259 ザリーク
痛みに顔を顰めながら、立ち上がる。よろりとふらつきかけたのは落ちた際、瓦礫に挟まれて片足にダメージを負ったせいだ。
無論のことザリークは魔族だ。子どもらしい見た目は見た目だけのもの。人間の子どもは当然として戦士として鍛え上げられた大の大人と比しても優に勝る耐久性を持ち合わせている。けれど、それはあくまでも人間を向こうに取っての優位性。比較対象を同じ魔族とした場合のザリークは、大半から貧弱の誹りを受けてしまう程度には。それを本人も認めて受け入れざるを得ない程度には弱弱しい存在であった。
見るからに筋骨隆々なスタンギルや堅牢無比な筋肉と鱗を持つイレイズには、当たり前に遠く敵わない。しかし機動力と不死性こそが特長で特別に頑丈なわけでもないキャンディや、本人をして「肉体には頼らない」と公言して止まない根っからの魔術師タイプであるロードリウスと比べても、ザリークは尚に劣る。一段どころではなく二段も三段も、だ。同じ魔族の幹部でありながらこの差はなんなのかと、そこらの「選ばれていない」魔族にも及ばない自覚のあるザリークは何度となく自嘲してきたものだった。
ただしザリークばかりが幹部内で圧倒的に貧弱かというと、そうでもない。ある意味で彼と同じような立場にバルフレアがいた。
バルフレアもまた幹部でありながら奇妙な体質によって生まれつきに強度とは無縁の魔族。魔王の腕同士であり、互いに「直接戦闘向きではない」術者であるということもあって、そこには名状しがたいシンパシーがあった。友情、と呼べるほど確かなものでも優しいものでもなかったが、しかし相互間に一定のリスペクトがあることは互いに察していた。個人主義の魔族とてここまで似通った境遇にあれば多少なりとも内輪の意識を持つというもので──けれど同時に、こいつにだけは負けたくないという敵愾心も強く持つというもので。
その気持ちが思わせていたのだろう。常々に自身の体質への不満を隠していなかったバルフレアに、しかしザリークは「言い訳がつくだけマシだろう」と彼が僻むたびに内心で鼻を鳴らしていたのだ。生来の奇病と言ってもいい体質のせいであり、またその体質がバルフレアの場合は武器にもなっている。先代魔王に見出され、今代の魔王の側近へと採り立てられたのも、切っ掛けも理由も限りなく魔力的な肉体であるというその体質にこそある。言い訳の種でありながら躍進の種でもあるそれを、何をそう悪し様に、恨みつらみを世に放つように呪えるものか。
ザリークは至って健康体だ。彼の貧弱さの理由は体質でも奇病でもなく彼がただそういう魔族であるという、それだけのことでしかなかった。理由なき弱さ。恨みつらみのぶつけどころさえないやるせなさを、ザリークはずっと抱えてきている。だから彼は戦いの矢面に立つことを嫌うのだ。その分野に自身の活躍はないと知っているから。どれだけ策を凝らそうと罠に嵌めようと敵の目の前に立ってしまえばラッキーパンチにも数えられないようななんてことのない一撃で「沈んでしまいかねない」……あっさりと負けてしまいかねない。自分がその程度でしかないとよくよく知っているからこそ、彼は魔術師として成長し、魔王の左腕に成るまでに至った。
それもまた、バルフレア同様にコンプレックスがもたらした武器と言えるだろう。つまりはやはり彼とザリークはどこまでも似通っていて、どちらがマシだ不幸だと一概に言える関係にはないということだが。それを薄々に頭のどこかではわかっていながら、それでもザリークは譲らないのだ。
最も弱いのはボクだ。それでいて最も魔王様のお役に立つのもボクなのだ、と。
だが、そんな妄執染みた想いを抱いていても。
「やっぱり、こうなったか」
ザリークの顔に表れた苦渋は足の痛みばかりが原因ではなかった。目の前に広がるミラーズ対勇者パーティの戦闘風景。自分が埋もれた瓦礫から脱するまでにもう戦いが次のステージに移っていること。そしてそれが、勇者側が希望した通りのマッチアップになっていることがザリークの心をいっそうに波立たせていた。
まんまと、である。大技の激突によって廊下が崩れ去ることも見越していたのか? あるいはそうなったから、また咄嗟に(魔族であるザリークからすれば)気味が悪いくらいの連携によって各員がそに合わせて動いたのか。いずれにしろ、流れは完全に勇者パーティのものだった。
こちらがロードリウスの魔弾とスタンギルの大砲撃によって味方まで被弾しているのに対し、勇者側はまったくの無傷だ。ミラーズの攻撃だけでなくあれだけの規模だったシズキの攻撃からも被害を受けていない。損害を被ったのは、四災将の人形たちばかり。その上でバラけさせられたのは果たして都合がいいのか悪いのか。どちらであってもザリークからすればひどくプライドを傷付けられる展開だ。
勝負の開始から優勢を取り、一気に決着まで持っていく。勇者側も勇者である以上は粘るだろうし、予想外の手を打ってくる可能性も大いにあるが、それを踏まえても暗黒鏡人形の勝利は揺るがない。自身が完成させた究極の術への絶対的な自信と共にそう予測していたというのに、これではまったくあべこべだ。開幕から優勢を取って事を有利に運んでいるのは勇者たちのほう。ザリークは、ミラーズたちはそれにあたふたと対応させられている側だ。先制による火蓋を切ったのはこちらであるにも関わらず、である。こんな事態とあっては臍を噛まずにはいられない。
「……くそ、くそが」
悪態を繰り返しながらうず高く積もった瓦礫から下りる。たったそれだけをするのにも足首が悲鳴を上げ、それに尚のこと腹を立たせ、四方で起きている戦いを厳しい眼差しでそれぞれ眺めていく。
スタンギルVSシズキ。ロードリウスVSカザリ。イレイズVSコマレ。キャンディVSナゴミ。……どれもミラーズが圧倒してはいない。むしろ押されているようですらあった。何故だ? それがザリークにはわからない。いくら勇者と言えど、いくら一度は倒した相手だとしても、生前よりも強化されている四災将のミラーズを相手に一対一でどうして押せる。どうして戦える。どうして死なない。五分の一の勇者たち。五人の内の一人の勇者たち……五人だからこそ強い、それが今代の勇者の強さなのだと様々な情報から鑑みて結論付けた自分は、間違っていたのか?
真の特別である、だからこそ魔王様も目をかける、勇者ハルコ。彼女さえいなければパーティを瓦解させるのなんて容易なこと。そう考えたのは、とんでもない錯誤だったのか──否。
断じて否である。
「間違えない。ボクが、間違えたりなんてするものか」
知らないことは、しょうがない。知識が不足していて読み違えるのは不可抗力のようなもの。それは自分だって陥る世界の穴だ。だが、充分に知り得たことを読み違えたりは絶対にしない。そんな過ちを犯すのは選ばれし左腕、参謀役のザリークではない。
ザリークであるために。魔王の参謀であり続けるために、彼は懐から一枚の鏡を取り出した。
これは使用にリスクを伴う欠陥術。特に様々な術を短時間の内に行使して残量に不安を抱える今はそのリスクが増大する──が、どうでもいい。そんなことはどうだっていい。それよりも余程に受け入れがたい事実を、正しい現実に塗り替えるため。今の彼は手段など選んでいられなかった。
「広がれ……乱反射空間」
ミラーズから発想を得たバルフレアが暗形という術を生み出したように、バルフレアの術的空間『空渠』より発想を得て生まれたザリークの奥の手が切られ、広がっていく。
暴力的に荒れ狂う光と共に。




