85 全力で戦ってやんよ
事前に教えてもらっていた通り女王はデカかった。
これまでに倒してきた成体と思われるテッソのサイズ感とはまるで違う。鎧みたいに光沢を放つ堅牢な胴体の特徴はそのままだけど、そこ以外は何もかもが違う。血走った赤い目はもっと赤くて飛び出すくらいに大きく、耳も角みたいに突き出している。テッソはネズミらしく細長い尻尾を持っているけど女王のそれは尻尾というより、背骨が尻から飛び出しているみたいな歪な形と硬質さを持っている。
何よりの差異は手足。成体のテッソも幼体のそれに比べて太くて立派な手足をしていたけど、女王はもはやそんな次元じゃない。まず六本ある。四足の魔物を率いる女王が六足ってのはどういうことなの。意味がわからないが、そういうものなんだと納得するしかない。その六足が異様に長く、鉤爪まで生やしていて、もはやネズミの面影なんて一切見受けられないってことにも納得するしかない……。
いやこれのどこがテッソの親分なんだ。まったく無関係の魔物でしょもはや。そして魔物っていうよりもエイリアンですって説明されたほうがまだ飲み込みやすいよ。なんか全体的に変にヌメヌメしてテカってるしさ。めっちゃキショいし怖いんだけどマジで。
「女王と交戦しまーす……」
他の魔物を前にしているときとは種類の違う怖気が背中に走るのを感じながら、一応は臨戦態勢を取る。女王は立ち止まってジロジロと、ってよりもギロギロと私のことを見てくるだけですぐに襲いかかってはこない。
耳のケイフスから返事が聞こえてくる。
『すぐ行くから無理はしないでね~ハルっち』
『一人で倒そうとしなくていいんですからね』
「りょーかい、足止めのつもりでね」
温かい言葉に敵を前にしていながらつい笑みが零れる。第一の試練でも第二の試練でも皆とはぐれて大変な目に遭ったからな。今回も単独行動を取っているのは同じだけどそれは作戦上のことで、皆の位置はおおまかにだけどわかっているし、合流しようと思えばできる。それがとても心強い。
だけどケイフスからは皆も戦闘中だと音で伝わってくる。今まで以上の数のテッソに襲われているようだ。まあそうだよね、女王がいよいよ逃走するとなったらその部下たち? 子どもたち? である通常テッソは死に物狂いで外敵の邪魔をするに決まってる。
あ、ってことはだ。
「やっぱそうか……」
女王の足元から何匹ものテッソが顔を覗かせた。ですよねー、女王の共連れとして一緒に逃げる個体もそりゃ少なからずいるよねー。
一対一の構図にはならないか。テッソだけならもう戦い慣れたこともあって焦りもしないけど、実力未知数の女王がいるもんな。女王は遮二無二飛びかかってこない慎重さのある、侮ってはいけない魔物だ。ここは私も慎重になる必要があるだろう。
防魔の首飾りを欠いている現状、いつも以上に無茶はできない。
「突糸!」
とはいえ先手は奪っておきたい。ということでテッソが動き出すよりも先にその内の一匹へ糸を叩き込む。仕留めた、けどそれによって引き金が引かれた。他のテッソが一斉に鳴き声を上げながら私目掛けて殺到してくる。
でも通路の幅は限られている。数はかなり多いけどそれだけに身動きも取りづらかろう。なので私は後ろへ下がりつつ壁糸と突糸で確実にテッソの頭数を減らしていく。その戦い方を徹底していれば自ずと女王の護衛はいなくなる──という見込みは甘かった。
「うえっ!? 下水からこいつ……!」
何匹かのテッソが横を流れる汚水の川から上がってきた。なんてことだ、壁糸を迂回されてしまった。ここに来るまでに出会ったテッソはいずれも下水へ身をつけることはなかったっていうのに、急になんで……女王の指示? それとも女王を守るために自発的に──本来の意味とは違う文字通りの──汚れ役を担ったのか?
