74 何も惜しくねえ
いい当たり。会心のアッパーが顎を打ち据えた。ほとんど鉄に等しい硬さを手に入れた私の拳の威力はおそらくスタンギルがしていた予想を上回っている。その痛がり方がこれまでとはっきり違う──そしてスタンギルが身に帯びている魔石モドキの魔力も、今までの打ち込み以上に減った。
それでも全体からすればとても多量とは言えない、以前として慎ましやかな微量ではあるけれど。でも明確に私のほうへ流れ込んでくる魔力が増えた。この事実は、デカい。
これは勝利への道筋であり、そこを進むための原動力でもある。
「痛そうじゃんか、スタンギル!」
「ちィッ、調子に乗るんじゃあ──ッぐ!?」
ヒットアンドアウェイをやめて距離を詰めたままの私へ、スタンギルは前蹴りを放ってくる。出が早くて体格の小さな私にも当たりやすい攻撃。それは離れようとしないのを咎めるためのものとして相応しい一手だけど、残念。その判断は正しくても蹴り方がなっちゃいない。
前蹴りは本来牽制として使うものであって決め技じゃない。なのにスタンギルは力いっぱいに蹴ってきた。技の利点を自ら潰しているも同然だ。そんなヤケクソに当たってあげるほど私は間抜けじゃない。
左腕を庇いながらでも悠々と回避できる。した。そして再度懐に潜り込んでエルボー。鎧糸を纏った肘をスタンギルの鳩尾へと叩きつける。
「まだまだぁ!」
避けながら、動き続けながら打ち続ける。殴って蹴って少しずつ、少しずつ削り続ける。スタンギルの体力と、支配している魔力を奪っていく。行ける。片腕が使えないこともあって私も余裕はないが、それでもなんとか優勢を取れている。この状況が続けばいずれは周囲の魔力全てが私の味方になって、そうなればさすがのスタンギルでもどうしようもないだろう。
いくら魔族が飛び抜けた戦闘特化の種族だったとしても──。
そしてその時はとうとうやってきた。やってきてくれた。
「どっっせい!!」
「ごふッ、く……」
水平蹴りが刺さり、スタンギルがよろめいて後退る。今ので魔力量が逆転した。スタンギルがかき集めた魔石モドキの魔力の半分以上が今や私のもの。私の身体を強化し、守ってくれている。ここに至るまでにクリーンヒットこそしてないものの何発か掠ってしまって私もあちこちボロボロだが、まだ動く。動ける。青い魔力のおかげで自前の魔力もまだまだ潤沢だ。
このままスタンギルを倒し切る……!
と、踏み出しかけた足を止める。
何か……うまく言葉にはできないが、迂闊に近づいてはいけない予感がした。
「あぁ……ったく、参ったぜ。認めてやるよ勇者ハルコ。お前は雑魚じゃなかった。こいつはお前の妙な強さに気付けなかったオレの落ち度だ……つくづく初めて尽くしだぜ、お前と戦るのはよぉ」
なん、だ? 雰囲気が変わった。スタンギルから今までにはなかった力を感じる。これはいったい……。
「台無しにされちまった。もうエルフ共の殲滅は叶わねえ、任務失敗だ。情けねえ話だがオレはそれを受け入れなくちゃならねえ。んでもって……目標を、変えなきゃな。せめてお前だけはなんとしても始末するぜ、ハルコ。それが四災将としてオレが最低限果たすべき務め……! そのためにぃ!」
ゴウッ、とつむじ風。スタンギルを中心に巻き起こったそれが収まったとき……奴の肉体は膨張していた。ただでさえ大きかった筋肉が冗談みたいに張り詰めている。パンパンだけどミチミチのギチギチ。デカいだけじゃなくて密度もこの上ない、と見ただけでわかる。
「なに、それ」
「オレぁ誰のものでもない魔力を好きにできるけどよ。それは自分のものにしてるわけじゃあねえ。だから術式による変換っつー工程ができなくてただの魔力の塊を撃ち出すことしか叶わねえってこった。そうじゃなけりゃお前なんざとっくにミンチだ……まあ、わざわざちゃんとした魔術に仕立て上げなくたってこの魔力量だ。どんな奴だって一発食らえばおしゃかのはずなんだがな」
