45 とことんまでやってやる
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最速の糸繰り。緊張感が逆に幸いしてかハルコ当人からしても会心の出来で放つことのできたそれは、けれどアンラマリーゼに軽々と躱され、懐に入られる。その敏捷さはこれまでに見せた以上の速度。ハルコは悟る。
(こいつ、今まで本気なんて出してなかったんだ!)
内心では衝撃を味わいつつもハルコの肉体は極めて合理的に動く。屈みながらの横転で迫った拳を紙一重で躱しつつ、伸ばした糸を引き寄せてアンラマリーゼの足へと絡める。軸足を取った──はずが、アンラマリーゼの反応は早い。瞬時に軸足を入れ替えた彼女は糸に繋がれたほうの足を大きく引いた。
筋量において相手が勝る場合、捕まえた側が窮地に陥りかねない。糸繰りによる拘束の弱点をまんまと突かれたハルコは急ぎ糸を消すが、慣性の法則により両者間の接近は止まらない。既にアンラマリーゼは拳の射程にハルコを捉えている。
「ふんっ!」
バキィイッ! と硬い音を立ててハルコが殴り飛ばされる。その様を眺めたアンラマリーゼは打った感触を確かめるように自身の拳を見て、それからハルコへと視線を戻す。案の定、彼女は何事もなく立ち上がった。
いや、何事もなくはない。顔を歪めて鼻血を垂らしているその姿からは少なからずの苦痛が感じられる。が、被害はそれだけ。そしてそれ以上に目を引くのが、彼女の左手を中心にうねうねと蠢く謎の物体だった。
直撃──そう確信したものが覆されたのは、あれの仕業だ。光沢を放つ鈍く黒いあれがハルコを守ったのだ。硬く、それでいて柔らかい、打ち破るには労しそうな手応えだった。ここにきて新たな隠し玉。ハルコの底知れない手数の多さにアンラマリーゼの口角が上がる。
彼女は知る由もないことだが、ハルコを守ったものの正体は数日前にシズキから受け渡された異能の一部。ありがたく頂戴したはいいもののそれっきりただ腕に嵌めているだけだったので「使える」ものであることをハルコ自身もすっかり失念していたのだ。
しかし、防魔の首飾りが魔力切れにより機能不全となったことでミニショーちゃんは持ち主の意思と関係なく勝手に動いた。本来の持ち主であるシズキが組み込んだプログラム──その命令通りに、宿主であるハルコを守ったのだ。
「ありがとうシズキちゃん──糸繰り、プラスミニショーちゃん!」
思い出したからにはこれ幸い。ハルコはすぐにその活用法を思い付き、実行に移した。指先から伸ばした魔力の糸にミニショーちゃんを纏わせる。軽く細く頼りない糸に、重さと太さと頑丈さが加わった。そしてその重みを手繰るようにハルコは勢いよく腕を振った。
「鞭糸!」
「!」
鞭の速度は最先端において音速を突破する。空気を叩く破裂音と共に迫ってくる得体の知れないそれは不吉を醸しており、アンラマリーゼをして防御態勢を取ることに一片の迷いすら抱かなかった。が、直後に襲い来る痛みがその判断の誤りを知らせた。
(守ったとて無意味か! ならば!}
防御は確かに成功した。異能を纏った糸、言うなれば鋼の鞭と化しているそれをアンラマリーゼは構えた腕で防いだ。ものの、その腕から血肉が弾けたことで察する。これはどこで受けても一定以上の損傷を受ける類いのもの。守ろうが守るまいが削られる、であればアンラマリーゼは即座に地を蹴る。
第二打が来る前に距離を詰める。離れていなければ鞭は脅威足り得ない、そう見抜き近づく選択をしたのは正着。正しい行動であるが故にハルコにも予想できていたことなのだろう。
彼女は鞭の二打目を放とうとはしていなかった。
「行けっ、ミニちゃん!」
