第6話 完璧メイドと朝食
目を覚ますと、見慣れない部屋の中だった。チョコレートブラウンで統一された高級ホテルのような内装の部屋、大きなキングサイズのベットは手足を伸ばしても十分に余裕がある。
ほのかにかおるラベンダーの香りはドライフラワーから。
「お目覚めになりましたか」
柔く、心地よい声はドアの方からだ。
ロングスカートの清楚なメイドが俺の方を優しく見つめていた。その手にはシルバートレイ、水差しとグラス。
華美でないのに、整った美人とはまさに彼女のことだろう。美しいラベンダー色の瞳が少しだけ朝日で光っている。
ミレイナ・ゾゾスはすっかり体調が回復したのか、頬が少し紅潮していた。以前、会った時は疲弊していて儚げな美人だったが、今は健康的で知的な感じ。
「俺、すみません。馬車で眠りこけてしまって」
彼女はベットサイドテーブルに水差しとグラスを持ってきて水を注いだ。所作が美しく、流れるようで思わず見惚れてしまう。
「マレン様、ルロッタファミリーの件。ありがとうございました。彼らは我がゾゾスファミリーが彼らの悪事を告発したことを逆恨みし、今回のような行動に……」
「悪事?」
「えぇ、ルロッタファミリーはスラム街の女の子を拉致しては良くない仕事ををさせていたんです。ザック様は辞めるように忠告しに行ったのです。やめなければ告発すると。それで、あのような事態に」
「そりゃ、ひどいな」
「ありがとうございました。我らゾゾスファミリーの名を汚さずに仇を取ってくれて。ザック様は、ファミリーのみなさまは私の家族だから。だから……」
ポロポロと溢れる涙があまりにも美しくて、俺はハンカチを差し出すでも心配するでもなく彼女に見入ってしまった。俺の知っている「女性」とは違う生き物みたいに純粋で優しい。
「あの亡くなった方々のこと残念です」
「すみません。お食事の準備ができていますのでよければ一階の食堂に。その他シャワーやお風呂もご準備ができていますので是非ご利用ください。私は、街内一の高級ホテルで修行した身ですので安心してお任せいただけますと嬉しいです」
「もしかして、デマルケットスイートだったりします?」
「えぇ、ご存じで?」
「ご存じも何も、ついこの前まで世話になってた場所です。あのホテルのスイートルーム、いいですよね」
「まぁ懐かしい。あそこは超一流の料理人やメイド・執事しか就業ができないんですよ。私がマレン様の快適な暮らしはサポートします。ですから、これからもよろしくお願いいたしますね」
柔らかい声と、美人なのに笑うと少し幼くなるような笑顔に圧倒されて俺は「お、おおう」と頷いてしまった。彼女は、くるっと踵を返すと部屋を出て行ってしまった。
***
「へぇ、ジャムにしていたんですね」
「はい。レッドブロッドチェリーは一ヶ月に一度収穫をできる優秀な作物でした。私たちヴァンパイアだけでなくジャムにして加工することで貧血を防ぐ栄養食として女性たちには大人気で。ゾゾスファミリーの主な収入源でした」
「あのジャム美味しいんだよ!」
パンクズを頬にたっぷりつけたロンナがにこにこと笑った。朝は彼女の大好きなバゲットサンド。新鮮なトマトとチーズが挟まっている。
「ってことは、数ヶ月先にチェリーが実るようになるまでは俺が頑張って稼ぐしかないって話だよなぁ」
「すみません。貯蓄はほとんどクエスト依頼の報酬の一万ゴールドだけでして……」
ミレイナが申し訳なさそうに俯いた。
「あぁ、まぁそれは俺の手元にあるから当面の食費やら消耗品やらに使ってもらって……あとは、もう少しファミリーメンバーがいるといいんだけど。ほら、ミレイナさんも1人で全部ってのは大変でしょう?」
「いえ、私は問題ありません。以前は100名近くのメンバーを私1人でお世話していたので」
さも当然のごとく答えて、彼女はおかわりのバゲットサンドを作り出した。サクサクのバゲッドに切れ目を入れて、バターを塗りつけ野菜やチーズを挟む。とろっとしたバジルソースをかけて完成だ。
そういえば、食堂にくるまで屋敷の隅々まで綺麗に掃除がされ手入れがされていた。美しい生花か飾られた花瓶やほこりひとつ落ちていない大理石の床。もしや、彼女が?
