60 真の勇者足り得る者たち
「魔王という脅威に対し、慈母の女神が勇者を遣わせた。これは裏を返せば、女神が介入をしなければ魔王はその野望を成就できていた。世界を手中に収めることが可能だった証でもある。魔王は人だけでなく世界にとっての脅威なんだ」
そして脅威の元となっているのは瘴気である。勇者しか対抗できない魔王本人の戦闘能力ももちろん恐ろしくはあるが、それ以上にやはり、世界の在り方さえ変えてしまう瘴気こそ人類は警戒しなくてはならない。と、ルールスさんは言う。
「勇者という女神の加護。そして大陸魔法陣という人類の知恵によって第三大陸は魔王の侵入を許しても瘴気の蔓延を許したことはない……けれど、今まではまず勇者を倒すことを念頭に置いていたはずの魔王が、今回はアプローチに変更を加えている。勇者と戦わずして、あるいは勇者との戦いを有利にするために、先に瘴気を広める手段はないものかと画策しているように感じられる。ザリークという魔物の一足早い威力偵察も、ともすればそのためだったかもしれない」
「襲撃をかけて情報を得る、だけではなく、その時既にロウジアへ狙いをつけていた魔王の動きを悟らせないよう、目を逸らさせる目的があったと?」
「実際、そちらにばかり目が向いていたのは確かだ。ロウジアは王都から遠い、ザリークの攪乱がなくとも住民に溶け込んでいたという魔王の擬態が見破られる可能性はとても低かっただろうけど……それを承知の上で念のために。やって損はなしとザリークに出撃を命じたか、もしくは本人からの申し出を許可したか。いずれにしろやはり、怖いと思うよ。こんな頭の使い方をかつての魔王たちがしたことはないからね」
「ルールスさんから見ても今回の魔王期はおかしいんですね」
「ああ、おかしい。変だよ、とても。魔族側も勇者が五人いることには戸惑っているんだろうが、ぼくらだって魔王の変化には戸惑いしかない。これまでにない魔王期だ。もはや過去の知識は参考程度にもならないかもしれないね……それでも決して無駄にはならないはず。そう信じてぼくは君らにこの古い脳みそに詰め込んだ過去というものを話しているわけだが、はてさてどこまで役立ってくれることやら」
自嘲的なことを言いながらも悪戯っぽく笑ったルールスさんがひと息を入れるようにお茶を啜る。その姿を見て私は、こんなに口回りが髭で覆われているのによくどこも濡らさずに飲めるものだと感心した。これも年季なのだろうか。私だったら顎下までびっちゃびちゃになるよ。
「托生紋という保険を掻い潜って魔王が大陸魔法陣の除去を叶えてしまう事態も起こり得る。その恐れをなくすには、ハルコ君が言ってくれたように、君ら勇者が魔王を討つことが最良の対策となる。ただ、逸ることはお勧めできない。繰り返すがとにかく魔王の討伐さえ目指せばよかった過去の魔王期とは少々……そう、匂いが違うんだ。今回はそれにばかり固執して急ぎ過ぎると重大な点において足を掬われる。そういう予感もする」
「そう、ですね。前例を知れば知るほどにザリークや魔王との遭遇がどれだけの異常事態だったか、コマレたちも実感として理解できてきました。ああいったことがこれからも起こっていくと仮定した場合、過去の例に習うことはむしろ危険が増すだけになるかもしれません。……けれども、培われた戦いの歴史と知識が参考にならないとすれば、コマレたちはどのようにすればいいんでしょうか。どう、魔王や魔族と戦っていけばいいんでしょうか」
コマレちゃんの切実な訴えは私たち全員の気持ちを代弁するものだ。一人だけ勇者ではないからだろう、神妙に口を挟まないようにしているバーミンちゃんだって案内人として試練の旅(と儀の巡礼)が終わるまでは私たちと運命共同体。托生紋がなくたって一蓮托生みたいなものなんだから、この先どうすればいいのかは悩ましく思っているはず。