糸の解除と同時にミニショーちゃんをアンラマリーゼに向けて放つ。飛びかかる蜘蛛の如くに体を広げて自身を捕獲せんとするそれに、アンラマリーゼは回転蹴りを一発食らわせることで押しやる。糸と違ってこれに捕まるのは厄介だ。そうわかりきっているからこその処置は、またしてもハルコの思惑通りで。
「魔力、全開!」
「ぬ……!」
これ見よがしのミニショーちゃんの影に隠れて自らも接近していたハルコが、拳を構えている。またあの重い一打が、いや、おそらくはあれ以上のものが来る! 蹴りの隙を突かれているからにはここから先手は取りようがない。アンラマリーゼは再び防御を選んだ。腹部へ向けて突き出される拳を交差させた両腕で受ける。
全力の一撃を凌ぎ、そして技後硬直に陥るハルコへ反撃をくれてやる。という目論見は、端から破綻していた。
これまで近接攻撃においてハルコが腕しか使ってこなかったことからアンラマリーゼは彼女の得意が自分と同じく拳打であると誤認していた。だからこの一打こそが本命だと疑わずに信じてしまった。
そう魔王に思わせる程度にはハルコの打ち方も様になっていたが──しかしあくまで彼女の得意は。
蹴り。足技にあった。
「どっっせい!!」
囮である拳打が受け止められる、よりも先に自ら拳を引き留めたハルコが放つのは妹直伝のハイキック。その要はただひとつ、目の前の獲物を何がなんでもぶっ殺す。それだけを胸に蹴り抜けること。
テンプルへのジャストミート。地を転がるアンラマリーゼに対しハルコは残心を忘れず、ミニショーちゃんも回収して構える。アンラマリーゼならばすぐに起き上がり高速の攻めを仕掛けてきてもなんらおかしくない。そう考えての用心だったが。
「くく、くかかかか」
笑い声。それは少女らしい軽やかで高い声。のはずが、ハルコにはどこまでも低く重々しく、まるで地の底から響いてきているようにしか聞こえなかった。
アンラマリーゼは地に手を突き、ゆっくりと立ち上がる。
「良い。良いぞ、ハルコよ。貴様は良い」
「っ……!」
気迫が衰えない。どころか先以上の昂りさえ見えている。そのことにハルコは歯噛みし、けれど彼女もまた、アンラマリーゼを睨むその目に弱気などない。
右耳のイヤリングを指で弾く。聴力強化。どこまで助けになってくれるかはわからないが、おそらくアンラマリーゼは更に速くなる。目だけで追おうとしても無理だろう。死角に回られたら向き直るよりも耳で音を捉えたほうが確実だし、対処も多少なりとも早められる。
とはいえ、言ったように気休め程度。手袋の魔石は空っぽで、魔蓄の指輪の魔力も残量ごく僅か。全開の出力ではもう数秒と持たないだろう──対するアンラマリーゼは、いくらか息を荒げ血を流しているもののまだまだ限界には程遠い。むしろ、精神的には好調になっているようですらある。
いよいよ絶体絶命へと追い込まれようとしている。と、そう自覚しながらもハルコは。
「いいよアンちゃん。そっちがその気ならとことんまでやってやる」
「くははっ! ああ、そうこなくてはな。もはや遊びではない、本気で共に踊ろうじゃないか──」
興奮しながら、どこか夢うつつの表情で。世界にひとつハルコという存在だけを目に映したアンラマリーゼが、一歩を踏み出そうとしたところで。
二人の間に何かが落ちてきた。
「「!?」」
派手に土埃を巻き起こして墜落したそれは黒くて巨大な物体だった。初めは何かわからなかったハルコだが、その全体像を眺めてようやく気付いた。既に力尽きているこれは──先ほど岩山の頂上で目にしたもの。
二匹いたブラックワイバーン。その片割れであると。
ちっ、とアンラマリーゼの舌打ちが響いた。




