75 先にくたばるわけには
「ぬんっ!」
「うぐっ!?」
肘を打ち込んだ直後にやってきた裏拳のスウェー。縦の軌道で放たれたそれがあまりに速いものだから──正確にはこれまでのスタンギルの攻撃の速度感とは違い過ぎるものだから、綺麗に躱し切れなかった。掠っただけで鼻が裂けながら上に曲がり、一瞬で大量の血が流れてくる。痛いけどそれより呼吸の邪魔になるのが鬱陶しい。
何よりスタンギルのやり返してやったみたいな笑みが気に食わない。鼻を曲げられたのそんな根に持ってたのか? だったらもっと派手に曲げてやる。
こちらに向き直ったスタンギルの膝に足裏で一発入れる。そこまで効いてないのはわかってるし織り込み済み。意識が下方に向けばそれでいい──今!
「おっ、らぁ!!」
思惑通りに足元へ視線がいったタイミングでギプス代わりの左腕の鎧糸の一部を解いて伸ばし、スタンギルのうなじ側を通して右手でキャッチ。そして跳び上がりなら全力で縮めて加速。高速の飛び膝蹴りを顔面に叩き込んでやった。
「ぶぐッ、」
今のは体重だけでなく糸の勢いも乗った最高の一撃だった。膝も鎧糸で覆っていることもあって相当に響いただろう。首の裏に通した糸を回収しながら着地した私はたたらを踏むスタンギルを見て追撃のチャンスを悟った。ここで攻めなきゃいつ攻める! 呼吸は苦しいがいったれ私!
拳と蹴りの連撃。手数頼りじゃなく一発一発に本気を込めた必殺の連続攻撃だ。感触はまずまず。自分以外の魔力を取り込む禁忌を犯してまで肉体の強化を果たしたスタンギルにも、一応は通じている。どれも致命には程遠くてもこれを積み重ねていけば……!
「ぬっ、うぅう!!」
おっとヤバい、反撃だ。攻撃を受けながらも振り被られた拳。相変わらずのテレフォンパンチではあるけど、莫大な魔力で強化されている今はスピードが大幅に増していてそれだけで充分な脅威になっている。でも大袈裟な予告があるからには、躱せる。攻め一辺倒じゃなくちゃんと反撃を受けることも頭に入れながら攻撃していたのだ、私は。
さっきの裏拳で速度感も修正済み。ステップを踏んで横へ飛べば大丈夫、今度は掠ることもなくちゃんと──えっ?
いきなりだった。がくんと、自分の中から一部が喪失する感じ。何が起きたのか意味がわからなかったけど、拳が迫る刹那の内に理解する。
魔蓄の指輪だ。リングに込められたコマレちゃんの魔力が底をついたんだ。ブーストが、切れた。戦闘をずっと助けてくれていた第二の魔力が私の中から消え去った──その分、私の動きは私が想定していたよりも遅れることになる。
ま、ず……あぁ!?
「ぎッ!!?」
必死に地面を蹴りつけたけどやっぱり間に合わなかった。拳と正面衝突。多少芯はズレているが誤差。私は衝撃をモロに食らって、まったく堪え切れずに吹っ飛んだ。
なんだこれ? まるでトラックにでも撥ねられたみたいだ。や、撥ねられたことなんてないんだけどさ。でも乗用車になら殺される勢いで轢かれた経験があるので、少なくともそれ以上なのは間違いない。
ああ、マズったなぁ。とうとう真正面から攻撃を受けてしまった。ずっと明確なヒットは避け続けていたっていうのに、ここにきてやらかしてしまった。戦いの興奮、それから魔石の魔力が増えていくことで魔道具の管理意識が疎かになってしまっていた。
まさかガス欠が間際になっているのを見落とすなんて、とんでもないミスだ。魔道具に命を繋げてもらっている立場からするとあり得ないことだ。
スタンギルにバカにされても仕方ないな、これは。私はとんだ間抜けだった。多少盛り返されたとはいえまだ優勢は保てていたっていうのに、一気に持っていかれた……体がちゃんと動いてくれない。本当にマズい。
「ち、くしょ……かはっ」
立ち上がる。それだけで信じられないほど辛い。全身のどこにも痛まない場所がない。咳き込めば喉奥からせぐり上がってくる血。ちょっと考えられない量のそれが口から漏れていく。骨や筋肉はもちろん、内臓もだいぶヤバそうだ。死ぬか、これ。
