89 面倒なコンビ
パワーアップした女王にも対抗できるはずの、今の私に作れる最高の糸。それが物の見事に力負けしたのは完全に想定外。括り罠にかかりながらもそんなものなかったみたいに距離を詰めてくる女王に対して私は何もできず、突き出された掌打を思い切り腹に受けてしまった。
「がふっ……!」
後ろへ吹っ飛ばされ、通路を転がり、交差路を流れる汚水へ落ちかけたその淵でなんとか留まる。ま、またぬかったな……糸の網から脱出されたパワーを加味して、それでも手足の一本を封じることだけに集中すればどうにかなる。っていう計算だったんだけど、とんだ誤答を叩き出していたらしい。
どうやってるのかは知らないし興味もないが、大口テッソが引き出している女王テッソのパワーは私が思う以上だった。あるいは、今このときも飛躍的に、加速度的に女王の力を引き出しまくって引き上げまくっているのかもしれない。そうでもなければ渾身の糸をあんな簡単に千切れはしない。してたまるかと思う。
「う、痛っ」
……鎧糸は仕込んであった。鳩尾を始めとして胴体だって急所の宝庫、それに巻き付けても動きの邪魔にならないってことで腕周り脚周りよりもずっと厚く広範囲に鎧糸を纏っている。意識が途切れなかったのはそれと、ギリギリではあるが魔力の集中防御が間に合ったおかげだ。それでも魔蓄の指輪でブーストしたぶんがなかったらおそらく持たなかった。そう確信できるくらいに強烈な一撃だった。
スタンギルの掠っただけで腕を潰した打撃ほどじゃあないが、それに近しいものがある。そんな攻撃をできていいものなのか? 魔族でもなんでもない一介の魔物がさ。まったく冗談じゃないよ……。
爪が刺さってあちこち切れた鎧糸を巻き直しながら立ち上がる。糸だけじゃなく皮膚も破られたが傷は浅い。魔力で止血もできている、直ちにどうこうなりはしない。でもこんな不潔な場所を棲み処にしている女王の爪だ、どんなバイ菌がうじゃうじゃしているか見当もつかない。早いとこ医者……いや癒者だっけ? どっちでもいいから診てもらわないと大変なことになりそうだ。
急いで決着をつけたい。そう思っているのは向こうも同じようで、私が態勢を整えるのを待ってくれずに女王テッソは六つ脚をドタドタと動かして迫ってきた。
「ミニちゃん!」
女王の後ろから追いかけるようにミニちゃんも来ている。私は横っ飛びで交差路の右の通路へと入り、女王の突進を躱す。女王が汚水の水飛沫を立てながら向かいの角まで突っ込んでいくが、大口テッソを彷彿とさせる虫みたいな脚の動かし方で勢いをあまり落とさずに壁を走って急カーブ。こっちへ進路を修正してくる。その様を見ながら私は合流したミニちゃんに追加命令を下す。
腕の中に飛び込んできたミニちゃんは瞬時にそれを受諾・実行。二個に分裂して私の両手へと別れ、そして糸の束に纏わりついていく。
「鞭糸──はっ!!」
ミニちゃんの硬さと重さを加えて鋼の鞭と化す、アンちゃんにもダメージを与えた技。それをダブルで振るう。まるで汚水の上を走るみたいにして真っ直ぐ向かってきていた女王は交差する二本の鞭を避けられず、どちらもまともに浴びた。
「ギィイッチュ!!」
表皮が抉れて血肉が弾ける。鞭っていうのはとにかく痛みを与えることに特化している武器だ。鞭糸もそれは同様で、ミニちゃんのおかげでダメージ源としても優秀だがその最大の脅威にして目的は苦痛によって敵を悶絶させることにあると言っていい──けれど、女王は止まらなかった。私の裂帛の気合を飲み込むくらいの鳴き声を上げて速度を緩めることなく突っ込んでくる。
「なんだっての!」
跳躍。通路へ上がってこようとしている女王よりも高さを稼いでから、鞭糸を縮める。女王を打ちながら片方の鞭で向かい側の壁を掴んでいたのだ。ミニちゃんが変形して壁にしっかりと食い込んでくれているおかげでいつもより安定感がある。糸を縮めながらミニちゃんにも私を運んでくれるよう指示すれば、思い描いた通りに女王テッソの上を飛び越えて反対の通路へと避難することができた。
「ふんっ!」
ただ逃げるだけでなく、無防備な頭の上を取ったからには攻撃を仕掛けることも忘れない。距離が近すぎるのと自分も空中移動中ってことで振るった鞭にあまり速度は乗り切らなかったが、それでもいい。目標は女王の頭に覆い被さっている大口テッソ!