「──魔境の奥深くには魔王の根城である魔王城がある。唯一、初代勇者だけが辿り着き、そこで初代魔王との決着をつけた」
「え……っと?」
「初代勇者は勝利し、凱旋し、第三大陸が歓喜に震える中で──謝罪をした。魔王こそ倒せたものの『瘴気を生み出す源』となっている魔王城は破壊できなかった。そして魔王城が健在な限りやがて魔王は復活するだろう……そう言い残して彼は彼の世界へ帰っていった。史料を読み解くにそういったことがあったらしい」
魔王城……! それが魔王の復活ポイント!? え、だったら絶対にぶっ壊さなきゃいけないとこじゃん。
「え、なんで初代勇者はそこまでわかっていながら壊さなかったんですか? 魔王に勝ってるならちゃちゃっとそれくらいできたでしょうに」
「当時の記録にはそこが抜けていてね。勇者が語らなかったか、彼の言葉を当時の者たちが理解できなかったのか。ともかく魔王城の破壊に至らなかった理由は定かではないんだ。けれどぼくなりに予想するとしたら」
「予想するとしたら?」
「ぼくらが運用する大陸魔法陣に同じなのではないかと考えている」
「あー……はいはい。そういうことですね。うん」
「絶対わかってませんよねハルコさん。どうしてそこで知ったかぶるんですか? 良くないですよそういうの」
いやだって、わかって当然みたいな雰囲気だったから……コマレちゃんとか実際にわかってる感じだったし、私だけ聞き返せないじゃん。はずい。
「いいですか、ルールスさんが仰っているのはつまり、大陸魔法陣の解除条件に潜む罠。楔の永続化と同じような仕組みが魔王城にも組み込まれているのではないか、ということです」
「えっ、じゃあ城を壊したりしたらむしろ瘴気がめっちゃ湧き続けるってこと?」
「あくまで状況からの推測ではありますが、そうだとしたら初代勇者が魔王城に手を出さなかったことの説明にもなりますよね」
「勿論、それこそ他の要因で状況がそれを許さなかった可能性だってある。魔境にまで乗り込んだ歴代最強の呼び声高い初代勇者とはいえ、魔王を討った直後ともなれば相当に疲弊していたはずだ。魔族の残党もいたようだし、単純に魔王城の破壊に勤しむだけの余裕がなかったとも考えられる……だが、瘴気の蔓延は魔王が世界を制する最上の方法にして絶対の条件。如何に傲慢で自信家であろうとも、その源たる根城に手出しをされないための一計くらいは魔王とて案じていてもおかしくない」
そして、とルールスさんは改めて私たちの注目を集めるように指を一本立てて。
「初代勇者が言い残した予言めいた言葉は他にもあるんだ。ぼくはそこにこそ彼が魔王を討つのみに留まった本当の理由があると見ている」
「それは、いったい」
「魔王が幾度となく復活すること、それによって時代ごとに戦いが繰り返されることを予見していた勇者は、その事実を伝えると共にこうも言ったとされている──『いつか私ではない誰か、真の勇者足り得る者たちが、必ず世界を救うだろう』」
……しばらく無言の間ができた。私たちは初代勇者が言い残したセリフを噛み締めて、反芻するみたいに理解に努め、ルールスさんはそれが終わるのを待ってくれている。
一番に口を開いたのはカザリちゃんだった。
「真の勇者足り得る者、たち。これは……」
「ああ、これまでは歴代の勇者を指してのものだとばかり思っていたが、つい最近になって考えが変わったよ。これはもしかすれば歴史上初の『複数人の勇者』である君らを予見していたが故の言葉だったのではないかとね。つまり──君らこそが魔王期に、延々と続いてきた魔族との戦争に終止符を打つ、真の勇者なのではないか」
ぼくはそう「信じている」んだよ、とルールスさんは息を飲む私たちへと笑いかけた。




