252 敗残兵
「……ふー。どうやら罠はここで打ち止めみてーですね。この先にはもう仕掛けられてねーです」
ミヤコ市場までもう少し、というところでアザミスが大きく息を吐いた。汗を拭う彼の言葉からは活力が欠けていて、それだけ疲労が溜まっていることを知らせている。無理もないな。アーストンを出発からこっち、ずっと働き通しなんだもの。本当なら王都に到着した時点で彼もひと休みできていたはずだっていうのに、ザリークの奴が罠なんざ仕掛けていくもんだから。ホントにお疲れ様だ。
「ここからザリークは急に罠を仕掛けなくなった、ということですか?」
「ええ、間違いなく。魔力が心許なくなったのか別の理由があるのかは知りませんが、この先から罠の悪意を感じねーです。もしかしたらミヤコ市場で防衛線が張られていることに気付いてそれどころじゃなくなったのかもしれませんね」
なるほど。気が変わったというよりも単に戦いの準備に向けて別のことをやり出したか、あるいは魔王がそれを契機に小細工をやめさせたって可能性もあるな。私の中ではやっぱり、ブービートラップ作戦は魔王の好むところではないように思える。
アンちゃんはどちらかと言えばシュリトウさんみたいに迂遠な手段ではなく単純かつ明快な力でどうこうするのが本懐のタイプ……のはずだ。それはそれとして使えるものは使うタイプ、だとも思っているけどね。そこが難しいとこだし面倒なとこ。今代の魔王としての厄介さだとね。
「もう罠もないんだったら思う存分先を急げるね……ってのはいいんだけど、そのままにしてきて良かったかな。危なくてこの道誰も通れないよね」
魔王に追いつこうとしている今、いちいち無数に仕掛けられた罠の全部を解除して──つまりはさっきアザミスがやったみたいに手ごろな瓦礫でも放って空撃ちさせるってことだが──進むなんて悠長はできないけど、だとしてもあんなに危ないものを大量に放置したままってのも気分が良くないというか、悪い意味で後ろ髪を引かれて止まないんだけど。
それに関してアザミスはあっけらかんと答えた。
「心配ねーですよ、放置でOKです。仕込み方こそ見つかりにくいようにと多少凝ってはいましたけど、術式自体は急ごしらえもいいとこの単調な代物だったもんで。あれじゃそう長くは持続しません。既に劣化が始まっているところから見ても残るのはせいぜいあと三十分かそこらってとこです」
そのあとにはただの瓦礫道になってますよ、と彼は言う。そうなのか。私はてっきり作動するか解術──その気になればそういうこともできるとアザミスは中央通りを進みながら教えてもくれた──でもされない限りずっと罠として残り続けるんだとばかり思っていたから、そうじゃないと断言してもらえてホッとした。
これで心置きなく魔王を追えるってもんだぜ。
「だがその前に、多少は聞き込みの時間も欲しいな」
「聞き込み?」
「敗残兵からな。急ぐぞ」
すっかりリーダーになったシュリトウさんの(一番年上なんだし統率力もあるから別に不満はないんだけど)号令ひとつで私たちは走る。ちなみにアザミスはシュリトウさんが米俵でも運ぶみたいにして肩に担いでいる。持ち上げられる際に憮然とした表情を見せたけど、ヘロヘロになっている今の彼じゃ私たちの足についてこられないからには仕方ない。だから本人も特に抗議とかはしなかったんだろう。
罠に気を遣わなくてよくなったことで私たちの進行速度はぐっと上がり、あっという間にミヤコ市場へと到着。そこもやっぱり痛ましいほどの破壊の跡だけが残されていて、もう市場らしさなんてものはどこにもなくなっていたが。それ以上に痛ましいのが、ここで魔王とその部下を迎え撃った選兵団の人たちの有り様だった。
