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262 児戯

「ぬっぐぐ……糸繰り!」


 切り揉みしながらも糸を伸ばして城壁を掴む。そうすることで落下を阻止し、回廊へと舞い戻ろう──としたところを、私がぶち破った窓から飛び出してきた魔王のダイナミック過ぎる跳びかかり蹴りによって邪魔される。咄嗟に伸ばしていた糸も使って蹴りの威力を和らげるためのクッションを作ったが、時間もなかった上にそれだけで殺すにはアンラマリーゼの脚力は高過ぎた。衝撃はまるで防御なんてしていないみたいに体を突き抜けていって、私は肺から空気を絞り出しながら王城本館と第二別館の間にある中庭へと墜落した。


「かっ、は」


 喘ぐみたいにして酸素をどうにか取り込み、撓んで消えかけている糸へ魔力を流し直して補強。と同時に遮二無二それを振るって追ってくるアンラマリーゼへぶつける。鞭糸、とちゃんと呼べるほど上等な造りにはなっていないがは通っている。ロウジアのときとは糸そのものの出来が違うのだから奴の足を止めることもできるはず、と思いたかったのだが。


「温い!」

「!!」


 なんとアンラマリーゼは蠅でも追っ払うような、大した力も込められていないのが丸わかりの一動作だけで糸を撥ね退けてしまった。そしてそのまま突っ込んでくる。奴の勢いは些かさえも衰えてくれちゃいない……!


「檻糸!」


 鞭糸を作成しつつ保険、というか次への布石としてもう片方の手で編んでいた檻糸を、完成前に作動させる。作り終えるまでの時間なんてアンラマリーゼが与えてくれない以上は半端でもなんでもいいからどんどん使っていくしかない。そうしてなんとか猛攻を凌ぎ、隙を見つけて態勢を立て直す。あわよくば攻守を入れ替えたいところだけど──くそったれ!


「なんだこれは! ハルコ、貴様の糸はこのような児戯にしかならんのか!」


 ……何重にも編み込んだ壁糸で敵の四方八方を覆い尽くすのが檻糸。未完成である以上は単に糸量と面積が増しただけの壁糸でしかないが、それでも私が作れる防壁としては最高のもの。コマレちゃんが本気で魔力を流した障壁なんかとは比べるべくもないけど物理的にも術理的にも──私が用いる糸は魔力で形作られているために──それなり以上に硬い、頼れる盾である。もちろんそれは私自身の糸繰りの技量だけでなく、糸内部に私の肉体と一体化しているミギちゃんがその特性を伸ばしてくれているからでもある。


 ドワーフタウンで死にかけた私は、失った大量の血肉の代わりとして更なるショーちゃんの追加で穴埋めしており、それによって糸がもっと強靭になってもいる。そうでないとバルフレアの闇の魔術にあそこまで食い下がれはしなかった。つまり、その糸で作る壁だってそれだけ強化されている。輪をかけて頼れる盾と化しているっていうのに──アンラマリーゼはそれを、和紙でも裂くみたいにして簡単に引き千切ってみせた。そしてやはりまったく速度を落とすことなく向かってくる。


 危機的状況。なのに「馬鹿な」と。私の頭にはそれだけしか浮かばない。浮かんでくれない。


 とんでもなく、途轍もなく、途方もない。どんなに魔王の完全体が強力だとしても絶望はしない、つもりだった。だけど魔王のこの強さは、アンラマリーゼとしてのアンちゃんの理不尽さは、私が想像できるレベルを遥かに超えている。思い描いていた強さの限界を飛び越えてしまっている。こんな強さがあり得ていいのかとただただ驚愕するほどに。


 強過ぎるし速過ぎる。


「どうしたどうした! こんなものではないなろう、貴様は! ハルコッ!」

「っぐぅ、うううう!!」


 殴りかかられて、でもどうにもできず。殴打のひとつひとつがとてもじゃないけど捌けもしなければ避けられもしないものだから、亀みたいに縮こまって身を守る以外になかった。両腕が固定されるくらいガチガチに鎧糸を何度も、その上からまた何度も巻いて厚くして、だけど防ぎ切れない。糸も魔力も何も通っていない生身へ思い切り金棒が打ち付けられているような、そういう痛みが腕から全身にビリビリと広がっていく。耐え難く、信じ難いだけの痛みが。


