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260 貴様がいい

◇◇◇



 ──いる。


 直感的にそう感じた。気配とか、魔力とか、そういうんじゃなくて。ただ本当になんとなく、そういうものをキャッチしない内からこの先に彼女がいること、それだけが私にはわかった。


 細い通路を行く。大廊下から大扉を越えてある部屋、その奥にまた小さい通路があるのはなんだか変な感じだけど、きっとこれは招かれていない集団が王の間に押し寄せてこないようにっていう防衛上の観点からこんな造りになっているんだろう。その仮想敵はもちろん魔族だ。まあ、魔族ともなればドワーフタウンでそうだったみたいに何もかもを壊しながら進軍するだろうから、これくらいの人類の視点というか規模感での防御策なんて、いざ大群での侵攻が起こればほとんどなんの意味もなさないとは思うけど。それでもやらないよりはやったほうがいいとも思う。


 だけどあいつは──魔王は後方に門番・・としてザリークを置いて、たった一人悠々と、まるで自分の城を行くみたいにこの通路を歩いたんだ。なんてふてぇ奴。その傍若無人さでルーキン王をどんな目に遭わせているかわからない。私は大急ぎで最後の通路を駆け抜けて、王の間に飛び込んだ。


 するとそこには。


「……!」


 数段だけの階段の上に置かれた立派な椅子。王が謁見時に座るためのそれに我が物顔で腰かけている人物が、私のことを高い位置から見つめ返してくる。その姿を見た瞬間に記憶が蘇った。ロウジアで出会った少女。ついぞ今まで容姿の特徴をまったく思い出せなかった彼女のぼやけた印象が、霧が晴れるようにしてはっきりと浮かび上がってきたのだ。


 王の椅子に座っている人物は、その少女によく似ていた。背丈も年齢もあのときの姿とは合致しないけど、あの子が大きくなったらこういう見た目になる。そうと思えるくらいには……アンちゃんを彷彿とさせる女性が、そこにいた。


「よく来た、ハルコよ」


 口の端を吊り上げながら嬉しそうに、とても楽しそうにアンちゃんが。アンラマリーゼがそう言った。


 途端に背筋が粟立つ。たった一言。ただ一度名前を呼ばれただけで、私は恐怖させられている。その事実に唾を飲み込み、なんとか恐怖を飲み干そうとして……そして気付いた。アンラマリーゼばかりに気を取られていて、その圧倒的な存在感に目を奪われてしまって今の今まで目に入っていなかったものに。


「ルーキン王!? それにバロッサさんも……!」


 王の間の壁際、アンラマリーゼが座す壇上の横手にあたかも邪魔な物でもどかすように乱雑に捨てられているそれは、人の山だった。手前にはルーキン王が、その奥にはバロッサさんが倒れている。さらに奥に他にも数人。彼らは確か、私たちがルーキン王と謁見する際にも傍にいたこの城の文官と思しきお年寄りたちだ。こうしてここにいるということは、ルーキン王を守るためにバロッサさんと一緒に城内に残ったということだ。荒事とは無縁の人たちだと勝手に思っていたけど、彼らもひょっとしたら戦闘の心得があったのかもしれない。


 だけど全員、やられている。それも当然だ、選兵団と魔術師部隊。対魔族を担う最強戦力たるこの二翼が負けているんだからいくらバロッサさんや文官の人たちが力を合わせて抗ったところで魔王には敵わない。本当に、なけなしの抵抗にしかならなかったはずだ。だけどその抵抗で一分でも、一秒でも長く時間を稼ぐために。勇者が到着するまでをどうにか持たせるために彼らは、そしてバロッサさんも城から逃げなかったんだ。


