53 勝ち目ない感じ?
トロール最後の一体は一番小柄な奴だった。二メートルちょっとくらい? それでも充分デカいけど、他のが三メートル近くあったんだから相対的にね。
自分以外は皆やられたっていうのにトロールは特に怯んだ様子もなく、正面に立っている私に向けてどしどしと近づいてくる。身の危険を察知できないくらいに思ったよりも知恵のない魔物なのか、それとも今は馬車=美味い! っていう図式で頭がいっぱいになっちゃってるのか。
生憎と私たちの乗ってる馬車に食材は積まれてないんだけどね。食べ物も含めて必要品は全てコマレちゃんの圧縮バッグの中で、トロールではさすがにそこから物を取り出せないだろうから、もしも戦いに勝利したって向こうに得るものは何もない。
って思ったけど、そっか。ゴブリンとかと一緒でこいつも人を食べるんだ。だから危険度もまあまあ高く設定されているわけで──うん、そうなるとやっぱ負けられないし、負けたくないな。
いくらいざとなったら皆に助けてもらえると言っても、そこは私も勇者の一人としてね。
「糸繰り、壁糸!」
ぶんと振るわれた腕を、左右の木々同士を使って繋げた無数の糸で受け止める。叩きつけられた掌でミシリと糸が押され、木々が傾いだけれど、それだけだった。
よしよし、ちゃんと防げたね。ただ糸をピンと張るだけじゃなく適度に余裕も持たせてぶつかる力を分散させるのが壁糸のコツだ。コマレちゃんやカザリちゃんと違って障壁を使えない私にはかなり重要な防御術。バロッサさんとの修行中はもちろん、糸繰りを助けてくれるアステリアリングを貰ってからも日々の練習ではほとんど上手くいった試しがなかったんだけど、今回はばっちし。
何度かの危険を通して私も少しは成長しているってことかな? エッヘン。
「斬糸!」
この調子でお次は攻撃術といこう。壁糸は私にとっても邪魔になるので回収して消し、できる限り細く、けれど頑丈な糸を新たに五本の指から伸ばす。そしてそれをしならせてから、勢いよく振ってトロールへ浴びせる!
ザシュっと音を立ててトロールの肌が切れ、野太い悲鳴が上がった。よーしよし、これも成功! 壁糸と同じく私にはけっこー難度の高い技だったんだけど、以前ほどの苦手意識はもう感じない。これなら毎回ミニちゃんを纏って鞭にしなくても充分攻撃として成立しそうだ。トロールだってこんなに痛がってるんだからね。
痛がってると言っても、図体が図体だし切り傷もそこまで深刻なものじゃない。血だってそんなに出てないし、ミニちゃんで鞭糸をやったほうがずっと強力なのはそうなんだけど、まあアレだよ。自分の力だけでやれてるってことに意味があるじゃん? たぶんね。
「よっ、ほっ、やっ、そりゃ! ……切りがないなこれ」
斬糸をぶつける度にちゃんと切れてはいるんだけど、所詮は薄皮一枚の被害。痛みこそ与えられても倒すまでには至らないようだ。これじゃ私がバテちゃうのが先かも。そう思いつつもぺしぺし斬りつけていると、トロールが大きく吠えた。
それは悲鳴じゃなくて雄叫び。おそらく怒りがマックスになったんだろう。濁った目を血走らせたトロールは咄嗟にその顔目掛けて糸を振るってももう痛がらず、鼻っ柱から血を噴き出させながらも突っ込んできた!
