198 遠路はるばると
それでもって翌日だ。
時間調整の甲斐もあって予定通りに朝方の内には辿り着いたアーストン。新しい街の景観を楽しむのもそこそこに私たちは目的の場所である魔闘士ギルドの本部へと足を運んだ。
昨晩に聞かされたボコボコにしてくれという要望。そんなことを宣うのはいったいどんな怪人なのかと私たちがイヤな意味でのドキドキを胸に本部の建物(デカかった、魔術師ギルドの本部よりも外観で言えば立派だ)の扉を叩けば──まず出迎えてくれたのは柔和な顔付きの獣人男性だった。
バーミンちゃんは半獣人。人間と獣人の血を半分ずつ持っているものだから顔付きはまんま人間のそれに言われてみれば少し(兎の)特徴があるかな、くらいのものなんだけど。純粋な獣人はそうじゃなくて、どちらかと言うなら動物の顔がいくらか人間らしくなった感じなんだよね。今まで街中とかで見かけてきた獣人はみんなそうだった。
トライズと名乗った私たちを迎えてくれた彼もその例に漏れず、猫感が前面に押し出た顔立ちをしていて人間のそれとはだいぶ毛色が──文字通りにしっかりと毛深くもあるため──違うんだけど、それでも第一印象で「柔和」だと思えるほどトライズさんはニコニコと笑っていて、言葉も仕草も穏やかそのものな人だった。
「遠路はるばるとお疲れ様でした。ドワーフタウンからでしたらここまでは大変だったでしょう」
次の目的地として設定するにはアーストンが遠かったのは紛れもない事実なので否定もできず、気遣いの言葉に対して愛想笑いしか返せない私たちにトライズさんも微苦笑して。
「御用向きは勿論、伺っております。案内いたしますのでこちらへどうぞ」
私たち勇者が物見遊山などではなく、儀の巡礼のために訪れたこと。つまりは本部長に会いに来たのだと彼は知らされていたようで、だからすぐに扉が開いたんだな。今か今かと私たちの到着を待っていたんだろう。
「申し遅れましたが私は本部長の補佐をしております」
「補佐、ですか」
「ええ。既にご存知のこととは思いますが、うちの本部長は戦闘バ──いえ、とても自由な人なので。私のように本部長としての仕事を支える者がいなければならないんですよ」
ほーん。魔術師ギルドでは本部長補佐、なんて役職の人は(たぶん)いなかったけどね。まあ、ちょっと話しただけでもトーリスさんのしっかり者ぶりというか、職務に誠実に取り組むタイプだろうっていうのはよく伝わってきた。あの人に補佐なんていらないだろうってのはわかる。そして、こっちの本部長には間違いなく必要だろうっていうのもよくわかる。ちょっと話すどころかまだ会ってもいない内からそんな確信を抱かせてくれるとは、さすがは連合国最強のお友達。これはこれでとんでもない傑物の証だろう。
というか今、聞き間違いじゃなければ戦闘バカって言いかけてなかった? 部下であり一番身近な人物でもあるはずのトラウズさんからもそんな評価って、本当にどんな人なのよ本部長。なんか会うのがちょっと怖くなってきたんですけど。
「トラウズさんも承知しているんすね? 本部長さんがこんな時期にもなって勇者様との模擬戦を希望していることを」
「ええ……言いました通り自由が服を着て歩いているようなお人ですから。こうと決めたら真っ直ぐなんですよ、良くも悪くも。補佐と言えど私には如何ともし難いのです」
バーミンちゃんの珍しくも険のある物言いでの問いに、微苦笑をはっきりとした苦笑に変えたトラウズさんは案内の足を止めたかと思えば。
「勇者様方には非常に申し訳なく思いますが、どうぞご寛恕を。そして何卒、どうか少しの間だけでもお付き合いをして頂けないでしょうか」
そう言って深々と頭を下げてきた。そんな真似をされては私たちも落ち着けたものじゃない。皆で色々と言ってなんとか頭を上げさせたが、隙あらばまた下げようとするので油断がならなかった。
「そ、そんなにあなたが頼み込まなくてはいけないようなことなんですか?」
不毛なやり取りに痺れを切らしたようにコマレちゃんがそう訊ねる。確かに、無茶なことだとわかっていて、それを押し通そうと謝罪を重ねてまで無礼を働くよりも、いっそ元凶である本部長その人にビシッと注意してやるほうが気持ちとしてはずっと楽なんじゃないかと思うんだけどな。
それができないってのはじゃあ、とてもじゃないが反旗を翻せないほど本部長が怖い人物なのか、あるいは何度も何度も注意してきてそれでもまったく効果がないからもう諦めてしまっているか。このどっちかってこと? どっちだとしてもやっぱりろくでもない人なのは確定なんだけど……そんだけ色んな意味でひどい人がよく魔闘士ギルドのトップに収まっているな、っていう別の恐怖も出てくるね。
なんて私は思ったんだけど、トライズさんは少し声の調子を変えて、何かに思いを馳せるように言った。
「はい。本部長には私が子どもだった時分からお世話になっていますし、あの人が勇者を直に見たい、戦ってみたいと渇望する姿を間近で見てきてもいますから。勇者の来訪とは即ち魔王期の始まり。それを望むと公言こそさしもの本部長もしませんでしたが……それはそれ、これはこれ。魔王期が始まったのなら是が非でも勇者との対戦を求めることはわかり切っていました。そして、そうなればもう誰にもあの人を止められはしないことも」
むう。この言い方からしてただの野放図で傍迷惑な人ってわけでもないのか。本部長。少なくともトライズさんは大きな恩義があって、尊敬もしているようだ。じゃあ、変なスイッチさえ入らなければ人格者だったり? そうじゃないと本部長の願いを叶えるために部下の彼が平身低頭にへりくだるはずもないだろうから、私が思うよりはまともな人っぽいかな。
バーミンちゃんもコマレちゃんも、トライズさんの本部長に向ける真摯な想いに触れて、もう何も言えないようだった。まあ、いくら補佐だと言ってもトライズさんは本部長とは別人だ。彼に不満や不服をぶつけたってしょうがない。そもそも顔合わせがスムーズに行われるようにと私たちは(一応とはいえ)本部長の「要望」を承服してここにいるんだから、あとはもう本人と直接対面して話を進めていくほかないだろう。
トライズさんに案内を再開してもらって、私たちは一旦建物の外に出た。そして壁のない渡り廊下を通って別の建物へ。そこはドワーフタウンの体育館にも似た──あれよりは小さいけど──空間を大きく使った、ジムみたいな場所だった。
その中央にある、少しせり上がった舞台。見るからに格闘場として設置されているそれの上には、会話をしている二人組の姿があった。
「勇者様方御一行とその案内人様をお連れしました!」
トライズさんが入室と同時に大きく声を張り上げて私たちの訪れを知らせる。抜群の声量で空間中に広がったその報告に舞台上の二人が揃ってこちらを向いた。
一人は、青年……というより少年くらいの年齢か。人間の若い男子だ。道着に似た白い服を着用している。その恰好は舞台の雰囲気によく合っていた。組手でもしていたんだろうか?
それで、もう一人が巨漢の獣人だ。縦にも横にもデカくて、体がぶ厚い。そのごついボディの上に熊の頭が乗っかっていた。熊の獣人! それも体格がスタンギル並みに優れている、絵に描いたような武闘派。こちらも黒くて袖の着られた道着のようなものを着ていて、全体的な迫力がすごい。
少年はにこりと、熊の獣人はじろりと、私たちを見つめた。




