70 支配下の沙汰
スタンギルはまず大きく腕を振り被った。殴る構え。テレフォン過ぎるほどのテレフォンパンチの予備動作。あまりにも逞しい体格を持つ彼が行うそれはいっそ大袈裟なまでに力強く、なんだか冗談のようですらあって、実際に私はたいへん戸惑った。
私たちは今、正面から向き合っている。とはいえ距離が遠い。いくらスタンギルの腕が太くて長くて、人間の常識からかけ離れた丸太のようなそれだとしても、拳が届く位置に私はいないのだ。そのまま殴り抜いたところで空を切って終わりになるのは目に見えている。
だというのに背中を走り抜けた怖気。思考というより肉体が発したその警告に一も二もなく従い、ネックレス──防魔の首飾りに強く意識を傾けながら姿勢を低くして防御態勢を取る。その直後、いやその直前から私は自信の判断の正しさを知った。
「支配下の沙汰!」
爆発。圧倒的なまでの力の躍動。こちらに向かって真っ直ぐに突き出されたスタンギルの拳があたかも道を作り出したかのように、指向性をもって破裂したそれが一瞬にして私へと到達。目を焼くような青と白の輝きで視界を埋め尽くしながら全身を飲み込み、そして信じ難いほどの圧によって押し出した。
まったく耐え切れずに吹き飛ばされた先で地を転がる。しかし転がっている場合じゃない、ここでもう一発来たらそれで終わりだ。そうと理解できている内はまだ冷静だ。気の動転はありつつもどうにか心身に喝を入れて私は強引に体の勢いを止めて、立ち上がる。
「お前」
何やらスタンギルは意外そうな顔をしているけど、それどころじゃない。なんだ今の!? やっばいでしょ、速くてデカくて重い! とてもじゃないけど避けられないし受けられないぞあんなの。
ネックレスの効果はしっかりと発動していた。それでも吹っ飛ばされた。ダメージと呼べるほどのものはないけど、でもこのネックレスはアンちゃんの──魔王の拳だって一応は防いでくれた優れもの。これに込められたナゴミちゃんの魔力は確かに私を守ってくれていた。なのに、スタンギルの攻撃はそれを突破してみせたんだ。
魔王クラスの一撃? それも謎の光の到達速度や攻撃範囲で言えばアンちゃんの拳を遥かに凌駕している。どう考えたってヤバい、ヤバすぎる。魔蓄の指輪の魔力ブーストを全開にしても凌げる気がしない。だってスタンギルのあの攻撃は。
「どんなからくりかは知らねえが……耐えるってんなら耐えられなくなるまでやってやるよ。堪能しやがれ、オレが制した力の結集を!」
連発できる!
「支配下の沙汰!!」
青い輝きの奔流。立ち上がり際に伸ばしていた左手の糸、その先で掴んだ地面から飛び出している魔石モドキの一部を起点として急速収縮。来る、と思う前から行なった緊急脱出によって私はなんとか極太レーザーの範囲から逃れることができた。
でも危ない、掠りかけた! こんな先んじた回避でもギリギリか! だったら私はもっと早く行動を起こし、その行動自体ももっと速くしないといけないが──。
「おぅらもう一発だッ!」
「ッ!!」
間断なく放たれる追撃。こんなことをされたらどれだけ焦ろうが間に合いっこない。緊急脱出後の着地と同時に眼前に広がった青に私は苦い思いをしながらネックレスとリングの力を全開使用。衝撃、明滅、そして痛み。それを気付けに即起きる。寝ている暇はない、永眠したくなければ!
