202 なんでも好きにこの身体を
だから彼はじっと待つ。何も言わず、身じろぎもせずにじっと待つ。
密やかに語られる少女たちそれぞれの言葉に無作法な耳を向けないのも、マナーというよりも単に聞くのが怖いだけだと言ったほうが正確だろう。否寄りに話し合いが進んでいてはシュリトウも不動を貫くことはできない。膝を曲げ、両手をついて嘆く。大粒の涙を流して何故だと悔しがる。大袈裟でなくそれくらいにみっともない姿を見せてしまう、その確信が彼にはあった。
蹲って泣く程度ならまだいい。下手をすれば……いや下手をせずともほぼ確実に、年端も行かない少女たちの足元に頭を擦り付けて再考を頼み込む。もう一度だけこの哀れな男のために議論してくれと恥も外聞もなく縋りつく。絵面としてもあまりに情けないそんな自分の未来が明瞭に幻視できてしまっているだけに、盗み聞きの選択肢など元より彼にはなかった。
一秒の過ぎる間が十倍にも百倍にも感じられる、シュリトウにとっては重く苦しい時間が過ぎて。ようやく巡り合えた奇跡が無為にならない僥倖を無言のまま喉が張り裂けんばかりに内心で祈り続け、そしてようやく。少女たちの間で何かしらの結論が出たようだった。
こちらに背を向けていた一人が輪を解いて向き直る。黒髪黒目の、最も背の高い少女だ。勝ち気で男勝りな表情をした、しかし顔立ち自体からはいかにも年頃の少女らしい柔らかな印象も受ける、独特な雰囲気を持っている彼女は、よく通る溌剌とした声で言った。
「こっちから誰が相手するのかっていうのと、勝敗の付け方について。つまりルールを私らが決めていいっていうなら模擬戦受けるのもやぶさかじゃないですけど。どーします?」
どことなく挑発的な問いかけだった。そういえば、先ほどもこの少女はこちらを試すような質問をしてきていた。返した答えは紛れもなく本心からのものだったが、シュリトウはしかと彼女の意図を察してもいた。今もまたそれは同じだった。
「勿論、是非に及ばずだ。それで試合ってくれるというのなら何もかもを君たちで決めてくれていい」
元より、勇者たちがその気であるなら五対一でズタボロにされることも望むところだったのがこのシュリトウだ。サシでじっくりと勇者の実力を味わうことができないのは残念だが、歴史上初となる複数人の勇者。その全員の力を一端とはいえ拝めるのであればそれも決して悪くはない。大怪我を負うことになって消えない傷が残ったとしても──否、むしろ残ってくれたほうが勲章となって良い。それくらいに「なんでもいいから戦りたい」男だった。
だから、相手が五人の内の誰であるかだとか勝負の形式だとか、そんなものは二の次三の次。どうでもよくはないが欲張りたい部分ではちっともなかった。大事なのは戦ってくれるかどうかその一点。そこさえ確定できるなら他の条件など勇者側の好きにすればいい。これも彼の偽らざる本心からの返事であった。
「オーケー。それじゃこっちの条件は、対戦するのは私一人。そして私が戦う目的は実験だと予め言っときます」
「ふむ、実験」
その心は、と訝るというよりも単なる確認として続きを促したシュリトウに、少女は小さく笑みを浮かべて。
「ドワーフタウンで魔族の襲撃事件があったことはご存知ですよね」
「ああ、耳にした。百日の猶予を抜きにしても前例のない大規模集団が街を襲ったそうじゃないか。そして、それを君らが見事に撃退したとも聞いている」
「見事だったかどうかっていうのは置いておいて、そのときに色々とありまして。私は今、自分で自分の実力を測りかねているところなんですよね」
「ほう?」
シュリトウが視る。彼は一日千秋で勇者の訪れを待ち続け、鍛え続けてきた武の求道者であり、人生の全てをそれだけに捧げてきた狂人でもある。そんな彼だからこそ見える情報があった。