だがお前だけは違った、とスタンギルは言う。その口調はなんだかとても落ち着いたもので。
「いくら撃っても死なねえ、どころか時間をかけて掌握した魔力を掻っ攫う始末だ。挙句にはオレ以上にこの場を支配しやがると来た……呆れちまうぜ、その強欲ぶりにはよ」
「む……支配はしてないよ、あんたと一緒にしないで」
「はん、下らねえ。お前が魔石の魔力を従えてるのは事実だろうが。だが確かに、オレみてえに操作ができねえってのは間違いがねえようだ。だったらなんてことはねえ。魔力量で逆転されようがオレの勝ちは揺るぎねえ──ちょいと無茶には、なるがな」
無茶? ……そうか、こいつ。苦しそうなんだ。喋っているだけなのに息が荒いし、いきなり大量の汗をかき出している。痛い、のだろうか? 落ち着いたように思えたのはスタンギルが必死にそれに耐えているせいだ。
でもなんで、何がそんなに彼を苦しめているのか。私の戸惑いを表情から見たか、スタンギルはぎこちなく口角を上げた。
「言ったろうが、自分のものじゃねえってな。自分以外の魔力は毒なんだよ、お前以外にとっちゃな。それは魔力を好きにできるオレも変わらねえ。術式を通せねえように肉体に取り込むことだって、できねえ。精々がさっきまでやってたみてえに……お前の糸の装具みてえに、鎧代わりに着込むのが関の山なんだよ」
そうだったのか。私はてっきりスタンギルは直に魔力を取り込んでいるものだと思っていた……けど、そうじゃないなら身体能力は据え置きのままだったってことか。それでも怪獣みたいな暴れっぷりだったのが恐ろしいな。
好きにはできても自分のものじゃない。それを前提に振り返るとしっくりくることも多い。魔力砲を撃ち出すのにわざわざ手動で方向や範囲を指定していたこと。これだけの魔力で強化されていた割には私との殴り合いが成立していたこと。もしもスタンギルが本当の意味でこの場の魔力全てを自分のものとして操れていたならどっちもおかしい。きっとスタンギルの言う通り、それだと私はもうこの世にいないだろう。
でも、だとしたらじゃあ今のスタンギルは。
「おうよ、本来はやっちゃならねえ禁忌を犯した。魔石の魔力を身に取り込んだ……これで強化効率はダンチになるって寸法よ。だがその代わりに、オレの体はぶっ壊れていく。お前に勝っても命があるかは怪しいところだ。──しかし構わねえ、それでお前を殺せるってんなら何も惜しくねえ」
「……あは、めっちゃ情熱的じゃん。悪いけど私、マッチョ過ぎるのは趣味じゃないからさ。心中なんてしてあげらんないよ?」
互いに構える。スタンギルは待たなかった。巨体が突進してくる。速い、信じられない速度! 突き出された拳を倒れるようにして躱す、けど即座に踏みつけがくる。転がって横へ、起き上がるよりも先に糸を伸ばす。スタンギルの腕に巻き付けたそれがちょうど引き上げられて、地面を掬う蹴りから間一髪で逃れる。
スタンギルが私を振り回そうとするのを察して糸を解除。中空で足の鎧糸から新たに糸を伸ばし、体を運ぶ。自由落下よりも早くスタンギルの横に着地しながら腰を捻り、肘を脇腹へ打ち込む。手応え充分、でもさっきよりも奥まで通っていない感覚が強い。
そうか、魔力を着込んでいるだけだった今までなら攻撃する瞬間に魔力の鎧も私にいくらか取り込まれて弱くなっていたんだ──でももうそうはならない。スタンギルは自分の肉体に残りの魔力を完全に仕舞い込み、それで身体を直接強化している。
もう私はこれ以上魔石の魔力を奪えないし、スタンギルの守りを弱らせることもできない。
お互いに、今あるものでガチンコのぶつかり合いってわけだな……!




