第十二話 そして、時は序章へと追い付いた
第十二話 そして、時は序章へと追い付いた
「若様!」
槍を手に駆けてくるケネスの声で、フリーズしていた脳が再起動する。
「なんという無茶を!もう少しご自分の御立場を」
「ケネス。そこの敵軍馬を回収してください。僕は皇太子殿下を」
「私の話をきい、え、皇太子殿下?」
クリス殿下を脇に抱え、ついでにやたら目立つ殿下の白馬の死体も肩に担ぐ。
騎手を失い混乱している敵軍馬をケネスに任せ、丘の陰に走った。
とりあえず敵に見えない位置へと滑りこむ様に移動し、馬の死体を投げ捨て殿下を地面に寝かせる。
「失礼します」
言うと同時に、鎧の留め具を引き千切り強引に胴鎧を脱がした。光魔法とて万能ではない。患部を把握しなければ治療できず、かと言って魔力の流れで探るのでは時間がかかる。
パッと見た感じ頭部に外傷はない。胴鎧の脇腹に穴が開いていたのでもしやと思ったが、殿下の服は赤黒く染まっていた。
不敬を覚悟で、殿下の上着を思いっきり捲り上げる。案の定、腹部に風穴が空いていた。
他の怪我は?いや、とにかくこの傷を治さねばならない。
「白き光の加護をここに。癒しの風、慈愛の息吹、救いの抱擁よきたれ。『治癒』」
患部に掌をかざし、詠唱。白い光に包まれた傷口が見る間に塞がり、出血が止まる。
どこを怪我しているのかさえわかれば、後は魔力でどうとでもなるのだから、やはり魔法という『技術』はとんでもないファンタジーだ。
他に傷口がないか布で血を拭い去り、確認する。他は、特にこれといって見当たらない。呼吸も安定しているので、大丈夫……な、はずだ。
安堵の息を吐き、改めて皇太子殿下の体を見下ろす。
服を捲り上げた時に思ったのだが……腰が、ハッキリとくびれていた。
男性でも肉のつき方次第でそう見える事はあるが、どうにも違和感がある。何より。
ちらり、と。胸元に視線を向ける。そこにはまるでコルセットの様な物が巻かれ、皇太子殿下の胸を強く圧迫していた。
それでなお、こうして直に見ればわかる膨らみ。鳩胸と言うにも無理がある。捲り上げた衣服は鎧の下に着る物なので分厚いから、たぶんこれを下ろせば分かりづらいだろうけども。
下半身を確認せずともわかる。男装だ。皇太子殿下は『女性』である。
影武者?いや、だが影武者に異性を使うか?そもそも戦場なら、殿下の鎧を着て兜を被ればある程度身長が近ければ誰でも良いはず。異性である必要はない。
つまり……。
「若様!どうにか馬を宥めてきましたぞ!」
「っ!」
慌てて皇太子殿下の服を戻し、体を隠した。お腹の部分に穴が開いているが、流石にこれだけではわからないはず。
「あ、ありがとうございます。こちらも処置は終わりました。その馬は村人の誰かに預けておいてください」
「承知しました。それと、こちらに騎士が向かっております。数は10人。殿下の護衛でしょうな。噂通り、全員女性の様でしたし」
「そうですか。わかりました」
帝都には近衛騎士団が複数あるらしいが、その中でも皇太子殿下の護衛をする『親衛隊』と呼ばれる部隊は全員女性で構成されている。
魔力の存在により、女だてらにマッチョマンを素手で殴り殺せる戦士も存在する世の中だ。
それでも、出産等の理由で家督を継いだり騎士として働くというのは難しい。
だが……噂では皇太子殿下の側室候補として集められた女性の近衛騎士達も、あるいは皇帝陛下の『親バカ』が理由かもしれない。
なにせ、クリス殿下がとんでもない依怙贔屓で皇太子に選ばれたのは、帝国の誰もが知っている。
彼……彼?彼女?とにかく殿下の御母上は男爵令嬢。しかも生まれた順番で言えば第21子。上には7人の皇子がいた。しかもうち2人は正室の子。
そんなクリス殿下が皇太子に選ばれた事に納得できなかった者は多かったが、公に批判した者は全員が粛清されたか事故死している。
その中には、正室と、その子供達も含まれている。