女王よりもこっちを狙うほうがおそらく効果的なはず……!
「あ?!」
空振り。ちゃんと狙いやすいように短く詰めた鞭はそれでも当たらず、私は単に着地しにくい体勢を取っただけになってしまった。尻から通路に降りる不恰好を晒しながら、ミニちゃんに支えてもらって迅速に立ち上がる。
視線の先では女王も通路の上で体の向きを入れ替えているところだった。今度は水場よりもしっかりした足場から跳んでくるか、また壁を伝ってくるか。どういう行動に出てもいいようにこっちも心の用意をしておかなくては。
それにしても……すごい俊敏な避け方だったな、今の。突進の避け様に放った一撃だからほぼ確実に命中すると思っていただけに、的確に躱されてびっくりしちゃった。
大口テッソが寝そべるように女王の頭にいるから、頭上という本当なら死角になっている部分もある程度は見えていてカバーできているってことかな。だから私の空中攻撃がしっかり確認できて、ちゃんと躱せたと。……だけどあの反応の早さはそれだけが原因ではないだろう。
様相からして女王を動かしているのは大口テッソの意思によるもの、だと思う。自らが標的になったことで大口テッソはその危機から逃れようと殊更機敏に女王を動かしたに違いない。それはつまり戦闘の主体である逞しい女王よりも、その司令塔である頭脳の自分こそが狙い目の弱点ですと打ち明けているようなものだ。
だったら話も早い。それがわかったからには女王ではなく大口テッソに攻撃を集中させればいいだけなんだから──と、言えたら良かったんだけども。もちろんそうするためにはバーサーカーと化している女王の猛攻をどうにかしなければならないわけで。弱点がわかったところで状況はほとんど何も変わっていないことになる。
せめて女王が鞭で怯んでくれるようなら楽だったんだけどね。二連撃の鞭糸を食らっておいて少しの痛がる素振りもなく突っ込んでくるんだから、これもおそらくだけど……今の女王は痛みってものをまったく感じていない可能性が高い。大口テッソによって痛覚をオフにでもされているんだろう。
どこまでも戦闘マシーンに仕立てられているってわけだ。非人道的にもほどがある。なんて言っても魔物に人の理屈なんて元から通るはずもないんだけど。はあ、まったく面倒なコンビだよ。
「ミニちゃん。私ちょっと無茶するから、もうちょっと付き合ってね」
本体であるショーちゃんと違って鳴き声機能がついていないミニちゃんからの返事はないが、なんとなく合点承知の意が伝わってきた気がする。その頼もしさに私は笑い、鞭糸を解除。そして両手に籠手のように鎧糸を厚めに巻き、右手には二個から一個に戻したミニちゃんも乗せる。
よし、これでいい。さっきの反応速度からすると遠距離攻撃じゃ何をやっても空を切るばかりなのが目に見えている。だったら至近距離から手痛い一撃を叩き込んでやるしかない。そのためには……私も女王の攻撃に被弾する覚悟を、持たなくてはならない。
一発受けただけで相当なダメージを貰った女王の打撃と爪。さーて私は何発耐えられるかな。