佇み方や立ち振る舞い、重心や呼気、気配に気質。そういった目にするともなく目にしているものから得られる概算的な強度。つまりは他者の「大まかな戦闘力」がシュリトウには相対するだけで読める。これはやろうと思ってやる特技ではなく、彼の生態に近しい自然的な洞察でもあった。
その結果が知らせる勇者たちの戦力としての魅力は上々。思った通り、いやそれ以上に好い。それだけわかれば充分とそれ以上の観察は控えた。これは盗み聞きをしなかった理由とはまた別で、実際のところを味わう楽しみを試合う本番まで取っておきたいという自重だったが──しかし興味深い言葉を聞かされて半ば反射的に彼はより詳しく少女を測ってしまった。
気の巡り、骨肉の充実、意気と血気。そしてこちらを見据える眼差しの奥にあるもの。それらを見定めた上での診断としては……どれも良好、格別に「満ちている」。少女は文句なしに強く、コンディションも二重丸。
だが、どうにも不可解なモノも感じる。それが少女の言う測りかねる原因だろうと彼は一瞥のみで当たりを付けた。
そうとは知らず……いや、あるいは自身がつぶさに覗かれていることを向けられた視線から察しているのかどうか、少女は笑みのままに続けた。
「簡単に言うなら、シュリトウさんの悲願を私の調整に使わせてほしいってことになります。それでもいいならやりましょうか、模擬戦」
少女の後ろでは勇者一行が成り行きを見守っている。どうやらこれが全員で出した結論のようだった。なるほど、とシュリトウはその思惑に触れた。
不意の条件付けは要するに、面子を保つための逆提案なのだろう。勇者側がおもねるばかりという前例を作らないための措置。確かに、過去どの時代の魔王期においても歴代の勇者たちが連合国の民にいいようにされた話など聞かない。
勇者伝説の始まりである初代勇者の冒険においては、今でこそ深い信頼関係で結ばれているこの国とも──そもそもその当時はまだちゃんとした国の形を成していなかったということもあって──細々としたすれ違いや衝突があったらしいとは伝わっているが、それは例外的なもの。
あってはならないことなのだ。救世主たる勇者が、救いの対象に頭を垂れてはいけない。それは築かれた伝統と信頼を打ち崩しかねない罅になる。そういう理屈を抜きにしても、シュリトウ自身もまた自分なんぞに勇者が服従するような様は見たくないのが本音であった。
模擬戦が調整に役立つのであればそれは勇者側のためにもなる。シュリトウの悲願を利用する、という形を取るのであれば勇者としての面子は損なわれない。これでもシュリトウとて一組織の長の肩書きを預かる身、面子というものがどれだけ大切かはよくよくわかっている。それは人の世において決して蔑ろにしてはいけないものだ。
勇者の面子となれば殊更に、しかと守られなければならない。
「構わない。実験でも調整でも、なんでも好きにこの身体を使ってくれ。俺は全面的に君たちの条件に従うとも」
答えはやはり決まっていた。決まり切っていた。一人の人間の悲願を調整のために利用する。悪し様な言い方だが、なんていうこともない。これは勇者からの譲歩であり折衷案の提示だ。シュリトウの我儘を聞き入れて本来なら不必要な戦いを演じる代わりに、その意義や形式については全て勇者側が決める。そうすることで互いを対等にしつつ、シュリトウの願いを叶えさせる。そういう気遣いであり優しさだった。
よもやそこを誤解したりはしない。シュリトウは感激を胸に頭を下げた。
「ありがとう」
五文字にこれまでの人生で煮詰まった想いを遍く乗せて伝える。そうして顔を挙げたシュリトウは、にかりといい笑顔を見せた。
「それじゃあ舞台へ上がろうか、勇者様。俺たちの戦いの舞台へ!」




