第九十話 まるで、道端で偶然出会った友人同士のように
第九十話 まるで、道端で偶然出会った友人同士のように
言葉が詰まって出てこない自分に、アナスタシア女王はふっ、と小さく笑う。
「すまない。即答できる内容ではなかったな。もう少し、ゆっくり話すとしよう」
彼女はするりと離れると、再び対面の椅子に腰かけた。
数秒ただ茫然と女王の動きを目で追って、ようやく脳が再起動する。
慌てて姿勢を正す自分に、アナスタシア女王は背もたれに体を預けながら口を開いた。
「貴殿は、もう十分すぎる程に帝国へ尽くした。本来なら皇室が片付けるべき問題にまで、命を懸けて尽力してきただろう」
「……それは、そうかもしれません。しかし、自分はストラトス家の次期当主として。必要なことをしたまでです」
「そうだろうな。ストラトス家は今、軍事だけではなく、経済の面でも台風の目になろうとしている」
コーヒーを一口飲んでから、彼女は続けた。
「先々代から取り組み、数年前に完成した大型船すら迎えられる港。他領の数倍はある農作物の収穫量。ガラスや陶器等の販売。ここに今後、ハーフトラックや不思議な船等の輸送力も加わる。工場とやらもあったな」
楽しそうな語り口に、今更驚きはしなかった。この人物ならば、ストラトス家の内部事情すら把握していても、不思議ではない。
「奴隷に自分を買い直させ、市民として受け入れる。兄上もやろうとしていたが、女子供が十分に働ける場は用意できなかった。工業力、とでも言えば良いのか。素晴らしいよ、本当に」
「ノリス国王が……?」
「あいにく、予算と技術力の問題で目立った成果は出せなかったがね」
小さく肩をすくめる、アナスタシア女王。
彼女の様子から、兄の仇に対する憎しみのようなものはあまり感じられない。
「話を戻そう。以上のことから、ストラトス家にとって大事なのは『販路』だ。帝国が平和であればある程、貴殿らの領地は潤う。それは更なる飛躍への準備にもなるだろう。だからこそ、帝国には平和であってほしかった」
探るような目ですら、ない。
確信をもって、彼女はこちらを見つめる。
「無論、そこに帝国への忠誠や、貴殿の個人的な感情もあったのかもしれない。だが、それでもあえて言おう。ストラトス家にとって、商売相手は帝国でなくとも良いのではないか?」
「……お言葉ながら、帝国以上の市場など、大陸広しといえどそうはありません」
「そうだな。しかしそれは、既に帝都の商人達が根を張った市場だ」
自然な間をおいて、アナスタシア女王は答える。
「今は戦時中だから、食料の輸出に困ってはいないだろう。だが、再びガラスや磁器などを出し始めたら彼らはどう思うだろうな?ストラトス家にとって、ある意味で最大の敵となるだろう」
「……帝都周辺だけが、帝国の市場ではありません。彼らと争わない道もあります」
「その通りだ。しかしそれは、彼らが貴殿程まっとうな倫理観と……いざとなれば降りかかる火の粉を薙ぎ払える、武力を持っているからだ」
アナスタシア女王の言葉は、反論しがたいものであった。
元々、家の中でも危惧されていたことである。我が家で経済圏を作り出した商人達を、帝都の商人達が強く警戒していると。
更には、ガラスや磁器はストラトス家以外にもメインの産業にしている家がある。彼らが、うちの躍進を黙って見ているわけがない。
表には出ない裏側で、ストラトス家への包囲網が作られるだろう。それは、元老院すら動かすかもしれない。
味方の貴族達に向かって、刃を振るうことができるのか。下手をすれば、全てが敵になる。商売どころではない。
「貴殿もカール伯爵も、そこらの商人以上に金勘定が上手い。だからこそわかるだろう。帝国の市場は肥沃な大地ではあるが、とうに木々が育ってしまった後だと」
「……貴女は、我が家にオールダーを開拓しろとおっしゃっているのですか?」
「既に、それを条件に商人達や傭兵を用意したのだろう?だが、帝国から鞍替えしろと言うのに、それでは足りない。スネイル公国の市場も、ストラトス家が食らえば良い」
アナスタシア女王は、平然と同盟国の市場を出してくる。
「知っての通り、私はスネイル公王から後継者として指名されている。彼の息子達は納得いっていないが、それでも多少の時間をかければ制圧可能だ」
でしょうね、と。内心で同意する。
彼女は間違いなく、ノリス国王に並ぶ天才だ。カーラさんは帝国の層が厚いと言ったが、オールダー王国も決して引けをとらない。