「俺としては、女性2人と一つ屋根の下ってのはちょっと落ち着かないというか。ほら、一応男ですし」
「私は、マレン様のことは信用しています。けれど、他の人間のことはすぐには信用できないと思います。でも、マレン様がどうしてもというのなら受け入れます。マレン様もお若いとはいえ良いお年頃ですからその……かかか、彼女さんとか」
「いや、そういう人はいないよ」
どこか、スーパーメイドがほっとしたような表情を見せた。すぐに真面目な表情に戻ったが。
「俺としては、信頼できる男性のメンバーを募集したいところだ。例えば、ジャムが作れるようになったら街で店を出して売ってくれるような商売人だな。それから、屋敷の護衛も必要だし。俺ももっとパーティーが必要なクエストに行くために仲間も欲しい」
「マレン様、申し訳ございません。ゾゾスファミリーはヴァンパイア族が立ちあげたファミリーで全く仲間集めには困りませんでした。ですから、新しく仲間を集める方法を私は存じておりません」
「いや、謝んなくていいよ。俺がクエストこなしつつ考えるし」
「ありがとう……ございます」
小さなショットグラスに、俺は腕を切って血を注いだ。驚いたのは結構な切り傷なのにあまり痛まなかったことだ。どうやらこの体はチート級の力を持っているだけでなく痛みにも強いらしい。
ショットグラスふたつに血を注ぎ、治癒魔法で傷を完璧に治す
「いただきます」
「お兄ちゃん、ありがとー!」
2人はくいっと血を飲み干すと口の中を流すように水で流し込んだ。その姿を見て、彼女たちが本当に「ヴァンパイア」なんだな。と実感した。俺が前にいた世界では架空の存在だった、ヴァンパイア。太陽の光にも強いし見た目もほとんど人間だけど。
「じゃあ、俺はクエスト受けつつギルド協会に行ってくるよ。多分、問題なければ夜には帰ると思う」
立ち上がり、装備の確認。
それから解けていた靴紐を結んだ。
「あの、マレン様」
「ん?」
ミレイナは、なにやら言い淀んで顔を赤くしてを繰り返し、まるで告白するみたいに口を開く。
「何か、お好きなものはございますか?!」
「好きなもの……?」
「お、お料理です」
「肉……っすかね?」
「お肉ですね。頑張ります」
「あ、ありがとう?」
俺は、ちょっとした違和感のようなざわざわを感じながらミレイナを見た。彼女はりんごみたいに顔を真っ赤にしてスカートをきゅっと握り、俺を見送るべく立ち尽くしている。
まさか、たった二日で? こんな綺麗で優秀で、しかも人間とヴァンパイアのハーフとかいうハイスペックな子が俺に? はーい、ないない。 こちとら、大学卒業するまで彼女できなくて親に無理やりお見合いさせられたあげく、その金目当て女に刺し殺された低スペックだぞ?! 神様だって俺に同情していたし……。
いや、でも彼女いるか聞かれたよな?
感覚では彼女からの脈を感じつつ、フラッシュバックするように元婚約者との思い出が蘇る。俺が無意識に彼女を傷つけてしまって泣かれたこと、逆に彼女が俺にした不愉快なこと。
もしも、ミレイナとそういう関係になったら? 俺はまた彼女を傷つけて彼女も変わってしまうんじゃないか?
やっぱり、怖い。
だから、さっさといい感じの青年を引っ張ってきてファミリーにしてそっちに彼女の気が向くようにしようかな。
俺は、まだ女性とは向き合えそうになくて偽りの笑顔でミレイナに返事をしてギルド協会へと向かった。