イヤだな、それは……死にたくない。お母さんとお父さんを悲しませたくない。ミツキを泣かせたくない……でも、無理だ。青い魔力と糸のおかげで即死は免れたけど、ただ死んでないってだけだ。私はこれから死ぬ。スタンギルに殺される。それはもう避けられない。
「ふー……」
「いい、ナリになったじゃねえか。お互いによぉ……」
「ふ、ふふ……あんたも、辛そうだね」
私が与えた傷以外からも、色んなとこからスタンギルは出血している。身体が壊れ始めている。他所の魔力を、それも大量に取り込んで自分を強化してしまうと、本当はこうなるのか。支配はできても自分のものにはできない……私は逆に、自分のものにはできても支配できない。ただ、お願いするだけ。そのお願いに青い魔力は応えてくれる。だったら。
「もう少しだけ……この命。繋いでくれると、嬉しいなって」
あとちょっと。せめてスタンギルが、確実に死ぬまで。四災将とかいう、おそらくは今代の四天王ポジのこの男を、排除できるまで。頼むから私をそれまで生かしてほしい。
その先のことはもういいから。
「終わらせようぜぇ、ハルコォ!」
「っ……かかって、こい!」
無理矢理に体を動かす。殴っているんだか殴られているんだか、どっちの血にまみれているんだかもわからないままに手を、足を動かす。少しだけ痛みが引いた。呼吸もさっきより苦しくなくなった。脳内麻薬でも出てる? それとも青い魔力が頑張ってくれている? どっちでもいいか、私はとにかく、一秒でもいいから、スタンギルより長く立つ。立っていなければならない。
頭に一撃。ごりっとそこが削られて、視界の右が真っ赤になる。でも目は閉じない、それはあとでいくらでもできる。今は見開く。スタンギルを、倒すべき敵を見る!
「お、ぉおお!!」
殴る。殴る。殴る。いつの間にか鎧糸が解けていた。勝手にだ。維持ができなくなった、それだけ私の意識が朦朧としているってことか。おかしいな、体の具合に反して思考はちゃんとしているつもりだが。自分でそう思っているだけなんだろうか。
殴られる。光が瞬く。これは、ダメなやつだ。この光を見ちゃいけない。私を預けてはいけない。振り払って、前だけ見なきゃ。敵を見なきゃ。
殴る、殴る、殴る……いつの間にか壁が目の前にあった。壁? いや違う、地面だ。私は倒れている。まるで地面が私を押し潰そうとしているかのように、離れられない。立ち上がることが、できない。
「……ぃ、や」
まだだ。まだスタンギルの荒い息遣いがしている。奴は生きている。だったら私が先にくたばるわけにはいかない。立ち上がらないわけには、いかないだろ。
歯を食いしばって、握った拳を支えにして、なんとか上体を起こす。引き摺るように膝を立てて、顔を上に。そこにいるスタンギルを見る。奴も、片膝立ちになって私を見ていた。その顔には苦々しいものが浮かんでいる。
「ま、まだ死なねえか……不死身か、お前は?」
「それは……こっちの、セリフでしょう、が」
スタンギルもズタボロ。ボロ雑巾と見分けがつかない。たぶん私も似たようなものなんだろうけど、自分のことじゃないだけにスタンギルの生命力が信じられない。なんで生きてんだよ、それで。魔族だから? 四災将だから? ……いや、違う。
こいつがスタンギルだからだ。
それだけこの男は、強いんだ。
「く、くく……いい加減に、うんざりなんでな。その頭ぁ……きっちり、潰させてもらおうか」
そうすりゃ流石に死ぬだろう? と。血を吐きながらスタンギルが立ち上がる。ああ、まだ立てるか。まだ拳を振れるのか。私は倒れないのが精一杯。両の足で立つことはできそうにないし、躱せもしないし、反撃なんてもってのほか。
死。大きな、大きなそれが私に落とされる──その瞬間。
「ハルコさん!」
悲鳴のような声で、私の名が呼ばれた。




