらいであった。
土の地面を踏みしめれば、その熱がブーツ越しでも伝わってくる。湯気がたつ中で、剣を一振り横へ薙いだ。
疾風が起き、視界を覆う白いベールが一掃される。
開けた視界の中、遠く離れた場所にまだ奴はいた。ラケルタが、こちらを憎々し気に睨みつけている。
開戦の号砲としては上等。されど、所詮小手調べ。この程度で死んでなどやるものか。
……などと、内心で強がってみるが、やはり怖い。
今にも足が震えてしまいそうだ。本音を言えば、今すぐ剣を投げ捨てて逃げ出したい。
しかし、指はしっかりと柄を握り、足は自然と前へ踏み出していた。
こちらにも、譲れないものがある。守りたいものがある。
グリンダの顔が、脳裏をよぎった。お腹を膨らませた彼女の姿が浮かんで、頬が緩むのを自覚する。
まだ随分と遠いというのに、ラケルタの瞳孔が縦に絞られたのが見て取れた。人間の表情がわかるらしい。
ならば、言葉も理解できるか?
「どうした、ラケルタ」
重心を落とし、八双に似た構えをとる。しかし、より低く。より深く。
奴を相手に対人の剣術は無意味。対怪物の刃で立ち向かわねばならない。
父上にも教えてもらっていない、自分が独自に身に着けた剣技。さてはて。どこまで通用するのやら。
「この程度の小火で、まさか決着がつくとは思っていまい」
───GGGGRRRRRRUUUUUUU……ッッ!!
随分と、良い耳をしている。それとも偶然だろうか。
まるでこちらの言葉が、嘲りが聞こえているかのように、ラケルタが唸り声を発する。
「その牙は飾りか。その爪は偽物か。その巨体はこけおどしか」
不敵に、笑ってやる。ここまでついて来てくれた婚約者を真似して、精一杯憎たらしい顔をしてやった。
ラケルタの重心が、落ちる。
「違うと言うのなら、来るが良い」
今は帝都に向かっている戦友が、時折見せる『王』の……否。
『皇帝』の風格を、この時だけは模倣しよう。できているかは、わからないが。
「決着の時だ。ルベル・ラケルタ。ただの獣よ。その首、斬り落としてくれる」
───GGGGGGGGOOOOOOOOOOッッッ!!!
それは、憤怒の雄叫び。
砲弾が落ちてきたような雪煙を上げて、地響きを伴って強大なる竜は疾走した。
さあ。
バケモノを、ケモノに変えてみせよう。
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『コミュ障高校生、ダンジョンに行く』の外伝も投稿しましたので、そちらも見て頂ければ幸いです。