以降、クリス殿下を皇太子の座から引きずり降ろそうという者は消えた。そんな話が田舎にまで流れているぐらい、皇帝陛下は無茶苦茶やったのである。
それほど溺愛している子供で、実際は娘。となれば、護衛を女性ばかりにした理由も我が子のハーレムを用意してやったと言うより……。
大丈夫か、この国。いや、既に現在進行形で大惨事だけれども。
どうにか気を取り直し、殿下をお姫様抱っこして馬蹄の音がする方へと向かう。
「殿下!皇太子殿下!」
目立つ鎧のおかげか。近衛騎士達はすぐ自分達に気づき馬を走らせてきた。
返り血なのか負傷しているのか、血まみれで必死の形相を浮かべる彼女らが武器を構える前に声を張り上げる。
「この身はストラトス子爵家長男、クロノ・フォン・ストラトス!皇太子殿下は無事です!我々が保護しました!」
名乗りを聞き、近衛騎士達が速度を緩める。
そして近くで止まり、5人が馬から降りた。
「ストラトス子爵家の方でしたか。私は『リーゼロッテ・フォン・シルベスタ』男爵です。殿下を助けていただき、心からの感謝を」
そう名乗り、近衛騎士殿。シルベスタ卿が兜を脱ぎ小さく頭をさげてくる。
兜を被るため頭に巻いた白い布から、灰色に近い銀髪がはみ出ていた。鋼色の瞳と怜悧な顔立ちもあって、刃の様な女性である。
歳の頃は自分とそう違わないだろうが、『男爵』だ。爵位をもたないただの後継者であるこの身よりも、格上の存在である。
「恐縮です、シルベスタ卿。皇太子殿下をお救いできた事を、生涯の誇りといたします」
「貴方の様な帝国貴族がいた事を、勇者アーサーと我らが創造神にも感謝せねばなりませんね。以降は、我々が殿下をお守りします」
「ええ。どうぞ」
シルベスタ卿の隣にいた近衛騎士がこちらに1歩踏み出したので、その人に抱えていた皇太子殿下を渡す。
彼女らは自分達の体を壁にしてクリス殿下を隠すと、シルベスタ卿の鋼色をした瞳が探る様にこちらを見てきた。
「ところで、貴方は光魔法が使えるのですか?殿下は重傷を負った状態で、敵に追われていたはずですが」
「ええ。王国軍の騎兵は僕が処理しました。また、殿下の負傷も治療を。『慌てていたのでよくお体を見ていないので』、見落としている怪我があるかもしれません」
「……わかりました。こちらにも光魔法の使い手はいるので、ご安心を」
兜の下で、頬に嫌な汗が伝う。
戦場という事で、こちらは顔を隠したままなのが功を奏した。少なくとも、表情から帝国のトップシークレットを知っている事がバレる事はない。
感情の読めない微笑みを浮かべるシルベスタ卿を前に、鎧の下で大量の冷や汗を掻いていると。
「リゼ……」
「殿下!?」
いつの間に意識を取り戻したのか、近衛騎士に肩を支えられた皇太子殿下が歩いてくる。
「無理をしてはなりません。どうか、安静に」
「いや。傷は問題ない。それより、そちらの御仁は……」
「ストラトス子爵家長男、クロノ殿です。敵騎兵を討ち取り、殿下の治療をしてくださったそうです」
「そうか……感謝する、クロノ殿。貴方のおかげで、命拾いした様だ」
「勿体なきお言葉。帝国貴族の務めを果たしたに過ぎません」
胸に手をあて、腰を斜め45度に。帝国式の、格上の相手に対する礼をする。
「顔を上げてくれ。貴方は命の恩人だ。後日、必ず報いる」
「ありがとうございます。それでは、ぼ……私は周囲の警戒を行いますので」
「ああ。わかった」
慌てて一人称を修正し、出来るだけ優雅にその場をあとにする。鎧の下では顔が引きつり、心臓が早鐘を打っていたが。
駆け足になりそうなのを堪えて、小高い丘をのぼり戻ってきたケネスと共に戦場を見下ろす。
その間に、『皇帝は死んだ!死んだぞー!』『クロステルマンの皇帝をぶっ殺したぞー!』と。何度も敵の雄叫びが聞こえてきた。
対して帝国軍からは、悲鳴や怒号しか聞こえてこない。となると……。
この戦は、帝国の負けだ。
───そして、時は序章へと追い付いた。
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