第九十二話 奇跡はなく、必然のみが
第九十二話 奇跡はなく、必然のみが
これは、奇跡ではない。しかし、勇者教あってのことではある。
前世における19世紀。西部開拓時代と言われた頃、とある医師が銃で撃たれた者達を調べていた時、あることに気づいた。
絹は、弾丸を止める。
絹の強靭な繊維は、元々防具として矢を防ぐ為に使われることはあった。しかし、誰もたかが布切れで鉛玉を防ぐなど考えもしなかったのである。
だが、胸ポケットの絹でできたポケットチーフが鉛玉を止めたことで、その認識はひっくり返った。
それを発見した医師は、絹をふんだんに使った防弾ベストを作り上げた。しかし、絹は高級品。それが買えるのはごく一部の富裕層のみであった。
ついでに、そのポケットチーフで弾を受けた人は普通に死んだらしい。衝撃までは消えないし、そもそも別の箇所も撃たれていたので。
話を戻す。この世界は前世の中世よりも、製紙技術が進んでいる。だが、それだけではない。
布に関する技術……シルク、つまり絹の技術も、前世の中世とは比較にならない程に進んでいるのだ。
勇者アーサーが遺した『近代的な女性物の下着』『各種コスプレ衣装』のデザイン書。それらの再現の為に、勇者教は総力を挙げてきた。
おかげで、ストラトス家のような田舎貴族でも『絹の織り方の研究』なんてものに手を出すことができたし、短期間で絹の死装束とハンカチを用意できたのである。
はたして、これは皮肉なのか。それとも天啓なのか。何にせよ、この場にいる者達の祈りが生んだ奇跡ではない。
折りたたまれた絹のハンカチがもつ、防弾性。銀の弾丸という、鉛玉に比べて軽く脆い弾。
そして、素通りしてくる衝撃に耐える魔力が沁み込んだ肉体。
何度も実験をし、確信をもってこの場に自分は立った。この結果は『必然』である。
しかし。
「奇跡だ……奇跡が起きたんだ……」
「嘘だろう!?そんな、そんなことが……」
「主よ!ああ、主よ……!我らの声は、貴方に届いていたのですね……!」
「見ろよあの体を!惚れ惚れするぜぇ!」
「バカな……人竜は、神に、愛されて……ならば我らこそが、神敵だと……!?」
この場に集った者達にとっては、まぎれもない『奇跡』である。
「う、嘘だ……こ、こんな……」
呆然とした顔で後ずさるフィリップ司祭を、いつの間にか壇上にまで上がっていたケネス達うちの騎士が支える。
いいや、押さえる。
彼もこの状況のまずさに気づいたらしく、慌てて声を張り上げた。
「い、いかさまだ!そうだ、奴は人竜!生身の頑丈さで耐えたに違いない!」
「なにを言う、この不心得者が!!」
全力で、彼の言葉を否定する。
「この場に集った者達の祈りが、あの弾丸に魔を払う力を与えていた!それを否定することは、断じて許さん!」
そう告げて、チラリとVIP席を見る。
つられてフィリップ司祭も視線をそちらに向けると、彼の顔が固まった。
そこには、薄っすらと冷や汗を掻く教皇聖下がいらっしゃる。先の奇跡を否定するということはつまり、教皇聖下の信仰心までをも否定するということ。
事実上、勇者教の全てを敵に回すということである。
「だがしかし!皆様の中にも私がこの肉体1つ!肌のみで弾丸を止めたと疑う方もいるかもしれません!」
レオからマイク型の骨を左手で受け取り、民衆に呼び掛けながら。
右腕を、真横に突き出す。
「では、なんの加護もない弾丸を腕に受けましょう!そこに、我らの信仰心は。主の御心は介在しない!ただの銃、ただの武器!さあ、我が騎士よ!この腕を撃て!」
ストラトス家製のライフルを別の騎士から受け取ったレオが、頬を盛大に引きつらせる。
ついでに、顎が凄いことになっていた。ケツ顎が進行した結果、顎自体が伸びている気がする。
まあ、流石に錯覚か。
「あ、あの、若様。流石に、そこまでしなくても……」
「さあ、撃て!ここにいる全ての者達が、待っているぞ!」
「そうだ、撃てぇ!」
「血を見せろ!奇跡の証拠を見せろ!」
「お願いだ……!信じさせてくれ!」
「おいおい……!あっちのお兄さんも、中々セクシーな顎してんじゃないの!」
「嘘だ……信じない!人竜が神のご加護を得ているなど!それでは……!」
民衆の声も加わり、レオが涙目になりながらライフルを構えた。
「ああ、もう……!知りませんからね!」
───ドォォン……!