「かの国の経済も、決して余裕はない。なんせ、元々帝国への対抗策として様々な国を無理矢理吸収したのだ。当然、市場はろくに育っていない。外から見る以上に、あの国の内側はボロボロだよ。それでも帝国と戦えていたのは、公王が優秀な将であり、統治者であったからだ」
「…………」
「栄養ある土地だ。ストラトス家の根は、すぐに広がるだろう。帝国に並ぶ木々をなぎ倒して新しく植え直すより、楽だとは思わんか」
「……しかし、それも貴女が時間をかけてスネイル公国を掌握したらの話。帝国との戦は、どうなさるおつもりで?」
「貴殿らがこちらについたら、防衛以外の戦闘はしない」
きっぱりと、彼女はそう告げた。
そう答えるとは予想していたが、即答なのは想定外である。思わず目を剥く自分に、アナスタシア女王は淡々と続けた。
「兄上……ノリス国王と、コーネリアス皇帝。彼らの死が、互いに退けぬ状態を作り出した。しかし、退けぬからと言って立ち止まれないわけではない。最低限の対応だけして、後はゆっくりと力を蓄える」
再び、彼女はコーヒーを一口飲んで、語る。
「オールダー王国と、スネイル公国。それらにストラトス家の根を広げれば、数年で全盛期の帝国に並ぶ力を得るだろう。老いた帝国など、敵ではない」
「……帝国に立ち止まる理由はありません。貴女方が育つ間、全力で攻撃をしてくるでしょう。その防波堤に、ストラトス家を使うつもりなのでは?」
「貴殿もわかっているのだろう?どれだけ我らが憎かろうと、かの国にそれをする余裕はない」
赤い唇が、皮肉気に弧を描く。
「モルステッド王国。あの国とも帝国は戦争中だ。そして、ホーロス王国のこともある。戦争に勝利したとは言え、リソースを割かねばならないし、割いたリソースが戻ってくるのもいつになるかわからない。何やら、随分とスムーズに土地や水源の把握を済ませているようだが……限度はあろう?」
悔しいが、その通りだ。
帝国に、起きている問題全てに対応する余裕などない。主力部隊が速攻で相手を叩き潰し、次の戦場へと駆けていく。そんな無茶をやって、やっと4正面から3正面になった。
そして、その主力部隊を支える柱の1つが、ストラトス家である。
自分達が抜けてしまえば、補給的にも戦力的にも大打撃だ。彼女は、それを狙っている。
「裏切り者は優先して叩き潰す。それがベストであるが、帝国はそれに全力を注ぐことができない。何かと理由をつけて、戦線が落ち着いたオールダー・スネイル側よりも、『立ち止まることができない』モルステッドへと集中することになるだろう」
「立ち止まることが、できない……?」
「気になるか?まあ、そこはおいおい説明するとしよう」
くつくつと笑うアナスタシア女王。
はったりか?この人を相手に、腹芸で勝てる気がしないが……。
しかし、全くの嘘とも思えない。昼間見たモルステッド国王のあの様子。それに、父上が作っていた彼の国に関する資料。ギルバート侯爵の見解。帝都での中途半端な行動。
あの国が、政治的な交渉で帝国と歩み寄ることができるとは思えない。たとえフリッツ皇子の妻子を利用したとしても。
「モルステッドの状況が、貴女の言う通りだったとしても。我らが帝国を裏切る理由にはなりません。国への忠誠と、それに見合った褒美を頂くことになっています」
「これは、ただの世間話なのだが」
「……?」
突然なにを言い出すのかと、アナスタシア女王の言葉に首を傾げ。
「オールダー王国には、『一度燃えたら手が付けられない油の沼』がある」
「っ……!」
思わず息を飲んだ自分に、彼女は気にした様子もなく続けた。
「兄上も何かに使えないかと調べたが、なんせ扱いが難しい。とりあえず下はどうなっているのかと掘ろうとしたが、技術も人員も足りなかった。わかったのは、とんでもない量が地下に眠っているということだけ。まるで油の海の上に、我が国は浮かんでいるようだ」
「……なぜ、それを……」
「クリス陛下が、帝国内でそういった物を探していると聞いてね。同時に、ストラトス家が褒美としてそれの調査を要求したことも知っている。であれば、それを何か……そうだな。工場やハーフトラック等に使うのではと、思ったのだよ」
功労者へ褒美を配る余裕がない帝国に出した、ストラトス家の要求。
隠すことはできないと思っていたが、アナスタシア女王にまで伝わっていたか……!