うわヤバ、ここから壁糸は間に合わない。それにこの勢いだと壁糸を出したところで破られそうだ。なので、左手で伸ばしていた糸を収縮。横合いの木へと糸を伝って移動することでトロールの突進を躱した。
あぶねー、保険かけといてよかった。あまりにも斬糸のダメージが少ないから両手でぺしぺししようかとも一瞬考えたけど、さすがにダブル斬糸は今はまだ制御が追いつかない気もしてやめたんだよね。やめて正解だ、そんなことしてたら今の突進を食らって吹っ飛ばされていたに違いない。
それにしても縮むスピードを利用して糸を引っかけた場所へ高速移動するこの技、有用だな。体勢とか足の位置とかに関係なく回避ができる。アンちゃんから逃げるために編み出したものなんだけど、これは磨く価値がありそうだ。
周囲に引っかけられる物がなければ使えないっていう明確な弱点もあるので、過信は禁物だけども。
「手袋、オン!」
少し距離が開いたと言ってもトロールの歩幅は大きい。素早い動作性こそないが数歩で私の下まで来られる、そして来られては困るので、右手の斬糸を継続したままパワー手袋を起動。これで私は見かけによらぬマッチョマンになった。
それでもナゴミちゃんとかのパワーと比べたら大人と子どもくらいの差はありそうだけど、少なくとも斬糸の火力はさっきよりもアップする。
でもただ手袋に頼っちゃダメだ。それだけじゃ足りない、精々切れるのが薄皮一枚から厚皮一枚になるくらいだろう。それじゃあ怒り心頭のトロールは止まらない。結局また突進されて、逃げて切って、突進されて逃げて切って……その繰り返しでもいつかは勝てる、とは思う。だけど私が目指す勝ち方はそういうんじゃない。
魔蓄の指輪にも攻魔の腕輪にも防魔の首飾りにもミニショーちゃんにも頼らずに──皆の才能に助けられることなくトロールを倒すっていう目標は、そんな戦い方で達成できるものじゃないんだ。
集中。体中に巡らせている魔力を意識して今一度コントロール。地面を揺らしながこちらに迫ってくるトロールの姿は迫力があって恐ろしいが、こんなものに心を乱されてはいられない。瞬間的に魔力が整った。全身均一、かつ負担もない。そこで私は今の自分に出せる最高出力へと持っていく。
「えぇいっ!!」
フルパワー斬糸。力いっぱいに、けれど雑にならないように振るったそれがトロールの腕を斬る。ただ傷を付けただけじゃなく、切断だ。ぼとりと落ちた太い腕にトロールはこれまでにないほどの苦悶の声を上げた。その尋常じゃない声量にはまだ確かな怒りが含まれている。つまり、トロールは折れていない。片腕を落とされてむしろもっと私への殺意を募らせているみたいだ。
ギロリとこちらを睨むトロールに、本気の一撃の成果を喜ぶ暇もなく私は構える。本気も本気の超全力だったために今のはそう連発できたりはしない。落ち着いて呼吸と魔力を整えてからじゃないと無理だ。そんな猶予は目の前のトロールが与えてくれない。一度食らわせたからにはまた糸移動で距離を取ったとしても、土やら石やらを投げつけられたりして集中を切らされるおそれもある。
フルパワー斬糸以外でダメージを与える方法を考えないといけない。それも溜めのいらないやつを。
そう頭を働かせようとしたが、その意味はあまりなかった。
そもそも前提が変わったからだ。
「は!? ……あ、これ変化の術か!」
一瞬にしてトロールの姿が変わった。ぶよぶよした怪物的な見た目から、全身鎧の騎士的な見た目に。私が斬った左腕はないままだけど……あまりに代わり過ぎでしょこれ!
いつか見たものを再現しているのか、体格は明らかに二メートルを切っていて人間サイズにまで落ちている。威圧感は元の姿のほうがあった、でもこれはマズい。トロールが使うのは変装ではなく変化。幻ではなく実際に姿を変える術だ。変身とは違って変わる大きさとか時間に制限があると言っても、私からすればこの変化は非常に厳しい。
だって鎧だ、鋼鉄なのだ。
斬糸の通る余地がない!
「っく、やっぱりかぁ」
やらずに諦めるのもどうかと思い、物は試しにぺしっとやってみたが……あーこらダメですわ、手袋パワー込みでもてんで切れる気がしない手応え。これじゃフルパワー斬糸でも歯が立たないだろうな。
ゴブリンにやったみたいに首を折る戦法も無理。そもそもあれはゴブリンよりもギリ私のほうが力があったからできた倒し方なので、トロールには元から通用しないのはわかりきっている。
んー……もしかして私、勝ち目ない感じ?