「つぅ……!」
銃声と白煙。そして、強い衝撃が腕に伝わった後、焼けるような痛みが神経を這う。
ぼたり、と。肉片の混ざった血が舞台に落ちた。鉛玉は皮膚を貫き、肉を僅かに抉ったのだ。
骨にまで届いてはいないが、痛いものは痛い。全身からあぶら汗が噴出し、歯を食いしばって上げそうになる悲鳴を堪える。
無意識に止血しようとする魔力の流れをどうにか遅らせ、右腕を民衆が見やすいように掲げた。
真っ赤な血が、前腕から肘に、肘から二の腕に。その途中で、ぽたり、ぽたりと落ちた雫が爪先を濡らす。
「見よ!我が肉体は、『加護を得ていない銃』により傷つけられた!これこそ、奇跡の証明である!私の肌が特別なのではない!神の御心により、銀の弾丸は防がれたのだ!」
喝采が、歓声が上がる。
人々は口々に神を称賛し、奇跡の目撃に興奮し、自分達の祈りは神に届くのだと狂喜した。だが一部の……恐らく敵国の兵士達は、真っ青な顔で嘆いている。
街全体を震わせる熱狂は、未だおさまるどころか勢いを増していた。
そんな爆発寸前の場で、誰かが叫ぶ。
「なら、この魔女裁判は何だったんだ!」
───さあ、仕上げといこう。
魔力制御で止血を行い、掲げていた腕を下ろした。
「私が!クロノ・フォン・ストラトスが悪魔と契約したというのは、真っ赤な噓である!であれば、誰が神の名を騙り、神罰を下すべしと言ったのか!」
そこで区切り、視線をVIP席。
否、その中央にいる、教皇聖下に向けた。
民衆の目も彼へと向けられる。流石にこの状況では冷静でいられないようで、教皇聖下は目を見開いて立ち上がった。
護衛の者達も動き出す中、『ショー』を続ける。
「この魔女裁判は、教皇聖下が起こしたもの……では、ない!」
ゆっくり周囲をねめつけ、1人の男に視線を定める。
引きつった声を漏らすその人物を、血に濡れた指でさした。
「フィリップ司祭!彼こそが真に悪魔と契約した、魔女である!教皇聖下をそそのかした悪魔は、彼の中にいるのだ!」
「ち、違う!わ、私は……そ、そもそも魔女裁判を言い出したのは……!」
必死に弁明しようとするフィリップ司祭だが、民衆の声にかき消された。
「殺せぇ!司祭を殺せぇ!」
「クソ神父!何が聖職者だ!」
「死ね!死ね死ね死ね!誰か死ねぇ!」
「なんでも良いからぶっ殺せぇ!」
熱狂。それは本当に、恐ろしいものだ。
今にも壇上へと押し寄せてきそうな民衆を、帝国兵達が必死に食い止めている。
彼らを落ち着かせるように、掌を掲げた。
「沈まれ!たしかに私は彼を魔女として糾弾した!しかし、魔女である証明ができていない!」
そう告げて、視線を執行官へと向ける。
広い壇上の上で、逃げ場がないと立ち尽くしていた彼。その肩を、がっしりと掴む。
「故に!私と同じ手段でもって、彼が魔女であるか否かを、確かめたいと思う!皆、聖なる弾丸に、祈りを!」
───オオオオオオオオ!
「教皇聖下!そして各国の代表の方々!貴方がたにも、どうかお願いしたい!彼が聖なる者であるのならば傷つかず、邪悪なる者であれば血を流すよう、祈っていただきたい!」
もはやこの流れは、誰にも止められない。
必死に助けを乞うフィリップ司祭を逃がすまいと、うちの騎士達が左右から腕を掴んで拘束している。彼の取り巻き達も、現在舞台の裏手で騎士達に取り押さえられているはずだ。
そして、教皇聖下も、勇者教も、彼を見捨てる以外の選択肢などないだろう。
ここでフィリップ司祭を庇えば、熱狂の矛先は教皇聖下に向かうのだから。その恐怖は、先程味わったばかりだろう。
何より、権威に傷がつく。どうしようもない、致命的な傷が。
この場にいる、フィリップ司祭以外の全ての者が祈りを捧げた。銃身内部の清掃が行われ、火薬が注ぎこまれる。
「魔女裁判とは!本来、神の敵を我ら人間が討つ行為だ!しかし、誰がその資格を持っているのか!それをまず確かめるべきだろう!」
その作業中、民衆に大声で呼びかけた。
さりげなく、レオが懐から出したうちで用意した銀の弾丸と火薬を執行官に渡す。これで火薬が湿気て不発では、面倒なことになるので。
「今回のように、本来裁かれるべきでない人間が、処刑されそうになるかもしれない!それを防ぐにはどうするか?そう、『裁く側の人間が、先にその刑を受ける』のだ!」
無傷の左胸を、どん、と叩く。
「その者が正しいのであれば、我らが主は奇跡を授けてくれるだろう!しかし、その者が間違っているのなら、容赦なく罰をお与えになる!」
「そうだ!」
民衆の中から、『さくら』達が同意の声を上げた。
それに反対する者は、この場にいない。できるわけがない。何故なら、今しがた『奇跡』が起きたばかりなのだから。