ボロボロだ。怪我人だらけで、必死に重傷者を運ぼうとしている。掛け声を聞く限り癒者が足りておらず、少し離れた病院まで連れて行かなくちゃならないようだ。癒者が教会でこそ本領を発揮できるように、医者だってちゃんとした治療を施すには設備が不可欠だものな。この場に来てちゃちゃっと処置できるような傷ならそもそも兵士なら自分や仲間で対処できるわけで。その点で言うと、効力は落ちるとはいえ本人の回復力を引き上げられる癒者はそういう面ではっきりと医者に勝ると言える。
「ゴドリスさん!」
おそらく、助からなかった人たちなんだろう。並べて寝かされているまったく動かない選兵団のメンバーと思しきたくさんの兵士の前で、跪いて祈りを捧げているゴドリスさんを見つけた。呼びかけたことで彼は私たちに気付いて立ち上がったが……その姿に私は衝撃を受けた。
「ゴドリスさん、腕が……それに目も」
右腕が、二の腕から欠けている。右目も抉れるようにして傷になっている。それだけじゃない、口からの出血に加えて足元からも流れている血。内臓をかなり傷めている。脚のどちらかも折れている、それもおそらく開放骨折だ。たくさんの怪我をしてきた私には彼の重傷具合が手に取るようにわかる。
立っているのもやっとの状態だろうに、彼は私たちに兵隊式の礼をして、自身の惨状には触れずに言った。
「よくぞ駆け付けてくださった。魔王がここを突破したのはつい先ほどのこと。まだ、間に合います。今は王城前で魔術師部隊が──」
「魔王にやられたのか、それは。他の兵士も?」
それを遮ったのがシュリトウさんだった。状況説明をぶった切り、ミヤコ市場での戦いについて訊ねる。優先して耳に入れるべきは間違いなく魔王の居場所と交戦状況なんだろうけど、この場所で何が起きたかも情報としては重要だ。それにシュリトウさんはゴドリスさんと無二のライバルであり、友人……たぶんだけど親友同士でもある。誰も割って入る気にはなれない。
シュリトウ、とその名を呼んでからゴドリスさんは小さな苦笑を浮かべた。
「いや、魔王ではない。奴には遊ばれただけだった。選兵団の威信を賭けて挑んだ大勝負、だったのだがな。私たちは奴から術や能力の類いを引き出すことさえできなかった……この腕や目は、飽いた魔王に代わった魔族に奪われた」
「配下に、か。お前がいても魔王には手も足も出なかったと」
「ああ、そうだ」
潔く認めるゴドリスさんにシュリトウさんは盛大に鼻を鳴らし、不機嫌丸出しの表情で腕を組んでむっつりと黙り込んでしまった。無理もない。親友のひどい姿、治癒術でもまったく元通りになれるかは非常に怪しい──私基準ならこれほどの傷でも立ちどころに治るはずだが、普通は治癒と言ってもそこまで万能なものではない──欠損を目にしては、シュリトウさんも平静ではいられないに決まっている。というか彼の性格を考えればこれでも充分に平静を保っているほうだと思う。
「その魔族は、ザリークですか」
ザリークに関しては王都を初めて訪れた際にルーキン王を始め王城の人たちには事細かに説明している。私が、ではなくてバロッサだんが。当然ゴドリスさんだって、勇者がこちらの世界にやってきた途端に襲ってきたとんでもない魔族のことはその名前・外見的特徴も合わせて存じている。なのでいちいち擦り合わせる必要もなく確認ができるわけだが……私の問いにゴドリスさんは首を横に振った。
「ザリークと思われる魔族だけは終始手を出しませんでした。私たちに襲いかかってきたのはそれ以外の『四体の魔族』です」
「四体……では、魔王が引き連れているのはザリークを含め五体?」
「その通りです、コマレ殿。いずれも恐るべき強敵です。魔王に掻き乱されていなければ多少は善戦もできたはずですが……そうでなくても奴らの一体でも落とせていたかは怪しいところです」
どうか我らに代わり王をお守りください、と。言葉自体は淡々と軍人らしく、けれど多大な悔しさを滲ませてゴドリスさんは私たちに深く頭を下げた。




