第九十七話 生きて帰って
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第九十七話 生きて帰って
軍議の日の夜、自室にて父上が残した資料を改めて眺める。
今回の戦争は、ハッキリ言ってかなり厳しい。
戦の必勝法とは何かと問われれば、多くの将が『敵より多い戦力を用意する』と答えるだろう。
兵数6倍以上。しかも全体を指揮するのはアナスタシア女王。
彼女の指揮官としての能力は未知数ながら、何十年も帝国の侵攻を防いできたスネイル公王が指揮権を委ねる程だ。間違いなく、非凡な才能の持ち主だろう。
戦場となる予定の土地も、比較的なだらかな地形だ。丘や森が近くにあるが、搦め手に使える程ではない。
この世界、というかこの大陸において、戦争は予めおおよその『場所』を決めて行う。
村や畑を巻き込みそれらを焼いてしまえば、征服後の税収に支障が出る故に。
もっとも、きちんと戦闘範囲を決めて戦うことの方が少ないが。大抵は、途中から戦線は拡大するか奥に引っ込むし、略奪等が発生した場合は街や村の中で戦うことになる。
……と、いけない。思考が横に逸れ始めた。
軽く眉間を揉み、何か見落としがないか。あるいは何か良い作戦が思いつかないかと、机の上の地図や手元の資料とで視線を移していく。
───コンコン。
「若様、グリンダです。お茶をお持ちしました」
「あ、はい。どうぞ」
「失礼します」
紅茶の載ったワゴンを押して、グリンダが入室する。
いつもの光景に視線を資料へと戻そうとして、すぐに顔を上げた。
「ちょ、なんで働いているんですか!安静にしていなきゃダメでしょう!?」
「そう言われましても、何もしないというのは落ち着かないので……」
「いいから、兎に角座ってください!」
なるべく優しく背中を押して、ソファーへと誘導する。
若干不満そうな顔のグリンダに背を向け、2人分のお茶を淹れ始めた。
「砂糖とミルクはどうしますか?」
「少なめでお願いします」
「……前は、少し多めに入れていませんでしたか?」
「最近、僅かにですが味覚に変化が出てきたようです」
「それは……」
そう言えば、妊娠すると味覚が変わると聞いたことがあったな。
「……えっと、今から何か酸っぱい物とか、厨房から貰ってきますか?」
「いえ、そこまでは」
「わかりました。何か欲しいものがあったら、言ってください」
「欲しいもの……ですか」
振り返ってそう問いかけると、彼女は少しだけ考えるそぶりを見せる。
そして、自身の隣を軽く掌で叩いた。
『だったら、お茶を飲んでいる間一緒に話さない?』
日本語での誘いに、頷いて返す。
ソファー前の机に、ソーサーと2人分のお茶を置き、グリンダの隣へと腰かけた。
肩と肩が触れ合いそうな距離。今となっては当たり前の位置だというのに、少し緊張する。
それはやはり、彼女の中にもう1つの命があるからだろうか。
『……何というか、体調は大丈夫ですか?いつもより、だいぶ魔力の流れに偏りがあるようですが』
『そうだね。普段みたいに魔法を使おうとしても、発動にラグがあるかな。偶に発動すらしない時もあるよ』
『魔法以外では?』
『うーん。味覚の変化以外だと、吐き気かな。こっちは魔法の不発以上に、ごく偶にだけどね。……あ、それと』
少しいたずらっぽい顔で、彼女がこちらを見てくる。
『何となく、オッパイが張る感覚があるかも。触って確かめてみる?』
『触りませんよ。もっと自分を大事にしてください……』
『つれないなー。冗談なのに』
ケラケラと笑い、グリンダは一口だけ紅茶を飲む。
『2、3カ月前は、こう言ったら私の胸をガン見してきたのに……ああ、もう飽きられてしまったんだね……』
『バカを言わないでください。大切な人の、大切な時期だからです』
『ふふ、知ってる』
こちらも、一口だけ紅茶を飲む。
……悪くはないが、グリンダの淹れた物の方が美味しい。
茶葉は同じだし、使ったお湯の温度も大差ないはずだが、何かコツでもあるのだろうか。
『……今度の戦争、凄い兵数差なんだって?』
『……ええ』
唐突な問いに、小さく頷く。
