328 あなたのようにあれたら
私と皆のベクトルは、逆。私は帰りたいから頑張ることができたし、皆は帰りたくない現実があるから、それとはまったく切り離されたこの夢のような異世界で頑張ることができた。向かう先は違えどそこに注がれるエネルギーは同じで、その過程も同じだった。だから一緒になって頑張れた──それがコマレちゃんの分析。そしてそれは私が今日まで気付けなかった事実に基づいたもので、きっと正しくて。だからこそ彼女がこんなにも混乱している理由が、私にはよくわかった。
魔王を討伐するまでは一緒にいられた。けれど、どうしたって見ている先が違うのなら。望む未来が違っているのならここでの選択は別れなくてはおかしい。皆が残ることを選んだとしても「私だけは」帰ることを選ばなくてはおかしいと、コマレちゃんが言っているのはそういう意味だ。
私は誰も帰ろうとしていないことに大層驚いたけれど、そのときコマレちゃんはコマレちゃんで私まで帰ろうとしていないことに対してもっと驚いていたんだ。いや、それは驚きというよりも困惑であり……なんなら理解不能なものに対する恐怖と言ってもいいのかもしれない。
今のコマレちゃんの様子を見ていると、そう思う。思わされる。
「ハルコさんもこの旅でとても楽しそうにしていましたよね。その屈託のない笑顔に、どんな目に遭ってもへこたれない強さに、コマレもたくさん助けられてきました。でも、ハルコさんは、ハルコさんだけは元の世界での話もたくさんしていましたね。そのときだってあなたは楽しそうだった。とても愛おしそうに、あちらに残してきているものについてコマレたちに教えてくれました。その度にハルコさんとの差を感じさせられてきたんです。あなただけは、違うって。多かれ少なかれ逃避の意味を込めてこの世界で戦っているコマレたちとはハッキリと違って……あなただけは進むために戦っているんだって。それを見せつけられてきたんです」
なのにどうしてなんですか、と絞り出すようにしてコマレちゃんは言う。
「そんなにも、コマレとは違うあなたなのに。あちらでもこちらでもそんなに前を向いて頑張れるあなたが、ようやく念願の帰還を果たせるという時に、どうしてそれを簡単に諦められてしまうんですか? それは、コマレみたいな逃避とは訳の違う、意味のわからない行為です。そんな選択を意地だけで、この世界を守りたいっていうその欲求だけで、戦い続けることを決めるなんて……それは、そんなの。あまりにも英雄染みています。ヒロイックが過ぎて、コマレには理解が追いつきません!」
はあ、はあと言い切った彼女の息は荒い。ベッドに座ってただ話しているだけなのに、肩を大きく動かしている。それだけ切な訴えだってことだ。言葉だけじゃなくて自分の中にあるもっと多くのものを、もっと大きなものを吐き出しているんだ、コマレちゃんは。
私に対して、そして私を通してこの旅の最中にずっと抱えていたもの、なんだろう。いつか終わる夢の時間。それを心待ちにしている私と、そうじゃないコマレちゃん。特に彼女は魔術や魔物が存在しているこのファンタジーそのままの世界に目を輝かせてもいた。誰より知識を欲して、知ることを心から楽しんでいた。それはこの世界に馴染んでいくための行為でもあったのかもしれない。元の世界ではなく、こっちの住人になるための、彼女なりの努力であったのかもしれない。
元々できることならもっと長くこちらに残りたいと願っていたからには、女神の話を聞いて、帰還か残留を選べるとなって迷いなく残留を選んだんだろう。それは彼女にとって渡りに船だったんだから。もちろん、魔族よりも余程に厄介な敵になるであろう第五大陸のヤバい魔物たちや、一時的かそうでないかも定かじゃない灰への昇格……人間じゃなくなること。そういういくつかの不安要素に尻込みする思いだってあるにはあるだろうけど、でもそれだって結局は「問題にならない」。この旅がそうだったように、コマレちゃんからすれば許容できる程度の不安でしかない。
元の世界に戻ることへの不安に比べれば、なんてこともないんだ。
だから、元の世界への不安だとか忌避感だとか。そういったものを一切持っていない私がどうして自分と同じ決断をしているのか、コマレちゃんには不思議でしょうがないんだろう。いくら考えたってわからない。そのせいで彼女には、まるで私が途方もない正義感のみを行動原理にしているように見えるんだ。それこそ物語に出てくるような、大した理由もなく、我が身を犠牲にしてでも人助けをするような……そういう、度を超えたメンタルのヒーローのように。
そんな人物が現実に存在するはずがない。どんなに物語が好きでも、いやだからこそ、現実的に物を考えられるコマレちゃんにはそれが重々に理解できているはず。なのに私という、彼女にとっての普通や常識では測れない選択をする人間が目の前にいて、それが大きな戸惑いを生んでいる。コマレちゃんのこの態度はつまり、自分とまったく違う考えをする未知に対するものに近い。
何故そんなにも彼女の内心がわかるのかと言えば、私も似たようなものを彼女に──彼女だけじゃなく他の三人に対しても、感じているからだ。
元の世界での生活になんの不満もない、順風満帆な暮らしをしていた私だ。いやまあ、日常の中でトラブルに巻き込まれたりだとか、両親の選んだ旅行先のせいでうっかり死にかけた経験とか、大変な目に遭ったことは向こうでだって何度もあるしその度にうんざりもしていたけれど。だけどそれを理由に帰りたくないとは決して思わない。そう、私は元の世界に「居心地の悪さ」を感じていない。差というのならそこなんだろう。その差のせいで、私にはどうしたってコマレちゃんたちの気持ちがわからない。
頭で考えて、理解はできる。学校にも家にも居場所がないとか、そもそも学校に在籍すらしていないとか、そういう……私が経験してきた大変さとは種類の違う大変な状況にあるんだったら、そこから逃げ出したいと願う気持ちも理解できはする。けれど、それはどこまで行っても思考による理解。理屈としての共感。彼女たちの辛さや、こちらの世界から離れたくないというその気持ちの切実さがどれだけのものなのかを心で理解できているとは言えない。真の共感がそこにあるとは、言えないんだ。
コマレちゃんが私に共感できないように……理屈では私の言うことがわかっても、心情ではまったく近づけないように。私も、コマレちゃんたちとの間に壁があると。隔たりがあると感じている。そこだけは、お互いに共感できている部分だろう。皮肉にもならないことだけど。
「わ、わたしも……ハルコさんとの差を、ずっと感じていました」
「シズキちゃん」
コマレちゃんに追随するように、いつものように控え目に、だけどしっかりと私の目を見ながら話し始めた彼女は「でも」とこう言った。
「それは、憧れです。わからないものへの恐怖じゃなくて……あなたのようにあれたらって。あなたのようにいられたらいいなっていう、わたしの……希望そのものでした。ずっと、ハルコさんは」
微笑み。ふわりとした力のない、あどけない笑みが私に向けられる。コマレちゃんの笑顔は貴重で、見られるときはいつも優しくて暖かくて、力をくれるような笑顔だ。それは今も変わらない。だけどもこの場面では、さすがに私も戸惑いのほうが勝った。
「き、希望? 私が?」
「はい。だってハルコさんは困っている人がいたら助けるし、どんなことにも立ち向かう。それが当たり前で、当たり前にやっていて……わたしみたいに、何もできないような人間とはぜんぜん違う。後ろ暗い選択肢がそもそもない人、だから。わたしにはとっても眩しいんです」