 そしてその覚悟を、こうして魔王は蹂躙した。


「安心しろ。死んではいない」

「!」


 安否を確かめようと走り寄ろうとした、ところでそれを止めるかのようにアンラマリーゼが言った。死んでいない? 本当に? そう言われて横たわるルーキン王をよくよく観察してみれば、確かに力なくぐったりとしているけれど、呼吸はしている。バロッサさんや奥の人たちも同様に意識を失っているだけで誰も亡くなったりはしていないようだった。……でも、どうして? 安心すると同時に疑問が湧く。誰も死んでいない、殺していない。アンラマリーゼからすれば容易く奪える命だ。特にルーキン王は、奴からしても連合国を落とすために是が非でも仕留めておきたい対象のはず。だからこそこうして王都に攻め込んだんだろうに、何故。


 不可解さに戸惑う私の心情を見て取ってか、くつくつとアンラマリーゼは喉奥で笑った。


「殺さなかったのはここまでの道中においてもそうだ。ひとつの命さえも我は奪っていない。手にかけていない。それが何故なのか、ハルコ。貴様にはわからないというのか?」

「…………」

「嘆かわしい。再会を一日千秋に待ち侘びたのは我ばかりか」


 アンラマリーゼが立ち上がる。偉そうに腰かけておきながら国王だけが使用できるはずのその椅子にはなんの価値も見出していないとよくわかる、なんの気なしの仕草だった。奴が見ているのは、その眼中に収めているのは──私だけ。


「貴様がいい。力を取り戻し完全なる王となって初めて奪う命は。我が意思で以て殺す命は貴様でなければならないと、そう考えたまでのこと。だからこうして待っていた。……貴様も同じ気持ちでいるから、一人この場に現れたわけではないのか」


 ああ、よいよい。とアンラマリーゼは軽く手を振って。


「それならそれでいい。いや、それでも尚やってきたのがハルコであること、それこそを喜ぶべきだろうな。そも、我の意を酌むような殊勝さなど貴様にはないほうがいい。この期に及んで馴れ合いのような殺し合いはご免だからな」


 言いながら、アンラマリーゼが壇上から下りてくる。一歩一歩近づいてくる。……再戦の約束を、確かにした。ロウジアでの出会い以降、私だってずっとそれを意識していた。何をしていても、何と戦っていても、いつか訪れる魔王との「本気の勝負」が頭の片隅には必ずあった。中途半端じゃない、完全に魔王としての力を取り戻したアンラマリーゼとの死闘を、忘れたことなんて一時だってない。


 だけどまさか、あちらさんまで同じように意識していたとは……いや、私以上に再戦の約束に拘っていたとは思わなかった。初めに奪われる命。いわゆるファーストブラッドってやつを私にしたいがために、魔王でありながら。恐るべき魔族たちの王として人類の国の中心へと攻め込んでいながら、まだ誰も殺していないだなんてさ。それこそ恐ろしいぐらいの私に対する執心ぶりだ。


 正直そんな執念を向けられてゾッとしないわけじゃないけど……アンラマリーゼの言う通り、私もこの再会の形を喜ぶべきなんだろうな。奴が私にばかり目を向けているから、死者が減ったってことなんだから。


 偽四災将ミラーズが前に出たことで選兵団や魔術師部隊は酷い被害を受けているし、死者も少なくない数出ていると思われるが……それでも幸いだと思うしかない。仮に中央門を破った段階からアンラマリーゼ自身が嬉々として人命を絶やすことに勤めていたとしたら、被害はこんなものじゃなかった。死者の数はきっと青天井、住民のほとんどが殺されていたのは想像に難くない。


 後から来る勇者へのこれ見よがしの道標として中央通り沿いの建物をひとつ残らず潰していく、なんてお行儀の良い・・・・・・暴れ方では済まなかった──王都の全域がそれと同じような気軽さで破壊し尽くされていた。それは疑う余地もないんだから、せめてそんな「最悪」が回避されたことを。あの日にロウジアでアンラマリーゼと出会えたことを、彼女の計画を邪魔できたことを私はもっと喜ばなくちゃならない。


 とは、理屈の上ではわかっちゃいるが。


「くく……どうしたハルコ、随分と静かじゃないか。貴様はもっと、喧しい程に威勢のいい女だったと記憶しているが」


 私の心を見透かすように、アンラマリーゼの瞳が妖しく煌めいた。



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