スタンギルはもう拳を振り被っている。おそらく奴の攻撃は魔石モドキの魔力を自分のものとして操って放っているんだろう。だからやたらと強力だし弾数の心配もない。この場に満ちている魔力が尽きない限りスタンギルの弾だって尽きないんだ。そして魔石モドキが空っぽになることを私は期待しちゃいけない。
だってこれだけの攻撃を三発放っても、周囲に渦巻く力は目減りしていない。僅かたりとも減ったようには感じられない。ってことはつまりそれだけの総量があるってことで、だからこそスタンギルは私を始末するのも、そしてその後にエルフタウンを滅ぼすのも訳のない仕事だと思っている。
奴の物臭な物言いや億劫そうな態度は、自分が仕出かそうとしていることを単なる作業としか捉えていないからこその余裕であり傲慢さなんだ──それがわかって、なおのことに腹が立つ。
こいつは絶対ここで倒さなきゃならない……!!
「突糸!」
スタンギルが拳を打つともうどうしようもない。だったら拳が打たれる前にどうにかするしかない。幸いにも奴さんの打ち方はもう見てられないくらいの素人パンチ、当てるために練られた技術なんて欠片もない隙だらけの動作になっている。そこを突く。突くには、どうするか。
糸の攻撃で最もリーチがある斬糸は、準備さえしていれば出が早いがここからスタンギルまでは届かない。攻魔の腕輪の闇ビームなら届くが、発射に溜めがあるからには隙を突くのに適さない。
このバングルはしっかりと当てられる状況を作るか、溜めの時間が確保されているシチュエーションじゃないと最大効果を発揮しない──さっきノールにやったみたいなほぼ短い溜めでミニレーザーを撃つみたいな使い分けもできるけど、それをしてもお互いのレーザーが衝突するだけだろう。そうなったらこちらが一方的に撃ち負ける。さすがに、出力を絞った闇レーザーじゃ奴の青レーザーには到底太刀打ちできっこない。
と、そこまでを刹那に考えた……というよりも取るべき行動を脊髄で取捨選択した私が最終的に選んだのは、今この場で思い付いた新技に縋ることだった。
それがこれ。斬糸用の鋭く硬い糸、その鋭さを糸の先端部分にだけ集中させて──文字通りの先鋭化を施した上で、振らずに突く。単に腕を突き出すだけでなく、高速度で伸縮可能な糸繰りの特性を利用して限りなく速く。それこそ弾丸のように撃ち放つ。
糸による遠距離刺突攻撃、突糸である!
「ぐぅッ! て、めえ」
私の目論見は……半分成功、といったところだった。
喉元を突いた糸はスタンギルの意識と打点を逸らし、青い魔力のレーザーの進行方向を変えた。おかげで突糸を繰り出したあとからでも横へ飛び退くことで回避が叶った。のはいいんだけど、本当なら私は奴の攻撃そのものをキャンセルさせたかったのだ。だがスタンギルは、突糸を食らいながらも拳を打ち出すのをやめはしなかった。
ショックだ。何がショックかって、クリーンヒットしていながら奴が掠り傷しか負っていないことだよ。一応は血が出てるけどほんの少しだ。それだけ突糸の威力が低い? いや違う、初使用の技だけあって私の扱いも完璧じゃあなかったかもしれないが、それ以上に奴が硬いんだ。硬くした糸にも劣らないくらいに、皮膚も筋肉も硬い。そうとしか思えない。
トロールは糸に斬られるのを避けるために変化の術で鎧を着込んだ。けど、スタンギルはそんなことをしなくたって素の肉体が鋼鉄に近しいくらい頑丈だってことだ。
こいつはヘヴィな状況になったな……こんな奴にどうやって勝てばいい? 戦いを投げ出す気も諦める気も毛頭ない、けれど、ちょっとこの男を倒せるイメージが湧かないのよね。勝利の想像ができないっていうのは勝負事においてめちゃくちゃ由々しき事態だ。
冷や汗が流れているのを自覚する私から視線を逸らさず、スタンギルは首の付け根の傷から血を拭いつつ笑った。
「なんだよてめえ、弱っちいナリしてやるもんじゃねえか。オレに傷を付けるたあな」
加減なしで行くぜ。と、スタンギルはその大きな両腕を広げた──。




