第八十話 帝都を発つ時
第八十話 帝都を発つ時
自分が勇者教に魔女認定をされてから、暫くして。
『教皇聖下のお傍に、真の悪魔がいる。その者は巧みに正体を偽り、真実とは異なることをあのお方の耳元で囁いているのだ。銃を悪しき武器と呼ぶのなら、我らが父の加護を付与した弾丸でクロノ・フォン・ストラトスを撃つが良い。それでもって、真の悪魔は誰なのかを証明しよう』
そのような文章を、クリス様とジョン大司祭に広めてもらった。
文字の読める者達には、難しい顔をした教皇聖下の傍で神父の恰好をした悪魔が囁いている『風刺画』つきで先の文を配り。
文字の読めない者達には、クリス様派閥の者達と神父達が、同じ『風刺画』を民衆に見せながら各地で語って聞かせている。
風刺画の最初は、前世において宗教関連のいざこざが元だったと言われているが……この世界でも、同じことになってしまった。
『どうせ絵にするのなら、もっと捻りのある風刺画の方が良かったんじゃない?』
執務室代わりに借りている部屋で、グリンダが風刺画片手にそう問いかけてくる。
『単純だから良いんです。まだまだ風刺画の文化も広まっていないですから、わかり易い方が受けますよ。民衆にとって、理解し易いことが正義なのです』
『そういうものか……』
彼女に答えながら、パタン、と。鞄の蓋を閉める。
『さて……それじゃあ、僕はクリス様にわかれの挨拶をしてきます。前回は、それどころではなかったので』
『うん。荷物は任せて。でも、わかれって言っても、どうせすぐ会うでしょ?』
彼女の問いかけに、小さく肩をすくめた。
『それでも、挨拶は大事ですよ。貴族社会ならなおのこと。誰かに挨拶をし忘れたから、で。戦争に発展するケースもあるんです』
『うへぇ……面倒くさい。やっぱり、貴族って大変だね』
『ええ。……待ってください。もしかして、頑なに正妻は嫌だと言っているのは、その辺の』
「若様。時間もありませんし、すぐにクリス陛下のもとへ向かわれた方が良いかと。荷物の運搬は、我らがやっておきますので」
「グリンダぁ……」
綺麗な営業スマイルを浮かべる彼女に、口を『へ』の字にする。
1から10までそんな理由とは思っていないが、絶対にけっこうな割合で『正妻とかめんどい』という考えがあるな……。
長い付き合いだからわかる。グリンダはそういう奴だ。
「はぁ……それもそうなので、行くとします。こっちは頼みましたよ」
「はっ。しかし、今回も護衛をおつけにならないのですか?」
「それこそ、面倒でしょう。何より、うちの人手不足はシャレにならないので……」
「それもそうですね」
幸い、今は自分が1人でクリス様の所へ向かっても、ケネス達が異常な痙攣や眩暈を起こすことはない。
本来なら貴族の子息が、それも長男が供もつけないなど言語道断だが、ここは帝都であるし、クリス様とは度々他に洩らせない会話をするのだ。
というわけで、装いこそ気を遣うが、宿つきの馬車に乗って城へと向かうことにする。
「あ、そうそう」
「はい?どうなさいました、若様」
部屋を出る直前、グリンダに振り返る。
「帰りに、仕立て屋で依頼した『服』の進捗具合を尋ねるので、少し寄り道します」
「承知しました。お気をつけて」
「はい。それと」
「……?まだ、なにか?」
「愛していますよ、グリンダ」
「……はいはい。私もですよ、若様」
若干頬を赤くしながら視線を逸らすグリンダに、自分も少し恥ずかしくなりながら今度こそ部屋を出る。
さて……諸々の仕掛けが、全てとは言わずとも、ある程度上手くいってくれると良いのだが。
* * *
「本当に行ってしまうの?クロノ殿……」
クリス様の執務室。
室内には部屋の主である彼女と、シルベスタ卿、アリシアさん、そして自分のみである。
それもあって、いつもより気が緩んだ様子でクリス様がこちらを上目遣いに見てきた。
「はい。領地に戻ってやらねばならないことも多いですし、『負傷』した父上のことも気になるので」
十中八九、仮病ならぬ仮傷だけど。
領内に自分か父上のどちらかがいる状態を作る為の嘘だとは思うが、万が一もある。アイオン伯爵の件も聞かないといけないし、なるべく早めに行きたい。
こちらの返答に、クリス様が視線を伏せた。
「ごめん。たしかに、カール殿が心配だ。まさか彼が、領地から動けない程の怪我をするなんて……!」
「……そうですね」
やだ……この陛下、純粋過ぎ……!