「私は提案する!これより魔女裁判を行う場合、執行官はまず生きたまま火にくべられ、手足を縛り水中に沈め、銃で撃たれるべきだ!その上で無傷だったのなら、刑を執行する!であれば、それは正しい魔女裁判だ!」
民衆は歓声で答えるが、はたして何人しっかりとした思考の末に同意したのか。
彼らは今、酔っている。このショーが、上手くいっている証拠だ。
「私は今しがた、銃で撃たれることで証明した!故に、この手で刑を執行する!教皇聖下!許可を頂きたく思います!」
全ての視線が、1人の老人に向けられた。
しばしの沈黙の後、彼は頷く。
「───許可する!」
「感謝します!我らが主に祈りを届けてくださったお方!教皇聖下が、フィリップ司祭を対象とした魔女裁判は正当であるとお認めになった!」
これで貴方も共犯です。教皇聖下。
以降、たとえ絹による防弾性が認められても、彼と彼の派閥が全力で庇ってくれるだろう。そうしなければ、教皇聖下が認めた『奇跡』が、間違いだったことになるのだから。
信用商売なのは、貴族だけではない。聖職者もまた、信用で飯を食っている。
しかしまあ、父上が見たら卒倒しそうな光景だ。信仰ではなく、恐怖と実利によって神罰の代行権を得たのだから。
実際、信心深いクリス様は真っ青な顔をしている。自分が無事だった時は喜んでくださったが、今は『本当にこれで良いのか』と、冷や汗を流しながら焦っている様子だ。
彼女には、事前にある程度仕掛けと事情を、そして今後の『効果』を説明している。その上で、ああも迷っているのだ。
それでいい。あのお方は、それで良いのだ。
弾込めを終えた執行官から、銃を受け取る。銃身、及び銃身上部の穴に破損は見受けられない。随分と頑丈に作ったらしく、普通のライフル銃の倍は重さがありそうだ。執行官がふらつくわけである。
銃の点検を終え、銃床を脇に挟みフィリップ司祭の心臓に狙いを定めた。銃口からの距離は、先程の自分と同じぐらい。
「待て!待ってくれ!お願いだ、殺さないで!」
「狼狽えるな!神のご加護があれば、銀の弾丸を受けても汝の肉は裂けぬ!」
───これで弾丸が止まったら、それこそ奇跡だ。
そう思いながら、火種を銃身上部の穴へとねじ込む。
こんなはずじゃなかったばっかりの、この世界。『魔女裁判』という名のショーの大詰めにして、最後の賭け。
運命は彼に微笑むのか、否か。その問いかけに──。
ドォォン……!
白い司祭服を汚す赤色が、返答した。
「が、ぁぁ……!?」
「これにて!」
空になった聖都の銃を執行官に返却し、代わりにレオからストラトス家のライフルを受け取る。
フィリップ司祭の両脇を支えたまま、うちの騎士達が舞台の中央に移動した。まるで、聖人の磔のような姿勢で、彼は胸の中央から大量の血を流している。
まだ僅かに息がある司祭の後頭部に、ライフルを突きつけた。
……ああ、ここまで『ショー』としてやっといてなんだが。
「魔女裁判を、閉廷する!」
黒色火薬の、間延びした銃声が轟く。集まった民衆に向けてフィリップ司祭の血肉が飛んでいく。
地面に散らばった『人間の残骸』に、彼らは喝采を上げた。正義がなされたのだと、悪魔に取り付かれた司祭の死を喜ぶ。
……やっぱり、『処刑』というのは好きになれない。
必要だから行うが、それでも不愉快だ。もっとも、散々人の命を見せ物にした自分が、不平不満を言って良いわけがない。
渋面になりそうなのを堪え、無理やり笑みを浮かべる。
「さあ、皆祝え!酒を飲め!そして教皇聖下を称えよ!己を称えよ!隣にいる者を称えよ!この地に集った者達の祈りが、邪悪を撃ち滅ぼしたのだ!教皇聖下、万歳!創造神、万歳!勇者教、万歳!」
「教皇聖下、万歳!」
「創造神、万歳!」
「勇者教、万歳!」
うちで契約している商人達が、酒樽を次々開けていく。それを住民達に振る舞い、集まった勇者教の神官達にも飲ませていった。
熱狂は、酒で流す。宴会でバカらしい程に騒げば、誰もが頭を冷やすものだ。
なんせ、翌朝は二日酔いで何も考えられなくなるので。神の血とは、かくも素晴らしいものだ。僕、お酒苦手だけど。酔えないし、この体。
銃を下ろし、フィリップ司祭の亡骸を運ぶ騎士達を呼び止める。
そして、そっと。額に大穴を開けたフィリップ司祭の瞼を閉じさせる。
「おやすみなさい。貴方が早めに、地獄の刑期を終わらせることを祈っていますよ」
これにて、魔女裁判は終了し。
その後は、飲めや食えやの宴となった。
読んでいただきありがとうございます。
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『コミュ障高校生』の外伝も投稿させていただいたので、そちらも読んでいただければ幸いです!




