34 ゴブリン
「ですから、コマレとトーリスさんはそんなんじゃありませんってば! 何度言えばわかってくれるんですか」
「や~、ハルっちが疑うのもわかるかもな~。ウチもなんだかお似合いに見えちゃったもん」
「ナゴミさんまで……もう。馬鹿なことを言うのはハルコさんだけで充分ですよ」
「ひどっ。コマレちゃん、ひどっ」
「ひどくありません、しつこい人が悪いんです!」
憤慨したようにしながらも、コマレちゃんもいくらか思うところはあったのか「こほん」と例の空咳をしてから。
「ま、まあ確かに? トーリスさんからも魔王期が終わったのち、是非とも残留を希望してギルドへ加入してほしいと誘われはしましたが……」
「わお、一人だけヘッドハンティング受けてんじゃん。やっぱり熱々じゃーん。……って、残留? それってなに、魔王を倒しても元の世界に帰らないってこと?」
「ですね。彼によれば帰還は勇者の意思によるものであり、選ぶことが可能だそうです。魔王討伐後、女神さまからどちらを選択するか訊ねられるんだとか……残留を希望した勇者はこれまでに一人もいないそうですが」
「あー、そうなんだ」
まあそうだよね。普通に考えたら帰還一択だよねぇ。
そりゃ、あっちの世界に未練がなかったり、あるいはこっちの世界に恋人だとかよっぽど大切な何かができちゃったりしたら、残留って手もあるんだろうけど。大抵の人間は元の生活を捨て切れるものじゃないはずだ。私だってそう。このまま家族や友達と二度と会えないなんて真っ平だ。
それに元の場所へ帰りたいっていう切実さがたぶん、歴代の勇者たちに魔王を倒す強いモチベーションを与えてたんじゃないかね。
女神もそういうのを期待して考えて勇者を選んできたことだろう。うーむ、やっぱ悪辣だわ。
「だけどなんかあれだね。試練やら……あとなんだっけ、儀巡? だっけ? 魔王を倒すための道のりは思ったよりも長そうだよね。これじゃいつ戻れるのやら」
「……儀巡、正式には儀の巡礼ですね。本来ならコマレたちは試練の旅よりも先に儀の巡礼を行うべきだったようですが、後回しということもあって詳細は聞きそびれたままでしたね」
「バーミン。あなたは知らない?」
コマレちゃんの疑問を引き継いでカザリちゃんが訊ねる。質問されたバーミンちゃんは、馬の手綱を引いたまま御者席から軽く振り返って応じた。
「儀巡ってのはアレっすね、挨拶回りのことっす!」
「挨拶回り?」
「えーと、まずは王都からスタートして、魔術師ギルドと魔闘士ギルドの本部。それからエルフタウンとドワーフタウン。四箇所の長と対面して、協力の約束を取り付けるんすよ。これまでの勇者が『百日の猶予』の間にやってきた伝統っす!」
王様と二人のギルド長と二人の町長。この五人の居場所を回って「どうぞよろしく」するのが偽の巡礼、ってことみたい。なんだ、堅苦しい呼び名の割にはそんなに大変そうじゃないな。
と思ったけど、これに加えて勇者としての修行と、女神が設定した試練という名の宿題までおよそ百日でこなさなきゃならないとなるとあまり余裕はないかも?