国境近くにあるうちのことを把握されている可能性はあったが、帝都の中枢まで、彼女は知っている可能性がある。
あくまで、可能性だ。しかし、無視できる範囲を超えている。
政治でも、ストラトス家の事情においても。
「その用途は、生憎と私は技術関係に疎いのでね。詳しくはわからない。だが、この要求は『真実の愛』故に君が皇帝に甘い要求をしたのではなく、ストラトス家が喉から手が出る程に欲しているからだとは、思っているよ」
油田。21世紀においても、莫大な富と力を生み出す存在。
電気関係の技術が進んだ前世の日本でも、石油は不可欠であった。電気自動車や水素エンジン等が形になってきても、何かを動かすのに石油以上のエネルギーは実現できていなかった。
ましてや、ストラトス家の工場でやっと豆電球が作れただけのこの世界において、次の飛躍の為にストラトス家は油田を欲している。
エンジンの開発や、油田の採掘に加工。やるべきことは数えきれない程あり、成果が実を結ぶのは自分より後の時代だろう。
だがそれでも、ストラトス家にとって莫大な利益となるのは確かだった。
それが、オールダー王国にはある。発言の内容からして、場所まで把握している状態だ。
「成長の余地に溢れた、未開発の市場。貴殿らが求めてやまない、油の沼」
アナスタシア女王が、ゆっくりと肩の高さまで両手を上げる。
「さて。利益という点では、帝国にこのまま属するよりも多くの物を与えられると思うが?」
「……確かに、魅力的な提案です。しかし」
深呼吸を1回。
飲まれるな。彼女のペースに乗せられているぞ……!
こうして『会話』をしている時点で、術中というのは承知の上。しかし王を相手に途中で退くことはできない以上、挑まねばならない。
「利益だけで生きていける程、人の血は冷たくありません。情あってこその人。やはり、貴女の提案には頷けません」
「情、か。クリス陛下とその周囲について気にしているのなら、見逃してやっても良いと思っているぞ?」
少しだけつまらなそうに、アナスタシア女王はティーカップを弄ぶ。
「皇帝の血を残すことの危険さは承知しているが、貴殿がこちらについてくれるのならお釣りがくる。何より、私も彼と彼の親衛隊は殺すに惜しいと思っているのだ。少し話した程度だが、彼は政治ではなく技術者でこそ輝くタイプだろう。親衛隊も、癖が強そうだが、有能そうだ」
……この人の目は、どうなっているのか。
まさか、他人の周囲に能力値とか表示されていないだろうな。
「適当な屋敷に、クリス陛下と周囲の者を20人程住まわせて、余生を過ごしてもらうのも良いだろう。子を残すのも良いだろう。それでもなお、私が、私達が勝つ。そう思っているよ」
彼女の瞳が、こちらを射抜く。
「私と貴殿の子は、さぞや素晴らしい才能を持って生まれてくるだろう。甥っこ達がまだ赤子だった頃に抱いたが、子供とは良いな。未来への希望と不安が、心地よい。早く自分の子を抱いてみたいものだよ」
「……自分が言っている情とは、クリス陛下達のことだけではありません」
一瞬、ほんの一瞬だけ。彼女らの首を落とさなくて良いかもしれないと、安心してしまった自分を恥じる。
その想像は、この身がオールダーに恭順するという前提のものだから。
「ノリス国王。彼の仇である自分を、オールダー王国が許すわけがない」
「許しはしないさ。絶対にな」
小さな音と共に、彼女はカップをソーサーに置いて。
椅子にかけていたコートの内ポケットから、一通の手紙を取り出した。
「だが、『耐える』ことはできる。憎しみだけで生きていられる程、うちの国は余裕がないのでな」
彼女が差し出してきた手紙を、少しだけ迷った後に受け取る。
使われている蝋印は、ガルデン将軍のものであった。
「……ここで読んでも?」
「無論だ」
「失礼します」
一緒に差し出されたペーパーナイフで封を開け、中身を確認する。
戦場での猪っぷりとは真逆の、落ち着いた文章がそこにはあった。
その内容を要約すると、以下のようになる。
『帝国の悪魔と罵ってはいるが、ストラトス男爵が帝国の人間でなくなるのであれば、儂は矛を下ろそう。悪魔ではなく、ただの人竜となったのであれば、ノリス陛下の一件を恨むのはお門違いである。あのお方は、誇りを持って戦い、散ったのだ』