『ごめんね。こんな時期に、戦えなくなって。でも、頑張れば魔法の発動も……』
『それは、最後の手段に。貴女自身が危なくなった時まで、とっておいてください』
グリンダを見つめ、次に彼女のお腹を見つめる。
外から見ても物理的な変化はわからないが、魔力の流れからして確かにそこにある、小さな命。
未だ父親になった実感などわかないのに、その魔力が不思議なほど愛おしく思える。
『絶対に勝ちますし、絶対に守ります。貴女は家で、帰りを待っていてください』
『……そうするよ。あーあ。まさか、お館様の『戦力が減るリスクが~』っていうのが、本当に起きるとはねー』
天井を見上げてため息まじりにそう言うグリンダに、こちらも苦笑を浮かべた。
『……まあ、僕もまさかすぐに授かるとは思っていませんでしたが』
『この必中ドラゴン。もうルーナさん達まで孕ませるなんてね。アレックスさん達が嬉しい悲鳴を上げていたよ』
『あんまり、そういうこと言ってほしくないんですけど……』
『複雑?そのわりには、わりと序盤から嬉々としてあの5人を抱いていたよね。特にルーナさんに対しては、私が教えたテクニックを存分に活かして……』
『誠に申し訳ございません……!』
『謝らない、謝らない。怒っていないし、君は貴族として正しいことをしたわけだし』
座ったまま腰を折り曲げると、彼女の手がこちらの頭を優しく撫でてくれる。
『だから、これからも私以外とそういうことするのを、躊躇っちゃダメだよ?ただでさえ、ストラトス家は人手不足なんだから。お館様は、奥様一筋だったからねー』
『……でも、もしもそれがストレスになって、貴女や子供の健康に影響が出たら』
『考えすぎだって』
『しかし、母上は……今生の母は、僕を産んですぐに流行り病で亡くなりました』
『あー……』
本来、貴族は毒や病気にすこぶる強い。
その時流行した病気が魔力持ち相手にも通じる程ひどいものだったのもあるが、それ以上に母上が弱っていたからこそ、亡くなってしまったのだ。
加齢により魔力の生成量が落ちていたお爺様とお婆様と共に、まだ若く魔力量も安定していた母上まで……。
原因は間違いなく、妊娠による魔力の乱れ。そして、出産時に魔力の生成能力が一時的とは言え低下してしまったことだろう。
もしも、グリンダが母上と同じように……。
そう考えていると、隣からジトっとした目を向けられていることに気づく。
『ストレスを気にするのなら、不安になるようなことを言わないでほしいなー』
『す、すみません!つい……!』
『しょうがない。許してあげよう。お互い、新米パパと、新米ママだからね。失敗は当たり前だよ』
紅茶をもう一口飲んでから、彼女は続ける。
『2人とも、前世では父親になった経験も、母親になった経験もないからねー。人生2周目と言っても、初めてばっかりだ』
『ですね……』
『というか、私にいたっては来世で女性になって、妊娠とか。前世では絶対に考えなかったよ。そっちの趣味はなかったし』
『でしょうね。それは僕も同じです。まさか、転生した上に、別の転生者……しかもTS転生者と子供を作る日がこようとは』
こちらも、紅茶のカップを手に取る。
『ねっ』
『はい』
『勝ってとは、言わないから』
『はい』
『生きて、帰ってきてね』
『はい。絶対に』
肩が触れるか触れないかの距離で、揃って紅茶を飲む。
戦争前の高ぶりとも、血が凍るような感覚とも違う。
穏やかな熱が、全身を満たす気がした。
* * *
迷いはある。やるべきことがある。やっておきたいことがある。
時間は幾らあっても足りない。この戦力差を埋める為の一手を打つには、何より時間が欲しかった。
しかし現実は無慈悲であり、太陽の動きを止める術などない。
決戦の日は、あっという間に訪れた。
遠くからゴロゴロという雷鳴が轟き、空を見上げれば分厚い灰色の雲が覆っている。
視線を正面に向ければ、見渡す限りの大軍勢。
オールダー・スネイル連合軍。約2万5千人。
遠目にもわかる。最前列に立つ兵士達の顔は、揃いも揃って覚悟を決めた男のそれだ。弱兵など、ただの1人もおりはしない。