 強過ぎるし速過ぎる・・・・・・・・・。同じようなことをあの日も、ロウジアで思わぬ遭遇戦となったあのときも彼女を相手に思った気がする。力強くて素早くて、とてもじゃないが敵わないと。そう感じた。でも絶望まではしなかった。それはそういうものだと、魔王なんだからそりゃあ強いと。その上でどう生き延びるか、どうロウジアを守るかだけを考えることができた。


 だが今はそうもいかない。何もかもが不意で想定外だったあのときとは何もかもが違うのだから。今回は備えてきたし、覚悟してきた。いざ魔王との決着のときだと「終わらせる」つもりで私は王都に来た。王城に向かった。王の間へ入ったんだ。自分の意思で魔王の前に立った。ルーキン王を、王都の人たちを、この世界を……救うために。


 だけどこれはなんだ。これはなんなんだ?


 このあまりに残酷な力の差はっ!?


「こ──攻魔の腕輪!」

「!」

「最大出力で! 爆ぜろッ!!」


 腕輪に込められた闇の魔力が、巻いた糸の奥から噴出する。こっちも出力や発射口を絞る工夫なんてやっている暇はなくて──何よりそんな欲張りをしていたら「食われる」という予感もあって、とにかく出せるめいっぱいの火力を求めて起動させた。


 これまでにも何度かやってきた自爆回避。全方位へと隈なく炸裂した闇に私も魔王も平等に襲われて弾き飛ばされる。ただし、攻魔の腕輪が撃ち出すのは術式を介さない魔力そのもの。スタンギルの支配下の沙汰(ドミネ・クオス)に近い。魔力の質も量も一級のためにちゃんと術に昇華された攻撃にも劣らない、どころか発射速度と単純な火力で言えば上回るほどの代物だ。……この評は腕輪の性能を確かめた際のコマレちゃんの受け売りでしかないが、私も実戦で何度となくこの腕輪に助けられており、その威力、使い勝手の良さも確かめてきている。


 このように攻撃だけでなく緊急回避のための手段としても使えるのがこの腕輪の便利なところだ。特に自他を巻き込む自爆回避は魔力では被害を受けにくいという私の体質と相性が抜群で、同じように闇を浴びたとしても私にはほとんどダメージがないのに対し、相手はちゃんと出力通りのダメージを負う。それでいて詰められた距離を引き離して状況をリセットまでできるんだから言うことなしだ。


 これが魔力放出ではなく魔術に仕立てられたものだったら私までズタボロになる。バルフレアが振るっていた闇も術として操られていたものだったから掠っただけでも小さくない傷を負った。あれでもしあいつもスタンギルのように純粋な魔力を武器にするタイプだったらもっと楽ができたんだろうけどね……いやでも、そういや最後らへんのバルフレアは術を制御しきれていなかったようにも見えたな。じゃあ、私があいつの闇を切り拓けたのは根性とかアイテムの助けだけが理由じゃなくて、術が緩んで魔力そのままになっていたからってのもあるのかも?


 ──なんて、無駄な考察は終わりだ。


「はぁ、はぁ……ちっ」


 荒れた呼吸を整えながら、闇の爆発で巻き上がった土埃の向こうから歩いてくるアンラマリーゼのシルエットに舌を打つ。見えてきたその姿には、外見にも歩行にも僅かな痛痒すらない。今この場に関係しないことを長々と考えていたのは自分でもそうとわかるくらいの清々しい現実逃避だったが、でも、そうでもしないとやってられなかったのだ。


 だって──だってこんなの、馬鹿げているとしか言えないんだもの。


「くくっ」


 魔王の笑い声が、小さくも私の耳に響いた。

 


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