『ストラトス男爵が怪物などではなく、人の心を持つことはノリス陛下のご遺体に対する扱いでわかっていた。それを報告してきた仲間達を、感情のままに殺めたことを悔いている。取り返しのつかないことを、してしまった』
『儂はその責任をとり、スネイル公国の不穏分子の制圧が終わった後即座に自害する。そして、儂の遺産は全てこの手で殺めた同胞達への贖罪に使うよう、後の者達に託す。アナスタシア女王には、彼らの名誉の回復をお頼みする予定だ』
『ストラトス男爵がこの手紙を読んでいるのなら、儂の死後アナスタシア女王を。姫様を支えてほしい。戦場や政治の場でなくとも良い。傍にいて、話を聞いてやってくれ。あの方は、ああ見えて情に厚い方なのだ。そういう所は、兄君にそっくりだから』
そう、締めくくられた手紙。
偽造とは、思えない。所々、悲しみか怒りかで震えた文字。涙が滲んだ痕。そこに、彼の受け入れられない思いと、それを必死に抑える理性の戦いが見てとれた。
これが偽物であったのなら、仕方がない。そう、思える手紙であった。
「ロック爺……ガルデン将軍は、頑固者だ」
ぽつりと、アナスタシア女王がこぼす。
「脳みそが貴殿の刃で欠け、それを愛馬の脳みそで埋めるという暴挙に及んだ後も、言動が多少過激になった以上の変化はない」
その全てを射抜くような瞳は、今だけ。
堪えきれない、憂いを帯びていた。
「内心では、この誘いを貴殿が断ってくれることを期待しているのだろう。そうなれば、思う存分復讐に狂うことができると。しかし、国への忠義が彼を将たらしめている」
ふっ、と。彼女は力なく笑う。
「本音を言おう。私も、貴殿には恨みがあるさ。長年オールダー王国を苦しめていた帝国を、これで倒せる。今後は国を富ませることができる。苦労をさせてきた民に、温かい食事と寝床を与えられる。そう思っていた所を、突然思いっきり殴りつけられたのだからな」
その瞳に浮かぶ感情が、憂いから怒りに変わる。
ギチギチと彼女の拳が音をたて、炎のように赤い髪がざわりと僅かに動いた。
「なにより……私にも人並みの情がある。尊敬する兄を、ここまでずっと頑張ってきた兄を、無残に殺されて。何も思わないはずがない」
それは、当たり前のことだった。
彼女には、自分を恨む理由がある。権利だのという、損得が絡む話ではない。どちらの国が、どれだけ殺したという話ではないのだ。
理屈ではなく、1人の人間として。兄を殺されたことを、アナスタシア女王は恨んでいる。
「戦場でのことだ。貴殿は我が兄の遺体に、敬意を表してくれた。故に、この感情はロック爺の言う通り、お門違いなのだろう。だがな……!」
明確なまでの殺意。
それをぶつけてくる彼女の瞳を、座したまま見つめ返す。
「それでも……返してくれと。一緒に街へと抜け出して、遊びまわって、ロック爺に怒られる。そんな日々を、返してくれと……そう言いたくて、たまらないんだ……!」
殺意の波が、霧散する。
数秒だけ目を閉じて。その双眸が開かれた時には、アナスタシア女王は為政者の瞳に戻っていた。
「……だが、耐えよう。そして、貴殿のことを称えよう。勇猛なる戦士よ。類稀なる力と知恵を持つ英雄よ。人中に生まれた竜よ。なにより……その力に責任を感じてしまった、哀れな人よ」
彼女との間にある、小さな机。
本来の大きさより遥かに長く広く感じていた机の上に、白く華奢な手が差し出される。
「ここまでの犠牲を無駄にしない為に、最後まで走り抜くというのなら。私は貴殿を覇王にしてみせる。あるいは、もう戦うのは疲れたと。ただの人に戻りたいのなら、私に任せろ。ストラトス領以外の全てを管理してやる。貴殿の所に、戦の炎が届かないようにしてやる。だから……!」
願うような、そんな声で。
「私と共に、歩いてくれ……!」
年相応の少女のように、彼女はこちらを見つめていた。
───ああ。
神様というのが存在するのなら、きっと性格が悪いに違いない。
震えそうになる声を、必死に整えて。細心の注意を払いながら、言葉を紡ぐ。
彼女の覚悟に、応える為に。
「お断りします」
ただ、それだけを。彼女に伝えた。