だから今回、儀巡は一旦スキップして試練のほうに挑んでるんだもんな。
「魔族が動き出してる以上、国王様も今回の猶予が百日あるとは考えていないんだと思うっす。言ったように儀巡は勇者と有力者の顔合わせでしかないんで、皆さんに力を付けてもらうための試練の旅を優先させたのは正しいと自分も思うっすよ」
「じゃあー、ウチらは結局挨拶回りをしないってこと?」
「うーん、どうなるんすかね。ついでに立ち寄れるから魔術師ギルド本部には顔を出せたっすけど、他の三つはちょっとルート的にまあまあな遠回りになるもんで……かと言って伝統をガン無視するのも怖いっすから試練後に向かうか、もしくは形を変えて向こうから来てもらうか、になりそうっすかね」
伝統の無視は怖い、か。気持ちはわかるかな。今までの勇者は魔王に打ち勝って世界に平和をもたらしてきた。負け知らず、だからこそ余計に「いつものルーティーン」は崩したくないだろうなぁ。
まず指南役との修行、次に儀巡、最後に試練を終えて、いざ戦いに臨む。っていう流れをできる限り守りたいはずだ。
順序の入れ替えは私たちが思う以上にルーキン王やバロッサさんにとって断腸の決断だったんじゃないかな。儀巡のオミットまで視野に入れているなら尚更にさ。
「お、次の街が見えてきたっすよ。今晩はあそこで休むっす」
モンドールから次の街までは割と短くて、午後からの出発でも夜が更ける前には辿り着く。という説明の通りに夕日が沈む直前には目的地が目の前だった。
なんでも屋として御者業もやってきているというだけあってバーミンちゃんのタイムスケジュールはかなり正確だ。色んな知識も持っているし、これは案内人に選ばれるのも納得だね。
そんで。次の日にはまた大移動。朝早い内から街を出て、他に立ち寄れるとこもスルーしてひたすらに快速で街道を進み、進み、進み。腰がやばくなってきたところでようやく宿入り。
王都に近い街々とはちょっと規模が異なる小さな街(そのまま小街と呼ばれるらしい)でまた夜を越えた翌日からは、とうとう綺麗に整備された街道がなくなった。
「人の通り道が自然と街道になったってだけで、こっからは舗装も何もないっす。街詰めの兵士さんらの見回りとかもないんで、あの森から先は魔物がいつ出てもおかしくない危険地帯になっていて注意が必要っす」
と言っても出てくるのは対処を知っていれば子ども(この世界基準でね)でも倒せるような危険度の低い魔物だけで、ヤバい奴はそうそういないみたいだけど。
でも、いよいよモンスターとエンカウントするのかと思うと否が応でも緊張してくる。ここまで敵と言えるのなんてザリークくらいとしか出会ってないし、あいつだってぱっと見はただの人間でしかなかったからね。
「ど、ドキドキしてきますね」
コマレちゃんも緊張した面持ちで言うが、彼女の場合はファンタジー世界の生き物へのドキドキであって、恐怖とはちょっと違う気がする。頬が紅潮してるしさ。
本気で怖がってちゃこうはならないよ。シズキちゃんを見てみ? 普通はこういう風に青くなるものなんだよ。
血色を良くさせるためにシズキちゃんの頬を優しく揉んでやっていると、ぴょこぴょことバーミンちゃんのウサ耳が動いた。
「む。来るっすよ。藪の向こう、小さな足音からしてゴブリンっす。数は……四、ちょっと多いっすね」
的確に情報を伝えたバーミンちゃんは馬の足を止めた。移動の要である馬を傷付けられるわけにはいかないので、接敵前にこうして安全地帯に馬車を置くのが重要なんだとか。
んでもって、たったいま先の藪からぬっと出てきたそいつら……小学生くらいの背丈で緑色の肌をした、ゴブリン。記念すべき(?)初魔物の相手をするのは当然、勇者である私たちの仕事だ。
「「発射」」
手すりの上から腕だけ出してコマレちゃんが火の魔弾を、カザリちゃんが闇の魔弾を撃つ。真っ直ぐ飛んだ二射はそれぞれゴブリンにしっかり命中。その頭部を弾け飛ばして絶命させた。
……え、終わり?
初魔物との初戦闘、これで終了?
「思ったより、脆い」
「ですね。ゴブリン程度なら詠唱なしでもよさそうです」
なんの感慨もなさそうに淡々としているカザリちゃんに、むふーと鼻息を漏らしているコマレちゃん。ふ、二人とも容赦ねー。
「おお、こんなあっさりと。やっぱ勇者様って凄いんすね!」
じゃあ出発するっすねー、とバーミンちゃんもあっさりと流して、体だけになったゴブリン二体の死骸を横目に馬車は進んだ。
なんか、無情だね。