相変わらずなクリス様に、若干不安になる。政治面はギルバート侯爵が支えてくれるし、プライベートは親衛隊の人達が守ってくれるだろうが、悪い奴に騙されそうで不安だ。
いや、ある意味自分がそうなのだけれども。地獄への道に、誘っているわけだし。
「帝都に彼が来た時は、伯爵として相応しい待遇で迎えると誓おう。絶対に『冤罪』で裁かせはしないから、安心して!クロノ殿!」
「……はい!」
……どうしよう、罪悪感が。
今神父さんに『お前は悪魔か?』と聞かれたら、即座に首を横に振れる自信がない。
クリス様の純粋な瞳が、グサグサと胸を突き刺してくる。すみません。冤罪じゃないんですよ、今回……。
「ま、どうせすぐにまた会うんすけどね!クリス様も、もう出発の準備始めているわけっすから」
そんな自分の心境を察してか、アリシアさんが能天気な声を出す。
「しかし、クロノ殿が魔女って……男性に対してもそう呼ぶとは言え、違和感が凄いっすね」
「それは僕も思いました」
あくまで悪魔と契約した者の総称とは言え、どうにも『魔女』呼びには慣れそうにない。
魔女と言われて頭に浮かぶのは、三角帽子に黒いローブ姿の老女だ。そういうイメージが、自分だけでなくこの世界でも一般的である。箒だったり、臼に乗って空を飛んでいる。
「でも魔性の男ではあるっすよね~。聞いたっすよぉ?メイドさんと、『そういう仲』になったそうじゃないっすかぁ。こんなにも日頃からクリス様を口説いておいて、罪な男っすね~」
「あ、アリシア!ぼ、ボクは口説かれていないから!戦友だから!」
「顔真っ赤すよクリス様。照れてるんすか~?」
「アーリーシーアー!」
「ちょ、冗談!冗談っすから!グリグリはらめぇええ!?」
椅子から立ち上がったクリス様が、アリシアさんのこめかみを左右から拳でグリグリと圧迫する。
そんな光景を余所に、シルベスタ卿が1歩前に出た。
「暫しのわかれですが、旅の安全をお祈りします。クロノ殿」
「はい。シルベスタ卿達も、お気をつけて」
「ええ。この命にかえて……いえ、これは禁じられていました。是が非でも、クリス様と共に生き残ります」
いつもの無表情を崩し、小さく笑うシルベスタ卿。
普段とのギャップもあって、やたら破壊力がある。
「見て!クリス様見て!隊長がメスの顔しているっす!卑しか女ばいっす!」
「シュヴァルツ卿。後で組手をしましょう」
「横暴だー!?」
相変わらずだな、あの似非ギャル騎士……。
「それと、クロノ殿」
「はい」
「グリンダ殿に、くれぐれもよろしくと……!貴女の活躍と更なる飛躍に、私を始めとしたラーメンを愛する者達は教会にて祈っております……そう、お伝えください……!」
「……はい」
教会の人達も、そんな祈りをされても困ると思うが。
「あ、リゼ。そう言えばジョン大司祭から苦情がきていたよ?礼拝堂でラーメンをすするのはやめてほしいって」
「あと、親衛隊の品位を落とすので食べ物をすするのはマジで勘弁してほしいっす……」
「なんと……!?」
困っている人達が既にいたわ。
ラーメンについて熱く語りだしたシルベスタ卿をアリシアさんに押し付け、クリス様がこちらの目の前にやってくる。
「勇者教のこととか、正直、未だに色んなことが信じられないけど……それでも、クロノ殿は信じられる。だから」
そう言って、彼女が右手を差し出した。
「来年も、再来年も、何十年後も、こうして皆で笑い合おう。約束、だよ?」
上目遣いに、ほんのりと頬を赤くするクリス様に笑みを返す。
そして、彼女の白く華奢な手を握った。
「ええ。またこうして、皆で集まりましょう。その時は、他の親衛隊メンバーも一緒に」
「うん!グリンダ殿もまた呼んで、海にでも遊びに行こう!」
そう、固い握手をする横で。
「んぬぉおおおお!?武力行使はダメっしょたいちょぉぉぉおおおお!?」
「何を言いますか。これは布教です。そう、ラーメンから得た着想の……」
なんか、アリシアさんがシルベスタ卿から謎の関節技を受けていた。
この人達、一定時間シリアスを続けると死ぬ病気にでもかかってんの?
* * *
見送りのパレードをするとか言い出したクリス様を宥め、親衛隊の子守り……じゃない。仲裁とかの方に誘導して、静かに帝都を出ていく。
もっとも、帝都守備隊のコープランド卿や、ジェラルド卿に見送られて帝都の外に出たら、すぐにハーフトラックに乗ったので『静か』とは少し言い難いが。
キュラキュラと履帯が回転する音に、偶に汽笛の音も交えながら。
自分達は、数カ月ぶりに故郷を目指して出発した。
もう8月も終わりが近づき、秋の足音が近づいている、空の下で。
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