覇王になる気はない。だがそれでも、ここまでの歩みを無駄にはできない。いいや。きっと目の前の人の手を取ったら、それを無駄にしないでくれるだろうけれど。それでも。
これは、他人に委ねて良いものじゃないから。
殺めてきた者達だけではない。信じてついてきてくれた者達の為にも。背中を預けてくれた戦友達の為にも。
道を曲げることはできないし、したくない。
「……そうか」
深く理由は聞くこともなく、アナスタシア女王は手を引っ込めた。
「不思議だな……兄の仇が敵になってくれたことを喜ぶ自分と、労せずして帝国に勝つ為の交渉が失敗したことを嘆く自分がいる。己の心というのは、他人の心以上に御しがたい」
自嘲するように笑った後、彼女は立ち上がり、2人のカップを下げる。
「冷めてしまったな。今、淹れ直す」
「ありがとうございます」
敵と呼んだ男に、無防備な背中を見せる彼女。敵である女が用意した飲み物を、平然と待つ自分。
ここで、自分がアナスタシア女王を殺すことはない。同時に、明日の裁判でこの身が死なないと確信しながら、彼女は毒をコーヒーに盛りはしない。
それは感情からくるものではなく、理屈からくる確信だ。
それで、良いのだろう。この人と自分は、それで良いのだ。
「待たせたな」
「いえ」
コトリ、と。湯気のたつカップが目の前に置かれる。
それに、先程より多めにミルクと砂糖を入れてスプーンで掻き混ぜた。まだちょっと、苦かったので。
「酷い奴だ。うちの財政が苦しいのに、容赦なく砂糖を入れおって」
「秋の夜に外へ呼び出したのは貴女なのですから、これぐらいは許してください」
「仕方ない。耐えてやろう」
「感謝します、女王陛下」
どちらからでもなく、小さく笑う。
彼女もさっきより少し多めに砂糖とミルクをコーヒーに混ぜて、カップを軽く掲げた。
「せっかく良い豆を用意したんだ。この一杯が終わるまで、世間話をしよう」
「それは構いませんが、世間話の前に1つだけ政治的な質問が。貴女、モルステッド国王をそそのかして、僕を勧誘するように仕向けましたね?」
「うむ。彼には正直同情するが、それはそれ。これはこれだ。その方が私の交渉が上手くいくと思ったのでな。鬼畜と罵るかね」
「酷い人とは思いますが、怒りはしません。父上から、外道になれない者に為政者となる資格はないと教わっています」
「……カール伯爵と同類みたいに語られるのは、嫌だな」
「そう言われた、息子のことも考えてくれません?否定はしませんけど」
「否定はしてやれ。あんなんでも親だろう」
「あんなんって、言ってしまっているじゃないですか」
「当たり前だ。奴の性格の悪さが滲み出るような作戦のせいで、うちがどれだけ苦汁を飲まされたと思っている」
「よし、話を変えましょう」
「お前なぁ……」
それから、他愛のない話を重ねていく。
ノリス国王が、酔っ払うとうつけの演技ではなく、素で裸になり腹太鼓をしだすこと。
うちの姉上が、重度の騎士道物語のファンで、現実にまでその基準をもってくること。
ガルデン将軍が、実はお化けを怖がっていて、夜の天幕では絶対1人にならないこと。
性に関する事柄で、うちの家臣達がちょっと無神経過ぎること。ちなみにこれは、あちらの家臣達も似たようなものらしい。ノリス国王が結婚した時とか、彼女がまだ未婚なこととかについて、色々とあったそうだ。
毒にも薬にもならないようで、しかし使い方次第では武器にもなりそうな情報を、まるで道端で偶然出会った友人同士のように言い合う。
笑ったり、少し怒ったり、揃ってため息なんかもついて。
どれ程の時間が経ったのかはわからない。しかし、最後の一口を飲み干したのは全くの同時であった。
「……ここまでですね、アナスタシア女王陛下」
「ああ。ここまでだな、クロノ男爵よ」
ゆっくりと、タイミングを合わせてカップをソーサーに置く。
「また明日。そして、その後は」
「ああ。明日を過ぎれば、その後は」
互いに椅子から立ち上がり、殺意を乗せて視線をぶつけあって。
「戦場で」
* * *
夜が明ける。借りている宿の窓から、温かな日の光が室内へと降り注いでいた。
白い雲が散らばる晴天の下。
魔女裁判の日が、やってきた。
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