なんであれマズいぞ、次々に下水から顔を出してくるテッソは合計で八匹にもなる。こんな数に一遍に懐へ入られたのは初めてだ。他のテッソも放っていたら壁糸を破るなり避けるなりしてくるだろうし、女王もそれを手助けするはず。そうなる前に捌き切れるか……!?
「斬糸!」
弱い部位を一点狙いできる突糸と違って凪ぐ軌道でしか攻撃できない斬糸は、皮膚の硬いテッソには効果が薄い。とはわかっていても、一匹ずつ攻撃している暇がないために今は頼らざるを得ない。
前列の三匹の足をまとめて切りつけて接近を食い止め、その横から広がってこようとしている二匹にももう片方の腕で斬糸を振るって牽制する。その隙に移動。私も走ることで距離を稼ぎ、追って来る足音を的にして振り向き様に二連突糸。
まともに狙いをつける余裕もなく放ったために当たってくれるかは賭けだったけど、見事に二発とも先頭を走るテッソたちに命中。私は存外にコントロールがいいらしい。それだけじゃなくて、聴力強化のイヤリングを起動させているのも関係しているだろう。これのおかげでテッソのそう大きくもない足音がしっかりと拾えているし、背後であっても距離間の判別ができた。
「壁糸──斬糸、からの突糸!」
糸を回収して魔力を節約、なんて考えは頭から捨ててとにかく壁を作っては走り、斬糸を放っては走り、そうやって取り囲まれないようにしつつ隙を見つけては突糸で一匹ずつ減らしていく。あれっ、今どこら辺にいるんだ私? 位置関係がわからなくなりつつあるけど仕方ない、そこに意識を割いてる余裕もない!
とにかく女王を含めた本丸から距離を取りつつ突出してきた部隊を仕留めていかないと──いや待て、女王はどこ行った?
子分たちを相手にしながらも親分の存在は忘れていなかったし、ちゃんとそこにいることを確かめてもいた。つもりだったんだけど、ほんのちょっと長めに目を離しただけで見失ってしまった。さっきまでいたはずの場所に姿がない。なんで、という動揺は高められた聴力が拾った足音。上から聞こえたそれによって更なる動揺に上書きされた。
「な……!」
女王が! 天井に張り付いて! 私のすぐ真上にいる!
逆さまの赤い目とばっちり視線が交錯する。その無機質ながらに私の死を求めて止まない恐ろしい瞳に、ゾワッと全身の肌が粟立った。恐怖に身を任せて一も二もなく飛び退けば女王の尻尾。骨のように白くて硬い蛇腹状のそれがブンと私の立っていた場所を突き抜けていった。
あ、危なかった。ちょっとでも遅れていたら尻尾にぶっ飛ばされていた──なんて安心している場合じゃない! 先制攻撃を外すやいなや女王はその長い手足を使って真上から私を攻め立ててくる。私はそれを躱したり鎧糸を巻いた手でなんとか逸らしていくが、っく! 手数が多い上に重い!
女王は後ろ足だけで天井に掴まったまま残りの四本で間断なく攻撃してくるものだから受けも回避も一筋縄ではいかない。またそれだけじゃなく単純に膂力もかなりのもので、無茶な体勢を取っているとは思えないほど一撃一撃にしっかりとした殺意が乗っている。
腕の数でも力でも負けているとなると厳しいなんてものじゃない。鎧糸がなかったらとっくに崩れて終わってる。しかも壁糸を突破してきたテッソたちが私の足元へ群がろうともしている。さすがにこの状況で他のテッソの相手なんてしてられないぞ。
……こうなったら仕方ない。
のらりくらりと皆が到着するまでの時間を稼ぐつもりだったが、それじゃ持ちそうにないからには。
全力で戦ってやんよ、女王サマ。ここからは先の見通しなんて度外視の──あんたと私の殺し合いだ。