手に持っているのは、盾かスコップ。槍を持っている者は少なく、弓やクロスボウを持っている者が奥の方にチラホラいる程度。
もしかしなくとも、塹壕を掘るつもりだろう。魔法で一息に形成するのだろうが、それでも足りない分を手作業で行うようだ。
アナスタシア女王め。塹壕という戦術自体は元々存在したが、基本的に騎兵対策でこの大陸では使われていた。
しかし、今回は鉄砲と大砲への対策として使うのだろう。やはり、あの女王は油断ならない。
対するこちらの軍勢は、その数4千人。
なんの因果か、オールダー戦争の最初に予測されていた戦力差に近い。あの時と違うのは、どちらの軍が多いかと、寡兵側に他国からの援軍がいるかどうか。
残念ながら、帝国は周辺国からとことん嫌われている。だから4正面……今は3正面をやっているわけだ。
父上が集めた傭兵を、こちらの戦に使うことはできない。彼らは今、オールダー王国国境付近で敵の援軍が来るのを阻止している。
その指揮は、姉上が行うということを、ここへ来る直前に聞いた。
───私も、ストラトス家の女よ。
そう、彼女は告げて。いつものように長い金髪を掻き上げた。
実際の指揮は別の者が行うとしても、前線指揮官の椅子に高貴な血筋の者が座るのは、大きく士気に関わる。兵士や傭兵達に、それが『勝ち戦』だと思わせることができるから。
……あるいは、後がない戦いだと思われるか。
こちらの兵士達の顔は、シャルロット嬢が連れてきた義勇軍と、ストラトス家の部隊以外あまり顔色が良くない。
食事も睡眠も十分に与えた兵士達だが、士気まではやれなかった。
クリス様の演説もあって、これでも多少はマシになったのである。戦場に到着するまでの間に、脱走者が3桁に届かなかったのは不幸中の幸いだ。
ちらりと、そのクリス様の方を見る。
彼女は今、部隊を離れ親衛隊と共に敵軍との中間地点に向かっている。
停戦明けの大戦とあって、槍を交える前に両軍の総大将が挨拶を済ませるのだ。
ホーロス戦争では相手側が予想外の状態であった為できなかったが、今回はアナスタシア女王が前へ出てくる。
あの旧ドイツ軍を彷彿とさせる軍服姿で、肩に羽織ったロングコートをなびかせて歩いて来ていた。
その顔には、不敵な笑みが浮かんでいる。自信に満ち溢れた、覇王の笑い。兄妹だからか、あるいは王としての器がそうしているのか。彼女の笑みが、ノリス国王のそれとだぶる。
彼女らが両軍の中間地点で顔を合わせ、何か喋っている。
転生して随分と鋭くなった聴覚でも、流石に聞き取れない。
だが、アナスタシア女王の余裕に満ちた笑みは崩れず、クリス様の虚勢で作られた笑みは僅かにヒビが入った。
これは、しょうがない。クリス様の本来の戦場は、ここではないのだから。
───で、あれば。
白銀の鎧を、厚い雲から僅かに注ぐ日の光で煌めかせながら、魔剣の柄を握り直す。
それだけで、周囲の視線がこちらに集まった。敵も味方も、この身に注目している。
敵軍からは、強い憎悪と恐怖が。味方からは、尊敬と縋るような視線が。
……適材適所というやつだ。
自分が、やろう。味方を鼓舞し、敵の心を挫く役目を、このクロノ・フォン・ストラトスが果たしてみせよう。
開戦の角笛が、鳴らされる。
両軍がほぼ同時に魔法を発動し、地面を動かした。
作り出すのは、共に塹壕。こちらの方が寡兵ながら、横に伸ばす距離は同じ。相手の塹壕に、自軍の側面を取らせるわけにはいかない。
しかし数で負けている以上、塹壕を作る速度に差が出てくる。何より、両軍共に相手が陣地を形成するのを、ただ黙って見ているわけがない。
であれば、どうするか。
「■■■■■■■■■───ッッ!!」
一番槍の大役を、この身が請け負う。ただ、それだけで良い。
この地に集った誰よりも大きな声で、もはや人をやめた『誰か』の声すらもかき消す雄叫びを上げて。
『誰か』が飛び出してくるよりも速く、早く、疾く───前へ。
敵軍への突撃を、開始した。
読んでいただきありがとうございます。
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