58 だとしたらなんだ
「托生紋、ですか。それはどのような術なのでしょう」
興味津々だけど場を考えて必死に前のめりになるのを自制しています。っていうのがよくわかる様子で訊ねるコマレちゃんに、ルールスさんはローブの首元を直しながら答えた。
「ルーキン君から許可を得て施した、文字通りに他者と一蓮托生になるための術。時代によって絆の術や外法の術と評価が分かれてきた古い代物さ。ただしこれは誰も彼もを繋げられるものではなく、肉体的あるいは精神的に密接な者同士にしか発揮されない。その点、ぼくら番人はひとつの大きな術の下に元から繋がっているわけだからね。托生紋でそれをより強固とするのは容易だったよ」
「えっと……それによって何が変わるんでしょうか。洗脳や支配に対して抵抗を得るとのことでしたが、いったいどうやって?」
「うむ。状態の共有による恒常化。わかりやすく言うとすれば……例えば今、八人の番人の内の誰かがザリークに洗脳術をかけられたとする。だがそれは効力を発揮したとしてもすぐに解術される。何故ならばこうして洗脳を受けていないぼくや他の六人と強く結びついているからだ」
「……! なるほど、互いが互いの正常を保障する存在になるということですか。確かにこれは対精神操作にうってつけの手法ですね」
感心して唸るコマレちゃん。彼女ほど正しく理解できているかは不明だけど、私も大したものだと思う。
魔王が現れたと報告を入れてからまだ二日ちょっと。王都を経由してルールスさんがそのことを知った時点から数えるならもっと短いわけで……それだけの時間でもうここまで完璧な対策を打っているなんて、あまりにも有能が過ぎるでしょ。エルフタウンの長老の肩書きは伊達じゃないね。
「これで全員が同時に操られでもしない限りは精神に干渉する術も怖くない。それだけじゃないよ、他にも術的・肉体的を問わず不調の類いもなくなる。つまり誰か一人でも元気ならぼくらは常に八人全員が健常を維持できるということだ」
それはますますすごい。元からの繋がりが何かしらなきゃいけないみたいだけど、その条件をクリアできてる人たちなら皆がやったほうがいいんじゃないかってくらいに良いこと尽くめだ。
私たちも勇者チームでやっちゃおうか。女神から祝福を受けたっていう繋がりがあるならいけんじゃないかな。そう思って提案するよりも先に、カザリちゃんがぼそりと言った。
「デメリットは?」
「えっ、デメリット?」
「そう。都合がいいだけの術なら外法なんて呼ばれることはない。何かしら不都合もあるはず……ですよね」
「──ああ、あるね。あらゆる不調を無効化してくれる托生紋だが、ただひとつ。死という生物最大の不調だけは例外としていてね。有り体に言えば一人が命を落とせば他の全員も命を落とす。そういう不都合が、この術には設定されている」
「な……」
コマレちゃんが目を剥いて絶句する。たぶん私も同じような顔になっている。
一人の死が、イコール残り七人の死でもある。それはちょっと、デメリットとしては過酷じゃないだろうか。だってここはちょっと街を出ればどこに魔物がいてもおかしくない、ただでさえ命の危機に瀕しやすい世界だ。ロウジアが被害に遭ったみたいに街中にいたっていつ強い魔物に襲われるか知れない。
それでいて今は魔王期。平時ではなく戦時なのだ。ますます危険な時期でもあり、そして何より──。
「魔王に狙われている大陸魔法陣の番人の方々は最も危ない立場にいる……というのに、何故そんな術を?」
そう、そこだよ。確かに魔王は大陸魔法陣の解除条件に勘付いているような素振りも見せていた、でも、タジアさんのことを殺そうとだってしていた。
それは彼がいなくなっても彼の息子や孫に「番人」の肩書きが移るだろうと見越してのことだったのかもしれない。そうじゃなければいくら業を煮やしたからってタジアさんを手にかけようとはしなかったかもしれない──でも、何を仮定しようがしなからろうがあの瞬間、殺害の意思があったことは確かで。
事と場合によっては洗脳だとか拷問だとかのまどろっこしい真似をせずに殺しにくるかもしれない。ルールスさんだってルーキン王だってそのことはわかっているはずなのに、どうして全員の命を一個にしちゃうような術を使ったのか。
その問いにルールスさんは好々爺然とした笑みを消さないまま、あっけらかんと答えた。
「誰かが魔王や魔族の手によって死するならば、托生紋によって他の者もまた『魔族に殺された』ことになる。それは楔の永続化条件が満たされることを意味している。托生紋の不都合がぼくらに限ってはかえって好都合になるんだよ」
八カ所の要点という楔。それら全ての一斉永続化こそが、托生紋の真の狙いだと。ルールスさんはそう言った。
呆気に取られるとはこのことだった。托生紋は番人を守るためのものじゃなくて、番人に仕掛けられた罠を強化するためのもの。洗脳に対して強くなるっていうのもじゃあ、本当にそれを防ぐっていうよりも、魔族が暴力的な手段に出ることを「促す」意味合いが強いってことなんじゃないのか。
だとしたら──だとしたら?
だとしたらなんだっていうんだろう。ここまで覚悟を決めている人に、私は何を言えばいいんだ? 手段の是非だとか正誤だとか、そんなものを語れるほど私は偉くない……だから。
「托生紋って、解除もできるんですか」
「うん? ああ、できるよ。少し時間はかかるが」
「じゃあ安心だ。魔王期が終わったら解除すればいいだけですもんね」
そう言えば、ルールスさんはまじまじと見てくる。老齢とは思えない、子どもみたいにきらきらと輝くその瞳が、興味を持って私を映している。私は彼にも負けない笑顔を作って続ける。
「確認なんですけど。もしもタジアさんが托生紋の効果で亡くなれば、次の番人扱いになるはずの息子さんやミリアちゃんも危ない……ですよね?」
「そうだね。血筋を頼りとしての代替わりを行うのであれば、托生紋の直接の対象でなくとも血統の全員が『道連れ』の範疇に入る。それがルールだ」
「だったら余計に誰も死なせるわけにはいかないですね。私たちが魔王期なんてちゃちゃっと終わらせちゃいますから、ルールスさんは解除の準備をしといてくださいよ」
「はっは。それはまたなんとも頼もしい。期待させてもらうよ、今代の勇者たち。失われる命はひとつでも少ないほうがいい。ぼくもそう思うからね」
ルールスさんだって托生紋になんて頼りたくて頼ったわけじゃないのだ。暗さこそ見せないけど口振りからしてそれがよくわかる。だったら私にできるのは彼の選択に対してなんやかやと口を出すことじゃなく、行動で応えること。勇者に相応しい仕事をして彼らを守るのが第一だ。私だけじゃなくきっと皆も同じ思いのはず。
っていう気持ちが伝わったのか、ルールスさんは髭を撫でながら深く頷いて。
「微力ながらも君らの助けになりたい。ぼくの古びた知識や意見なんぞでよければいくらでも差し上げよう。さあ、魔王の思惑とそれに対する策については充分に知れたね。では次だ。君らは何を知りたいのかな?」
また私たちは皆で顔を見合わせて、やっぱり代表して返答したのはコマレちゃんだった。
「瘴気。魔王がこの地に広げたがっている、魔族の力となり、魔族以外の種族には毒になるというそれについて、もっと詳細なことを知りたいのですが」




